プロローグ ~あるいは、一個人の独白~
理不尽だ、と思う。
そこにいる誰かが、適当でささやかな幸せという『望んだこと』があったとして。
その人の周囲にいる隣人たちは、それに対して共に喜び、祝福し、隠れて嫉妬したりする。
そして、その人たちとは関係ない遠くにいる顔の見知らぬ誰かは、それを知らずに適当な理由を以て、踏みつけるように壊して台無しにする。
私はそれをやられた側でもあるし、やってきた側でもある以上、とやかくは言えないけれど。
それでも、やられれば腹ただしく、不快だ。
だから進んで行わないようにと。
あるいは最低限に留めよう、そう決めていたとしても。
相手はそれを自覚しないで、踏み潰してくる。
でも、それを回避する術はなくて。
雨に備えて傘を持ち歩くのとは訳が違う。
雷雨に遭って建物の下に逃げるのとは違う。
洪水による浸水を避ける為に高台に行くのとは違う。
予兆もなく地震に遭って、足元の地盤が突然崩れるように。
自分の後ろで交通事故があって、その余波で車が自分に向かって飛んでくるように。
見えないところで始まったそれを避けるなんて、不可能でしょう。
そういう状況下で、自分の選択の一つ一つに正否があるならば。
どこで、どうしたらよかったのでしょうか?
自分の首が締まらないように目の前にある複数の選択肢の中でその時、その瞬間の最善や吉なものを選んだとしても。
後で方向修正が出来たとしても。
後々になって、あらゆる要因で自分の首を絞めるような選択だったなら。
それは間違っていたのでしょうか?
正しくなかったのでしょうか?
あるいは、《彼》が言うように―――。
全ての物事には後戻りが出来なくて、正否があって。
それをどう思うかが面倒なだけなのか。
それとも。
どんな人間も、結局は一個人でしかなくて。
その目に見えるものしか見えなくて、手が左右合わせて二つしかないから掴めるものは限られていて。
その両手で掴めるだけ、連れて行けるだけしか守れないという無力感と現実が嫌なだけか。
私の人生、こんなことばかりだなんて考える。
孤独に生きれれば、どれほどよかったのでしょう。
何かを感じる心なんて無ければ、どれほどよかったのでしょう。
そう思ったところで、もう遅い。
私は人の輪に加わって生きている。
私には親しい友人がいる。
私の事を想う人がいる。
そういう人たちが、私の近くに居すぎる。
自分の身に何があっても。
隣人の身に何があっても。
その現実を見て、何もかもを抱えて。
人の輪の中で、限られた人たちと共に生きていくしかないのだから。
だから。
手の届く人ぐらい守って、生きていかないと。
『接近する熱源反応を探知』
その機械的な女性の淡々とした合成音声が私を現実へと引き戻しました。
レーダーで『Enemy』と表示された反応を見ます。
そしてそれが見慣れた識別であることを確認して、私は嘆くように呟きます。
「……ホント。状況は最悪。―――でも、やらないと」
そして、モニターに映った機影を確認する。
数は五機。
よく見た、よく知っている機体だ。
もう、後戻り出来ないのだから。
だから、ここから先は。
どう転がろうとも、どう堕ちていこうとも。
歩みは止められない。
進むしかないんだ。




