Migrant
首都で父と、従者たちと。
友人と笑い合い、楽しかった時間は帝国の宣戦布告と侵略で終わってしまった。
街は焼かれ、砕かれ、瓦礫に変わっていった。
服を変え、姿を隠し歩いた、かつて活気に満ちていた街は物言わぬ瓦礫の世界へと変わり果てた。
街を去る最中に見た、和気あいあいとした人々の表情は暗く、その瞳には何も映していないようだった。
父は首都の防衛に残り―――戦死したと聞いた。
私の護衛だったリンクスは帝国の砲弾に穿たれ倒れていった。
近衛が駆る《イワガニは》は帝国のリンクスによって叩き潰された。
友人のマイと父と親しい武官のアラタは囮になった。
私達を運んでいた車は至近弾を受けてひっくり返り、動かなくなった。
幼い頃からの従者だったアオバは《イワガニ》の爆発から私を庇い―――破片を背中に受けて死んでしまった。
護衛は足止めの為に一人一人、殿になっていった。
家族も同然のハチは私を守る為に銃弾に撃たれながらも敵兵二人を噛み殺し、息を引き取った。
そうして、私は一人になった。
それでも私は一人、森の一本道を走り続けた。
ずっと続く、鬱蒼と茂る山道を歩き続けた。
一晩、歩いた。
道なりに歩き続けた足は泥濘に呑まれているかのように重くて。
―――歩くのを止めた。
足を止めた瞬間に、膝の力が抜けた。
糸が切れたように、動かなくなった。
疲れたんです。
ここまで一人で歩くなんて、考えてもなかった。
道なりに進めばすぐって、いつまで歩けばいいの?
ただそこにうずくまるだけの時間を過ごした。
どんよりとした雲が空を覆い、あるはずの太陽さえも隠していて今が何時かも検討がつかない―――そんな時だった。
轟音が聞こえた。
人気のない、風と鳥達以外囀るものもない森の静寂を破る嵐のような音。
その音に、私は空を見上げる。
似た音を知っている。
私を首都から追い出し、追いかけ続ける凶兆の知らせ。
立ち塞がった護衛の全てを打ち砕いた暴力。
そこに、人の形をした白い影が浮いていた。
轟音を纏うその主は―――確かに、私の正面に浮かんでいた。
全高は十数メートル。
人の形をしていながらも、人のそれからやや外れた影。
白を基調に青紫の差し色が走る、前に突き出るような装甲と隠せない内部を敢えて剥き出しにするそのレイアウト。
両手と背中に得物を抱いた風貌は戦闘という野蛮な目的を隠していないが、戦闘の為に洗練され削ぎ落とされたその姿は歪でありながらある種の美しさを有している。
―――人型機動兵器、リンクス。
帝国が運用する暴力の権化の一つ。
連国が保有していた戦力を鎧袖一触してみせた存在の一つ。
―――ああ、もうこれまでか。
それが突き付ける事実に、今度こそ私は立ち上がる気力を失った。
私は捕らえられ、監禁され、連国の抵抗を諦めさせる為の材料にされるのだろう。
或いは、主権や併合後の独立運動の口実にされない為に処刑されるかもしれない。
なんにせよ―――私の未来は真っ暗なものだ。
顔を俯かせ、そう絶望していると一人分の影が私を朝日から遮った。
リンクスから降りて来たらしい。
あとは拳銃を突き付けられて、誰何されるのでしょう。
そうして差し出されたのは―――円筒状の容器だった。
「水よ。―――喉、乾いているでしょう?」
次に聞こえたのは素っ気ない、若い女性の声。
どこか案ずるようでありながら、大して心配していないような冷たい物言い。
敵なのか、味方なのかわからない態度に、恐る恐る顔を上げる。
そこには、体系に合うように作られた服を着た、華奢な体躯の人間がいた。
その人物の肩幅と変わらない程に広いつばを持つ三角帽子の下は―――可憐な、端正な顔が覗いている。
まだ若い―――十代後半にも見える。
うっすらとピンクが掛かったような白い肌と白銀に近い長く美しい髪を持つ美少女は私の隣にしゃがみながら、蓋を外した水筒を差し出してくる。
「―――薬は混ぜてないのだけれど」
警戒して受け取らない私の様子に、その人物は蓋をコップ代わりに水を注ぎ、自分で飲んでその無毒を証明した。
危害を与える気はないという姿勢を見てやっとその水筒を手に取って口に運ぶ。
「私は《ストレイド》。あなたが、ユキシロ家のツバメ殿下かしら?」
水筒の水を好きなだけ飲んだ私に、ローブさえ羽織れば魔女のような少女は淡々と、冷たく訊ねてきた。
「……それは、その」
思わず、口を噤んでしまう。
親切にしてもらったが―――ストレイドと名乗ったこの少女は水を恵んでくれただけだ。
帝国の人間である可能性は捨てきれない。
また警戒を見せた私に、どこか得心した様子だった。
「《ダルト・シージス及びシップダウン三連合王国》、ポロト皇国駐在外交官のキミヒロ・カクマル氏とサイカ・M・センノミヤ殿下両名の依頼と、ポロト皇国政府の依頼であなたを捜索していた傭兵部隊の人間、と言えば少しは信用はしてくれるかしら」
良く知った二人の名前と名詞の数々に私は閃光が走るような衝撃を受ける。
前者は父の友人で、いざという時に頼れと言われていた人物で。
後者は隣国、ポロト皇国の皇族で私の友人だ。
そしてポロト皇国の傭兵は―――裏切ることは決してない。
その名前が出る、という事は。
「あなたは―――ポロト皇国の傭兵、なのですか?」
確認するような私の問いに、目の前の少女はそうねと首肯する。
それに合わせるかのように、再び轟音が鳴り響いた。
道の先から白い尖鋭的なリンクスとどこか似ていて、されど違いの多い二機が姿を現した。
左右違う火砲を手にした桜色の機体と、盾持ちの淡い黄色の機体だ。
前者は私達の頭上を飛び去り、黄色の機体は重い音を立てながら白いリンクスの背後に着地する。
私が率いる部隊よ、と少女は自慢するのではなく淡々と紹介する。
―――率いる。
その一言は、彼女が隊長だというのを静かに示していて。
どこか自嘲するように少女は冷たい表情を崩し、微笑を浮かべて言う。
「私達は独立傭兵部隊 《ミグラント》。―――ポロト皇国から戦場に餌場を見出してやってきた、ただの渡り鳥よ」




