脱走
エルネスティーネ少将と話をして、小一時間が経った。
砲声を初めとする戦闘の音は散発的なものに変わり、それも静かになろうとし始めているのが格納庫、そして黒くて尖鋭的な外観のリンクス―――《プライング》の開いたコクピットの中でもわかった。
そろそろですね、とチハヤはバイクのようなシートに跨り直す。
操縦桿を握り両足はペダルに乗せる。
チハヤはなんとなく操縦桿を引いたり押したり、ペダルを踏んだりする。
それは久々の感触で、ずっと忘れていたような錯覚を覚える。
あるいは、妙な安心感ともいうか。
コンソールの表示を見て、機体に異常がないかを再確認する。
問題はなく、あとはシステムをメンテナンスモードから通常モードへ移行して主動力のフェーズジェネレーター二基を稼働させるだけ。
そこからは早く、速くと動かなければいけない。
やることは単純。
あとは戦闘が終わるのと、エルネスティーネ少将の合図が来るのを待つだけ。
戦闘が終わったと安心したタイミングでの《プライング》の起動とチハヤの脱走の発覚は不意を打つには十分で、それが大きい隙になるのだから。
長く息を吐きながら開いたコクピットハッチの向こう、天井を見上げる。
夜間用か非常用かわからないが、薄暗い照明の灯りが見えた。
チハヤはふと、フォントノア騎士団の人たちの事を考え始める。
いきなり自分が帝国側に捕まって心配しているだろうなとか、エリザさんの怪我は大丈夫なのだろうか、とか。
HALの言動から自分を救出するべく動いてたようなので、間違いなく心配はしているのだろうなと、チハヤは思う。
しかし、戦闘で負傷したエリザの容態は気になった。
気絶していて負傷もしているが大丈夫そうだ、とは通信で聞いていたけれど、それでもチハヤは少し不安を覚える。
時間がある内にHALに聞けばよかったな、と振り返る。
次にチハヤが思ったことは、掃除が行き届かなくなっていないかとか、自分が淹れるコーヒーや紅茶、クッキーやシュークリーム、プリン等が食べれなくてその味が恋しくなってないかとか、自分やHALが持ちこんだ楽器での演奏がなくて退屈していないかとか。
この辺りは、きっと大丈夫なのでしょうね、なんてチハヤは思う。
例え自分がいなくなっても、それらの業務は代替えは効くし、それぐらいは欠けても代替とかフォローとかできるだろう。
一番の不安はなんだろう、なんて思う。
―――同室のフィオナがヒステリックになっていないか、だろうか。
なんだかんだと一緒にいて、185センチの高身長に見合うほどに長くて赤みのかかった金髪を風呂上りにドライヤーで乾かしたり、朝に梳かしたり。
リンクスのシュミレーターに付き合ったり、オーケストラハープの練習に付き合ったり、何か約束事をしたり。
彼女の昼寝に膝を貸したり、添い寝を要求されたり、ハグなどのスキンシップというアタックを受けたりとか。
もしかしなくても、なんだかんだと彼女と長くいる気がしますね、なんてチハヤは呟く。
これもHALに聞けばよかった、なんて思う。
よくよく思えば、尋ねる時間はあったろう。
彼女ら隣人や友人の事を、何とも思っていない訳でもない。
何とも思っていないのに、尋ねる時間はあったのに聞かなかった事を、チハヤは少し後悔する。
「―――まあ、帰れるのだから、それもいずれわかりますか」
そう呟いて、気持ちを切り替える。
ここからはもう戦場なのだ。
気を引き締めなければ。
あと少し待てば、合図は来るのだから。
『敵部隊の撃破、捕縛を確認したわ。南に展開していたへリボーン部隊の全滅と、基地に侵入した歩兵部隊の鎮圧も完了。負傷者や死者が出る突然の襲撃だったけど、皆よくやったわ。随時、帰還して頂戴』
エルネスティーネのスクランブル終了の通信が入る。
合図だ。
「《ヒビキ》、ハッチ閉鎖。システムを通常モードで起動」
すぐにそう指示を出す。
指示を受けた《ヒビキ》が『了解』と短く答えるのと、チハヤの頭上でハッチがスライドして閉じるのが同時だ。
前へと持ち上がるように展開していた《プライング》の頭部の降りて、後ろへとスライド。
正位置で止まり、特徴的なX字に並んだ四つ目の光学センサが鈍く明滅する。
コクピットの360度モニターにも光が灯り、外の景色を映し出す。
『システム、通常モードで起動しました。ジェネレーター、二基とも正常に駆動中。いつでもどうぞ』
「さあ《ヒビキ》。脱走と洒落込みますよ」
チハヤはそう言って、操縦桿を引く。
彼の立ち上がる、という思考を《linksシステム》が読み込み、《ヒビキ》が実行に移す。
そのチハヤの思い通りに、《プライング》は両膝を付いた正座のような姿勢から右足を持ち上げて片膝立てた姿勢に。
そして両脚の人口筋肉と油圧の駆動系が動作して、黒くて尖鋭的な装甲を持つリンクス、《プライング》は立ち上がる。
