夕食は共に
私が帝国の基地から脱走してから。
帰還した日の朝は、真っ先に全治二か月の怪我(内約は左の脹脛にリンクスの構造部材の一部による刺傷と左前腕の骨にヒビ)を負ったエリザさんへ私の帰還の報告とお見舞いをして。
アリアさんのゲリラ慰問に遭遇しまして。
その後は団長ことベルナデッドさんと副団長のマリオンさん両名による聴取と脱走出来た経緯の説明を一緒に来たコトネと一緒に受けまして。
その翌日である今日は、その半日を取り調べ―――帝国の様子だとか捕虜の扱いはどうだったのかとか、向こうで何を聞かれたのかとかを根掘り葉掘り聞かれて話をして。
空いた時間にまたエリザさんの病室へ行って私そっくりの妹、コトネを紹介して驚かせたりしまして過ごして。
食堂。
時計の針は午後の6時35分を示している。
夕方の食堂というのは、当然のように賑やかい。
一人で今日の夕食を食べる人も射ますが、そのほとんどは仲のいい人たちと夕食を共にしています。
捕虜で帝国にいて食堂で食べる機会はあったものの、こっちの食事の風景は随分と久しぶりのような、そんな錯覚を覚えます。
「………まさか、《銀狼》のパイロットがチハヤの妹だなんてね……」
長い金髪を後ろで二つに括った少女―――アルペジオが受け渡し場のカウンターにもたれながら、呻くように言いました。
その表情はこの上なく複雑です。
異世界人で同僚の人の妹が生きていた、帝国でパイロットをやっていた、そして兄についてきて連合に亡命した、という驚きの連続から来る精神的疲労もありますが。
敵対してた人物が味方陣営に加わるかもしれないという、今までとひっくり返るような事実に困惑しているのでしょう。
――――昨日。
日付が変わってすぐの深夜。
私の帰還と、《銀狼》こと《フェンリル》のパイロットで私の妹であるコトネの亡命は驚きをもって迎えられました。
私と全く同じ顔立ちで背格好で、かつ服装も同じ少女が二人(一人は男ですが)とまで来たら「チハヤが二人いる!?」と驚かれたわけで。
そもそも、私が家族のことなどあまり話していない―――知っててもHALぐらいです。
アルペジオだけは私に妹がいる、というのはストラスールの首都に行った際に話したので知ってましたが、ほとんどの人は知らなかったのですから驚いて当然というもの。
まあ、すぐに私が喋ったのとコトネの表情が仏頂面で無口。
かつスケッチブックでの筆談しかしないのですぐに見分けがついたのですが。
―――実際は、私の本当の妹は死んでいて、ここにいるのはあの日に私が死んで、代わりに生き残ったのが彼女という並行世界の同一人物で、別人なのですが。
コトネは亡命した目的があるため、事前に打ち合わせしたシナリオで話を合わせて貰っています。
『《黒い球体》に二人共々飲まれたのだから、死んでも仕方ないと思っていたし、話しても仕方ないと思っていたけども。彼女は五年ほど前に帝国側に救助されていたようで、まさか生きて再会できるなんて』と最もらしい事を言って周りを納得させて、実の妹に成り済まさせています。
「もう何度目ですか、その台詞」
私はそう返して、目の前にある二つのフライパンの内、右側の蓋を開けます。
そこにあるのは牛のミンチ肉に玉ねぎやパン粉、卵黄にナツメグ等々を入れてこねて適当な塊に分けて焼いたもの―――つまりはハンバーグがそこにありました。
数は三つ。
ジュウジュウと音を立てて、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐります。
適当なものに串を刺して、肉汁が透明なのを確認します。
中まで火が通った証拠です。
隣のフライパンも中身は同じで数も同じです。
そちらも蓋を開けて、肉汁の確認をします。
…………どちらも焼けているので、よし。
ガスコンロの火を切ってハンバーグをフライ返しで、お皿に一つずつ載せていきます。
「ジルさん。オニオンスープをお願いします」
「わかりました」
流石に、同時に複数の料理を出すには手が足りませんのでジルさんの手を借ります。
ジルさんが鍋からオニオンスープを掬ってお皿に移している間に、ハンバーグを盛り付けていきます。
