その場所の“日常”は変わらない
翌日。
大地震があって、次の日とも言います。
空は相変わらず《ノーシアフォール》の黒い球体が浮かんだ、不安を煽るような空模様。
実際の天気は晴れ。所々に雲が浮いている程度。
黒い尖鋭的なシルエットを持つリンクス―――《プライング》のコクピット内にいました。
ツナギのようなパイロットスーツを着込んで首には咽頭マイクを巻いた、作戦中の姿です。
360度全天周囲モニターに映る、いつまでも変わることのない景色なってしまったそこは、人間には無理な速さで次々と後ろへ流れていきます。
時速にして七五〇キロで飛行しているのですから当然ですけれど。
時計は11時23分とデジタル表記で現在の時刻を教えてくれていました。
『全く。こういう日ぐらい《コーアズィ》とか起きないで欲しいわね』
「流石に、こちらの事情を汲んでくれないと思いますよ?」
通信で呻くアルペジオに、私は当然の事を言い返します。
《ノーシアフォール》から異世界の物が降る《コーアズィ》が発生したのです。
なら、回収の為に出撃しなければなりません。
落下地点への早急な確保と、要救助者の捜索と、物資の回収。
いつもの、と言えばいつもの。
いつもと違うのは今日は地震が起きた翌日であること。
廃墟の街並みは、昨日の地震とそれに続く余震で多くの建物が倒壊していて、すっかり別の光景になり果てていました。
なんとか残っている建物もありますが、それでも地平線の向こうまで建材だった石かレンガかコンクリートが敷き詰められたかのように続いています。
入院中のエリザさんを除くラファール小隊の面々もやや落ち着きに欠ける状況だということ。
回収ヘリも機数は少なく、人も今日初めて参加する人だったり、そもそも別部署の人だったりと地震の影響は出ています。
《コーアズィ》落下地点は、連合寄りです。
《プライング》のブースターやジェネレーターを組み込んだ《マーチャーE2改》のリミッターと合わせる為の速度制限を外さなくとも帝国よりも先に到着できるでしょう。
「いつも通り、気楽に行きましょう? 距離的にも戦闘にはならないんですから」
そう通信で呼びかけます。
『わかってるけどさ……。まだ揺れが収まらないのは、怖いわよ』
夜中も続いた余震で眠れなかったのか、すっかり及び腰な発言をするアルペジオ。
全員そんな様子ですが、かといって《コーアズィ》を無視する訳にはいきません。
人だって、やって来ている事があり得るのですから。
今日も私が機体から降りて探索ですかねー、なんて思いつつ操縦桿を引きます。
《プライング》は正面方向にノズルが向けられたバックブースターからプラズマ化した推進剤を吐き出して一気に減速して、空中でホバリングに移行します。
『ポイント到着。信号弾、撃ちます』
ラファール04―――クリスさんの宣言が通信に入って、モニターに赤く発光する信号弾が三つ放たれます。
連合側が《コーアズィ》落下地点を確保したという宣言。
これで気兼ねなく捜索が行えるというものです。
まず行うのは《コーアズィ》地点の周りを周回することです。
数機が周回して、見える範囲でリンクスのセンサーを使って離れた場所から生存者を捜索します。
私はだいたい北回りです。
これで大体の生存者は見つかります。
いえ、辛うじて生きている、の方が適切でしょうか。
大抵は介錯を必要とするレベルの瀕死。
あるいは、事切れる手前か。
基地に運ぶ事が出来ても、運ばれる道中で死ぬか。
手術台の上で死ぬかの違いぐらいです。
私がこの世界に来てからの一年近い期間の中で《ノーシアフォール》から降ってきて生きていた人間は片手で数えられるだけしかいません。
今日の《コーアズィ》は結構な規模です。
地震で崩れた街の一区画を、あらゆる世界から来た“何か”で覆いつくされています。
生存者はどうでしょう、なんて思いつつ瓦礫の山を正面に捉えつつ横移動で探索していきます。
―――そして、半分ほど周った時でした。
『生体反応検知』
コクピットに事務的な口調の女性の合成音声が流れます。
《プライング》に搭載された電脳(正確には誰かのクローンの意識を電子化した物ですが)《ヒビキ》です。
