偵察②
「どうしたものか……」
白い尖鋭的なシルエットを有するリンクス《アルテミシア》のコクピットの中でシオンは呟いた。
視線はメインモニターの右側に表示された後方の映像に向けられている。
『照準警報』
《ヒビキ》の警告。
何度も行われたそれを―――シオンは無視する。
「照準は合わせるだけ合わせて撃ってこないなんて……。遊んでるのかしら?」
挑発紛いの忌々しいその行為に苛立ちを見せつつ、サブウインドウで拡大された戦闘機らしい平たい影を睨む。
《アルテミシア》の背後、三〇〇メートルまで距離を縮めてきた敵機はそれ以上近づかずにロックオンだけし続けるという不可解な行為をしている。
機銃掃射かと思っての回避機動を見せても減速して、再加速してぴったりと付いて来ているあたり、嫌らしい。
空戦機としての仕様、装備でもある《フロイライン》と言えどその最大速度は戦闘機よりも劣る以上、速度で振り切る事は不可能に近い。
それ以外の手段となれば。
「―――交戦するしかないか」
追跡を受け続けてもいずれは撤退するだろうが―――《アルテミシア》の事やこちらの動きを色々探られるのはあまりよろしくない。
シオンはそう判断して、操縦桿を引いてフットペダルを踵から踏み込む。
その物理的入力と思考は《linksシステム》によって《ヒビキ》に読まれ、機体に反映される。
《アルテミシア》は脚を前に出し、翼のように配置された背部ハンガーユニット兼武装コンテナ内臓バインダー《ヤタ》を広げて、腰部の前へ向けられたバックブースターが推進剤を盛大に吐き出す。
姿勢の急な変更と機体の周囲で安定還流させたフェーズ粒子による空力制御システム《プライマル・フェアリングシステム》を一時的に停止させて、増えた空気抵抗と逆噴射で一瞬の内に減速する。
その右脇を―――敵戦闘機は通り過ぎて《アルテミシア》の前に出た。
自機を敵機に追い越させるオーバーシュート。
敵機が背後で近い距離にいるからこその戦闘機動で後ろを取った《アルテミシア》は再び《プライマル・フェアリングシステム》を起動させて《ヤタ》を畳み、脚部を再び後ろに向けて再加速してその背後を追う。
速度で劣る以上、振り切られる前の僅かな時間がシオンのターンだ。
《アルテミシア》は右腕で保持する超電磁砲―――《カノープス》を構えて、すぐにFCSは敵機を捕捉して射撃可能を伝える。
シオンはすぐに引き金を絞ろうと指に力を籠めようとして。
「―――!」
モニターに映った光景に、シオンは目を見開いた。
《アルテミシア》の正面を飛んでいた戦闘機は急激に機首を上げた。
先細りする鳥の嘴のような機首とその後ろに付いた小さなカナード翼と。
後方に二つ並ぶエンジンユニットと前進翼に斜めに取り付けられた尾翼というその構成が、この一瞬でシオンに教えられる。
違和感が大きいのは―――機首にあるはずのキャノピーが見当たらない事か。
その機体は高度をそのままに、機首を反時計方向に回りつつ急制動を掛けて―――《アルテミシア》に追い越させに掛かった。
戦闘機同士のドックファイトならばそれで相手の背後を取れただろう。
―――だが、《アルテミシア》はリンクスで、戦闘機でもなければ航空機でもない。
《アルテミシア》は衝突を避ける為に左へクイックブーストして、戦闘機を追い掛けるように旋回しつつ超電磁砲を向ける。
戦闘機には出来ない急制動と旋回と照準は、確実に敵機を捕捉し続けていて、
「―――!」
モニターに映ったその光景に、シオンは少しだけ目を見開く。
視線の先で、その戦闘機はまるで分解したかと思わせるように―――その形を崩していた。
前進翼は基部から反転して後退翼に変化し、エンジンブロックは機体下部へと向けられて根本から反転し、折り畳んでいた足首から先のない下脚部を展開。
機首の上半分が持ち上がるように動いて、そのまま後ろにスライド。
そうして残った部分は前へと折れ曲がるように動いて、フルフェイスのヘルメットのようなのっぺりとした頭部を持つ、腕のない人間の上半身のようになる。
それと同時に機首側部のカナード翼が折り畳まれ、その基部ごと横方向へ開き、内部に格納されていた五指のマニピュレーターを持つ腕部を展開する。
機首の下半分が分離して―――右腕がそれを掴み取った。
