経験しないほうがいい。そういう話
その日の夜。
購買部の輸送科のモーリスさんにチョコレートや何やらを注文した後。
たまには夜風にでも当たるか、という気分一つで寮舎の屋上に来た。
扉を開けて屋上へと出る。
空はよく晴れているのか星々は輝いている。
まだ1月の半ばだし、当然と言えば当然だが空気は冷たい。
それでも氷点下は下回ってないだろう。
そして、ここには珍しい先客がいた。
「あ、チハヤ」
長い金髪を後ろで二つに分けて括った少女―――アルペジオだ。
南向きのベンチに座って、足を前に投げ出している。
―――一瞬だけ。変に暗い、思い詰めたような表情を浮かべていたのを僕は見逃さなかった。
やはり、昼の一件の事を引き摺っているのだろう。
「―――フィオナさんと一緒にいなくていいの?」
からかう様に尋ねてきた。
フィオナさんの僕へのアタック―――というか、彼女のあからさまな好意から来るボディランゲージやスキンシップは基地の誰もが知っていることだ。
どうしてこうなったのか。
思い当たる節はいくつもあるけれど、自分としては狙ってやっていることではないと明言しておく。
「―――付き合ってないぞ、と」
ため息混じりに答えて、隣のベンチに座る。
すっかり日常的なやり取りになってしまったな、と思う。
「そう言えなくなるのも時間の問題かもしれないわよ? ―――既成事実とかで」
「…………勘弁してよ」
「ふふふ。ごめんなさいね」
そう言うくせに、その表情はどこか愉快そうだ。
たぶん、懲りずにまた言う気だろうな。
―――少し、無理していそうだ、と思う。
今日あった事は流石に、相応に堪えるか。
「―――それで、珍しいね。アルペジオがここにいるなんて」
「たまには星空を見たいものよ?」
「北西の空は真っ黒なままだけどね」
そう指摘する。
その方角の空は、《ノーシアフォール》の黒い球体―――と、形容するしかなさそうなそれのせいで星空は全く見えない。
「そういうチハヤは? ギターとか持ってきてないようだけど?」
「ちょっと夜風に当たりに来た」
「こんなに寒いのに?」
「そう言うアルペジオも、だろ?」
「そうね」
そんな、他愛もない会話が進んでいく。
屋上に来た理由以外の話題はと言うと、そう大したことのない話題ばかりだ。
年末年始が大雪で帰れなかった分の振替がどうなるのかとか、来週の献立は決まってるだろうから再来週は何が食べたいとかの注文とか、今度プリンを作るのがいつなのか、とか。
そんな、他愛もない話だ。
「―――それで、アルペジオ?」
「なにかしら?」
「……何を黙ってる?」
なんとなく、の予感で尋ねる。
―――本当なら、別の事を聞くべきなのだけれど。
今は、敢えて尋ねまい。
《コーアズィ》待機の時、アルペジオが電話に出てから何か変な違和感を感じていたからだ。
なんでもない、と彼女は言っていたけど。
「なんのことかしらねー……?」
視線を反らして嘯くアルペジオ。
―――嘘つくの下手だな。
じっ、と半目で黙って見ているとその視線に耐えかねたアルペジオがすぐに白旗を挙げた。
「――――――アリアお姉様が、ここに、慰問に来るの。団長たちへの連絡無しで」
―――大事だ、それは。
確かに、それは困った顔になるし、彼女にとっては頭を抱えたい話になるか。
アリア殿下は、体が弱い。
僕が耳にしているだけでも寝ていることの方が多いと言うし、長距離を移動するだけでも一苦労な御方だ。
そんな人が、飛行機でストラスールの首都からここまでの六時間のフライトをすると。
よほど体調がいいか、医者のお墨付き等と理論武装して来るのだろう。
昔、その体で家出するぐらいには行動力がある御方だけれども、それにしたって限度というものがあるだろうに。
シスターの―――正確には僕がいた世界とよく似た並行世界から来た同一人物の―――教え子という事実を思えばなんとも言えなくなるのだけれど。
他言無用で、と前置きしてアルペジオはその詳細を教えてくれた。
「慰問の名目は、第八騎士団、《フォントノア騎士団》はオルレアン技術研究所の為の騎士団で、その人員の多くはストラスールやその属国の出身者で構成されているのはわかってるわね? 故郷を離れ任務に就く彼女たちを少しでも労いたい、というアリアお姉様の意向ね」
それが建前で。
「―――単に年末は帰ってこないし、代休すら使わないだろう私に会うためよ」
ちょっと呆れた様子でアルペジオがそう続けた。