メインモニターの左側に赤い枠が表示されました。
そして別ウインドウで拡大した、少し粗い映像が映ります。
そこには、板状の何かに挟まれて動かない長い金髪の人が映っていました。
仰向けで倒れているのですが、画像が荒くて性別や年齢はわかりません。
でも辛うじて地面に赤いものが見えるので怪我をしているように見えます。
「こちらラファール00! 人を見つけました!」
左の親指が届く位置にあるボタンを押してからそう報告します。
操縦桿を前に押して、フットペダルを踏み込みます。
頭に付けたカチューシャ状の機器―――操縦システムである《linksシステム》の脳波読み込み機を介して《ヒビキ》が私の思考を読んで、機体に反映されます。
《プライング》は高度を緩やかに落としていきます。
「回収ヘリは救急の準備をお願いします!」
そう言いつつ、今度は操縦桿を引いてその人を見ながらブースターの風圧で吹き飛ばさないように距離を取りつつ、落下速度を落として着地。
両手のライフルを脇下のサブアームで保持させてから慎重に歩いてその人に近づきます。
二十メートルほど離れた場所で《プライング》を止めます。
ここまで近づけば、拡大の画像もそれなりに鮮明な画像として見ることが出来ました。
その人は仰向けではありますが、ブリッジしているかのように沿った状態です。
板状の何かは、元々はテーブルの天板の類だったのか木製のようでした。
それが、左右のレンガ壁の一部と木箱と金属製の箱の上に乗っていて、かつその人を肩から下を隠している状態です。
地面は、元々は切り立った崖の一部だったのかでこぼこしていて歩きにくそうです。
あとは何らかの木材は鉄骨。
壊れて使えなくなったタンスやキャビネット。
凹んだフライパンや割れたガラスなどが敷き詰められています。
《プライング》を膝つかせて、
「《ヒビキ》。降ります。ハッチ開放して待機」
『了解。お気をつけて、ラファール00』
私の指示に《ヒビキ》はそう答えて、シート真上のハッチが後ろへスライドして《ノーシアフォール》の黒い球面が見えました。
《プライング》の頭部は前にスライドしてから持ち上がっている事でしょう。
シートのロックを解除して、シート内部の空間にある救急キットを取り出します。
それをたすき掛けして、開けたハッチに手をかけて体を持ち上げて機外に出ました。
空気は変わらず、冷たい。
かの人物を居場所を《プライング》の上から確認して、
「大丈夫ですか!?」
大声で呼びかけます。
何か反応があればよし、なのですが身動き一つしません。
気絶ならいいですが、それ以外だと一刻を争うことでしょう。
早くあの人の状態を確認しないと、と口にしつつ《プライング》の装甲に手をかけて素早く降ります。
地面に足を乗せて、大丈夫そうなのを確認してから木製の板の下で倒れている金髪の人物の元へ慎重に、されど急ぎつつ呼びかけながら近づいていきます。
「大丈夫ですか?!」
その人の元にたどり着いて、しゃがみ込みながら呼びかけます。
三十代後半から四十代前半に見える、精悍な顔つきの男性です。
なかなかな美丈夫なのですが、苦悶の表情で固まっていて。
そして耳が、笹のように長く尖っている。
「……エルフ」
その種族の名称を思わず呟いてしまいました。
通信機はまだオンにしていないので誰にも聞こえないでしょうけど。
「……大丈夫ですか!」
ともかく、意識や脈の確認の為にその人へ触れます。
首筋に触れて―――まだ、脈はありました。
「―――ガフッ!」
そして、苦悶の呻き声が上がりました。
口から血を吐いて、私の服と周りを赤く汚します。
「しっかりしてください!」
そう大声で呼びかけて、板を退かしに掛かります。
彼に覆いかぶさっている板は厚いですが木製。
板の両端は、右側はレンガの壁や壊れかけの木箱が積み重なっていて、左側は中身をまき散らした冷蔵庫に乗っています。
その間に男性がいて、かつ板と岩かそれに類するものと挟まれている状態。
幸い、板の上には小石や小枝。
割れて跡形もない陶器の残骸など、軽いものしか載っていないので簡単に持ち上げて退かすことが出来ましたが―――。
「………!」
