日々④
十二月二十四日。
《ポロト皇国》では今日とその翌日は《セイセイセツ》という祭日。
国中の主要都市や街では公園とその周辺の一区画を使って市や仮設ステージで演劇や演奏、パレードが開催され、これでもかと賑わう二日間となる―――らしい。
この国の人間ではない私やフィオナ、デイビットにとっては初めて見るこの国の催し事だ。
私の提案と、ノワの勧めもあってこの日、私達は街の中心へと繰り出していた。
空は―――その色は青くはなく、どんよりとした灰色の雲がその場所を塗り潰していて、何もいらないはずの空間を小さな白い影をちらほらと落としている。
粉のような、乾いた雪だ。
「それじゃあ」
「それでは楽しんでいって下さいね」
路面電車を降りて、《セイセイセツ》の会場となった公園とその周辺の一区画。
アーチ状の、空気で大きく膨らんだバルーンの門の前。
たまたま路面電車が一緒だった、私達と同様に買い物へ来たトゥールとメグミがそう言って会釈した。
「ええ、そっちもね」
私もお返しにそう言って、商店街の方へ向かっていく二人をその場で見送る。
《セイセイセツ》だしデートかしらと聞いてみたけど、二人とも声を揃えて少し焦った様子で否定したので存外そうかも知れない。
それよりも気になったのはトゥールのデイビットに対する反応―――驚きや困惑が混ざった表情と、何かを否定するかのような首の振り方だけれど。
今度聞いてみようかなんて考える私に対して、
「―――では。こちらはノワと一緒に歩き回って、どこか適当な見晴らしのいい場所で絵でも描いている」
そうぶっきらぼうに言ったのはデイビットだ。
自分の体躯よりも大きいサイズのポケットが多くついたファー付きのコートを着ていて、いつもの大きめの肩掛け鞄の他にも背中に頑丈そうな、三脚とかが取り付けられたバックパックを背負っていて、頭には耳当て付きのニット帽を被っていた。
ズボンは厚い生地のカーゴパンツで、履物はブーツ。
その下は間違いなくアシストスーツ―――《スケルトン》を装着している。
《スケルトン》を装着したまま防寒着を着ようと思えば服のサイズは必然的に大きくなるからこそのサイズだ。
故にその姿はどことなく不格好だったが。
「ええ、あとはお二人でゆっくり」
そう丁寧に言ったのはノワ。
ベージュのトッパーコートを着て、イヤーマフとマフラー、手袋と防寒対策はばっちりだった。
厚手のパンツに編み上げのブーツを履いていた。
そして、肩に掛ける鞄は大きく頑丈に見える革製のもので、彼女の正面には一眼レフのデジタルカメラがぶら下がっていた。
ノワ個人の私物―――趣味の一環らしい。
日頃よく働いているのだしたまにはデイビットと一緒に行動しないで、一人で気分転換がてら会場を見て回ったらどうかと提案したのだけれど―――デイビットと二人行動だった。
勿論、理由はある。
ノワはいい機会だしとこの街の《セイセイセツ》を写真に収めたいと思い立ってレンズや三脚などの機材を用意したら思いの外―――荷物が多くなってしまった。
軍人として相応に鍛えているとはいえ―――彼女が持ち運び、移動するには多すぎる量だった。
その荷物持ちとして―――日頃から介護され、一緒に行動しているデイビットが日頃のお礼にとその役を引き受けたのである。
それでは、と二人は私とフィオナに背を向けて公園の雑踏の中へと消えていく。
残ったのは当然―――私とフィオナの二人だ。
「さて―――まずはどうする?」
左隣に立つフィオナを見上げながら尋ねる。
今日のフィオナは首に焦げ茶のストールを巻き、オリーブグリーンのモッズコートとジーンズ生地のホットパンツに黒のタイツ。
太腿まで覆うサイハイブーツという出で立ちだ。
いくら冬用の生地の厚いタイツを履いているとはいえ―――ホットパンツとサイハイブーツの間は寒そうに見えるけど、彼女はいたって平気そうだ。
