日々①
「―――シオンさん、朝食ならわたしが用意すると言っているでしょう?」
私がテーブルに並べた朝食―――スクランブルエッグに焼いたベーコン、トースト。
葉物野菜のサラダに昨日の夕飯で余ったスープと牛乳を見て、白のハイネックのセーターとジーンズを来た女性が少し困った様子で言った。
年齢は二四歳。
髪はロングで独特な茶色系―――近い色味を言うならば綺麗な紅茶の色。
あどけない顔立ちで大きく見える青い双眸。
背丈は私とそう変わらないけれど、出る所は出ているし締まっている所は締まっていて―――端的に言うなら健康的な体躯でスタイルはいい。
今、私達がいる場所は―――ダイニング。
壁の積み上げられた丸太からから見ても解るログハウス形式の二階建て住宅だ。
キッチンの前にテーブルがあるダイニングキッチンという形式で部屋自体は広く、リビングとしての機能もある。
キッチンから見て左―――カーテンで覆われた南向きの引き戸の向こうは雪が積もったテラス。
正面に見える壁にも曇りガラスが嵌め込まれた引き戸があって廊下からの光を通していた。
その引き戸からやや左の位置に薄くはないがブラウン管が使われたテレビよりも薄い液晶テレビがテレビ台の上に置かれていて、今日の朝のニュース番組を流している。
―――今日の空模様は雲が多めらしい。
というよりはここ数日は雪がちらついてほんの僅かだけ積もるような日が続いているのだけれど。
この国―――ポロト皇国は十一月の終わりから雪が降り始めて積もりだすのだそうで、この数日がその始まりでもあった。
テレビの前のソファーには水色の髪の少年―――デイビットがこちらには興味を見せずにテレビを眺めている。
私の背後の壁には窓が等間隔に二つあって、その邪魔にならない位置に冷蔵庫と電子レンジ、オーブンとトースターと並んでいた。
「体が自然に動いて、気付いたら出来上がっていたの。―――それにたまには、あなたも朝ぐらいゆっくりするべきよ?」
自分の仕事を一つ取られた彼女へ私は答える。
私は記憶喪失のはずだけれど―――そうね。料理を初めとする何らかの知識と経験は有しているようだった。
『身体や無意識レベルの感覚は覚えているのでは?』とかHALやフウコは予想しているけれど、そんな事はどうでもいいわね。
一先ず、生活に必要な事を行う上でこれ以上ないぐらい便利な能力なので特に気にする事無く行使しているけれど。
「それに、フィオナはともかく私が家事を賄えなかったりご飯を作れなかったら、この先不便だと思わない? ノワ」
「思わなくはないですけど……。一応、わたしの設定は難民となったあなた達の同僚で、主を失った元メイドの現家政婦さんですよ? 変に仕事取られると私の任務、役割が遂行出来なくなってしまいますので……」
ノワと呼ばれた彼女は困った表情で苦言を漏らす。
彼女―――ノワ・ラーチカイネンはポロト皇国の国土防衛省の情報課から派遣された護衛兼世話役―――悪く言えば監視として私達と共に暮らしている人物だ。
私とフィオナとデイビットの三人は―――表向きには戦争で国を追われ、仕えるべき主までも失った難民としてこの国にやって来た事になっている。
《オルレアン連合》から冤罪で追われる事になった私達をそのまま迎え入れば、連合に私達を匿った事を知られた場合、何らかの圧力が掛けられ兼ねない。
いくら独自に高い技術力を有するポロト皇国と言えど連合を相手にするには外交も国力も負けている。
それを回避するために、私達は経歴を詐称することになった。
その一助として、この国の諜報要員であるノワをしばらくの世話係―――もとい私達の同僚―――家政婦の一人と偽って行動を共にしてもらう事になった、という訳で。
「そんなこと言っているとその内、家事と本来の仕事が入れ代わってしまうわよ」
「……それもそうなんですよね……」
腕を組んで、複雑そうな表情でノワは呻く。
命令とはいえ家政婦の真似事をするのは仕方ないとしても家事そのものは好きなのだ、とか言って喜々と家事やデイビットの介護に勤しんでいるのは紛れもなく彼女自身だ。