その下は、壮絶なものでした。
まず目に引くのはお腹に刺さった鉄筋。
へそと脇腹の間ぐらいの位置を斜めの角度で刺さっています。
どこまで深く刺さっているのか見当もつきませんが、少なくとも浅くはなさそうです。
次に、右の太もも―――それも内側寄りに木製の薄い杭が刺さって、反対側に貫通しています。
どちらも滲み出るように出血しているので、刺さったままが良さそうだと思ってしまいます。
出血が酷いのは、右足の脛から脹脛の側面。
縦に裂けたような、白い骨が見えるほどの深い傷がありました。
あとは、左腕が普通は曲がらない方向へ曲がっていますし、左足は膝から下の関節が二つほど増えています。
「大丈夫! あなたは大丈夫ですから!」
身も蓋もなくはっきり言ってしまえば応急処置が出来ても助かる確率は半々か分が悪い方ですが、それでも助けない道理はありません。
まずは鉄筋がどういう状態か確認するために、彼の左側を浮かして背中側を見ます。
鉄筋が彼を地面と縫い付けていないかの確認ですが、背中からは何も突き出ていません。
貫通はしていないようです。
ならここから応急処置がしやすい場所に移動させるべきでしょう。
そう判断して、救急キットから薬剤が充填済みの注射器を取り出します。
最初から一定量の鎮痛薬―――モルヒネが入った、相手に突き立てるだけで針が刺さって薬剤を注入することが出来る便利品です。
それを彼の右腕の付け根辺りに刺してモルヒネを打ちます。
次に圧迫止血包帯で右膝の下辺りをきつく締め上げます。
失血をより抑えるために縫っておきたいですが、場所は狭い。
先に移動させるべきですね、と確認するように呟いて、彼の両脇を抱えて引き摺ってそこから平らな場所へ運びます。
「○○○……。○○○○○○……」
何かを呟く男性。
意識が朦朧としています。
右足からの失血か、それとも刺さった鉄骨と杭の影響でしょうか。
高い所から落ちてきたので全身を強く打ったダメージか。
「少しの辛抱です! 頑張って!」
言葉はわかりませんが、そう励ますように言って彼を《プライング》からやや離れた位置に彼を運びます。
そうしていると、一機の《マーチャーE2改》が《プライング》の隣に着地しました。
右手には砲身下に小型のショットガンを装着したアサルトライフル。
左手には小型の盾に、肩には両刃の実体剣を装着しています。
機体中央の装甲が上下に開いて、中から赤っぽい茶色の髪をボブカットにした少女が救急キットをたすき掛けして出てきました。
ラファール03―――カルメさんです。
丁度、人手が欲しかったのでグッドタイミングです。
ここまで来るのにそう時間は掛からないでしょうけど、待つ時間はありません。
平らで安定していそうな所に仰向けで寝かせて、その横に救急キットを置きます。
腰のポーチに入っている発煙筒を出して擦ってから近くに置きます。
「手伝いに、来ました!」
カルメさんも到着したようです。
彼女は元々吊り目なのですが、表情は強張っています。
目の前の異世界人の怪我が思っていたよりも重たいからでしょう。
気圧されるのはその一瞬だけで、すぐにエルフの男性の隣にしゃがみます。
「お疲れ様です、カルメさん。モルヒネは打ちました。次は右足の裂傷を縫おうかと思っていたところです」
私はそう報告して彼女の隣でしゃがんで、救急キットから水が入ったペットボトルを一つ出します。
キャップを捻って開けて、脹脛の裂傷に掛けて軽く傷口の汚れを流します。
『ラファール00!』
なんて考えた所でアルペジオの声がイヤホンから聞こえてきました。
「応急処置中! 聞こえてますのでそのままどうぞ!」
スイッチを通話に切り替えて、そう言って救急キットの中から『ゴム手袋』と表記された白いプラスチック製の包装を出します。
封を開けて、中のゴム手袋を出して自分の手に嵌めて、カルメさんが用意した糸が通された縫い針を受け取ります。
『ヘリはあと五分で来るわ! そして異世界人の容態は!?』
「意識はあり! お腹に鉄筋と右の太ももに杭が刺さってて、右膝から下に大きな裂傷! 左腕と左足が複雑骨折してる!」
アルペジオの質問に、確認出来た事だけを答えていきます。
