Reboot A-1
その街は草原地帯の真ん中にあった。
ポロト皇国の地理上では北部地域と東部地域の境目にある街で、自動車が国民の足として普及する前までは鉄道やバスなどの交通機関の要所の一つとして栄えていた街で、今は北部や東部の地方都市の衛星都市として形を変えながらも存在している。
そしてその街は―――戦火の只中にあった。
高層建築が立ち並ぶ市街地の各所を炎で彩られ。重い砲声と砲弾が飛翔する金切り音が街の喧騒代わり。
空に向かって黒煙が立ち上り、その蒼穹を黒く汚している。
その市街地の中心部より西。
街の西側の縁に、壁で囲まれた複数の棟と倉庫に似た建造物が立ち並ぶ施設。
「―――っ!」
木の板が敷き詰められた広い空間の中で一人の少年が呻いて、起き上がった。
年齢は十代中頃から後半ぐらいで背は高い。
癖の付いたくすんだ赤色の髪に同系色で吊り気味の双眸。
顎のラインはシャープながらどことなく童顔で中性的。
グレー系統、濃淡複数の色を使った都市迷彩の野戦服を着ていて防弾ベストや拳銃を納めたホルスター。
膝当てに膝当てを付け、軍用のブーツを履いていた。
少年は自身が置かれた状況を理解出来ず、目の前の状況―――負傷した人達が手当を受けている光景を只茫然と眺める。
何があって、自分はここに運び込まれたのか。
それを思い出すよりも。
「―――痛っ」
やや遅れて頭に鈍痛が走ったのを自覚して、軍用のグローブを嵌めたままの手で額を抑える。
「気が付いたか兄弟」
隣から心配する―――されど親しみのあるどこか陽気な声を掛けられた。
少年は声がした方へ振り向いて―――そこにいるツナギを着た兵士を見た。
年齢は―――二十代中頃。
癖のある暗めのブラウンの髪に同じ色の瞳。
野性味のある厳つい顔をしているが、どことなく精悍にも見える整った顔立ちの男性だった。
よく見れば―――その服装は陸軍の者とは違って、オリーブグリーンのズボンにタンクトップ。
そしてフライトジャケットを羽織っていた。
襟元には《ポロト皇国空軍》の徽章。
そしてその男には左腕―――その上腕部の半ばから先が無かった。
応急処置が施されているとはいえ―――そこに巻かれた包帯は血が滲んで赤く染まっている。
本人が大して痛く無さそうなのは麻酔が効いているからだろう。
「ここは……?」
「カリサテ市西部上級学校だ。―――今は戦場病院になってるけどな」
少年の問いに、男は簡潔に答える。
「戦場病院……?」
「そうだ。―――その様子じゃ、頭を打って少し記憶が飛んでいるみたいだが……。自分の名前を言えるか?」
男の物言いに少年は顔に疑問の色を浮かべながらも、
「トゥール、です」
自分の名前を言う。
しかし、気を失う前の出来事は彼の言う通りで、靄がかかったように思い出せないのである。
「ドッグタグの通りだ。とんでもねぇ記憶喪失にはなってないみたいで安心した。―――ゆっくりでいいから、今のこの国の状況を言えるか?」
助け舟を出すような問い掛けにトゥールは記憶を辿るべく顎に手を付ける。
「えっと、確か―――帝国に戦争を仕掛けられて、防衛戦になって……。俺は志願して後方の支援でカリサテ市に来て」
少しだけ思い出した。
その様子に男は安堵に似たため息を吐く。
「そうだ。忙しい医官の代わりに説明するが―――お前さんは搭乗していた《イワガニ》が砲撃で吹っ飛んで、運よく味方に救出されてここに運ばれてきたんだ。奇跡的に頭の切り傷以外は目立った外傷無しでな」
その一言で、少年は自分の身に何があったのかを思い出した。
少年は《イワガニ》―――節足に似た六本脚の歩行兵器の臨時操縦手となって後方輸送の支援に従事していて、
「―――そうだ。突然砲撃が来て、吹っ飛ばされたんだ」
いきなり金切り音に似た音が聞こえたと思ったら、右隣に砲弾が落ちて来て乗っていた《イワガニ》ごと吹っ飛ばされたのである。
「前線じゃない後方に、どうして―――?」
その問いは当然のように男が答えた。
「簡単だ兄弟。ここから北西の前線が突破されたんだ。そこから敵リンクスが強襲してきて、一発ぶち込んだ。こちらも応戦した結果、ここも最前線の一つになっちまったんだ」
「北西の前線が突破された……?!」
「ああ。防衛部隊は全滅で敗走。ここで臨時で再編して防衛に当たってるが―――聞こえてくる話じゃ劣勢らしい」
そう言って男は顎をしゃくって見る方向を指す。
トゥールはそれに吊られてその方向―――体育館の出入口から運び出される重傷者を乗せた担架を運ぶ人達を見つけた。
怪我人を運び入れる筈の場所から怪我人を運び出すという矛盾が意味するのは。
「お前さんが起きたタイミングで運び出しが始まった。―――ここも安全じゃなくなったってことだ。歩ける奴は自力で輸送車に乗り込めとよ」
そう言って男は立ち上がるが―――バランスを崩して倒れそうになって。
「大丈夫ですか?」
トゥールがすぐに支えて、男の転倒を防いだ。