「どうするって―――あなたが誘ったデートなんだからプランとか考えてたんじゃないの?」
私の問い掛けに、唖然とした様子でフィオナは聞き返した。
「勿論考えてるわよ。買い物で近くの商店街を見て回るのか、市を見て回るのか。公園の方に行って雪像や演劇を見ていくのか、パレードを見に行くのか。どれがいいかなって」
コートのポケットから配布されているパンフレットを広げる。
《セイセイセツ》の会場―――二つの大通りに挟まれる公園の周辺地図と、各イベントの今日と明日のスケジュールが記載されたパンフレットだ。
「それはプランというよりも選択肢じゃないかしら?」
「―――そうね、これは選択肢だわ」
フィオナの指摘に私はうんと頷く。
言われてみればこれは最早、選択肢を提示しているようにしか見えない。
ともかく、当初のプランと言えるものは。
「予定してるのは《セイセイセツ市》と商店街での買い物だけど……。それだけだと《セイセイセツ》の会場に来た意味はないし。買い物の予定は時間が許せばいくらでも後回しに出来るわ。―――だから、まずはあなたが見に行きたい場所に行こうかな、と思うのだけれど」
「―――やっぱり選択を迫ってるわよ」
はあ、と呆れたようにため息を吐いてフィオナは私に身を寄せて地図が描かれたパンフレットを覗き見る。
指先で地図を迷いながらなぞって、
「んー……。まずは雪像のコーナーから、かな」
公園のメインストリート―――雪像会場と書かれたその場所を彼女は指差した。
――――――――――――
「……ノワ。本当にこれでよかったのか?」
水色の髪の少年―――デイビットが突然にそう言った。
私とデイビットがいるのは《セイセイセツ》会場の雪像会場を見下ろせる建物の屋上。
そこから―――大きな望遠レンズを取り付けた一眼レフのデジタルカメラを三脚に乗せて雪像を撮影している最中だったから脈絡のない、いきなりの発言に私はびっくりするしかなかった。
「これでよかったって―――何がですか?」
思わずカメラから目を離して左―――少し離れた所に座りスケッチブックに何かを描いているデイビットに聞き返した。
雪像を見下ろせるい場所なのだけれど、周囲には人がいない。
そもそも―――私と同じようにこの建物の屋上に来ている人なんて私達しかいない。
どうも他の人達はここではなく雪像の近くで撮影しているようで、ここは誰にも見つけられていない穴場らしい。
これは好都合、と思ってここで夢中になって撮影していた矢先の発言だったわけで。
「今日明日の《セイセイセツ》や一週間後の年末年始は休みを取得して、故郷や実家に帰省する人が多いとテレビで報じていた。―――ノワは休暇を貰ってそうしてもよかったんじゃないか、と思っただけだ。偽装しているとはいえ、元々はこの国の人間だろう」
抑揚のない、ぶっきらぼうな口調でデイビットは言う。
それでも―――私個人を気遣った発言だったのは間違いなかった。
よく共に行動しているからこそ、そして自分達とは違って確実に家族がいる人間だと考えれるからこその発言でもあった。
確かに、年末年始ぐらいはシオン達の護衛任務を休んでいいと上司から話は聞いていたけれど。
「そうですけど―――私はこの国の人間でも、故郷と家族はもういないんですよ」
そう言って、あの頃を思い出す。
あの村のセイセイセツは街で行われるものよりももっと慎ましいものだった。
七面鳥の丸焼きに温かで色々な具が入った味の濃いスープにという、厳しい冬の貧しい生活なりの豪華なご馳走。
夜、村の中心で行われる大きな焚火に照らされた家族や親戚、近所の人達の笑顔。
―――雪に押し流された、もう見る事の叶わない祭事だ。
そこまで思い出して―――
「……悪い事を聞いた。ごめんなさい」
表情の乏しさはともかく、頭を下げて謝るデイビットの声に私は現実に引き戻される。
