call②
多くの人を収容可能な施設は緊急時の避難先であると相場は決まっている。
そして、私が暮らしている地区と《喫茶バクシナ》の地域の避難先は一緒だった。
避難先は―――近くの上級学校。
トゥールやメグミが通う学校だ。
西からの日差し―――夕日の朱色が差し込む調理実習室に、私はいた。
日に当たらない位置で、私は湯気を立てる鍋を前して、室内に置かれたラジオの音声に耳を傾ける。
『帝国軍が侵攻を開始し、ガガタキ県ガガタキ市を占領しました』
ガガタキ県とはポロト皇国の北地域の地方自治体の一つで北の山脈に接する地域で、ガガタキ市はその地区の中心にある。
そこから南へ一つ、ニルムラ県を跨げば湖を含む首都のヒガハテ都になるので―――現状、かなりヤバイ戦況とも言える。
ラジオで入る情報などそれぐらいなもので、帝国軍がどんな兵器を使って侵攻しているのかわからないままだ。
敵も聞く可能性もあるとするとここまで状況が大雑把すぎるのは仕方ないかもしれない、などと思いつつ一息吐く。
ラジオはそのままに、私は意識を別の物に向ける。
「怖い怖い……」
「大丈夫なのか……?」
「どうしてこんなことに……」
廊下から聞こえてのは不安の声ばかりだ。
避難所となったキタラキ上級学校の校舎内にはそんな不安に駆られた声が響き続けていた。
その原因はラジオの報道もあるものの―――主な要因は学校の屋上から街を見て、ラジオを聞いたから知っている。
この街の中心に着弾した砲弾―――目標近辺に近づくと複数の子弾に分裂、炸裂し広範囲を破壊する特殊な榴弾が原因だった。
子弾一つ一つの破壊範囲は広く、街の中心とその周辺を壊すには十分で。
多くの人を巻き込み、恐怖を植え付けるにも十分だった。
ラジオの報道ではこの街以外にも北と南と西の主要な街にここに落とされた砲弾と同じものが着弾しているようで、同レベルの被害が出ているという。
正確な被害者の数は情報が錯綜としているようで不明のまま。
そして国家非常事態宣言に遅れる形で戦時国民動員法も発令された。
ポロト皇国は―――この国は国民皆兵制度を布いている。
その徹底ようと来たら、例外はあれど一定年齢に達するまでに十五歳以上の男性全員には四年の従軍の義務があって、女性は任意で四年の従軍が課せられていて、除隊後は六〇歳まで予備役兵として登録される。
各家庭には自動小銃が配布され(銃弾は郵便局に保管)、占領された時にどうゲリラ戦を行うべきか、敵国のメディアを利用した間接侵略にどう対応するべきかを記載した《民間防衛》と題された書籍が三年ごとに更新、発行。
上級学校である程度の格闘技と銃の扱い方と自動車の運転に、女性限定でリンクスの操縦訓練等を施している程だ。
侵略を受けたならば徹底抗戦して、国土を焦土にしてでも相手国には何も与えないという姿勢を持っている。
そういう国だと―――話に聞いている。
徹底的なものだ。
そして―――『戦時国民動員法』は《国家非常事態宣言》が発令された状況下でしか適応されない法律の一つで、男女問わず志願を前提として一五歳以上の上級学校生徒も軍へ戦時入隊を可能にする条文である。
「炊き出しの準備ありがとうございます、シオンさん」
栗色の髪をお下げにし眼鏡を掛けた少女―――メグミが近くにやってきて礼を述べた。
彼女の言う通り私は炊き出し―――避難してきた人達に提供する食事の準備を手伝っていた。
私の身長の半分はある大きい鍋で作る汁物なので大して苦労するものでもないけれど。
「今、出来る事をやるしかないもの。それに、ここの教師も非常事態と避難民の対応で大変でしょうし―――適材適箇所よ」
彼女の労いに私は首を横に振って答えてお玉にスープを掬い、小さなお皿に乗せて一口飲む。
薄くもなく、濃くもなく。
灰汁抜きも十分できているので変な風味もなし。
多くの人がこれを夕食として食するので―――これぐらいでいいだろう。
これを完成として私は鍋に蓋をしてコンロの火を消す。
食べる時に温め直せばよいのだから。
一息吐いて隣を見ると、そんな鍋がもう十本も並んでいた。
避難してきた人達―――主に女性が多数―――の協力もあってこれだけ用意出来たけど、
「―――でも流石に、ここまで大きい鍋を使って料理は大変ね。さじ加減が大変」
それだけの数を相手にしてれば相応に疲れるというものだ。
「確かに、こんな大きな鍋で料理なんてほとんどないですもんね」
