≠で=よりも≒
僕はアリア殿下に勧められてイスに座る。
アリア殿下はベットから出て、僕の対面に。
「えっと、アリア殿下? その格好でいいので?」
パジャマにカーディガンを羽織っているだけの、ラフどころか寝間着レベルの姿である。少なくとも、一国の王女が自室内とはいえ客人に見せる姿ではないだろう。
「いいんです。話が終わればベットに戻りますから。それにいちいち着替えるのは時間がかかりますし、着付けは一人では出来ませんからね」
しれっと言われてしまった。
まあ、それよりもとりあえず聞くことがある。
「どうして、シスター―――フランチェスカ・フィオラヴァンティの名前を?」
この世界には絶対に来ないはずの人の名前が、何故異世界であるここで出てきたのか。僕はシスターの名前をこの世界ではまだ口にしてないはずでもある。
こ の 世 界 に は 絶 対 に 来 な い ? いや、考えれば一つだけ可能性はある。
「フランチェスカは――――って長いですよね。『フラン』でいいですか? 日常的にそう呼んでいたから」
「『フラン』でいいですよ。僕もシスターの事は、施設内で二人きりの時はそう呼んでましたから」
「シスター。―――ええ、やっぱり貴方はフランのお話に出てきたお方なのですね。色々な芸を覚えた努力家で芸達者の男の子。容姿が女の子そのもので可愛い子で、よく女装してたって」
眩しい笑顔で言うアリア様。
シスター、一ついいですか。どうして説明の後半がそれなんですか? そっちの方がインパクト強いんですか。
「間違ってはいないけどね……。その人の容姿とか、経歴は……。この世界に来る前は孤児院で働いていたとか、言っていましたか?」
「アッシュブロンドのセミロング。端整な顔立ちで垂れ目。左目に泣きホクロがありました。体つきは細くて、スリムでしたね。―――元の世界では孤児院で働いていたと、そう仰っておりました。ノーシアフォールに飲まれる前に、孤児院の方々は皆殺されたとも」
「…………」
予想していた通りの、聞きたかった言葉が出てきた。
「そのシスターは、僕の知るシスターであり、シスターではないですね」
アリア殿下の知るその人は、僕の知るシスターとは、イコールであり、ノットイコールであり、ニアリーイコールの存在だ。
つまり。
「―――平行世界で多分、彼女が生き残った世界のシスターだ」
僕の世界では、彼女は死んでいる。目の前で、腕の中で、死んだ。
なら、どうしてこの世界の人間であるアリアが彼女の事を知っているのか。
あの日、死んだのが僕で、生き残ったのが彼女というだけの差がある世界から、シスターがこの世界に来たのなら説明はつく。
この世界に来た平行世界のシスターは、迂曲曲折を経てアリア様の元に来たのだろう。そして昔話として僕やアイツの話をしたと言うわけか。
「そうですね。フランから貴方は死んだと聞いてました。だから最初、名前を伺った時『どうして生きているのか』と考えましたよ」
「生きてて悪ぅございました」
「そんなことありませんよ。もし、お会いする事があればお話したいと思っていましたから。こんな偶然お会いするとは思っておりませんでしたが」
口元に手を当て、クスクスと笑うアリア殿下。
「シスターの名前が出るなんて思いもしないけどね。―――彼女は今どこに?」
こんな事を聞いて、僕はどうするのだろうか? 会うのか? いや、僕自身会いたいが会わないほうがいいのではとう気持ちがある。彼女にとって僕は平行世界の人間であり、僕にとっても彼女は平行世界の人間だろう。
辿ってきた今までは現実であり、事実。ある意味、互いが互いにとってのイコールではない。平行世界レベルの赤の他人だ。
「会って、どうするのですか?」
思いのほか、厳しい目で訊いてきた。
僕は思慮を巡らせ、嘘のない言葉で答える。
「……自分の気持ちを言って別れる。多分、気持ちの整理だ。僕にとっても彼女にとっても、互いに平行世界上のとてもよく似た別人だけど。どこまで一緒で、どこから先が違うのか分からないけど、あの時の最後、言いかけた言葉を言いたいし、聞きたい」
これが、本心だ。
僕の答えを聞いて、アリア殿下は優しい目つきに戻る。何か安心したような顔だ。
「あの人も、同じ言葉を言いましたよ。もし、私が死んだ平行世界の彼が目の前に来たら、と言って」
「…………」
「それと、『もし私を死んだ私の代わりにこれからを一緒生きようとしたらグーで好きなだけ、目が覚めるまで殴ってやる』と」
「うん。よく知るシスターだ」
平行世界でもそう変わらない肉体言語派の女傑ぶりだった。見た目ふんわりしてるのに、ここぞと言うときの胆力が凄い人なのだ。異世界に行っても変わらなかったらしい。
「なんというか、それ聞いて安心した」
「私も、貴方がそんなことをする人ではないと分かって安心です」
「それで、今は?」
その問いかけに、アリア殿下は表情を曇らせる。言いたくても言えないような。そんな表情でもある。
彼女はしばらくしてから、意を決したように口を動かす。
「……とても残念なのですが……。十年前に、病気でお亡くなりになりました」
現実は、何時でもどこでも、どこまでも非情で、残酷だ。
「…………」
言葉も出ない、とはこの事。唯一出る言葉は―――。
「……彼女は何年前にこの世界に?」
「十八年前に。私が会ったのは九歳の時だから―――もう十七年も昔ね」
思いのほか、かなり前にこの世界に来たらしい。十年となるとアルペジオは六、七歳ぐらいで、アルフィーネは二歳前後か。彼女と会っていないかもしれないし、会っていたとしても覚えてないのかもしれない。