そうして戦闘機は―――歪なシルエットを有する人型へと変形を完了した。
その光景にシオンは内心は驚くも―――不思議な事に見たものに疑問を抱く事はない。
まるで―――似た光景を見たことがあるから、あっても可笑しくないと知っているような既視感。
『敵リンクスを視認。該当する機体のデータはありません』
「見ればわかるわよ」
《ヒビキ》のあくまで冷静な事実報告に淡々と返して、不思議な程に―――冷静に照準を合わせ、トリガーを絞る。
距離は三〇〇。
レールガンの砲口から砲弾が発射された。
必中しなかったとしても、音速超過の砲弾が有する衝撃波の影響を受けかねない距離だ。
敵機はそれを右へ急加速して回避し―――ロールで襲い来る衝撃波をいなす。
「―――避けるな!」
驚きを繰り返すシオンの視線の先で敵機は左手を右腰に持ってきて、右主翼の下に懸架していたらしい棒状のものを掴み、急速に拡大する。
その動きからすれば、その行動の目的は明白だ。
《アルテミシア》は咄嗟に左腕に持った、銃身下にブレードを有する七〇ミリ口径のマシンガン―――《リゲル》の銃身下に組み込まれたブレード部分を眼前に迫った相手に向けて振り上げる。
振り上げる刃と振り上げる刃が下段でぶつかり、火花を散らせて一瞬だけ止まった。
《アルテミシア》は腕部の膂力のみで強引に振り抜き、敵機を弾き飛ばす。
敵機はそうされるのがわかっていたのだろう。
無理に押さえ込まずに弾かれるに任せて、ブーストして制動を掛けて僅かな距離を後退。
もう一度と今度は上段から斬りかかる。
それに対応するように《アルテミシア》も《リゲル》を振り上げてその斬撃を受け止めた。
「……相手の重量と膂力はこっちより無いけど、動きが速いわね……」
ただでさえ近接格闘戦能力に劣り、しかも自重が増加していて小回りの効き難い《フロイライン》装備状態での格闘戦に冷や汗が流れるのを自覚しつつ、シオンは冷静に相手を分析する。
『機体重量に対して十分な膂力と推力があると推測。いい設計です』
「褒めないの」
《ヒビキ》の分析と戯言を嗜めて、シオンは左の操縦桿のボタンを操作して《リゲル》に組み込まれた機能を起動させる。
それに僅かに遅れて―――《リゲル》の銃身下のブレードが赤熱化する。
それに応じるかのように相手のブレードも赤くなり―――ゆっくりと《リゲル》の赤熱化した刃が食い込み始めて。
そして力任せに腕を振ったが―――敵機が逃げるのが速かった。
その機体は手持ちのを半ばで断たれつつも下がり、右手に持った機首下部パーツ―――銃器らしいそれを持ち上げて《アルテミシア》に向ける。
『照準警報』
警告を聞きつつもシオンはフットペダルを踏み、《アルテミシア》は左へクイックブーストしつつ《カノープス》を右背の《ヤタ》の裏側に設けられた懸架ユニットに懸架させる。
距離が近い以上―――いくら《アルテミシア》が苦手としても銃の距離ではないとシオンは判断して。
左大腿部側面に取り付けられた銃剣付きアサルトライフルが懸架基部から回転して、片刃式で肉厚の銃剣だけが銃身から持ち上がってグリップを展開する。
そのブレードを右手で掴み、前にクイックブースト。
接近しつつ抜刀してそのまま斬りかかる。
敵機は迷うことなく後ろに急加速して―――右手に持つ銃器でその斬撃を逸らし、寸での所で避ける。
―――ブレードを一本喪失して、射撃兵装も喪失した敵機へシオンは遠慮なく左手の《リゲル》の砲口を向ける。
距離は五〇という近距離で、フルオート射撃を叩き込む。
間を置かずに放たれた弾幕を敵機は背中から落ちるように仰け反って急降下。
そのまま戦闘機形態に変形―――主翼は後進翼の位置にして急加速して《アルテミシア》の下を潜り抜けて、西へ旋回して離脱していく。
視界の片隅にある《ストラトスフィア》のレーダーにも、かの機体の編隊機と思われる二機がそれに続いていくのが映っていた。
これ以上の交戦は危険と判断しての撤退だろう。
あるいは、離脱の動きをする《アルテミシア》に対しての追撃は無意味と思ったか。
『追撃は?』
「私は撤退中よ。―――敵も撤退したなら、いいわ」
《ヒビキ》の確認するような問いにシオンはそう答えて―――北東へ旋回して再び加速する。
『シ―――ストレイド! 無事?!』
