誰かの思惑の上で
「エルネスティーネ少将。これは、なんですか?」
連合の襲撃と、捕虜であるチハヤの脱走。
そしてコトネの離反から一夜明けた、私の執務室。
書類やそれを納めた段ボール箱が増えたこの部屋に、特徴的な空色の髪と尖った耳を持つ二十代の女性―――ナツメ大尉が真剣な眼差しで部屋にやって来て。
ヨナタンに退出を促して、二人きりになってすぐの言葉がそれだった。
よく見る、そしてこれから増えることはないだろうスケッチブックと一束の書類を私に見せつけるように尋ねてきた。
その書類は、コトネに渡した偽装亡命の計画書と《ストラスール》国内に潜入した工作員の情報の書類だ。
「あら、どうしてその書類があなたの手にあるのかしら?」
本当に不思議に思って、そう口を開く。
彼女にしか持たせていないものだし、確かに彼女は《フェンリル》の機内に持ち込んだはずである。
それが、どうしてここに。
その理由は、おおよそ見当がつくが。
「わたしの部屋に、机の引き出しに入ってたんです。このスケッチブックに挟まれて。―――チハ……コトネが、彼が心配だから亡命するなんて不自然にもほどがあるのですが、これを見て納得しましたよ」
ナツメ大尉はそう言って、私の執務机にそれを放るように置く。
私はそれを手に取って見て、やはりと声を漏らす。
インクの状態や印刷された文章の傾きは、データを印刷機に転送しての印刷ではないことを示している。
秘書に席を外してもらって正解だった。
対して、スケッチブックは『ナツメへ』の一言以外何も書かれていない。
「あの子、私が渡した書類をコピーしてあなたに渡してたのね」
いつの間にそんなことをしたのだろうと思う。
それが出来る暇がなかった、という訳でもないが私や他の人の目を盗んでコピーが出来たなんて。
「……ええ、ここに書いてある通りよ。コトネには、休戦交渉の為の工作で連合に行ってもらったの」
このナツメの様子から、この内容は全て読んでいることだろう。
なら、隠したりはぐらかす必要はない。
「……本当のことなんですね。コトネが保守派や講和派の休戦交渉の足掛かり役という情報は」
「ええ」
確認するような言葉に私は肯定する。
「……どうして、彼女なんですか?」
「都合がよかったのよ。チハヤとコトネは来た世界が違えど兄妹だし、そんな彼女が彼について行けば、まず違和感は無いわ」
それに。
「《ストラスール》の王女の一人、アリア・シェーンフィルダーという人物がチハヤの所属する基地にお忍びでやってくる、とチハヤが教えてくれてね。その人とあの二人には、恩師が同じという縁があったからこの機会を逃す手はないと思ったの」
正確には、双方ともに死んだ相方の、自分の世界とは並行世界にあたる世界から来た同一存在同士という関係だけど。
それでも、このチャンスを活かさない手はないだろう。
「あなたも知ってると思うけど、連合とは話が出来ない状況が続いているわ。話が出来ないんじゃ、休戦交渉すら出来ない」
《オルレアン連合》と《ランツフート帝国》間の交渉窓口は事実上 《クナモリアル》の管轄だ。
話がしたくても、追い返されてできない。
休戦交渉の為に《オルレアン連合》の主要五か国に工作員を送っても、《ストラスール》に送った人員以外は《クナモリアル》と《ソルノープル法国》の工作員によって捕らわれている。
なら、同じ連合に所属し《クナモリアル》とは戦争の歴史がある《ストラスール》を介して交渉するしかないし、そこの政界に繋がるかもしれない御仁に今接触できるならしない手はないだろう。
これが成功するか否かは、まだわからないが。
「そして、今の科学技術や軍の装備で戦争を継続したらどうなるか、なんて話は聞いたことあるでしょう?」
その言葉に、ナツメはむっとした表情を見せる。
彼女の父は異世界人だというのを、私は知っている。
そして、その人は“世界大戦”という戦場が惑星の各所で発生し続けるという大戦が二度あった世界の出身であり。