思わず「あっ」と言ってしまったと思った。
私が六歳の頃から天涯孤独の身という話はほとんどしないし、話す理由もまた―――ない。
けれど、話しても何にもならないのもまた事実だ。
「いえ、お気になさらずに―――もう、ずっと昔の話ですから」
そう言って彼の肩に触って、顔を上げるように促す。
でも―――私が自分の過去を口にするのは内心で驚いていた。
どうしてだろう、なんて思うけど―――今は思い当たらない。
「それに―――あなた達の護衛任務なんて日頃の訓練と書類仕事と比べたら休暇も同然ですよ。だから、こんな感じでいいかなって」
こんな感じとは、この街の《セイセイセツ》の風景の撮影なのだけれど。
私のそんな解答に、そういうものかとデイビットは言う。
―――でも。
「素直に―――生まれた故郷や帰る故郷はもうない、と言えるのは羨ましく思う。それが無い俺には言えない言葉だ」
本人はフォローのつもりだとしても―――歯に衣着せぬ物言いするのは如何なものか。
そう思うけれど―――今回は不思議な事に嫌な気分にはならなかった。
その言葉には羨望の念があって、彼にはそう言える理由があるのを私は聞いている。
帝国での開発名は《スクラーヴェ》―――人型機動兵器 《リンクス》に乗せる使い捨てのクローン兵士。
優秀なリンクスのパイロットの遺伝子を元に製造された、遺伝子操作によりリンクスへの適性を高められ、身体の強引な成長と電極を通して強引に教育を施され造られたデザインチャイルドの一体。
ある日偶然にも自我を獲得し、帝国から脱走したリンクスに乗せて戦わせる為のだけの処理装置―――それがデイビットだ。
その人道さえ捨て去った悪魔の所業で生まれた彼に『生みの親』という人物は居ないし生まれ故郷というものさえないとなれば―――羨望の念を抱いてしまうのでしょうか。
「この世界に無くとも思い出として記憶の中にあって、そこにいたと覚えていて言えるのは、その過去があるからだ。それさえ無い人間が言えることじゃないよ」
一度視線を私に向けて、しばらく私を見つめてから再びスケッチブックの上で鉛筆を滑らせてデイビットは言う。
「そして、故郷がこの世界にない人達と比べれば、あなたは故郷があった場所に行けるはず―――対照として比べるのは心が無いが、その点においてあなたは俺達よりもずっとずっと恵まれているんじゃないか。―――記憶喪失の彼は違うかもしれないが」
「―――それ、私のこと慰めようとしてます?」
彼のぽつぽつ語る言動に少し違和感―――自分自身の経歴を卑下にしているような発言と彼らの経歴に私は彼の思惑を当ててみる。
「気にしてない、という割には表情が暗いと思ったので」
事実、そのようでした。
痛い所を突いてくる、とも言いますけど。
「一歳児に心配される程、私は子供ではありませんよ」
「人間、どれだけ年齢を重ねようが『中身は子供のまま。大人と言われるそれのフリが上手になっていくだけ』だと聞いたが」
「そういう話ではありません」
彼の屁理屈にも聞こえる的を得すぎた発言に、私は大人げなく「もう」と頬を膨らませる。
ちょっと意地を張るような物言いにもなってしまったが、彼はそれ以上の関心を見せる事無く「そうか」と短く声を出す。
「―――いい写真は撮れたか」
これ以上ないぐらい露骨な話題転換。
私の事をこれ以上聞かないという気遣いでしょうか。
慣れたとはいえ行動も考え方も読めないデイビットの自由ぶりに感謝すればいいのかどう思えばいいのか。
―――話しづらい話題だったし、この話題転換は渡りに船か。
「―――ええ。次は近くで撮りたいですけど……」
そう言って可愛くデフォルメされたひよこの雪像を撮影してからデイビットの様子を伺う。
恐らくは風景画だろうけど―――スケッチブックに絵を描いている途中で離れるのは彼に悪い気がして、気が引けた。