肩を竦めて言う私にメグミはくすりと小さく笑って相槌を打つ。
―――でも。
すぐに彼女の表情は曇った。
「―――なにか、悩み事でも?」
「……そう見えます?」
「私には見えたの」
いつもと変わらない口調での指摘に、メグミは困ったように笑みを見せる。
「ええ、《戦時国民動員法》が発令されているのはご存じ……ですよね」
その言葉に私はメグミが言いたい事がわかった。わかってしまった。
いえ―――これは予想でしかないけれど。
「―――従軍するか否か、悩んでるのね」
「大体当たってるんですけど……そうなんですけど、そうでもない、と言いますか……」
私の言葉にメグミは歯切れの悪い反応を見せる。
栗色の瞳も泳いでいるのでちょっと違うらしい。
悩みが複数あるのかもしれない。
「悩みが複数なら、一つ一つ話して順番に解決するしかないわよ。全部同時に解決するものでもないし」
彼女のそんな反応や所作を見て言う。
「そう……ですね」
その言葉にメグミは頷いて、
「この国は国民皆兵で―――除隊した人達は有事の際は復帰して戦って、一定の年齢以上でかつ上級学校生徒ならば任意で従軍出来るのは、知ってますよね?」
確認するように尋ねてきた。
勿論、知ってる。
「このポロト皇国国民の義務だものね―――異国の生まれで難民の私は義務ではなく、任意だけどね」
「はい。トゥールやアンナさんとラビノヴィチさんも、そうですよ。―――私はこの国生まれで、この国育ちで、故郷を守る為に従軍するべきかなって思ってるんです」
メグミはそう言って、視線を正面に広がる広場―――運動場へと向ける。
そこには、人がたくさんいた。
オリーブグリーンの非常用のテントを広げて今日の寝床を確保しようとしている人々。
白いテントには重傷を負ったらしい人間が運び込まれ、軽傷の人はそのテント付近で手当てを受けている。
その中では医療従事者らしい人達が忙しく動き回って重傷者に応急処置や治療を施していた。
校舎の前ではこの学校の生徒と教師が非常用の倉庫から物資を運び出していて、その中には自動小銃を初めとする武器まであった。
そして、年寄りと子供達が―――年寄り達と年長の子たちがは年下の子供達を心配させまいと何かをやっている。
遠目には何をやっているかわからないけど―――何か遊んでいるように見えた。
その風景を見て、メグミは再び口を開く。
「みんな、自分が出来る事をやってますけど―――。私は、戦争に行く事が出来ます。任意とはいえ―――国防は国民の義務、ですから」
生身での戦闘訓練とリンクス操縦訓練の成績はいいんですよ、とメグミはどこかお道化るように言う。
私には―――これが只の強がりに見えた。
「でも、戦争へ行けば死んでしまうかもしれない、って思うんです。死んだら何もかもお終いだって思うんです。でも、両親や弟達が巻き込まれて殺されてしまうのも、嫌なんです。私は―――」
「……『どうすればいいのか?』って?」
その言葉の続きを予想して聞き返す。
「……はい」
「そんなの自分で考えて、決めなさい」
我ながら冷たくてきつい物言いね。
知り合い―――それも年下の子を相手にするとはいえ、あまりに心が無さすぎる。
「……シオンさんは、冷たいですね。知り合って半年の知人に対して心が無いですよ」
メグミはそう言って半目で睨む。
「私が抱える悩みではないもの。この国で暮らしているけど、私は生まれも育ちもこことは違う場所から来た人間。あなた達が何を考えて何をするのかなんて、どうでもいい話よ」
「………」
「―――でも。……守りたい人の為にとか、今の居場所を守りたいという気持ちは理解するわ。―――私は、降りかかる火の粉を払うぐらいに戦う事を選んだからね」
―――自分でさえ不思議な事に、何故かそう続けた。
胸の中に、頭の中に渦巻くのは奇妙な懐かしさと―――後悔。
―――誰かに傷つけられ、血まみれになり息を引き取る何者かの映像が複数、一瞬だけちらつく。
印象的なのは―――アッシュブロンドでセミロングの髪を持った垂れ気味の目付きの、二十代半ばの女性と、鴉の濡れ羽根色とも言える髪を持つ整った顔立ちでも不愛想な表情を見せる、十代になった頃の少女。
最愛に近い感情を抱いた大切な人の死と、唯一の肉親の死と。
何かの信仰の場である教会の、割られて残骸となったステンドグラスが散らばる礼拝堂。
―――燻り出すこの感情がなんなのか、私にはわからなくはないけれど。