「モルヒネは投与済みで、裂傷の手当に入る所です!」
裂傷のところを縫って包帯を巻けば失血はいくらか抑えられるでしょう。
ですが、モルヒネがどこまで効いているかわかりません。
「カルメさん、この人の両肩を押さえてください。私は右足を押さえますので」
そう次の指示を出して、そうして貰います。
針を裂傷の皮膚側に刺しますが、男性の反応は薄い。
麻酔の影響で痛覚が鈍ったか、それとも失血と全身打撲の影響で感覚が麻痺してるか。
この場合は、下手に暴れられなくて助かるのですけれど。
縫い針を血で赤い肉部分から皮膚へと貫いて、手前に持って来てまた皮膚に刺します。
大雑把に十針ほど縫って、糸を引っ張って裂傷を強引に縫い合わせます。
そして止血効果を持つ軍用ガーゼを数枚、テープで貼って圧迫止血包帯でぐるぐる巻きにします。
―――一先ずこれで大きな失血は抑えられるでしょうか。
いくら訓練の形で教育されているとはいえ、医学に関して私は素人です。
人体の構造云々は口頭での説明ですし、そもそもその説明自体が殺人に関しての知識です。
そんな事を考えるよりも、次は足の骨折の固定をやるべきですかね。
そう判断した矢先、ヘリの音が聞こえてきました。
聞こえてきた方角、大体東の方角へ視線を向けると一機のヘリコプターが飛んで来ました。
後部に下開き式ランプを持った機材や人員輸送が目的の、メインローターが一つにテールローターが一つの基本的な構成の大型ヘリです。
一応、自衛用に機首下に二〇ミリ口径のチェーンガンが装備されていますが、滅多に使われません。
降着用のランディングギアが展開して、着陸態勢になっています。
《プライング》からやや離れた位置に、後部ランプを開いた状態でゆっくりと降りてきます。
着陸するのでしょう。
ホバリングしてウインチを使って怪我人を吊り上げて機内へ収容することも出来ますが、今回は人員的に降りた方がいいと判断したのでしょう。
あらゆる物が敷き詰められた《コーアズィ》落下地点に対応出来るランディングギアなので難なく水平に着陸します。
そして後部ランプから五人ほど降りて私たちの方へ向かって来ました。
一人は担架を抱えていますが、全員野戦服にヘルメットにタクティカルベスト装備で誰が誰かわかりません。
いえ、一人だけ頭一つ背の高くて長い金の髪の人がいます。
その条件に当てはまる人は一人しか居ませんが。
でも、今はそれを気にする状況ではありません。
向こうが来るまでにこのエルフ男性の足の骨折を固定しなくては。
カルメさんが取り出した固定具を受け取り、その人の曲がった足を強引に真っ直ぐにして固定具と共に包帯を巻きつけます。
「待たせた! 怪我人の容態と応急手当はどこまで?」
そのタイミングで回収班が来たようでした。
振り返えると腕に赤い十字の腕章を巻いた男性が私の右隣でしゃがみました。
その後ろでは担架が広げられます。
すぐに運べる態勢です。
「意識はあり。血を吐いています。モルヒネを投与して、右足の裂傷を縫ってガーゼと包帯で止血。左足の骨折は固定済みです」
ありのままを報告します。
「左腕の骨折の固定はまだ―――」
続けてまだしていない手当を言おうとして。
「××××××?!」
とても早口で、知っている女性の声が聞きなれない言葉を吐いて、私の耳につんざくように入りました。
「××××××! ××××××!」
その声の主は私と衛生兵の間に割って入って、素早くしゃがんでエルフ男性の肩を掴んで揺すります。
「××! ×××××××!」
「ちょっと?! どうしたんですか?!」
私はその幼げで妖艶な顔立ちの、長くて尖った耳を持つ金髪女性―――フィオナさんに向けて、驚きながらも尋ねて肩を掴んでエルフから引き剝がします。
意識が朦朧としていて、重傷者にそんな手荒な事をしてはいけないのもありますが、フィオナさんの取り乱す姿からして普通ではありません。
私の声と行動に彼女はハッとして固まって、私の姿を認めると男性エルフを指差して言います。
そして、その言葉にこの場に居る私を含む人たちは驚くことになりました。
「この人、私のお父さんなの!」
と言う、フィオナさんの言葉に。