アルペジオの姉妹間の関係の良さなどおおよそしか知らないので多くは言えないのだけれど、妹のアルフィーネと異母姉のアリアとの仲は良好であるというぐらいしか知らないし、それぐらいしか見ていない。
首都に帰る時ですら連絡は上述の二人と限られた人たちぐらいしか知らせないあたり、他の姉妹兄弟の関係は察するに限るが。
「ここしばらくは体調がいい、なんて連絡寄越してきてたけどまさかここに来るなんて……。少しは自分の身体を労って欲しいわ……」
アルペジオはそう呻く。
「それで、何時ここに? そして大まかな日程とかは?」
「再来週の月曜日の昼に来て、水曜日に帰るそうよ」
つまり二泊三日か。
さすがに、飛行機で片道六時間の行程となれば日帰りは体力的にキツイし、しないか。
それにしても来るのが十日後か。
十日前に身内へ連絡するというのが果たして良いことなのか悪いことなのかはさておき。
「以前から決めてた?」
「……どうかしら……。アリアお姉様、各方面に連絡なしでいきなり行動するところあるから」
その言葉にそうだったと同意する。
11月の総合軍事演習の際、アリアさんはごく一部の人たちを除いて連絡なしに会場に来ていたのがもっともたる例だろう。
「まあ、今回は理由のある事前連絡無しの慰問だし、多少は計画してるんじゃないかしら?」
「連絡なしで来るのもどうかと思うけど」
「連絡なしでいいのよ。―――事前に通達したら、整理整頓に掃除して綺麗に見えるようにするでしょ? 普段の基地の様子を見たいのだから、それをやられたら見れないじゃない」
その説明になるほど、と呟く。
確かに、普段の様子を見たいなら連絡無しがいいだろう。
日頃から整頓整頓、掃除が行き届いているなら隠す必要はないし、隠すほどの恥ずかしいものもない。
なるほど、王族なりに考えていると、と思って。
「……それ、僕に話していいの?」
それだった。
連絡無しでストラスールの王家、『シェーンフィルダー家』の長女であるアリアさんが訪問するということは秘密でなければならないはずである。
アルペジオは妹だからという理由で本人から直々に連絡を貰ってるのだろうけど、僕は違う。
並行世界の同一人物であるシスター―――フランチェスカ・フィオラヴァンティの教え子という共通の縁があるけれど、究極的には赤の他人だ。
教える必要は、アリアさんに言われない限りはないはずである。
その問いに、アルペジオはにんまりと笑顔を作って見せる。
「……これでチハヤも共犯者ね♪」
本当に、愉快で楽しそうに答えてくれた。
つまり、事前に知っていた事がバレた時に僕も知ってたと言うつもりだろう。
「………勘弁してほしいね」
多分、今の僕の表情は引き攣っているだろうな。
「腹をくくりなさいな」
「まあ、その程度ぐらいの共犯も、悪くないけどさ」
あっさりと観念する。
アルペジオがあっさりと言って聞いてしまった以上、簡単には忘れれないし。
「さて、と」
彼女はベンチから立ち上がって、ペントハウスへ向かいだした。
「もう戻るのか?」
「それなりに、長くここにいたからね。それにまだ一月よ? 長居してたら風邪引くわよ」
チハヤもほどほどにね、と続けて言ってドアノブに手を掛ける。
「それじゃ、おやすみチハヤ」
「おやすみなさい、アルペジオ」
そう挨拶を交わして、アルペジオはドアを開けてペントハウスへと入っていった。
そのまま、階段を降りて三階の自室へ戻るのだろう。
「………気にしなくていい、とは言えなかったな」
ため息を吐きながら、呟く。
気にしなくていい、とは今日あったことだ。
―――《コーアズィ》の対応任務ではよくある話だ。
空に浮かぶ黒い球体―――《ノーシアフォール》から異世界の物が降ってくる現象、《コーアズィ》はなんでもやってくる。
大半は瓦礫や岩だったりするけれど、多種多様な家具だとか刀剣。銃に大砲。乗り物は陸海空関係なし。それに加えてありとあらゆる兵器まで。
選り取り見取りという奴だ。
当然、人だってやってくる。
ただ、生きてこの世界に来た人は少ない。
無傷で来れた僕やイオンさん、最近来たマホさんは稀の中の稀のケースで、軽傷だったフィオナさんは少ないケースの類い。
聞くに、この「無傷、あるいは軽傷」というケースは全体の数パーセントだという。
命に別状がない方で重傷か、または瀕死の重傷で基地に運び込まれて九死に一生を得るのが全体の三割。
――――じゃあ、残りの7割は?