それにしても、享年36歳か。その死は早すぎる。
「……会いたかったな」
ポツリと呟く。会ってまたコーヒーを頂きたかった。シスターが淹れたコーヒーを。
「彼女も、最後にそう言ってましたよ。ユウキに会いたい、コトネちゃんに会いたい、と」
「…………」
「もし平行世界の貴方達が私の目の前に来たら、と伝言と預かっている物がありますが……」
意外な言葉が、アリア殿下から出た。
「もしよければ聞いても?」
「貴方には、チハヤユウキには、『貴方の事、好きですよ』。―――この言葉で充分と」
それを聞いて、僕は深くため息を吐き出す。確かに、聞きたかった言葉だ。でも。
「僕は、シスターになにも伝えられない、か。預かっている物は、ありますか?」
「……少しお待ちを」
そう言って、アリア殿下はドレッサーへと向かい、中から一つの小箱を取り出す。
「……これを」
蓋を開け、中身を見せてくれた。
小箱の中にはロザリオが二つと、ロケットが一つ、一つのチェーンで繋がれていた。
「……ロケットの中身を見ても?」
僕はそう訊ねる。中身は分かっているけど、見ておきたいのだ。
「いいですよ」
その言葉を聞いて、丁寧に小箱から取り出し、ロケットの蓋を開ける。
納まっていたのは鮮やかなカラー写真。
場所は施設の教会の前で、三人が写っている。
まず一人はアッシュブロンドでセミロングの髪を持った二十代半ばの女性。
修道女の服を着た麗しい方がシスター。
一人は黒髪の少女。見た目12歳ぐらい。容姿は僕をそのまま幼くしたような子。その目付きは、その年頃の少女がするべきではない、表現するにも『憎くて憎くて、なお憎いものを見る目』か、『何もかもがうじ虫かゴミに見えてる目』か、『人とその他の区別がついてない冷たい目』のどれを選べばいいのか迷う目付き。
一目でまともな人間ではないと認識させられる目付きだ。
この子が、あいつ。
そして、その隣にいる、同じく黒髪で長髪の少女―――に、見える少年が、僕。
つまり、そこには僕とアイツと、シスターが写った写真が収まっていた。ノーシアフォール発生の二週間前に撮って作り、シスターへと送ったそれだった。
「彼女はこれをどうしろと?」
アリア殿下にそう訊ねる。
「貴方に任せる、と」
「……アリア殿下にとって、シスターは、フランはどんな人でしたか?」
この問いの意図が読めないのか、不思議そうな表情をするアリア殿下。でもすぐに答えてくれた。
「……恩師、ですね。継承権が無いに等しいと知って家出した私を叱りつけ、激励し、前に向かせてくれた大切な人です」
病弱とは一体。でも、シスターらしい話だ。
「でも彼女に会ったからこそ、私はここにいるのだから、感謝してもしきれない。私の従者兼教育係になって支えてくれたからこそ、今がある」
一息ついて、アリア殿下は僕を真っ直ぐ見て、言う。
「フランの事は、私は大好きなのです」
異世界でも、シスターは誰かの背を押し、送り出したようだ。
僕にしたように、あいつにもしたように。
「なら、これは貴方の物です」
僕はそう言って、ロケットを小箱に丁寧に納め、アリア殿下の前に差し出す。
「これはシスターが貴方に送った彼女の形見。ならこれは受け取れません」
それに。
「僕も持ってるのですよ、これ」
首に下げたそれを服の下から出して見せる。
ロザリオ一つとロケットを。
「彼女が持っていきなさい、と。肌身離さず持っていなさいって。無くても大丈夫だろうけど、って。それと多分―――」
「多分?」
「それを見せるよう言ったのは、所謂テストでしょう? シスターに受け取るとか言ったらグーで殴れと言われてるのでは?」
シスターがやりそうな事を言った。
これを聞いたアリアは声に出して笑いだした。蚊帳の外にされているアルフィーネもケンさんも笑うアリアが意外なのか驚いている。
「よく分かりましたね。もし、平行世界の貴方が来たら、もしロケットを持っていなかったら、形見として受け取ろうとしたら殴っておきなさいって。こんなものにすがってないで一人で歩いていきなさい、って言ってましたよ」
一王女に何頼んでんだあの人。
もう、笑うしかない。
「ホント、あの人はお人好しで心配性で、面倒見の鬼だ」
「ええ、そうね」
平行世界の彼女もそう変わらない。やはり会って話したかった。
「それで、なのですが。最初会って、家出した貴女の事を聞いてなんて叱りつけましたか?」
「よく覚えてますよ。『そんなことでめげない。兄弟姉妹皆から頼りにされ、助けてほしいと言われるお姉さんになりなさい。私の知る子に、好きな人にそうなってみせた皆のお姉さんがいます。女装ですが』って。ビンタ付きで。『平民で孤児院で暮らす子がそれが出来るんだから貴女にも出来ない道理はない』とも」
「実に、あの人らしい教えだ」
と、言うより王女様にも肉体言語つきかよ。何してんだか。それどころか大問題では。
「なんか、安心した。シスターがシスターのままで」
「貴方がいた世界でも?」
「ええ、僕も怒られましたね。『肩の力を抜きなさい。一人で何もかもをしない。貴方が倒れたらコトネちゃんは一人でしょう。私を頼りなさい』って」
本当、背中を押されていた。あの人がいなければきっと、僕とあいつはあのままだったろう。僕は異常なままで、彼女は止まったままだったろう。
本当に、感謝の言葉しかない。
「彼女のお墓はどこに? 平行世界上の人間とはいえ、墓参りぐらいはいいでしょう?」
きっと、それぐらいはあの人は、平行世界のその人でも許してくれるでしょう。