そんな調子なので本来の仕事である監視はともかく、定期的な報告はやや疎かになってしまったようで上司から怒られているとか。
「それよりも……フィオナさんはまだ寝ているんですか?」
そんな話題から逸らすかのように、ノワは廊下の戸を見つめる。
その表情はどこか不安そうだ。
私は洗ったばかりのフライパンを布巾で拭いながら答える。
「起きてるわよ。でも、寝ぼけてたし―――そうね。二度寝してるかも」
言葉にしながら、その可能性に気付く。
彼女を起こしてから―――私は朝食の準備をしていたけど、それだけの時間が経っているのに彼女はここに来ていない。
それはあり得るわね。
「……起きたら、あなたが居ないことで取り乱しません?」
「……それを否定出来ないのが今の悩みね」
拭き終わったフライパンをガスコンロ下の収納に納めて、ゴム手袋を外す。
白くて美しい外装を持つ義手が露わになる。
「デイビット。朝食出来たからノワと一緒に先に食べてて」
「了解」
私の呼びかけにデイビットは短く返事したのを聞いてから、足元にいる大きい耳とふさふさな尻尾を持つ黒い小型犬―――テルミドールに向けて「ここに居なさい」と命じてから廊下に出る。
正面には早速廊下と部屋を仕切る為の壁があって、左には玄関が。
右へと振り向くと突き当りには洗面所兼脱衣所が見えた。そこに入って右に行けば密着すれば大人二人が入れる浴槽がある風呂場がある。
これはどうでもいい話だ―――と思いながら洗面所の前を右に曲がると一階の収納部屋があって、そこを通り過ぎると二階への階段にたどり着く。
何段か上ると右へUターンするように曲がる手狭に感じる階段だ。
Uターンした先の階段の真下のスペース―――一階の階段の右隣となる位置には座るタイプのシャワー機能付きの便器が設置された個室がある。。
空間の有効活用とも言うべきその空間の上を登り切ると目の前には丸太が並んだ壁あって右に曲がるしかなくなる。
そこはこれまた狭い廊下で、一番近い引き戸は収納の部屋の扉だ。
そこより奥にはドアが三つあって、南側に二つ。北に一つのドアがあった。
私はその中で一番近い南側のドアを開けて部屋に入る。
その部屋は二階の部屋の中では一番広い部屋で、私とフィオナの寝室だった。
作りはしっかりしているがその機能だけを要求しただけで装飾の一つもないテーブルや椅子、ドレッサーやクローゼット等の家具が窓際や壁沿いに配置されている。
壁には温水方式のセントラルヒーティング設備であるラジエーターが設置されている。
そして、部屋の奥には幅広なダブルベッドが鎮座していて、そのマットレスの上には赤みを帯びた長い金髪を持った美女が一人横になって寝息を立てていた。
正面が開いた肌が見える程に薄い生地のノースリーブでミニドレス状の寝間着―――ベビードールという衣服を着て、冬用の分厚い掛布団を纏う事無く仰向けで横たわっている。
もう夜や朝はもはや涼しいを通り越して氷点下に近いところまで気温は低下しているから、そんな裸同然の薄着では風邪をひくからそろそろパジャマを着て欲しいと再三言っているのだけれどまだ聞き入れてくれない。
もう強引にパジャマしか寝間着がないという状況にするべきかしら、なんて考えながら私は彼女―――フィオナの肩を揺する。
「フィオナ。そんな恰好で二度寝したら風邪をひくわよ。あと、起きなさい。朝食が冷めるわ」
そう声を掛けても彼女は「うーん……」と呻く程度で起きる素振りはなかった。
そこから数十秒ほど揺すっても変わらず。
……どうしてくれようかしら。
そう考えて、日頃のフィオナが私にやる起こし方をここでやり返すべきねと短くため息を吐く。
寝ている彼女に覆い被さるように身を屈めて、彼女の寝顔に自分の顔を静かに近づける。
そう、これはフィオナの日頃の行い―――私を起こす手法が悪いのだ。
「三つ数える間に起きなさい。いーち」
垂れ落ちた白銀の髪を左の義手で掻き上げながらカウントする。
