ハロー、異世界。僕は異世界に来ました。
僕が異世界に来て一月が過ぎようとしていた。
僕を保護した陣営、組織に成り行きで炊事係になって、朝昼晩と食事を用意し、余った小麦粉や卵を使って菓子作りの毎日を送っている。普遍的な話は以上。きっととっても簡潔な説明だ。
―――え? わからない?
以上、じゃなくて異常しかない? ですよねー。
では改めて。
僕が異世界に来て一月が過ぎようとしていた。
突然そう言って何がなんだか分からないだろう。異世界の言語を理解し、日常会話程度を喋れるようになるまで掛かった時間と、自分が置かれた状況と。流れ着いた異世界の歴史を知る時間でもあったのでそれぐらい掛かってしまった。
異世界に来た、と聞いて聞いた人はどんな異世界をイメージするのだろうか。
エルフがいてドワーフがいて、中世の街並み、文明レベルもそのぐらいで魔法がごく普通に存在して。つまりはファンタジーな異世界を想像するのではないだろうか。
―――これは普通すぎるかな。ベターもベター。
または篝火を求めて彷徨うダークファンタジーな世界か。
―――絶望しかないな、この世界だと。心が折れる。
そんな戯れ言はさておき。
安心してほしい、僕が来た世界はそんな世界じゃない。
簡潔に説明するなら、そうさな。
僕らとそう変わらない人間しかいない世界で、二つの勢力が異世界から来た物資を巡って、リアルに人型機動兵器でドンパチ戦争してるような異世界だった。
軽く、僕が置かれた状況を説明しよう。
まずは異世界に飛ばされる十一ヶ月前、つまるところ僕の時間感覚にして一年ぐらい前のこと。
僕が暮らしていた世界、西暦2024年の地球で突如として『黒い球体』が出現した。
球体、と表現したけどこれはきっと正しい表現ではないし、適切な表現は出来ないだろう。出会った人達の言葉を借りるなら、『ブラックホール』『空の穴』『呑み口』などと呼ばれていた。
これは地球上のどこかに出現し、地表へと落ちてその場のもの全てを飲み込んでしまうものだ。迷惑なことにも、飲み込まれた物の一部が広範囲に渡って火山の噴石のように降って被害をもたらした。
呼称が統一されていないのは、最初の『球体』が出現して一週間もしない内に各国の首都などの主要都市がほとんどが『球体』に呑まれ、何もかもが停止してしまったからだ。空に舞った瓦礫が街へと降り注ぎ、各種インフラが停止し、治安が一気に悪化した。それは日本も例外ではなく、三か月もしない内に自衛隊から流出した銃器が街に溢れ、廃墟だらけの世紀末な世界へと変わってしまった。
報道機関も停止し、情報入手手段を失った人々はかの球体を各々が好きなように呼ぶようになった。それは千差万別なので、僕はそれを『黒い球体』と呼ぶことにしている。
『黒い球体』が出現して三か月で廃墟まみれの世界になり、自分が生きるために誰かを殺す、そんな毎日を僕は過ごした。
そんなくそったれな世界で十一か月を生き抜き、そして『黒い球体』に呑まれた。
そして僕は異世界へとたどり着いた。
次に目を開けて見たのは『黒い球体』の真下、瓦礫の山の上だった。体を起こし、周りを見渡す。
ヨーロッパの街並みを思わせる廃墟と大小様々の瓦礫の山が無数にも存在する地域のようだ。呑まれたはずなのにと思いながら瓦礫とかが降ってくるのを待ったのだけれども、降りてくる気配もない。圧死は無理そうだ。
どれだけ長く待とうかと思いもしたけれど、いるだけ無駄だと感じ、瓦礫の山を降りることにした。瓦礫を降りきったら何処へ行こうかと考えながら。まあ、ここ二週間ほどまともな食事、睡眠をとって無いので降りきる前に倒れるかもしれない。体力を使い果たして死ぬのもいいかもしれない。リアルならコンティニュー出来ないし。
そしてすぐに、向かう先の空に何か飛んでいるのに僕は気付いた。最初は鳥かと思ったけど違った。それは十数メートルの鉄の巨人だった。数は三。
スマートな手足、均整の取れたシルエットの人型兵器。機体の背面からだろうか、青白い奔流が出ておりスラスターやブースターの大推力に任せた、空力を無視した飛行をしているようだ。
さらに近づいてきて細かいところが見えてきた。白を基調とし、青をサブカラーにした派手な塗装。
右手にはライフル、左手には細長いが機体とほぼ同じか少し短いぐらいのシールド。左腰には接近戦を想定してなのかサーベル型の実体剣を鞘に入れている。頭部はツインアイ方式らしくどこかリアルロボット物の主役機みたいな印象がある。
立ち止まった僕の正面、二十メートルぐらい前にまず一機が着陸する。続いて残りの二機もライフルを構え、周囲を警戒しながら着地した。スラスターの逆噴射がこちらまでに届いて、砂ぼこりやら何やらが僕に当たる。ちょっとした暴風にあった気分だ。