次に起きる世界大戦は終末戦争になると囁かれているような時代を生きてきたという。
彼が言うように、そして保守派や講和派の政治家や軍人がそれを想像し、危惧している。
「父から、そういう話は聞いています……。ですが、想像がつきません……」
困惑の色を隠さずにナツメ大尉は言う。
わからないでもない。
私だって人類の大半が死ぬ戦争なんて、想像がつかない。
「そんなものよ。私だって、終末戦争になるなんて想像がつかない」
彼女の言葉に、私も同意する。
未来なんて誰にもわからないし、きっと、ずっと白紙なのだろう。
けれど。
「だからといって、そういう最悪の未来を回避する行動を一切しない理由にはならないわ」
そう、言い切る。
今を生きているのは、私達だけではないのだから。
「……それは、コトネも?」
「ええ。―――襲撃の前日に、そう言って計画に乗ってくれたわ。『終戦まで漕ぎ着けて隣人を守りたい。そしてなんでもない日常をみんなと過ごしたい』からって言ってね」
一昨日の昼に、執務室まで来て言った言葉を伝える。
彼女の言う『みんな』とは、きっと私やナツメ。
マルゴットを始めとするここで関わった人たちのことなのは間違いなく。
それを守るために、汚名を被る選択を彼女はした。
きっとそれは、とんでもない選択だろう。
けれど、彼女からすればたわいもないことなのだろう。
彼女の兄は、人としての道を踏み外してまでだったはずなのだから。
その言葉にナツメ大尉は顔を俯かせる。
そして、小さな声でなにかを呟く。
それは私の耳には聞こえなかったし、聞こえなくていいだろう。
「……そう、でしたか」
詳しい話をありがとうございますと彼女は言う。
彼女のその態度に、意外だと私は思った。
「……あなたは私を責めると思っていたのだけれど?」
予想していた事を口にする。
彼女に偽装とはいえ亡命するように命令したのは私だ。
彼女に裏切者の汚名を着せたのは、他の誰でもない私なのだから。
「……責める気なんて、ありません。経緯がどうであれ、彼女は全てわかった上で向こうに渡る選択をしたのですから。それとここに来た目的は別です」
ナツメ大尉はそう言って私を見据えます。
「私は、ただ知りたかっただけなんです。コトネがどうして連合に渡ったのか。その理由を、知りたかっただけですから」
「……その理由、わかった?」
「ええ、お陰様で。……彼女の言う理由の全てではないでしょうが」
それに、と彼女は続けます。
「必ず帰ってくると、彼女は約束しましたから。―――ならば、あとはこっちが死なないように待つだけです」
その言葉に、私は「そうね」と相槌を打つ。
もう、私たちは結果を待つだけなのだから。
でも一応、確認の意味も込めて聞くだけは聞いておこう。
「この計画を知った以上、あなたもとことんなまでに付き合ってもらうけど、いいかしら?」
知った場合、これは主戦派にとってはいい攻撃材料であり、それを黙っていたとなれば彼女もただでは済まないだろう。
左遷ならまだいい方で、反逆罪で銃殺刑だってあり得る。
それから逃れるには、私のような権力者に与する方がよいだろう。
その言葉に、ナツメ大尉は考えていなかったのか「……あ」と小さな声を漏らす。
そこまで深く考えていなかったようだ。
武人寄りなのも考えものね、と思うのと。
―――きっとコトネが、私の手駒に戦える人間がいなくなると判断しての行動なのでしょうね。
私の味方に戦える人間はいても、リンクスで戦えて、かつ実力がある者はコトネ以外いない。
その穴埋めに、彼女を遠回りな方法で推薦したのだろう。
そうだとすれば、なるほど。
この状況は彼女の掌の上なのかもしれない。
「……コトネに図られたわね。私達二人とも」
「そう、なんでしょうね……」
私は笑って、彼女は肩を落として言う。
一杯食わされた気分は、どこか愉快で悪くない。
「それで、これから私たちはどうなるのですか?」
当然の疑問をナツメ大尉は聞いてきた。
捕虜に逃げられて、裏切り者を出した挙句、試作機を持ち出されている。