茹でられたブロッコリーやシャトー切りのニンジン。バターで炒めたコーンを盛り付けて。
そして、作ったデミグラスソースをハンバーグに掛けて完成です。
「アルペジオ。先に座って待ってて下さい。お料理はメイドさん達に配って頂きますので」
カウンターに出来たばかりのハンバーグとオニオンスープを並べつつ、そこにいるアルペジオに言います。
本来ならば、ここで受け取って自分の好きな席や場所で食べるのは普通なのですが、今日は違います。
今日は『予定外のお客様』がお二人もお見えですので。
一人はともかく、もう一人はVIPですので特別対応。
料理は出来立てを提供。
「……わかってるけど……。チハヤ?」
「何ですか?」
「ホントはどこかで気づいていた、なんてことはない……わよね?」
―――ちょっと否定は出来ないんですけどね。
最初に交戦した時のモールス信号で察してはいましたけども。
「まさか、程度には思っていましたよ? 昔、コトネと遊んだロボット対戦ゲームでの彼女の動きと似てはいましたけど、それだけです。―――それだけで妹かもしれない、なんて言えるほど自信ありませんでしたから、黙ってました」
なかなかに鋭い質問に、感づかれないように平静を保ちつつその質問に答えます。
「……早く気づいてあげなさいよ。彼女は気づいてたみたいなんだしさ」
アルペジオはそう言って視線を右へ向けます。
「……私はあの子ほど、勘は鋭くないのですけれどね」
そう答えて、私もアルペジオの視線の先を見ます。
その先の丸いテーブルには既に四人が座っていて、近くには一機のセントリーロボットが待機しています。
カウンターから向かって右。
左の横顔を見せて、スケッチブックに何かを書いているジーパンに白のハイネックセーターを着た、私とそっくりの少女はコトネ。
その左の席には、ショートカットのベージュの髪で、顔立ちの整った精悍ながら年相応の幼さが残る少女、ミズタニ・マホさん。
まだフロムクェル語を理解しきれていないので目の前で行われている会話に完全に置いてけぼり―――というほどでもなく、コトネがどうも筆談で通訳しているようで、どこか楽しそうに話をしています。
その右、席を一つ飛ばしてさらに隣に座っているのはとても長い金髪をツインテールに括った長い耳を持つ幼顔の美女、フィオナさん。
彼女はどこかつまらなそうでした。
まあ理由としては昨日、私がアリアさんと親しく話していた所を見たのと、コトネが取り調べに疲れて私に膝枕を要求して私がすんなりと聞き入れたこと。
しばらくの寝室を私と同室を望んだという、自分の立場を考えない要求を騎士団上層部が簡単に飲んだこと。
それに加えて、私がすんなりと聞き入れたのはともかく、添い寝まで許したことから、コトネに対して好感情を抱けずに今に至るのでしょう。
彼女がここを去った後が怖いです。
そして、コトネの正面にはアッシュブロンドの髪をセミロングに揃えた二十代中頃に見える女性が座っています。
見る人に儚げな印象を持たせる、色白で人形かのように整った顔立ち。
服の上からもわかるほどに華奢な体躯。
服は白のブラウスと同色のロングスカート。
上着は青く、施された銀の装飾は控え目でどことなく上品。
昨日の昼に、事前の連絡無しに慰問に来て下さったアリア・シェーンフィルダー殿下です。
私は彼女の異母妹であるアルペジオからのリークで知っていたので大して驚いてはいませんが、他の人たちは突然にして予想もつかないような来訪者に驚きです。
驚きの連続に昨日は皆さん大して疲れてないのに疲れきった顔をしていたのは少々愉快でしたけれど。
そして、驚いているのはアリアさんも同じでした。
まさか、妹がいる騎士団へ慰問に行ったら、アリアさんの恩師にして、私たちの恩師―――正確には彼女の恩師とは並行世界の同一人物なのですが―――フランチェスカ・フィオラヴァンティの関係者がやって来ていた、なんて驚くことで。
それに加えて、帝国にいて亡命して来たばっかりともなれば驚きは倍増でしょう。
彼女がシスターことフランチェスカから聞いた人物とは並行世界の存在ですが、それでも話に聞いた人物であり話す機会があるのなら一度話してみたいと思っていた人物の一人だったのですから。