三機の内、一機が空へ何かを打ち上げる。
信号弾、赤い光が三発。これが何を意味するのか、僕は知らない。
中央の一機が機械らしくない、人間そのもののような生きた動作で膝を着いた。胸部装甲が上下へと分かれ、コクピットのシートごと人が出てきた。
僕より背も年も下に見える、腰まで伸びた金髪を二つに分けた少女だった。容姿は整っててシャープな顔立ちとつり目で多数の人が間違いなく美少女だと言うだろうけど、どこか強気で活発な、トラブルの中心にいそうな印象がある。パイロットスーツなのか体型が分かるほどのぴっちりとした(例えるならダイビングスーツみたいな)操縦服を着ていた。
その少女はするりと機体を降り、僕の前にやって来た。僕の思った通り、身長は低いし年はきっと僕より下の女の子だ。身長は150半ば、十代中頃に見える。その年齢だとしても体型は出てるところは出てる、トランジスタグラマーと称してもいいかもしれない。またはコンパクトグラマーか。
「××××、×××、×××××?」
日本語ではないしフランス語でもない、もちろん英語でもない言葉で話かけられた。くぅえる、あるは、のーしあん? なんだそれ。
「×××××。×××××、××、×××、×××××××?」
理解出来ない、怪訝そうな表情をした僕にその少女は続けてそう言った。何語だそれ。
「×××××。××××××、×××××」
ここまで来て、僕の頼りない直感がある可能性を考え始めた。
『黒い球体』に飲み込まれたはずが、飲まれた場所と違う所にいること、リアルロボット物に出てきそうな人型機動兵器が目の前にあること、知らない言語で話し掛けられていること(地球上の言語としてはあるかもしれない。それを僕が知らないだけかも)。
この事から『黒い球体』により僕が生きていた時代からはるか未来、もしくは異世界や平行世界のどこかに辿り着いて、という可能性だ。
そんな事があり得るだろうか?
そもそも『黒い球体』自体が僕らの常識から外れているからあり得るかもしれない。マジかー。
所謂、ラノベだとかネット小説とか読むことをしていたから、受け入れ自体は意外にもすんなりと出来る。けれど、感情のどこかで受け入れれない所もあった。
「……とりあえず、この言語、日本語で会話は出来る?」
ダメ元にもほどがあるかもしれないが、自分の母語で訊ねてみる。
「××××××? ××ー」
何か考え込むように額に指を当てる少女。どこか困っているようだ。いや、困っているのはこっちなんだけど。
ここはあれだ。こっちが母語で喋って、身振り手振りで話すことにする。それだけでは何を言っているか分からないが、言いたい事、伝えたいことは分かるはずだ。フランス語やイタリア語覚える時、これで最初どうにかした経験が、ここで活きることを賭けてみる。踏み出さない事には何も進まない。
「僕の名前はチハヤユウキ。……君の名前は?」
自分の胸に手を当てて名乗り、彼女に促すよう手を前に出す。
「……チハヤ? ××××× ××× ××× チハヤ?」
「そう、チハヤ。僕の名前。君の名前は?」
「××××× ××× ×××× アルペジオ・シェーンフィルダー」
少女はそう名乗った。ニュアンスで通じた、と思いたい。
ここからの記憶はかなり曖昧になる。……というよりも、そのあとにそれなりの人数の兵士がやってきたのだが、しばらくは安全だという事実と僕の疲労が限界に来てしまい気を失ったというのが事の顛末である。
次に目を開けたのは三日後、僕を保護した『オルレアン連合軍第八騎士団』、通称を『フォントノア騎士団』が駐留する前線基地の医療区画にある病室だった。
一週間ほど、この区画で僕は過ごし、この世界の言語である『フロンクェル語』を覚える事になった。不思議なこと、と言えばそうなんだけど文字としては僕が居た世界と同じアルファベットが使われているのと、発音自体もどこか英語に近い。文法(この表現が正しいかはさておき)としても英語に近いが日本語で使われるような敬語が存在するのである意味厄介な言語かもしれない。
この世界の歴史についてわかった範囲で話そう。
まずはオルレアン連合とその歴史。この連合は五つの王国とその属国、計一〇三ヵ国で構成されている。成立は今から300年ほど前、『大戦争』と呼称する戦いの後に、ある王国の提案により他の四ヶ国が同意し発足した連合体制である。その体制としては分かりやすく言えば互いの不可侵と持ちつ持たれつつの関係といったところ。NATOみたいな、と表現してもいいかもしれない。
