わからない事と、日常と
夕食を済ませて、私は一人で宿舎に戻って来ました。
フィオナさんとマホさんは先に食べて宿舎に戻っているようで。
まあ私が今日の夕食が遅かっただけとも言いますが。
時間は午後の八時を回っています。
もちろん二月の夜は氷点下にはならない程度の寒さとはいえ、長居はしたくありません。
今日は厨房には入ってないので比較的早い時間に宿舎に帰れます。
―――にしても。
今日あった事が、頭から離れない。
いえ、誰もが恐れる核兵器が分解状態でコンテナごとやってくれば嫌にでも意識させられるでしょう。
コンテナの中身をたまたまあったレプリカと入れ替えて。
この世界の、核兵器のかの字さえ知らないような人たちに『無い方がいい兵器』と説明して。
―――果たして、これでよかったのでしょうか?
そんな考えが過ります。
素直に引き渡せば、どうなるか。
戦争で無関係な民間人が万という単位で死ぬのは間違いないでしょう。
投資に見合わない大量死で相手側の降伏という形での戦争終結。
戦争が終わればそれ以上人は死なないというだけ。
それだけを見るならば、得られる利益と釣り合わない被害の戦争の終わり方です。
でも、そうはならないでしょう。
オルレアン連合内でその技術は拡散されて、大量に持つ時代が来て。
何かの拍子に、帝国にもその技術が渡ってしまえば、破滅への綱渡りの始まりです。
この世界の未来がそうなるとは限らないけれども。
それから少しでも遠ざけるという選択は、果たして。
「―――どう考えても、これでいいと思うしかないでしょうか……?」
そんな声が漏れる。
聞く人も、聞いた人もいない。
聞こえた人もいないでしょう。
まあ、居たとしても答えられる人はいないでしょうが。
気温に従うように冷えた扉の取っ手を掴み、押して建物の中に入ります。
そして耳に入る音は。
「ピアノ……。マホさんですね」
やや戸惑いのある演奏で、ピアノで弾くのは彼女でしょう。
習い事でピアノを習っているとは聞いていますし、実際に何度か弾いている姿を何度も見ています。
本人曰く、四歳から習ってるとか。
―――ピアノと言ってもHAL所有の楽器なので電子ピアノだったりキーボードだったりとまちまいですが。
曲はクラシックでどこかで聞いたことがあります―――曲名は思い出せませんが、結構な頻度で弾いている曲。
ロビーを抜けて、共用スペースであるリビングに入ります。
部屋には、十二人ほどいました。
あとはトレーラーを人間より小さくして多関節の作業用アームを生やしたようなセントリーロボットが一機。
よく知っている人たちが大半ではありますけど、同じ小隊のメンバーほど親しいというわけではありません。良き隣人、程度。
ソファに座って飲み物片手に何か話していたり、立ち話していたりしていますがそれは数えれる程度。
多くの人は視線をある場所に向けられているか、何もせずに耳だけを傾けているか。
私もその場所へ視線を向けます。
あえて空けられたやや広いスペースには白い外装の電子ピアノと人間の背丈ほどの大きさのハープが鎮座されていました。
ピアノの方の座席にはマホさんが座って演奏していて。
ハープの方の座席にはフィオナさんが座って、マホさんの演奏を聞いていました。
ピアノの譜面盤にはタブレット端末が置かれていています。
恐らくHALの物で、今は楽譜を映しているのでしょう。
そして今、演奏が終わりました。
僅かばかりの拍手が始まって、すぐに収まります。
マホさんも一息ついて、聴者に頭を下げます。
そう長く演奏していたのでしょうか。
セッションはしないでしょうから次に弾くとすればフィオナさんでしょう。
タイミングがいい。
「あ、チハヤ」
私を見つけたフィオナさんが私の名前を言いました。
「遅かったじゃない。今日も調理場に入ってた?」
「残念。今日は別件で遅くなりました」
別件―――《コーアズィ》で回収した物の事ではなく、《プライング》関係の話でした。
そう大きな話ではありません。
試作装備の運用状況や整備状況の確認。
その私個人の評価や、第三者が見たり使った場合の評価等の書類のまとめ。
あとは、いつも《プライング》の左手に持たせるブレードライフル 《BR-X01》の補充数と予備パーツと今度来る予定の試作装備に関する説明ですか。
《プライング》の汎用OS 《那由多》の解析機能とソフトウェア補填能力は、プログラムの未成熟な試作装備をテストする上でとても便利な機能です。
生かさない手はありません。
まあ、そういう話で夕食が遅れたのです。
「チハヤ何か弾いてー」
聴衆の一人からそういう、よくあるリクエストが来ました。
弾く気がなかった私からすれば、ちょっと困ったリクエストです。
「私としてはフィオナさんのハープを聴きたいなぁなんて思ってたのですが……」
腕を組んで、むう……なんて唸ります。
別に弾くことに抵抗がある訳じゃありませんよ?
