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並行異世界ストレイド  作者: 機刈二暮
[第八章]ドッペルゲンガー
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旅仕度と、筆談と




「―――適当な旅行鞄を探しに倉庫まで行ってきます。コトネ? フィオナさんに失礼しないようにね? それでは行ってきます」


 チハヤは私にそう言って、自室にして寝室である部屋を出ていった。


「………」


 目の前に残ったのは床にペタリと座った、チハヤとよく似た少女―――コトネという、チハヤの実の妹。


 仏頂面でソファに座る私を見上げている。


「………」


 彼女の存在すら知らなかった―――正確にはチハヤが話したがらないから聞かされていなかった私としては、微妙な気分だった。




 時間は午後九時。


 もうそろそろお風呂に入る時間で、寝る時間でもある時間帯。


 少し耳を澄ませば酒盛りの音やシャワーの音が微かに聞こえるような、静かな時間帯。


 



 明日、この少女―――コトネはアリアというアルペジオの異母姉について行き、《ストラスール》へ向かうことになったという。


 理由は詳しく聞いてないけれど、曰く、アリアという人物はチハヤとコトネの恩師の一人、シスターなる人物(さらに付け加えるならチハヤたちとは並行世界の同一人物)の教え子で、まだ話したいし、亡命の手続きならそのまま彼女がやるから、だとか。


