もう一度②
「―――どうして?!」
ほとんど絶叫の、疑問の声が右隣から聞こえて。
それがフィオナの口から飛び出したものだというのはすぐにわかった。
そして、私は左肩を押されて強引に左へ、フィオナの方へ振り向かされて。
大きく左腕を振りかぶったフィオナを見た。
涙を浮かべて心底信じられないと言わんばかりの、彼女の怒りの表情を見た。
次に来たのは―――右の頬への衝撃。
これが何かなんてやられたのでわかる―――ビンタだ。結構痛い。
彼女の筋力なら文字通り吹っ飛ばされかねないのでこれでも加減してくれている―――と思う。
出てきた言葉と実際の行動が剥離しているようにも思えるけど、話に聞いていて、かつ断片的に垣間見る私の記憶から考えればそう動いてしまってもおかしくはない。
フィオナはそのまま覆い被さるように私を押し倒す。
私は実質、フィオナの顔を見上げる形だ。
いきなりの事態に気が動転しているのか、彼女を止める人はいない。
「私と一緒にいてって、傍に居てって言ってるのに―――どうして?!」
どうしてって。
「どうして……戦場に、死に行くような事をするの?! ここに隠れていれば―――」
「隠れてたって、この国の人達が帝国に勝てる保証なんて、どこにもないわよ」
幼げで妖艶な顔を涙でくしゃくしゃにするフィオナの顔と、ワインレッドの瞳から零れ落ちる涙を顔で受け止めつつ問いを遮って、私は淡々と答える。
「逃げても―――私達はどこに行けばいいのかしら? 追い出された身の上で、帝国に行っても私だけはどうともならない身だったから、ここに来たのでしょう?」
一応、エルネスティーネなる帝国陸軍少将のアドバイスもあっての選択らしいけど―――その思惑はわからずじまいだし、知る気もない。
けれど、その経緯で自分達はここに居る。
ここに来るまでの逃走劇で私は両腕と記憶を失って、ここに居る。
「逃げる先なんて、もう無いんじゃないかしら。隠れてても、きっと相手はいつまでも追いかけて来る」
私のその一言に、フィオナは愕然とする。
まるで―――久しぶりに聞いた、みたいな。
そうかもしれない―――私には似たような事を言った過去がある。
それはどこだったかしら。
いつかの逃避行―――レドニカ第五基地から脱走して、追撃部隊の足止めを行う為の殿として残る、その準備。
《ウォースパイト》の格納庫で、フィオナとそんな話をしたような。
「いつか、どんな形で別れるかわからないけど……。誰かに殺されての離別なんて嫌よ。―――それなら私は、あなたやここで出会った人達を守る為に戦う事を選ぶしか、ないんじゃないかしら」
今もなお、途切れ途切れに再生するかのような記憶―――自分の過去らしいそれを垣間見つつ、私は続ける。
私の大切だった人達は殺された。
それでも誰かに出会ってきた。
そこから追い出されるように、濡れ衣を着せられて親しくなった人達と別れる事になった。
それでも残ったものはあって、それらはとても温かい。
『また、同じようになりたいのか』と、記憶が言う。
「そうね―――失いたくないから、戦おうって思うのよ」
『守れないかもしれないのに戦って、血に塗れる事を選ぶのか』と、その人の過去が言う。
「何もしなかったら、何も残らないのよ。―――現に」
そう言って、私は彼女の頬へ義手を伸ばして、触れる。
体温も、その肌の感触もわからない。
―――けれど、そこに居るのは確かで。
脳裏に浮かんだのは―――どこかの独房に入れられたフィオナの姿。
人の形をした戦闘兵器―――リンクスの大部隊が映る色鮮やかな全天周型のモニター。
その画面の中を滑るように動くレティクルとマーカー。
飛来する曳光弾とミサイルと、こちらから飛んで行く砲弾。
何度も繰り返す警告音と、一瞬で移動して静止する景色。
「あなたを助ける為に危険を冒して、あなたとHAL、デイビットを逃がすために一人残って追撃部隊を相手に必死に戦って足掻いたから―――あなた達はここに居て、私も運よくここに居る。この結果は、あの時、私が戦ったからこそ、今ここに残ったんじゃないかしら?」
垣間見た私の記憶を元に判断して、言う。