ささやかな楽しみが後回しになる事に抵抗したいだけです。
「う、嬉しいこと言ってくれるじゃない……」
私の言葉に、フィオナさんがしおらしくなって頬を少し赤くします。
「フィオナさんの演奏、聞くのも見るのも好きですから。手の動きとか優雅で綺麗ですし何度でも見たくなります」
「私だってチハヤの演奏を聴きたいし、見るのも好きよ? ハルとのセッションでギターとかいう騒がしい音の楽器のソロパートを弾いてるチハヤの姿とかカッコいいし、ヴァイオリン弾いてる時とか凛としてて……」
「はーいそこ。いちゃつかない」
呆れた声で茶々が入りました。
むう。
いちゃつくつもりは無かったし、そんな気も無かったのですが第三者にはそう見えたようです。
「わたしも、チハヤさんのピアノ聴きたい、です」
こちらの様子を見ていたマホさんからも私を推す発言が。
「チハヤさん、演奏中は楽しそうですから」
彼女はそう、拙いフロムクェル語で言いました。
『チハヤユウキ。ここまで来たらやりましょう』
HALの合成音声。
いつも無機質な声がいつも以上に無情な気がします。
私に味方なんていないようです。
仕方ありません、弾くとしましょう。
「フィオナさん。どっちを弾いてほしいですか?」
まずは引く楽器の選択を投げかけます。
自分で決めてもいいですが、ピアノとオーケストラハープ。
どちらもそれなりに弾けるので、ここは彼女に決めてもらいましょう。
フィオナさんにお願いしたのは単純に、好きと告白されているからで。
まだ答えは保留中ではありますが、演奏する楽器が彼女が好ましいと思うものにしようかと思ったからです。
そんな突然の話の振りにフィオナさんは目を丸くします。
「……いいの?」
「はい」
確認の言葉に私が頷くと彼女は右手に頬を乗せて考えだします。
「……チハヤにはハープ弾いてほしいけど、この前弾いてもらったし……。毎回お願いしてるのよね……」
考えてることが漏れてますよフィオナさん。
あと、弾けなくて気分うんぬんは私にはないのでそう難しく考えなくてもいいのですけども。
「―――ピアノで」
そう、時間をかけることなく彼女は言いました。
「―――わかりました」
私は確認することなく頷いてマホさんが先ほどまで座っていた、そして演奏していた電子ピアノの座椅子に座ります。
高さを合わせて、
「HAL。《last message》の楽譜をお願いします」
迷うことなくその曲にしました。
すぐに演奏盤のタブレット端末の表示が切り替わって、その楽譜になります。
ピアノ主体の曲です。
綺麗な明るい曲調。盛り上がり方に緩急があって、疾走感がある曲。
BPMも場所によっては変動する。
誇張でもなんでもなく両手が忙しい。作曲者の殺意が感じられるような曲です。
準備運動で軽く葱でも振ってそうな童謡を弾いてから、楽譜を見て何か所かのワンフレーズを何度かだけ弾いて。
「それでは、参ります」
そう宣言して、弾き始めました。
ピアノが奏でる綺麗で明るい曲調と、緩急のある盛り上がり。
総じてこの美しい曲は、弾いていて楽しい。
―――まあ、精度はあまり良くはないのですけど。
二分半の演奏はすぐに終わってしまいます。
「……こんなところですね」
散発的な拍手の中、そう言って指を組んで前に伸ばします。
ここ最近触っていませんでしたし、いきなり難易度の曲を演奏すれば指に疲労を覚えるものです。
本当に上手い人はそんなことはないのでしょうけど。
「チハヤさんって、ピアノ歴、何年なんですか?」
マホさんが拍手しながらそう尋ねてきました。
「ピアノ一筋ではないですが、五年ぐらい。実際には孤児院の手伝いとかしつつ、他の楽器も触っていたので、ピアノを触る時間はもっと短いかもしれませんね」
今、私は十八歳なのでそれを踏まえてのピアノ歴五年というのは確かに短いのですが、他の楽器も触りながらなのでもっと短くなるでしょう。
その言葉にマホさんは「嘘っ?」と驚きます。
「もっと長くて、沢山練習してると思ってました。お上手、ですから」
「それ、よく言われます」
その褒め言葉にころころと笑って答えます。
実際、《黒い球体》が出現する前の高校生活ではピアノを弾いて驚かれて、同じような事を聞かれてそういう系の部活に入部してくれと勧誘されていましたし。
「どうして、短い時間でそんなに上手くなれたのですか?」
続いての質問。
「わたし、上手に弾けないこと多くて……」
なんてマホさんは表情を曇らせて言います。
私自身、何らかの楽器を弾ける人ではありますが上手い部類に入るとは思っていません。