レーダーやファットマンの連絡で状況を把握していたのだろう、フィオナからの心配そうな声が通信に入る。
「無事よ。……そんなに焦らないの」
心配性な彼女に呆れつつもシオンは答える。
「レーダーで見えてると思うけど、追撃部隊は撤退してるわ。それと」
『それと?』
「さっき交戦した戦闘機―――人型に変形して襲い掛かってきた」
先ほどの交戦で知り得た大まかな情報を伝えた。
帰投する以上、今伝える必要はそれほど高くはないが、早めに共有しておくべきだと思ったからだ。
『変形可能なリンクス? それは本当ですか?』
怪訝そうな口ぶりで抑揚のない事務的な男性の合成音声が通信に割り込む。
HALだ。
『システムの精神的負荷もそうですが、あまり人からかけ離れると心的違和感による弊害が発生するはずですが』
「嘘は言わないわよ。帰投したら映像記録を見せるけど―――。専門的な話はともかく、リンクスかどうかはわからないわね」
とにかく帰投するわとシオンは通信を切り上げる。
長く通信をするのも―――傍受される可能性もあるわけなのだから。
欲しい情報は手に入ったし、思わぬ収穫もあったと言えるが、
「―――妙な既視感は、何かしら?」
シオンは先程の戦闘で感じた違和感―――既視感を探るべく記録を呼び出す。
《アルテミシア》は量産を前提に試作された機体でもある上に報告する関係上、作戦時の映像は常に記録されている。
そうして呼び出した画像は数種類で、戦闘機形態と人型形態の画像をモニターにサブウインドウで映して既視感の正体を探る。
斜めに取り付けられた尾翼に描かれた、戦闘機を模したパーツを身につけた少女のエンブレムだろうか。
それとも、機首左側面に描かれた《騎乗槍を背景に駆ける馬》のエンブレムか。
これらではない気がする、と首を傾げていると、
『同様のエンブレムを有するリンクスのデータがあります』
《ヒビキ》が助け船と言わんばかりにもう一つの画像をモニターに表示した。
一目見るだけで重厚だとわかる、ずんぐりとしたゴツいリンクスの画像だった。
全体的に黒で、頭部のひさし部分やマニピュレーターの指先は赤く塗装されている。
頭部の光学センサは人のそれを模していますが、ひさしのところにも二つついています。
右腕にはリンクスと同じ長さのランス。左手には六角形の角張ったシールドを持っています。
両肩には肩部装甲と一体化したシールド兼ブースターのユニット。
脚部は膝から下がブースターの影響か、リンクスとしてはかなり太い。
その機体の詳細か、《アルメリア》という名称と《ランツフート帝国軍レドニカ方面第五大隊所属機》《パイロット:ナツメ・ウィングフィールド・キリシマ・ブシュシュテル。階級:大尉》と追記されている。
そして拡大されるのは右肩。
そこには戦闘機のそれと同じ、《騎乗槍を背景に駆ける馬》のエンブレムが描かれていた。
『該当の機体とは何度か遭遇、及び一時共闘等しています。あなたのいう既視感とは、これではないでしょうか?』
シオンの抱いた疑問を解決する手伝いのつもりなのか、これまでに取得していたデータを見せて言う《ヒビキ》。
「……これじゃない気がする……」
難しい表情を浮かべて、シオンは小さく呻く。
多分これは記憶を失う前の、《アルテミシア》が《プライング》だった時のデータだろうことは想像できるが―――その実感はないし、思い出せない。
もしかしたならば、《ヒビキ》に記録されている交戦データに何かあるかもしれないが―――それを見せられたところで、今と同じ感情を抱く事になりそうでもある。
堂々巡りを繰り返すなら―――気にした所で、仕方ない。
まあいいわ、と言ってシオンは展開したウインドウ全てを消す。
『よいのですか?』
「……ええ」
《ヒビキ》の問いにシオンは頷く。
こちらとら、フィオナを初めとする想い人や知人に自身の過去を語られようが、ロケットを見せられようが―――ほとんどを思い出せないでいるのだから。
気にしても、同じ事の繰り返しになるだろう。
だから、いいのだ。
「……昔の話はともかく、今は帰りましょうか。―――私達の帰りを、待っている人達がいるからね」
あっさりと過去の記録を探るのを止めて、シオンは《アルテミシア》を東へ旋回させた。