搬送中に命を落とすか、基地で必死の治療も叶わず命を落とすか。
発見時に、もう助からないと判断されて介錯されるか、だ。
それらがよくある話であり。
僕が《コーアズィ》対応任務に加わってから、34回あった話であり。
そして、今日の《コーアズィ》対応で介錯があった。
それだけなら、なんでもない話でもあるのだけれど、今日は違った。
まだ十歳にもなってないだろう男児が相手だった。
瓦礫で身体の半分を潰しながらも、内臓をさらけ出しながらも生きていて、助けを求めていた子供の介錯だった。
基本的に、介錯は誰がやるのか、という決まりはない。
見つけた人か、小隊長か。あるいは階級の高い人か。
それが基本だったが、今回は相手が子供だ。
人によっては自分の子供、あるいは兄弟姉妹とそう変わらない歳の子が相手で。
助けたい、と思うのが普通だろう。
これで躊躇うな、というのは薄情か無情だ。
実際に、発見者であるキャロルさんは躊躇って、隊長であるアルペジオも躊躇った。
そうして長引く前に、その子供の介錯を僕が強引に行った。
それだけだ。
そうするのが正しいのか。間違っているのかなんてわからないけれど。
少なくとも、死にかけとはいえ子供を介錯のは 私 の役目でしょう。
「『殺しすぎては駄目よ』―――でしたか? シスター」
十字架と共に首に下げているロケットを開けて、そこに収まっている写真を見て呟く。
教会の前で、三人が並んでいる写真が、そこに収まっている。
一人は黒髪の少女。見た目12歳ぐらい。容姿は僕をそのまま幼くしたような子。
その目付きは、その年頃の少女がするべきではない、表現するにも『憎くて憎くて、なお憎いものを見る目』か、『何もかもがうじ虫かゴミに見えてる目』か、『人とその他の区別がついてない冷たい目』のどれを選べばいいのか迷う目付き。
この子が、コトネだ。
その隣にいる、同じく黒髪で長髪の少女―――に見える少年が僕で。
そして最後の一人は、アッシュブロンドでセミロングの髪を持った二十代半ばの女性。
ラテン系の顔付きで、目付きは垂れ気味。
顔の輪郭はシャープですが、おっとりとした雰囲気を感じさせる。
背は僕とそう変わらないが、スタイルはいい。
修道服を着た、麗しい方がシスターだ。
今も好きでいる、故人だ。
その人の、最後の言葉の一つだ。
「―――すみませんシスター。それは、守れずにいます」
あの日からも、これまでも。
老若男女関係なく人を殺して。積み上げて。積み上げて続けて。
その上に立ち続けている。
「その手が血で汚れてても―――。自分の手で年端もいかない子供を殺すような経験や、自分から進んでその血を浴び続けるような経験なんて、無い方が一番ですよね」
だから。
「今回のは、納得してくれませんか?」
そう、呟いたところで。
誰にも、どこにも届かないのだけれど。
言わずには、いられなかった。