普段の彼女は十秒ぐらいの猶予はくれるけれど、私は待つ気はない。
気持ちよく寝ている時にいきなり口を塞がれて混乱しながら起こされる気分はあまりよろしくないし、私は寝る時は義手を外して寝ている。
つまりは始まってしまえば抵抗する事は叶わず、フィオナの気が済むまで好きにされるのがほとんどだ。
だから猶予という慈悲はない。
「にーい」
二つを数えたけど、フィオナには起きる気配はなかった。
余程気持ちよく寝ているらしい。
それを妨害される事の非道と残酷さを思い知るがいいわ。
「さーん」
三つ数えた。
フィオナは起きる事なく寝ている。
では実行といきましょうか。
そう決めて、私は自分の口を彼女の口に押し付け―――ようとして。
「―――残念。起きてるなら、お預けね」
キスする前にちょっと離れる。
一種の鎌かけだけれど。
「―――なんで気付くの……」
どうやら引っ掛かったらしい。
恨めしそうな声がその口から放たれた。
フィオナは目を開けてワインレッドの瞳を抗議のつもりか半目にして私を見る。
どうやらどこかのタイミングで起きていたらしい。
「寝てると思ってたわよ? 釣られて起きるかと思って少し間を入れてみただけ。……そのまま待っていればおはようのキスが私からだったのにね」
ベッドに腰掛けながら私は淡々と答える。
質問に対する答えを聞いたフィオナは何度か目をぱちくりして、
「そのままキスしてよー…」
不満を口にした。
余程期待していたらしい。
どうせこれから強引にキスしにくるでしょうに、という言葉を飲み込んで、
「寝るなら布団を被っていなさい。今の時期はどの時間でも寒いから風邪を引くわよ」
その寝間着もそろそろ辞めるべきねと忠告もする。
生地が薄すぎて隠すべき場所を隠せていない、ほとんど裸も同然のベビードールの事だ。
「……そうよね」
私の忠告にフィオナは身体を起こしながらも―――意外にも素直に頷いた。
このベビードールを寝間着にしているのは私とまぐわおうと誘う為に選択しているのだけれど、流石にここまでスルーし続ければ諦めもつくのね、と私は「そうよ」と頷いて、
「―――やっぱり、一糸も纏わないで人肌重ねあった方がいいわよね」
「違うわよ」
次に飛び出したフィオナの言葉に対して冷静にツッコミを入れる。
「あなたの健康を思って寒くなるこれからの季節はパジャマを着てって言ったのよ」
「でもこの家、セントラルヒーティング? で温かく出来るのだしそれぐらい大丈夫じゃない? あなたの体温とか布越しじゃなくて直接感じたいし、その、そろそろシたいわ?」
「肉欲性欲の話ではないのだけれど」
なんて会話を朝からしているのかしら、なんて内心で呻く。
フィオナはその欲が強い傾向にあるのはここ一ヶ月でわかっている事だし、私が記憶を失う前にまぐわっているのは聞いているから彼女のその感情に理解できないとは言わないけど、それとこれの話は別のハズ。
―――そうね。彼女のペースに巻き込まれる訳にはいかないわね。
「とにかく、もう着替えなさい。朝食が冷めてしまうわ」
強引な話題の切り替えに、フィオナは「はーい」とやや不満そうに返事をして、ベビードールの上を私の前で脱ぐ。
盛大に揺れるその豊満な胸部装甲を見せられながらも―――これでよしと頷いてベッドから立とうと思って。
「待って、チハヤ」
「……なにかしら?」
フィオナの呼び止める声に私は上半身を捻って彼女へと振り返って。
「―――隙あり♪」
ショーツまで脱いだ全裸のフィオナに、ベッドに押し倒される。
思いがけない行動に私はなされるがままに倒されて、フィオナの妖艶な顔立ちを見上げる。
その表情はやや恍惚の色があった。
―――なんてこと、もう逃げられないわ。
ちょっと遅かった事に軽く後悔している私を尻目に、フィオナは宣言する。
「おはようのキス、しよ」
もう彼女のペースに呑まれてたなんて大した事のない呆れを自覚した私に構う事無くフィオナはそう言って私の後頭部に右手を添える。
そのまま自分の顔を近づけて、その唇を私に押し付けた。