「戦う事を選んだとしても―――存外、守れないものよ。私はあの時の大切な人達も帰る家も、この世界にないものに、してしまったから」
胸中に渦巻く感情を殺して言う。
また、そうなってしまうのが怖い、と感じる。
でも戦わなければ―――自分も大切な人たちも一人残らずいなくなってしまいそうな。
何でもない日常を守りたくて―――殺しに来る敵を全て焼き尽くして、滅ぼしてしまいたくなる。
でも―――この記憶は私の記憶なのかしら。
まるで―――植え付けられたような錯覚があるけれど―――今は、そんな場合ではないでしょうね。
少し目を見開いて黙っているメグミに向けて、私は。
「アドバイスをするなら―――そうね。ここからの選択は、自分自身のこれからを変えてしまう選択になるわ」
だから。
彼女を真っ直ぐ見て―――思い当たらない記憶を参考に言い放つ。
「今の状況で何を選択したとしても満足する結果なんて得られないと心得なさい。それでももし、この国に生まれた人間の義務として戦争へ行くのなら―――あなた自身が自分なりに悔いの残らないようにやりたいこと、伝えたい事を伝えてから行きなさい。それをやるだけの時間はあるはずよ」
私が相応のものと両腕を失いながらも、数人の知人とここに流れ着いたように。
目の前の危機を生き抜けるのか、あるいは道半ばで斃れるのかは―――誰にもわからないのだから。
そんな私のアドバイスに、メグミはどこか困った顔を浮かべる。
「……突き放す物言いだったのに、それでもしっかり相談に乗ってるのは―――気に掛けてくれてるんですか?」
「……気に掛けている―――そうね。知り合いだもの。でも―――」
「でも?」
「判断はあなた任せよ。……私には止める権利も義務もないから」
私の素っ気ない一言に、そうですねとメグミは小さく笑う。
そして顔を引き締めて、
「アドバイス、ありがとうございました」
そう頭を下げて礼を述べた。
―――「それでは」とメグミはお別れの一言を言って去って、しばらく経って。
「―――シオン!」
よく知っている、嬉しそうな女性の声が私の耳に入った。
聞こえて来た方向―――右へ振り返ると開きっぱなしの調理実習室の扉に耳が長くて長身の、赤みを帯びた金髪をツインテールに括った女性が見えた。
黒を基調に青のラインが入った丈の長いコートに同じく黒いつば広の三角帽子を被った白髪の人間などそうそういないのですぐに見つけれたようね。
彼女の名前を呼ぼうとして。
「シオン! 良かった……! あなたが無事で……!」
言う隙を与えないが如く彼女―――フィオナに駆け足の勢いのまま抱き締められる。
その衝撃は最早体当たりに近いし、抱き締めて来る腕の動きもあってその威力は洒落にならない。
一六九センチの背丈と言えど華奢な体躯の私と、一八〇センチ超えの身長でスタイルのいい―――筋肉も付いているので相応に重いフィオナが相手となれば私はその威力を受け止めきれない訳で。
「うぐっ……」
思わず呻くし、足が一瞬だけ地面を離れた事に少しだけ慌てる。
「……大げさにしないの」
轢かれたかと思った、と言いたい気持ちを抑えて無難に言う。
「だって! 無事とは聞いてたけど、店のガラスは割れたんでしょ? それで怪我の一つぐらい―――」
「だから大げさにしないの。……怪我はないから安心しなさい」
心配する彼女へそう言って、私は彼女を押して抱擁から脱する。
視界の下―――足元に黒い影が見えてそちらに視線を動かすと、黒くてふさふさな毛を持つ小さな犬が私を見上げていた。
テルミドールだ。
フィオナと一緒に来たらしい。
「フィオナも、無事なようね。デイビットとノワは?」
「ええ、二人とも無事よ。たまたま家にいたから」
「ここに来てるのね?」
「ええ、来てるけど」
私の確認にフィオナは首を縦に振って肯定する。
その事に私はそれは好都合ねと内心で舌なめずりする。
「―――じゃあ、二人の所に案内して頂戴」
私はそう言って近くにいた、私と調理を担当した人に配膳をお願いしてエプロンを外す。
「炊き出しはもういいの?」
鍋を指差してフィオナは尋ねてきた。
私が途中で調理を人任せにしたがらないのに、今回はそうしたからだろう。
「もう出来上がってるからいいの。―――さ、行きましょうか。案内して」
その問いに私は大丈夫と答えて、フィオナの先導の下デイビットとノワの下へ歩き出す。
―――懐かしい場所へ向かう為に。