―――だからといって慰問の仕事を忘れる訳にはいきませんとアリアさんは言って基地見学を優先していましたけども。
そして、夕食ぐらいは一緒にと言って誘って今に至ります。
本当なら、私の家族と言えど元々は帝国の兵士で、取り調べやなにやらで警戒対象で王族と食事なんてとても、だったのですが本人が喋らないのと、交戦することはあっても誰も殺していない―――不殺主義を徹底していた事。
アリアさん本人の希望という事もあって特別に夕食を共にする運びになりました。
それは、滅多に会うことも話すこともない異世界人ということで、今この基地にいる異世界出身の人、つまりは私やHAL(いつものセントリーロボットが食事の場にいるだけ)、フィオナさん。
年末にやってきたミズタニ・マホさんも一緒です。
「デミグラスソースのハンバーグとコンソメスープです。パンとサラダはテーブルに用意したのをお好みで」
メイドさん達が配膳して下さった料理をそう簡潔に説明して、私もコトネとフィオナさんの間の席に座ります。
本当なら私は近くに立っているだけ、と行きたかったのですがアリアさんとコトネの反対でご一緒に夕食です。
アルペジオはアリアさんとマホの間の席に座ります。
「―――では、夕食と参りましょうか」
アリアさんのその言葉と共に、各々の食前の祈りが始まります。
お祈りはそれぞれのやり方なので様々です。
アリアさんとアルペジオは胸に右手を当てて短い祈りの口上を呟きます。
フィオナさんは神様の祈るように両手を胸の前で組んで静かに祈りを捧げて。
私とコトネはフィオナさんと似たように両手を組みますが、目を瞑り「主よ―――」と口上を述べていきます。
コトネは口を閉じたままですが。
マホさんの「いただきます」と言う声を聞きましたが、他の人達がそれとは違う事をしていてすぐに料理に手をつけないからか、空気を読んで待つのが気配でわかりました。
しばらく、各々の祈りが続いて。
私は目を開けて、
「―――いただきます」
そう言って、サラダを取るべくサラダトングに手を伸ばします。
それはコトネも同じだったようで、先にトングを取られてしまいます。
まあ、少し待てばいいだけのことなのでパン―――フランスパンことバケットを取って待ちます。
「お二人はフランと同じように祈るのですね」
祈りを見ていたアリアはどこか懐かしそうに、そして嬉しそうに言いました。
フランとはシスターことフランチェスカ・フィオラヴァンティのことです。
この世界に来た、私たちとは別の並行世界のシスターは既に故人ですが、その性格や振る舞いは聞く限りでは同一人物です。
それならば、そこも一緒だったのでしょう。
「手本はシスターでしたから。……当然、同じになりますよ」
「ええ、そうですよね。……再び、その祈りと言葉が聞けるなんて思ってもいませんでしたから」
夕食をご一緒にしてよかったとアリアさんは言います。
そして、私はそれを見逃しませんでした。
「コトネ? もう少し野菜を取りましょうね?」
コトネの持つ皿。
あまりにも少なく盛られたサラダの野菜の量を指摘します。
千切ったレタスやトマト、パプリカなどは数える程度しか盛られていません。キュウリが無いのは理解します。
これにハンバーグとそこに乗ったゆで野菜だけでは栄養バランスは偏るでしょう。
指摘されたコトネは不満そうに私を睨むと、器用にキュウリだけを避けてそれ以外をそれなりに取って、クルトンが入った容器を文字通り逆さまにして入っていたもの全てを振りかけます。
そして私お手製マヨネーズが入った容器をクルトンと同じく逆さまにして備え付けのスプーンで全てサラダに落とします。
「ああー!」
アルペジオの悲痛な叫び。
クルトンが好きな彼女からすれば、まだ自分のものに掛けていない上にいつかやりたかった事を目の前で、暴虐の限りの如く行われたのですから。
他の皆様も躊躇いなく行われたその行為に固まります。
摂取カロリーがとか、次に使う人の事をと言いたくなりますが。
「……それでよろしい」
ドレッシング類はまだ複数ありますし、野菜はちゃんと摂取してくれるのでよしとします。