よう長くこの体制が続くもんだと思うんだけど、理由としては『大戦争』が百年近く続いていたこと、戦闘による被害があまりにも甚大だったこと、各国共に疲弊しこれ以上続けれなかったのが理由らしい。一言で済ませるなら戦争が嫌になったということだ。戦後しばらくは互いの物資を分けあい、共に繁栄しあう経済重視の平和な世界になったそうだ。
そして150年前からまた戦争しだした。その相手は『ランツフート帝国』と言うらしく、この世界の全体的な歴史から見れば新しい国家であり、建国から四十年でオルレアン連合と同等レベルまでに成長した新興国でもある。万年帝国を掲げているらしく、向こうから喧嘩を吹っ掛けてきたとのこと。
今から八十年前までは一進一退の泥沼だったらしいが、その時に『ある現象』が発生し、戦争は一気に様変わりした。
それは『黒い球体』――――この世界では『ノーシアフォール』と呼ばれる、異世界で発生した『黒い球体』に飲まれたものの一部が出てくる『穴』。それが、僕が回収されたこの戦争の最前線、オルレアン連合軍とランツフート帝国軍がにらみ合い続ける街『レドニカ』に出現した。
最初期は瓦礫やらなにやら、この世界にとっては理解出来ない『異物』しかなく、戦争を続ける人類に対しての神の天罰だと言われたほどの混乱を双方に与えたほどの出来事だったらしい。らしいと言うのも、すぐに異世界で黒い球体に飲まれた人間がやって来て、『異物』の使い方を教えていった。
次から次へと異物が来て、それを使える人が、作れる人が、設備や道具がやって来て、この世界の科学技術は一気に発展していった。僕を回収したアルペジオが乗っていた人形機動兵器『リンクス』もその内の一つ、最も代表的なものだそうだ。
リンクスについては後々に語るとして、この世界は『ノーシアフォール』による異世界からの技術流入により急速に発展していった。そしてオルレアン連合王国とランツフート帝国はいつか戦争に決着をつけるべく、異世界の技術を学び、軍備を整えている。いつか始まるだろう、大規模な戦闘に備えて。
さて 、だいたいのこの世界の歴史を話したので今度は僕の現状について話そう。……と言うよりは僕のような異世界人の扱いの話にもなるけど。
基本的に『ノーシアフォール』によってやって来た異世界人は、三ヶ月ほど保護された陣営の軍でフロンクェル語を覚える。その期間中にその人がかつていた世界で何をしていたかを聞かれる。軍人ならそのまま軍に入れるし(人によっては軍はこりごりと言って娑婆に戻る人もいるんだとか)、科学者や整備士、町工場の職人だったら技研なる施設に行ったり。
僕はそんな特殊な人ではない(別の意味で、色々な意味ならば該当する)ので適当な街に放り出される………と、思っていたのだけれど。
特技というか趣味というか、『料理』が得意なのが騎士団に気に入られた。
理由、というかフォントノア騎士団の食事事情がいけなかった。朝昼晩の食事は騎士団が当番決めてやっているのだが(後で知ったことだが専属の料理人とその弟子たちがかつていたが味に五月蠅いお嬢様方を嫌って出てったらしい。
そして料理人に該当する人は来なくなった)、食べる事しか知らないブルジョアな良家のお嬢様方がまともな料理を作れるわけもなく、整備士のむさいおっさんが彼女らの舌を満足させる料理など出来るわけもなく。
ここに来て初日の夕飯もいけなかった。
僕は断言する。
この夕飯の話は割愛しなければならない、と。
それほどまでにひどい夕飯だった。語ってはいけない話があるなら、間違いなくこれのことであると言える。
その翌朝、僕は早く起きて基地の厨房で騎士団全員分(約四百人。厨房の設備と、この日の当番の人が手伝ってくれたので出来た)の朝食を準備、提供してみせた。これも不思議な話ではあるけど、僕が知っている食材がほとんどだったのがよかった。かれこれ十か月ぶりの″まともな“料理ではあったけど、少なくとも勘と腕はそこまで鈍っていなかったようだ。
朝食の内容は角切り野菜のコンソメスープと鶏肉のピカタ、バケット(所謂フランスパン)だ。朝の即興料理、量も大量なのでこれが精一杯だったのだけれど、これが彼らに効いた。
騎士団長からは、
「ここの料理長になれ貴様ァァァァァアアアア!!」
と必死な目で叫ばれ(当然の事ながら、この時点で僕はまだ彼女らの言葉はわからない。後で知った)、女性団員の方々―――主にアルペジオ殿下からは、
「私の専属料理人になりなさい!」
などと迫られたほどである。
もう少し語るなら、食べた人のほとんどが泣きながら食べてた。号泣である。けっこう長い時間、あの食事だったのならそうなるのかもしれない。
そんなこんなで僕はフォントノア騎士団炊事係に任命され、一か月を過ごしたのである。
そして僕は、かつてやった事を繰り返す。あのくそったれな世界でやった事を。