ただ、これは―――。
フィオナにとっては、違う感情を抱いたらしい。
「……シオン? もしかして、記憶―――?」
覚えていないはずの出来事を口にしたからだろう。
やや困惑した様子で、フィオナが尋ねる。
「これ以上ないぐらい、途切れ途切れ、だけどね。―――知ってる人達が、死んでいく記憶とかを見せられて、失いたくないって、思わされるの」
隠しきれない事なので素直に答える。
事実―――誰かが死ぬ場面が多いの、垣間見る記憶は。
そしてその記憶は感情さえも持ち合わせていて、私の近くに居る、親しい人達が消えていくのが―――怖くて。
その原因である誰かを殺すその光景もまたあって―――そこには妙な安堵があった。
天啓かのように、求めていたものの答えを知ったような感覚。
「あなたは、嫌かもしれない。……でも、私達に逃げる先はもう無いの。―――なら、戦うしかないと思わない?」
私の言い聞かせにフィオナは首を横に振る。
「……そうかもしれないけど―――だからって、また同じ目に遭って欲しくないよ……! また、半年もあなたの目覚めを待ちたくないよ……!」
彼女は上擦った声でそう言って、背にその腕を回して私の胸に顔を埋める。
「私を置いて行かないでよ……! 一人にしないでよ……!」
泣いて、掠れて、くぐもった声でフィオナは言う。
そういえば―――そうだった。
彼女はこの世界で父と再会していて―――けれどその父は重体で、集中治療室に運び入れても手遅れで。
そして―――死に別れたのだった。
文字通りの天涯孤独の身になって、唯一の拠り所は私のみ。
その私ですら―――死に行くような状況へ飛び込んで、半年も昏睡した。
そういう私が、また死ぬかもしれない状況へ自ら進んで飛び込むのは―――彼女は許せないのだろう。
でも状況は―――甘くない。
逃げる先は無い。
「ねぇ、フィオナ。―――私を見て」
彼女の肩を押して、無理やり私の顔が見える程度に離す。
「私が見えるわね? ―――白くなった私が」
その一言を聞いた彼女は一度目を逸らすものの―――私を見た。
ワインレッドの瞳に、私を映した。
「腕は千切れて感触のない義手に置き換えて、体温は人間とは言えないような低体温になって別人みたいになって。―――それでもあなたは、未だに記憶の全てを思い出せない私の傍に、一緒に居てくれてる」
そう言いながら、私は彼女の頬をもう一度義手で触れる。
当然、この機械仕掛けの手の平に触覚はない。
それでも彼女の存在を確認するには十分。
「私はね。あなたが私に向ける感情に応え続けたい。そうする時間も欲しい。その為に、私達の命を狙って追いかけて来る連中を相手に戦う事を選ぶのは―――間違ってるかしら?」
―――きっと。
いつかの私と変わらない選択だ、これは。
それを聞いてもなお、フィオナは首を横に振る。
「私だって、あなたとの時間が欲しいよ。一人になって、ボロボロになってまで戦って死にかけて、生き抜いて。そうしてきた結果が今の生活なのよ。この日々、時間を守りたいからって、それを手放すような事をしないでよ!」
さんざんな人生を歩んで―――平穏と幸福を得たのに。
また奪われそうだからといって、死地に向かう真似を繰り返す事。
それは確かに彼女の言う通りで、手放すような真似でしょう。
こんな事を許せばいつまでも―――互いにその結果を享受する事は出来ないかもしれない。
彼女の口が再び何かを言う為に開いて、
『フィオナ。―――彼を行かせましょう』
その声は合成音声に遮られた。
虚を突かれたフィオナはその音声の出た先へ振り向く。
モーターの駆動音を鳴らしながらセントリーロボット―――HALは発言する。
『人生とは只ひたすらに荒野を往く事です。傷つき、疲れれば休む必要があり、その場もまたある。なら、逆もまた然りで、延々と繰り返す様でもあります。その人が往くと決めたのにそれを引き留めるのは場合によっては檻に閉じ込めるのと同じ事になります』
光学センサ―――カメラのレンズの音を鳴らしてHALはフィオナに焦点を合わせる。