「よくないわよ! 私のクルトンがなくなったのよ!?」
私の言葉にアルペジオがツッコミを入れます。
あなただけのものではありませんと言いたいですが、その言葉はまず飲み込みます。
「落ち着いて下さいアルペジオ。―――こういうこともあろうかと、余分を作ってありますから」
そう言って、席を立って再び厨房に行きます。
そして、冷蔵庫に隠しておいたクルトンと手作りマヨネーズを取り出してテーブルに戻ります。
「最初から出しなさいよ」
アルペジオは半目で睨みつつ、クルトンとマヨネーズを受け取ります。
「……それでもいいですけど、そうしたらたぶん、今頃この分も彼女の皿に入ってますよ?」
そう言いつつコトネを見ます。
もそもそとレタスを頬張る彼女の表情は相変わらず仏頂面ですが、どことなく美味しくなさそうです。
野菜は嫌いですもんねー……。
「―――ふふ」
静かに笑ったのはアリアさんです。
「本当に、フランが話していた通りのやり取り」
「こんなとこまで話していたんですかあの人は」
よく“昔話”をしたようで。
―――コトネはともかく、私からすれば体感的に二年ほど前で、それほど昔の話ではないけれど。
「ええ。ドレッシングとかマヨネーズは出された分を全部を掛けていたって言ってました。そして、それについてチハヤさんは咎める事はあまりしないとも」
アリアさんは昔聞いたのだろう話を語りつつ、レモンベースのドレッシングを少量、自分のサラダに掛けていきます。
再度椅子に座って、一通りみんながサラダを取ったのを確認してからサラダトングを手に取ります。
まあ、私はコトネではありませんからバランスよく取りますとも。
次はサラダにかけるものは何にしようかと考えます。
普段は用意する手間とささやかな食費削減の為にドレッシングは日替わりで一つのみなのですが、今日はアリアさんという来賓と共に夕食ということでドレッシング類は複数用意しています。
今、ここにあるのはレモンに胡麻、マヨネーズの他にもタマネギベースの物があります―――というより、私が作ったのですけれど。
「チハヤ、サラダには何を掛ける?」
右隣に座るフィオナさんが胡麻のドレッシングの容器を置きながら尋ねてきました。
それを使うならそのまま横に渡せるから―――ではなく、胡麻なら代わりに掛けようと思ったからでしょう。
気持ちとしては嬉しいのですが、今日は胡麻という気分ではありません。
「……タマネギのを取っていただけますか?」
ちょっと申し訳ない気持ちになりながらもマホさんの前にあるそれを要求します。
コトネを経由してその小鉢を受け取って、さっとそのドレッシングを掛けます。
フォークで軽く全体に絡めてからレタスを一口。
炒めたタマネギが香ばしい風味と胡椒のスパイシーな風味が口の中に広がります。
ドレッシングの出来栄えは上々、と自画自賛してバゲットを千切ってコンソメスープに軽く浸してから食べます。
「スープとパンの合わせがいいですね」
私と同じようにバゲットをスープに浸しながらアリアさんが言います。
「お姉さまもそう思う?」
「はい。塩気が少々薄いスープですが、パンと浸して食べると程よくなるんですね」
「あえてスープの方を気にならない程度に薄味にしてるんだっけ? チハヤ」
「はい、そうですよ」
アルペジオに話を振られたので肯定します。
塩を使い、表面がパリパリしたクラフトと呼ばれる外皮を持つバゲットありきでスープを作っていますので。
「バゲット……と言いますか、この手のパンは表面が固いですからね。スープに浸して食べるならいっそのこと、だそうで」
「それは……フランの教えですか?」
「正解です」
やっぱり、と言ってアリアさんはナイフとフォークを手に取ります。
今度はハンバーグのようで切り分けていきます。
切り口からは透明な脂が溢れて出して、それだけでも美味しそうです。
「おおー……」
アリアさんの口から感嘆の音。
「アルペジオの話通り、宮廷料理人が作るハンバーグより脂が出ますね」
「……ね、言った通りでしょ?」
少し間がありましたが、ちょっと得意気にアルペジオが言います。
今日のハンバーグが、一味違うのに気付いたのでしょうか?