人並に弾けるか、少し劣るぐらい。
ですが、言える事はあります。
「具体的なアドバイス、とは言えないかもしれませんけど―――」
言う前に、そう断わります。
「私に教えてくれた人は、『その時弾きたい曲や好きな曲を楽しく弾けれればそれでいいではありませんか』と言ってました。悩んでギスギスして暗い気持ちでやるより、楽しむ方が大事だと」
かつて―――神父が言っていた言葉です。
「先ほど弾いていた曲が発表会で披露する曲なのかどうかは知りませんが、そればっかり弾くよりあなたの好きな曲とか沢山弾いたらどうですか? そういう、難い事は一旦忘れて」
その言葉にマホさんはどこか意外そうな顔を浮かべます。
思っていた解答とは違ったのでしょうか。
「あなたがどういう姿勢の下演奏しているかはさておき、一日二日そうしてみるのもいいと思いますよ」
私はそう続けて、FOXHOUNDのSUNRISEを弾き始めます。
ピアノよりもギターで弾きたい曲ではありますが、今日はこっちでもいいでしょう。
弾けば、一曲なんてあっという間です。
演奏が終わって。
「まあ、上達の仕方なんて人それぞれ。心の持ちようですよ。思い悩んでばかりなら、気分転換する」
かつて神父に言われたことを、そのまま言います。
受け売りそのもの、とも言いますが。
「何事もそんなもんですね」
ころころと笑って、締めくくって椅子から立って退きます。
これが答えになるかどうかはさておき。
彼女の問の答えの一助になればいいと思うのです。
「そう……ですか」
案の定、マホさんは困惑の表情のままでしたが。
「楽しむ……。好きな曲……」
そう呟いているので、言われた事の意味を再認識しているのでしょう。
しばらくしてHALのセントリーロボットへその眼差しを向けました。
「ハルさん。《ワワワ》っていう人が作詞作曲した《ラストラスト》っていう曲の楽譜ありますか?」
それが好きな曲なのでしょう。
その曲の楽譜の存在を確認しました。
『もちろんありますよ』
そのリクエストにHALは応えて、タブレットの画面をまた切り替えます。
マホさんは椅子に座り、ワンフレーズずつ弾き始めます。
サビや間奏とか。
練習するように、弾いていきます。
でもその表情は、どこか楽しげです。
私のアドバイスは、そう悪くはなかったようです。
よかった、などと思いながらフィオナさんの隣に来ます。
「チハヤ、あの曲好きね」
フィオナさんが私を見上げながらそう切り出しました。
あの曲とは《SUNRISE》の事でしょう。
よく弾き、鼻歌でも歌っている曲だから、そう思ったのでしょう。
「はい。好きなんですよ。夜明けが見たいよと叫ぶ歌ですから」
「夜明け、ね。チハヤらしいかも」
私の返事に、彼女は頬を綻ばせながら言いました。
私が初日の出―――夜明けを見たがるところと、曲の詳細に関連性が垣間見えたからでしょう。
「その曲―――ハープで弾いてみようかな」
次に出た言葉はチャレンジの言葉。
ハープ演奏の《SUNRISE》ですか。
それは、やった事がありませんね。
専用に楽譜を用意しないといけないかもしれませんが、出来ないことはないでしょう。
「教えてもらっていいかしら?」
ここ最近するように、蠱惑的な表情でフィオナさんは尋ねてきました。
いつも通りと言えば、いつも通り。
彼女が私に告白してからも、積極的なのは変わりません。
彼女の中では変に意識するような必要はないのでしょう。
ともかく、彼女の提案ですが。
「《SANRISE》、オーケストラハープで弾いた事ないんですよね……」
そう、カミングアウトします。
ピアノやヴァイオリンは弾いていますけど、ハープとなるとやったことはありません。
「意外ね」
私の言葉にフィオナさんはその言葉通りの表情を見せます。
「だいたいギターで弾いてましたから」
元々はロックバンドの曲です。
そこにハープなんて含まれません。ヴァイオリンは含まれてましたが。
なので必然的にギターが多くなります。
「やるならオーケストラハープのペダル操作を考慮したアレンジが必要でしょうね……」
やったことはありませんが、フィオナさんがハープで弾きたいと言っている以上はなんとかしないといけません。
弾きながら、どこが弾けてどこが弾けないのかを探して。
HALに協力してもらって、楽譜作成する必要がありそうです。
そう考えると、なんとかなりそうです。
「一緒に弾きながら、楽譜作りましょうか」
その了承の言葉に、フィオナさんは嬉しそうに頷きました。