「今描けた。いいぞ」
私の遠慮の気持ちを杞憂のものとする返事。
鉛筆とはいえ―――相変わらずの速筆だ。
毎日のように描いていて、その腕は日々上達しているのは隣で見ていてわかっていたけれど、速度まで上げてきたようだった。
絵を始めた経緯はともかく、それからの時間を考えると彼にその適性があるのだろうと私は常々思っていたのだけれど、ここまで来ると適性ではなく天賦の才の類では、と思い直す。
それがリンクスという兵器に乗る為の遺伝子操作の影響だとしたら、全く異なる方向への才能の開花は皮肉なものだ。
私個人は―――それはいい事なのではと思う。
兵器としてではなく、人間として活かしていける才能なら戦いに関わる事無く生きていく事だって出来るかもしれないという希望にも見えた。
けれど―――どうしてそこまで絵を描き続けるのだろうか。
指先のリハビリならもう充分なので趣味とかライフワークに近いものになっているけれど―――そうじゃない何かを最近は感じる。
彼の表情は乏しくとも絵を描く間、時折虚ろな顔になるのだから。
絵を描く理由を尋ねたくなってしまうが―――
「何を描いていたんですか?」
聞こうと思った事とは別で―――描いたものがなんだったのか興味本位で尋ねてしまった。
それを尋ねたら―――怖いものを見てしまいそうな。
知らないでいる方が良いような気がしてしまった。
―――私の臆病だ。
そんな自虐は置いておいて―――彼はなんでも描くけれどその選択は本当に気まぐれだ。
高台から見える風景全てを描くこともすれば、建物一戸描いていたり、公衆電話の電話ボックスを描き、公園で木を描いていると思えばベンチで昼寝している猫を描いていたりと脈絡がない。
私の質問に彼は、
「ノワ」
と淡々と答え、スケッチブック―――カメラを構えたトッパーコートを着た、イヤーマフとマフラー首に巻いた髪の長い女性の上半身の絵をこちらに見せる。
「なっ……! なに描いているんですかっ!」
思わず恥ずかしさから声を荒げてしまった。
こちらの様子を伺いながら風景を描いていたと思っていたけどその対象は私だったらしい。
私の横顔も写真じゃないかと思えるほど正確に描けていて、手に持ったカメラも細かく描いているのは流石だけど―――それでも対象にされたのは少し恥ずかしかった。
「たまには人でも描こうと思ったからだが」
淡々と答えながらデイビットはスケッチブックをひっくり返して何かを書き込む。
いつも通りなら今日の日付と自分のサインだろう。
マイペースなものだ。
「ダメだったか?」
「駄目……ではないですけど。……描いていいか伺い立てて欲しかったものです」
ため息をつきつつ、少し叱るように言う。
「わかった。次は尋ねるように努める」
あっさりと彼は頷いて、スケッチブックを閉じて鞄に仕舞う。
淡々としているが注意された事はちゃんと反映するので二度とはしないでしょう。
「そうしてください。―――さて」
そう口にして私は手に持っていたカメラ―――その望遠レンズを手早く外してデイビットに渡し、ポーチの中に入っている普段撮り用のレンズに付け替える。
それを首からストラップで下げていたケースに入れて、私個人の移動準備を終える。
望遠レンズは―――デイビットが丁寧に専用ケースに仕舞って鞄に入れた。
「ありがとうございます、デイビット」
「日頃のお礼だ」
そうでもない、とデイビットは言ってバックパックを背負い立ち上がる。
では、立ち去る前に忘れ物は無いかと私達が居た周囲を確認する。
落ちているものはない。
あっても自分達の足跡ぐらいだ。
「じゃあ雪像会場へ行きましょう」
そう宣言して私はペントハウスの方へ歩き出して、
「了解した」
デイビットは短く言って私に続いた。
結局、何も聞けないまま―――私は雪像が並ぶ会場へデイビットと共に階段を下りたのだった。