まあ、今日は特別に手間をかけていますけど。
アリアさんは切り分けた一つをデミグラスソースをつけて口に運びます。
自信はありますが、緊張の一瞬のような感覚。
去年の大規模公開演習で、フォントノア騎士団が昼食提供した際にお見えになって昼食を食べていきましたが、あの時は私は炊事係への指揮采配はしていましたけど調理に関わっていません。
私自ら振舞うのは実質、今回が初めて。
「……美味しい」
目を少し見開いて彼女は感想を言います。
その一言に私はちょっと一安心。
「宮廷料理人が作るのものより美味しいかもしれません」
本当に驚いた様子でアリアさんは予想外の評価を言います。
使ったお肉は牛の割合が多い豚との合い挽きですし、牛オンリーとは少々変わります。
使ってる食材の質も軍とは言え経費の都合からそう良いものではないですし、王宮で使われる食材と比べたら間違いなく劣るでしょう。
それを扱う人たちの料理を日頃から頂いているだろうことを考えると、これは私にとっては予想外の評価です。
「そんな大げさな……。誰にだって出来ることをやっただけですよ?」
実際にそうです。
タネに牛脂を足して、空気を抜く為に叩きつけるように形を整えて。
そして最低でも三十分は冷蔵庫で寝かして脂を固める。
たったこれだけです。
『他には?』と尋ねられたら今日はタマネギを炒めたものと生のものを半々で混ぜていると答えますが、それぐらい。
普段はどっちかだけなのですが、今日は二人も来賓がいるので特別です。
「謙虚ですね。―――実際にそうだし、褒めているのだから素直に受け取ってほしいわ?」
アリアさんはどこか意地悪な表情を作り言います。
「それに、今日は特別に手間を掛けているのでしょう?」
「……そうなのチハヤ?」
アリアさんの言葉にアルペジオが尋ねてきます。
「そのようなのですよアルペジオ」
私が肯定する前にアリアさんが答えます。
言わせてほしいですが、まあちょっと成り行きが気になるので黙るとします。
「あなたは先ほど多分、こう思ったのでしょう? 『いつもより脂が多い気がする』」
「……アリアお姉さま? なんで私が思ったことをそのまま言い当てれるのかしら?」
「私、心が読めますから―――という理由にしましょうか」
アルペジオの質問にアリアさんは戯けるように言います。
「……冗談はいいから。本当は?」
「私があなたから聞いた話通りに脂が多く出るという発言に、あなたは何かを見ていてすぐ答えなかったのと、その表情に疑問の色があったので。―――普段と違うのでしょう?」
それだけの反応で、普段のハンバーグと今日のハンバーグが違うとわかったのでしょうか。
その観察眼の鋭さと思考の早さは敬服したくなります。
「そうなのチハヤ?」
アリアさんの言葉にアルペジオが私を見て尋ねてきました。
「はい。牛脂を刻んで混ぜこんでいますし、タマネギは炒めたものと炒めていないものを半々で混ぜています」
隠す気はないので素直に明かします。
その言葉にアルペジオやフィオナさんがハンバーグをまじまじと見て、タマネギを見つけて「本当だ……」と声を揃えます。
特にアルペジオはすぐにハンバーグを切り分けて口に含んでます。
「……チハヤ」
「なんでしょうか? アルペジオ」
「これからのハンバーグはこれでお願いしたいわ」
いつもより美味しいようです。
前向きに考えましょう。
「むう……。日頃食べられているハンバーグを頂きたかったものですが……」
対してアリアさんは目を閉じて、少し残念そうに言います。
そっちを期待していたようです。
「すみません。今日は敢えて、私の家庭の味にしました。……アリアさんだけなら、日頃のハンバーグの通りに作ったんですけどね」
そう言って、左隣に座る私とよく似た少女を一瞥します。
ちょうどサラダと、茹で野菜やバターコーンを食べきったようで、口直しでしょうかコンソメスープを飲んでいました。
次はハンバーグに手をつけるのでしょう。
「……今日は、コトネがいるからね?」
その様子を見たアリアさんが、ハンバーグに手間を掛けた理由を言い当ててくれました。
「はい。流石に六年―――いえ、あの十一ヶ月も含めればほぼ七年ですね。―――そうともなれば、私の料理で彼女が一番好きなものを食べさせてあげたいじゃないですか」