 そういうわけで、明日旅立つ為にその荷造り―――着替えを揃えているところに、鞄がないことに気付いたチハヤは《コーアズィ》回収品倉庫へ探しに行った、というわけで。



 この四人部屋には私と、コトネにもう一人、マホもいるが彼女はもう風呂から上がって、自分のベッドに潜り込んで寝ている。


 彼女はまだ十一歳だ。


 遅くまでは寝ていられないのだろう。


 起こさないよう、静かにしないと。



 彼女が寝るベッドを一瞥してから、私はコトネへと視線を向ける。


 仏頂面で、チハヤよりほんの少しばかり背が高い以外は彼とよく似ている少女は私をじっと見る。


 曰く、本当なら《黒い球体》に飲み込まれた時点で六歳差で十一歳―――なのだけれど、彼女は六年前にこの世界に来たようで今は十七歳という。


 チハヤが嬉しそうに、『私とそっくりでしょう?』なんて言っていたけれど、本当にそっくりだ。


 チハヤと同じ顔で、無表情なのはどこか気味の悪ささえ感じるけど。


 そんなコトネは私をまじまじと見て、足元へ視線を落とす。


 彼女の足元には、黒くてふさふさな毛を持つ、ウサギみたいに小さな犬―――テルミドールがコトネを見上げていた。


 テルミドールはチハヤと私とHAL以外に懐いていないのだけれど、どうやら彼女には慣れたようで膝元に擦り寄っている。


 対するコトネはというと、恐る恐るテルミドールを押し離そうとし始める。


 実に犬が苦手そうな手つきだ。


 チハヤは苦手ではないようだけれど、彼女はそうでもないらしい。


「テルミドール。彼女、苦手そうだから離れてあげなさい」


 私がそう言うと、テルミドールはそのつぶらな瞳で私を一瞥してから、もう一度コトネを見上げて、何かを察したのか離れていつものベッドへ向かっていく。


 対するコトネはどこか安堵したように肩を落とす。


 犬は苦手なのは間違いないようだ。


「テルミドール、ほんとは人間嫌いなのだけれど……。あなたは平気みたいね。チハヤの妹だからかしら?」


 じゃなきゃ、慣れないか。


 それを聞いただろうコトネは無表情のまま。


 不機嫌なのか、そうでないのかがわからない。


 チハヤならば表情に出てるから分かるというが、どこにどう出ているのかわからない。


 時折暗く影のある顔を見せるけど、基本的に表情豊かなチハヤとは大違いだ。


 そんな彼の妹相手にどう接すればいいのやら。


 そう顔には出さないで困っていると、彼女が動いた。


 立ち上がって、私の前に来て顔を近づけてくる。


 チハヤから表情だけを無くした顔が、目の前に。


 ただそれだけなのに、昔見た精巧な人形のような、妙な不気味さを覚える。


 相手がチハヤだったら、腕を伸ばして抱き寄せているだろうけど、彼女は彼ではないのでやらない。


 ただ、チハヤと同様に鴉の濡れ羽色の髪を持つ異国の美少女なので、見惚れて固まってしまう。


 スンスン、と彼女は鼻を鳴らしてなにかを嗅ぐ。


 そして、目元はそのままに閉じた口をへの字に歪ませる。


 彼女が初めて、私にわかる表情を見せた。


 ……不満そうだけど。


「……なに?」


 少し困惑しつつも私は尋ねる。


 彼女は離れて、スケッチブックを手に取って何かを書き始める。


 すぐに、くるりと反転して書いた文字を私へ見せた。


『あなた、兄によく抱き着いたりしてる?』


 見せられたのは質問を意味する文字の羅列。


 文字一つ一つが真っ直ぐ横に並んでいて、読みやすい綺麗な字だ。


『兄と再会した時、あの人から別の誰かの匂いがしたし、それと同じ匂いがあなたからするから』


 次に見せられたのは理由。


 今、嗅いで確信したのだろう。


「そ、そうよ? それによく風呂上りには髪を乾かして貰ったりしてるし、たまにハグしながら一緒に眠ってるし…」


 その言葉に、コトネはへの字にした口を僅かに開ける。


 実に嫌そうだ。


 さっきよりも早い速度で何かを書いて、すぐにこちらへその文字の羅列を見せる。


『あの人の事、好きなの?』


 次の質問は直球だった。


 綺麗な文字は少し乱れている。


 内心穏やかではないのが文字を通してわかった。


「……好きよ」


 嘘をつく理由もないし、当人(チハヤ)はここにはいないので素直に答える。


 それを聞いたコトネは、目を細めて私を睨む。


 嫉妬の感情が見える。


 彼女も、家族としてチハヤが好きなのだろう。


『理由は?』


 次の質問。


 そう尋ねられて「そうね……」と、この世界に来てからを振り返って、答える。


 この世界で一番最初に出会って、いろいろと助けてくれた人物で。


 まずは容姿が好み、というのもそうだけど。


 基本的に人付き合いはいいし、相手が誰で何者でも等しく態度を変えないで接する。


 何をするにしても面倒見はよく、投げ出す事はなくて、裏や下心はない。


 楽器の演奏は上手で、家事全般をこなすのが好き。


 そして手料理はどれも相手の事を考えていて、美味しい。


 そんな嫌われる方が難しそうな(チハヤ)が時折、陰のある表情を見せて、皆の輪から距離を取って一人でいようとしている。


 夜は寝れてなさそうで、過去の事で唸されている。


 その表情やその姿はどこか寂しそうで、辛そうで。


 このまま放っておけば、どこかへ消えてしまいそうだと思わされる。


 ―――だから、私は彼に、どこかに消えてほしくないと思っていて。


 そして、鼻歌交じりに、どこか楽しそうに。


 それをやるのが好きだからと、風呂上りの私の髪を乾かしたり、梳いたりして。


 二重奏をお願いすると快く引き受けてくれて、楽しそうに適当な楽器を弾いてくれる。


 お茶などの飲み物は欲しいタイミングで用意してくれる。