こんな事態を引き起こして、みすみす逃がしているのだから軽い処罰はないだろうし、それが普通だろう。
実際は。
「……こちらの真意はともかく、この部隊から裏切り者を出した以上、然るべき処分が言い渡されるわね。皇帝のお怒りをもらって、激戦区とは程遠い東の基地へ左遷が待ってるわ」
前もって話していた、取り決めていた計画の一部を口にする。
これは、書類には書かれていないことだ。
「そこまでお膳立てしてたのですね。……全て、あなたと皇帝陛下の掌の上ですか?」
ナツメ大尉は関心半分、呆れ半分といった物言いで言う。
ここまで準備してやることよ、と私は言って、
「全て私と陛下の掌の上なら、あなたは今、この部屋にいないわね」
予想してなかったことを付け加える。
コトネが亡命計画や休戦交渉の為の書類をコピーしてナツメ大尉に渡していなければこの場にはいないだろう。
それは予想外で、想定外だ。
なら、もうここは誰かの掌の上ではありますまい。
「ですが、どうして東なのですか?」
ナツメ大尉はそこを気にしたようだ。
何故、東方面なのか、私は要点だけをまとめて話す。
帝国は周辺国へ領土拡張の為に東方へにも侵略戦争をしている。
今は南部戦線―――ここレドニカのことだ―――は止まっているが、それは東部方面も一緒だ。
そこの東方諸国との技術差はもう圧倒的な差となっている。
侵略すれば、簡単に占領出来るだろう。
武勲を挙げたい主戦派からすれば、勝って当然で戦果を評価されないような戦場より、連合を相手に戦果を挙げるほうが美味しい。
そうなれば、東は精強な部隊は少なく、政敵はいなくて監視も薄くなる。
場所は遠いが、通信網が張り巡らされてる今の時代ならば監視の目を盗んで交渉できるだろう、というのが一つの理由で。
「もう一つは、主戦派―――というよりは強硬派の王子の誰かがクーデター起こして保守派や講和派を反逆罪で捕まえだした時に抵抗勢力を組織する為の下準備ね」
そんな事態が起きなければいい、とは思うが。
備えておいても、損はないだろう。
「……政治ですね」
理由を聞いたナツメ大尉は端的に呟く。
そう、これは政治だ。
何年も先を見て、想定して。
五年先か、十年先を見て、備える。
あるいは、何も起きず全てが無意味で、徒労に終わるかもしれない。
でも、それが目の前に来る事を想定して今、動く。
「ええ、政治よ」
ナツメ大尉のなんでもない呟きを肯定する。
さて、そうとなれば―――と口を開こうとしたタイミングだった。
バァン、という音と共にこの執務室の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは亜麻色の髪を持つ、胸の大きな少女―――マルゴット伍長だ。
片手にはよく見る、そして私の机にも置かれたものと同じデザインのスケッチブックを持っている。
全力で走ってきたのか息が上がっており、わずかに肩は上下している。
「エルネスティーネ少将! ちょっとコトネさんの事でお話が―――って、ナツメ大尉どうしてここに?」
ノックしてから入室を、と発言するよりも早くマルゴット伍長は言って、開けた扉を勢いよく閉めて外で人払いしていた、そして驚きで固まっていたヨナタンを見えなくする。
―――どうやら、コトネはナツメ大尉以外にも彼女にまでスケッチブックと、かの書類のコピーを置いてきたらしい。
ナツメ大尉は天井を仰ぐ。
彼女にも、だなんて予想だにしていなかったのだろう。
きっとこれも彼女の思い通りなのだろう。
もしも、この場にコトネがいたとしたら、いつもの仏頂面で。
無言で親指を立てていることだろう。
「ふふふ……」
その姿を想像して、思わず笑みがこぼれる。
私が想像するより、彼女は考えているのかもしれない。
なら、答えるべきねと思って、まずは。
「コトネの亡命が、偽装で休戦交渉の為の工作だって話でしょう?」
マルゴット伍長の疑問に答えるべく、私から話を切り出しました。