今日はちょっと私情に走りましたと、悪びれることなく答えます。
―――口には出しませんが、私とは世界が違えど私の妹と同一存在なのですから。
「……それなら、あなたの妹様に免じて許しましょう」
どこか優しげな表情でアリアさんが言いました。
それは何かを、誰かを思い出しているようでした。
その『何か』も、『誰か』も。
その感覚でさえも私にはわかりますが、あえて聞きますまい。
肝心のコトネはというと、ハンバーグを切り分けていました。
手早く、そして綺麗に八つに分けます。
そして角の一切れをフォークで刺して口に運びました。
もそもそと咀嚼して、少し目を開いて固まって。
飲み込んで、次の一切れをまた口に運んで。
もそもそと口が動いて。
「…………」
そして私は、彼女の目尻に出てきたそれを見ました。
それが、目から溢れて頬を伝って落ちるのを見ました。
それが始まりで次から次へとポタポタと落ちていきます。
―――彼女の『兄』が作っていたハンバーグの味と、私が作るハンバーグの味が同じかなんてわかりませんでしたが―――。
―――どうやら、その辺りはあまり変わらないようです
―――でも。
一安心という感情と同じく胸に渦巻く、酷く冷たいものを覚えました。
この子は、私の実の妹ではない。
死んだあの子ではないのだから。
―――こんなことをしたって、彼女は嬉しいかもしれないけれど。
―――どちらにとっても虚しい、ただの自己満足だ。
「………」
「………」
そんな私の、嫌悪な思考を差し置いて。
アリアさんとアルペジオとフィオナさんとマホさんの四人はコトネのその姿に固まっていました。
ずっと仏頂面で、表情の変わらない彼女の目から大粒の涙が流れたのは、不意を突かれたのでしょう。
コトネはフォークとナイフを置いて、その目から溢れる涙を素手で拭い始めます。
それでも、止まる気配は無くて。
一息ついて思考を切り換えて。
仕方ないですね、と思いつつポケットに入れていたハンカチを取り出します。
縁が青いだけの白いハンカチです。
「―――彼女にとっては七年近くぶりの、お姉さんの味ですからね」
そう言って、席を離れて彼女の下に。
彼女の右隣で屈んで、その目尻にハンカチを優しく拭います。
拭った傍らから涙が溢れるので一回拭った程度では収まるわけはありませんので少し収まるまで、何度も拭って。
「私より長い時間を過ごしましたからね。背も大きくなって、美しくなって。―――内面も、少々変わったようでお姉さんは嬉しいですよ」
そう慰めるように言いつつ、右の掌でその頬に触れます。
他人の温かで、柔らかい感触が返ってきて。
その手を、コトネはその左手で離れないように手の甲側に重ねてきました。
そして、また彼女の端正な顔を涙が濡らしていきます。
―――本当なら、二度と食べれない家族の味だったのだから。
―――そして触れる事も、触れられる事も、二度と叶わない手だったのから。
こうなって当然でしょう。
「……ゆっくり」
彼女に向けて微笑んで、言います。
「ゆっくりでいいですから。―――その涙が落ち着いたらハンバーグを食べて下さいね?」
その言葉に、彼女は泣きながらも頷きます。
表情は相変わらず無表情ではありますが、私にはどこか嬉しそうに見えて。
申し訳なさそうにも、見えて。
「大丈夫。―――冷めても、温め直しますから。何度でも、ね?」
―――彼女が、私の実の妹でなくとも。
―――私が、彼女の実の兄でなくとも。
お互いにとって、相手は死んだその人のドッペルゲンガーなのだから。
これぐらいは、いいでしょう。
―――どちらも、その現実をわかっているのだから。
その言葉が彼女にとって何か、タガを外したようで。
コトネは自分の顔を私の胸に埋めるように抱きつきます。
しばらくそうしていたいのか、当然のように背中に手を回してきました。
「………」
周りの視線―――特に後ろの嫉妬深そうな視線とか少々気になりますが、やれやれとコトネを抱き返して。
「―――ええ。あなたのペースでいいですからね」
今日はいくらでも付き合いますからねと。
その頭を優しく撫でました。