「装備は……あれですね」
右斜め前に置かれた武装用コンテナを見つけて、チハヤはそちらへ《プライング》を歩かせる。
コンテナの中には直銃床型ピストルグリップのアサルトライフルが二丁収まっていた。
マガジンの差し込み口はグリップの前にあって銃身の下にはチハヤの注文通り、そう長くも幅も広くない直剣型の銃剣が取り付けられている。
マガジンは安全の為にか外されており、自分で差し込む必要がある。
《プライング》はしゃがんで、まず予備の弾倉を手に取る。
取ったそばから脇下のクリップ状のサブアームに持たせて、後腰部のマウントラッチに予備弾倉を付けていく。
五つ目と六つ目の弾倉をサブアームに持たせたところで、今度はアサルトライフルを両手に取る。
IDロックはすぐに解除されて使用可能に。
そして弾倉を差し込んで、機関部に初弾が装填される。
サブアームにアサルトライフルを持たせて、次は壁に立てかけられた接近戦用の実体剣を見る。
ナイフ、直剣、大剣、槍や斧の類など様々なものが並べられている。
選り取りみどり、と言えるラインナップだ。
「これと、これにしましょうか」
そう言ってチハヤが選んだのは、普遍的な両刃の直剣と変哲もないランスだった。
ランスは右背のサブアームを展開して四つ爪のクローで懸架。
左背のサブアームで直剣を鞘ごと懸架して、右手だけ突撃銃を握る。
左手で直剣を引き抜く。
「《ヒビキ》、戦闘モードに切り替え。各センサアクティブ」
『了解』
その指示で《プライング》のシステムは戦闘に適したモードへと切り替わり、探索用の電波を発する。
レーダーに帝国の識別信号が、ざっと三十機ほど映る。
これは大変そう、と呟いてチハヤは操縦桿を押してペダルを踏む。
右背のサブアームが稼働して、ランスの穂先を上に向ける。
そして、メインブースターが火を噴いた。
《プライング》急上昇して、ランスを天井へと突き刺さす。
そこを通過するように、左手の直剣を振り上げて天井を切り裂いて一文字の傷を作る。
これで、簡単に突き破れる。
チハヤはそう判断して、ペダルをもう一度踏む。
《プライング》のメインブースターは再度瞬いて、急上昇する。
今度は、天井の構造体を突き破った。
モニターの上部に、夜の暗いダークブルーが映る。
星空ではない、暗いだけの空間。
視線を下に落とす。
地上は蛍光灯や白色LEDの灯りと炎のオレンジ色が本来は暗くあるべき世界を照らしていた。
モニターにいくつかのレティクルが無造作に表示される。
そのレティクルは、十数メートル大の人型機動兵器―――リンクスへと合わせられている。
頭部はハンチング帽のような装甲レイアウトでゴーグルアイタイプ。
傾斜で平面の多い装甲レイアウトで《マーチャー》よりも少しマッシブなシルエット。
スカートアーマーの代わりなのか、小型ながらブースターユニットが腰の前後に付き、背中のメインブースターは二基取り付けられている。
帝国軍の主力機、《ヴォルフ》だ。
『敵機を捕捉』
《ヒビキ》のアナウンスがチハヤの耳に入る。
「交戦はしません。―――さっさと逃げますよ」
私たちに追い付ける機体はここには居ませんと言って、ペダルを踏む。
《プライング》は右へ九十度旋回。
その方角は南―――チハヤが所属するフォントノア騎士団が駐留する基地がある方角だ。
そして、メインブースターが一気に推進剤を撒き散らした。
モニターに映る景色が一瞬で後ろへと流れ出し、機体の速度計は時速で一〇〇〇キロと表示される。
『―――照準警報。七時、八時です』
《ヒビキ》の警告。
恐らく、脱走したと判断した《ヴォルフ》かこちらにライフル等の火器の狙いを定めたのだろう。
《プライング》は上へクイックブースト。
急上昇して、相手のFCSの予測から外れる。
放たれた砲弾だろうか、《プライング》の下を一筋の光が通り過ぎていく。
曳光弾だ。
弾道を見るために仕込んでいたのだろう。
また警告。
《プライング》は右へ左へと機体を振ったり、降下や上昇を組み合わせた乱数機動で放たれる砲弾を避けていく。
ただ、その攻撃が散発的だ。
回避がしやすい。
「戦闘後で正解でしたね」
そう一人ごちる。
どこまで消耗したかわからないが、今は襲撃を凌いだ戦闘後であり、間違いなく弾薬は消費している。
そのタイミングでチハヤと《プライング》の脱走となれば、混乱や困惑は必須だろう。
対応したとしてもすぐに弾切れでろくに戦えない。
まさに今が逃げ時という状況だ。
「態勢を整えられる前に逃げますよ」
『了解』
チハヤはそう言ってペダルを再度踏み込んで、操縦桿を前に押す。
メインブースターが轟音と共に吠えて、大量のプラズマ化した推進剤を吐き出す。
そしてすぐに、基地の外へ。
夜の廃墟、レドニカの街へと飛んで向かった。