 それらは私に好意があって引き受けたり気を使ったりするのではなく、チハヤ自身のそれが自然体がそうだからで。


 ―――そんな人だから、私はチハヤに、一緒にいてほしいと思っている。



 だから、好きなのだ。



 そう、コトネに伝える。


 彼女は無表情なまま聞いていて、スケッチブックに何かを書き始める。


『告白は?』


 短い一言。


「……してない。―――けど、言わなきゃいけないと、思ってる」


 その短い質問に、私は思っている事を言う。



 ―――一昨日帰ってきたとはいえ。


 チハヤと過ごす毎日は、彼が帝国に捕まって突然終わった。


 チハヤは急に、私の日常から何も言わずにいなくなった。


 それが、怖い。


 いつかその人が消えるのは、生きている以上仕方ない事なのかもしれない。


 けれど、それが突然訪れるなんて、考えもしてなくて。


 チハヤが私の目の前から消えるなんて、嫌だ。



 そんな、心で思っていた事を口にする。


『じゃあ、言うべきね』


 至極あっさりと、コトネは書いた文字を私に見せる。


 嫉妬とかで歪んだ字は、綺麗な字へも戻っている。


 なんと言うか、意外な反応というか。


 ちぐはぐだ。


 自分の兄に知らない女の匂いが付いてて、その匂いの元が私だとわかった時は不満そうに、不機嫌そうに表情を僅かに歪めたのに。


 思いを伝えよう、という言葉にはあっさりと頷いて。


「……あっさりと促すのね」


 好きなお兄さんが取られちゃうのよ? と意地悪っぽく言ってみる。


 ここ数日の彼女の行動を見ていれば、家族として好きというのは明白だ。


『おかしい? あの人の人生を、わたしが縛る理由は無い』


 彼女はそう受け流して、またスケッチブックに文字を書いて私へと見せる。


『強いて言うなら、わたしはあの人個人の幸せを願う立場だから。両親の愛情なんてない幼少期に親族に心の無い言葉と共に見放されて。シスターを始めとした、親しい人たちが一人一人目の前で死んでいく地獄を見続けたあの人が、孤独に生きていくのは、わたしは許容しないから』


 そこに書かれていたのは彼女があっさりと頷いた理由と、(チハヤ)の今までの一部だった。


 聞いてはないけれど、時折見せる暗い陰のある表情から相当な経験があったと思っていたけれど―――。


 そんな過去を抱えて生きていたなんて。


 それでさえ、彼の過去の一端でほんの一部なのだろう。


 コトネはまた何かをスケッチブックに書き始める。


 その表情は変わらず無表情だが、どこか真剣に見えた。


 一枚捲って、まだ文章を書くほどに、長い。


 そして、私に書いた文章を見せる。


『あとは、あなたの役目。思いを伝えること。彼の今までを聞くこと。それは権利で義務だから』


 一枚捲って。


『彼はきっと話してくれると思う。そんなところにあなたが立つのを許さないし、立たせたくないから話してくれると思う。だから、覚悟して。彼の語る過去と立っている場所に立つことの意味を』


 その文章を見て、私はあなたは何を知っているの? と聞こうと思って口を開いて。


 部屋のドアのノブが回って、開いて。


 コトネはすぐさまスケッチブックを何枚か捲って、書いた文章を見えなくする。


 そして、自身の口元へ人差し指を当てて『静かに』というようなジェスチャーをする。


 これは内緒だ、とでも言っていそうだ。


「ただいま戻りました。―――いい旅行鞄がありましたよ、コトネ」


 そう言って、チハヤがニコニコ笑顔で部屋に帰ってきた。


 ―――コトネが見せた文章にあった過去の一端を感じさせない笑顔だ。


 その手には焦げ茶色の四角い旅行鞄が握られている。


 少し傷があって数日分の衣服を入れるにはいささか大きそうだけれど、確かにものは良さそうだ。


「おかえり、チハヤ」


 コトネが文字を書き切る前にお迎えの言葉を言う。


「はい、ただいま。コトネと仲良くしてましたか? この子、嫉妬深いですから失礼なこととか、してませんか?」


 旅行鞄を置きながら、どこか心配そうにチハヤは尋ねてきた。


 仲の良く、大切にしていた妹だからこその質問だろうな、と思う。


「仲良く話してたわよ。……ちょっと睨まれたけどね」


「……妹がすみません」


 どこか申し訳なさそうにチハヤは頭を下げる。


「いいのいいの。チハヤの妹だから大目に見るわ」


 私も仲良くしたいから、と付け足すように言う。


 肝心のコトネはというと。


『おかえり。鞄が大きくない?』


 スケッチブックにそう、鞄の大きさについて聞いていた。


 その質問に、チハヤは頷いて答える。


「大きいですよ。きっと、長く使うでしょうしこれぐらいあってもいいでしょう」


『ローラー付きは?』


「壊れてました。諦めてください」


 そのチハヤの言葉にコトネは不満そうに頬を少し、ほんの少し膨らませる。


 対するチハヤはどこか楽しそうな表情を見せる。


「では、荷物をまとめていきましょうか」

 

 そう言って、チハヤは鞄のバックルを開けた。



 そして二人は鞄へあれこれ詰め始めて。


 これはいる、いらないの問答も始める。


 その光景はどことなく微笑ましい。



 そんな二人の仲を見て、私の胸中はもどかしい感情に染まる。


 私だって話したいことはあるし、聞きたいことはあるけれど。


 ―――今日は、よしておこう。


 明日もあるのだから。


 何年振りに再開した兄妹で、明日別れるのだから。


 今ぐらいは、二人の時間にしよう。


 そう私は思って、ソファに座ってその二人のやり取りを見守ることにした。



 明日、どう切り出そうかと思いながら。




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