『愛のカタチは人それぞれだと理解しますが―――行き過ぎた束縛は監禁と同義である、と私は判断します。自身の伴侶が行きたいと望んだのを引き留める役はあなたの役目ですが、「帰って来て」と送り出すのもまたあなたの役目ではないでしょうか?』
HALの説得にフィオナは漠然と黙り込む。
ソファに押し倒されているので見上げる形になるけど、HALのセントリーロボットを見て言う。
「理解してくれたのを、感謝するべき?」
『こちらが折れただけです。賛成か否か、ならば私はあなたを止める側なのですから』
HALも考える事はフィオナと同じらしい。
『―――ですが私がよく知っている、私がいた世界のあなたは存外、頑固な所がありましたから。引き留めても無駄なケースも多かった。―――それと、今のあなたを重ねただけですよ』
HALがいた世界の私は既に死んでいる―――だったかしら。
文字通りのたった一人の生存者となったその人は、いつかの私と同じように一人で戦闘へ向かい―――そのまま帰らぬ人になったと聞いている。
だからこそ、とHALは続ける。
『今度は送り出します。そして、怪我をしないで生きて帰って来て下さい。あなたが生きて帰って来れるよう、全力でサポートします』
今度は―――自身の過去と、去年の私が辿ったものとは違う結果を得る為に。
HALはそう言い切り、光学センサを私からフィオナへと再び向ける。
『フィオナも協力してください。―――私がよく知る、あの世界のチハヤユウキの最後は孤独でした。帰ってきても最愛の人物は既に世を去り、生きて帰っても帰りを待っている人間など誰も居ない。だから、帰ってこない道を選んだと、私は考えています』
「………」
『しかし―――このチハヤユウキには貴女がいます。帰れば、貴女がいる。彼が怪我をして血を流す事を心配し、死んでしまう事を恐れる貴女がいます。―――生きて、無事に帰るに足る理由が、貴女なのです』
「……私に、どうしろって言うのよ。反対しか出来ないのに」
掠れた声でフィオナは尋ねた。
その独白のような一言にセントリーロボットは提案するかのようにポーズを取って答える。
『簡単な事です。「生きて帰ってきて」と言ってチハヤユウキを送り出して、通信で適度に、戦いの邪魔にならない程度に話しかけるだけです』
それはただ待つとは違う、別の待ち方だった。
『通信オペレーター―――情報支援という呼びかけ役で、チハヤユウキが無事に帰って来れるように支援しましょう。―――これなら、チハヤユウキが選んだ時間を分かち合うことぐらいは出来ますよ』
HALの提案に、フィオナは一度考える為にか目を瞑り、天を仰いだ。
長くも感じる思考の時間は、彼女の長いため息ですぐに終わりを告げた。
「わかったわよ……。私が、チハヤが帰る場所だっていうなら―――認めるわ」
私に跨ったまま、フィオナは言う。
「でも約束―――いえ、誓って。いつでも、どんな時でも怪我をしないで、生きて帰ってくるって。そうじゃないと―――」
「そうじゃないと?」
「あなたの後、追うから」
その一言に、私は「うわぁ重い」なんて言葉がこみ上げてきた。
声に出さないけど。出してはみたいけど。
私達の痴話喧嘩を見ている人達もフィオナの一言にちょっと引いてる様子なので、私が抱いた感情は割と正常らしい。
―――ともかく、その代わりに、
「じゃあ、死に物狂いで生きて帰ってくるしかないわね。あなたにはもっと長生きして欲しいから」
苦笑交じりに答えて、上半身を起こす。
「ええ、誓うわ。必ず、生きて帰ってくるって」
「その言葉も、記憶も―――忘れないでよ」
私の誓いに、フィオナはちょっと耳が痛くなるような釘を刺して顔を近づける。
それは―――僅かな時間だけ、彼女の唇が私のそこに触れて、離れる。
「ええ、わかってる」
やられたからには―――お返しもしなくては。
そのやり取りを終えて―――熱そうに手を仰いでいるホノカへ向けて、私は言う。
「そういう事で、戦うわ。―――私が当初の口約束を果たせなくて、それでも慈悲や優しさから、この国で、この国の人らしい生活をさせてくれているあなた達に―――その恩返しも含めて、ね?」