「っと、すまねぇな兄弟。腕無くなったからか平衡感覚がちと崩れたらしい。立つのにも一苦労だ」
「気を付けて下さい。あと、兄弟は元々いないんだけど」
「たまたま担架が隣になった同士で親しみ込めて言ったんだが」
「そんな理由で親しみを込めないでくれ……」
トゥールは男のどこか砕けた態度に呆れながらも彼に肩を貸して、体育館の出入り口へと向かって歩く。
二人が出入り口を潜って―――正面に見える校舎の三階の角が爆発した。
それが皮切りで何拍かの間隔を置いて飛翔音と爆発が立て続けに起きる。
「わああああああああああ!!?」
「砲撃だ! 砲撃されている!」
「早く負傷者を運び出せ!!」
「逃げろ逃げろ!! 皆殺しにされるぞ!!」
多くの人々がまるで巣を突かれた蜂のように騒ぎ出し、思い思いの方向へ走り出す。
単純に逃げ出す者。
輸送車に乗り込む―――あるいは負傷者を押し込み、次の負傷者を運ぶべく体育館へ走る者。
自らの職務を果たすべく校舎や校庭へ駆け出す者―――様々だ。
『敵リンクス部隊が浸透中! 迎撃急げ!』
事態は切迫しているようで、状況と対応を迫る放送が近くのスピーカーから流れる。
「なっ……?!」
突然の事態にトゥールも驚愕する。
たった今聞いた話から予想出来る事態とはいえ、状況の変化が速すぎるからだ。
「もう来たんですか? 相手の動きが早すぎませんか?!」
「―――いや、こっちに配備されてるのは後方要員とその護衛だ。練度も前線に立つ連中とは差がある。そして帝国は戦争ばっかしてるんだろう? 経験も、練度も技量もこちらとは大違いならこうなっても可笑しくはない」
慌てるトゥールに、男は冷静に状況を分析する。
「負傷兵の俺達は逃げるしかできないぞ―――撤退ってのは、少し癪だがな……」
その諦めの一言に、トゥールはそうだろうかと考える。
学校の敷地の外では待機していたらしい《サキモリ》とは違う、箱を繋ぎ合わせたような手足と傾斜の付いた装甲を胸部に有する平たい頭部を持つリンクス―――《モリト》が北西の方へと走り出していて、多脚戦車である《イワガニ》も喧しい歩行音を鳴らしながらそれに続いている。
後ろにいる人達を逃がす為か、あるいは撃退するためにか。
その姿に―――トゥールは既視感を抱く。
十年前の逃避行。
帝国の虐殺から逃れる為に自身が生まれ育った国から出ていく、その最中。
殿として残っていった、親しかった女騎士の背と―――その姿を、彼は垣間見た。
「―――俺、行きます」
男を兵員輸送車に乗せて、トゥールは決意を口にする。
「……は? いや、何を言ってるんだ兄弟。、行くってどこへ―――」
「戦うってことです。―――二度も、戦う人々を置いて逃げれるかよ……!」
男は制止しようとして、怒気の籠ったトゥールの様子に少し慄く。
「お前さん……。もしかして西―――山脈の北側の国々からの、難民か」
「……はい」
目を丸くした男の問い掛けにトゥールは頷く。
「殿を務めた人達は皆―――追いつくからって言ったきり。故国で別れたきりです」
その付け足しに、男は納得したのか首を何度も縦に振る。
「―――そうかい。じゃあ、兄弟よ。どうして戦う? まだ、学生さんだろう」
「親しい人達を守りたいからです」
まだ短い付き合いと言えど―――難民のシオンやフィオナ。
隣人達の顔―――育て親とも言うべきアンナとラビノヴィチや、付き合いの長いメグミ。
トゥールは日頃から人付き合いがあって、世話になっているその人達の顔を思い浮かべて。
血塗れになって死んでいった人達や、別れてそれきりの人達の顔を思い浮かべて言う。
「自分がそうなってしまうかもしれないけど―――。何もしないでいるのは、耐えられないんです」
「―――なんで年端もいかないような少年がとんでもねぇ経歴持ってるのかねぇ……。人の数だけ人生あり、とは言うが」
その心境の複雑さを示すように―――呆れたようにも、世の無情さを嘆くかのようにも見える様子を男は見せ。呻いた。
「これ以上は乗せれない! 無理だ! 他か、次のに乗ってくれ!」
輸送車に怪我人を押し込んでいた衛生兵がそう叫けぶ。
確かに、荷台や後部座席であるその場所は所狭しと負傷兵が座っていてもう誰も乗せれそうにない。
エンジンが始動して、喧しい駆動音を立て始めた。
トゥールは動き出そうとする輸送車から下がって、走り出した輸送車を見送ろうとして。
「おい! 兄弟!」
たまたま担架が隣だっただけで『兄弟』と親し気に話しかける、片腕を無くした男が荷台から身を乗り出して声を上げた。
「死ぬんじゃないぞ! おめーまだ若いんだから!」
「―――はい!」
トゥールは心配とも激励とも捉えられる言葉に応じた。
そして、体育館とは違う倉庫に似た建物へと向かって駆け出す。
その倉庫に似た建物からは―――開かれた大扉から六本脚のサソリに似た多脚戦車が出て来るところだった。




