いつもの夕食後
『思いのほか、日本語の書籍がありましたね、チハヤユウキ』
夕食後。
寮舎の共有スペースであるリビング。
水道も完備された簡易的なキッチンが設置され、小型の冷蔵庫とエレクトーンとオーケストラハープが用意されたその部屋の片隅で。
本が詰められた三箱のダンボールを置きながらHALのセントリーロボットから事務的な合成音声が流れた。
年末年始の休戦期間も終わって。
それと重なるように訪れた寒波も過ぎ去り、雪も溶けきり殺風景な冬景色となって五日ほど。
機体の予備部品も無事に届き、《プライング》も自由に動かせるようにもなった。
そんな、いつもの日常が戻ってきていた。
《ノーシアフォール》から物が落ちる現象である《コーアズィ》は、ここ数日は西の方で発生しているらしく、最東端にあるここは暇になっている。
今日の僕はと言うと、スクランブル待機というシフトは午前中だけで終わり、午後のほとんどは《コーアズィ》対応任務で回収された物資を保管している倉庫で探し物、という具合だ。
探し物、と言ってもそう大したものではない。
《コーアズィ》対応任務で回収された本だ。
倉庫に眠っていた、状態のいいものばかり。
書かれている文字は、日本語。
この世界に来てまだ間もないマホの、息抜きの一つとしての措置だ。
彼女はまだこの世界の共通語たるフロムクェル語に慣れていない。
まだ勉強途中であり、簡単な挨拶と会話ですら四苦八苦しているのが現状だ。
勉強ばかりではモチベーションももたないし異世界という状況で気も滅入るだろう、という判断が下され慣れた文字で書かれた書籍も読ませようという判断からの措置だ。
イオンさんとフィオナさんにも同様の措置はあったので、僕やHALにとってはそう驚く事はないけれど。
『そろそろミズタニ・マホが来る頃合いですね』
HALがそう言って廊下への扉へと光学センサを向けるのと、扉が開くのが同時だった。
「―――あ、チハヤさんとハルさん。こんばんは」
そう言って入ってきたのは、11歳の少女だ。
体つきは、どちらかと言えば細い。
顔立ちは整っていて、精悍ながら年相応の幼さがある。
本人曰く、スペイン人の祖母からの隔世遺伝で髪の色はベージュの、女の子として見るなら短い髪の持ち主。
「こんばんは、マホさん。朝話していた本をいろいろ持ってきましたよ」
日本語で言って足元のダンボールを指差す。
「ホント?!」
マホと呼ばれた少女は嬉しそうに駆け寄ってきてダンボールを覗く。
書かれている文章の意味がわからないというのはある種のストレスになる。
読める文章ならば、そのストレスの解消となるわけで。
「あっ!」
なにか見つけたのか、マホはそれをダンボールから出して持ち上げる。
題名は、《朝倉晴香の事件簿》。
―――確か、探偵の朝倉晴香の元に大小様々な事件が舞い込んできて、それを朝倉晴香と語り手の主人公が調査し解決に導く、という内容のミステリーものだったか。
確か原作はライトノベルだったかな、と記憶を探る。
結構有名でコミカライズだとかアニメ化だとかしていたか。
『《朝倉晴香の事件簿》シリーズですか。2020年では人気シリーズでしたね』
この手の事はHALが詳しい。
そもそも、自分たちから見て未来に当たるような世界から来ているのだ。
その記録があってもおかしくはない。
「そう! わたし、このシリーズ好きなの!」
そう言ってマホはダンボールを捌くってそのシリーズだけを探し始める。
そうして一巻から数えて十巻まで出てきて。
「えっ?! 十一巻?!」
手に取ったそれを見てマホは驚いていた。
『確か、二十巻まで刊行していたと思いますが……』
それの何が驚くことなのだろう、といったニュアンスでHALが疑問を口にした。
確かに僕もそう思っ―――二十?
HALの言った言葉が変に刺さった。
僕の時代では、確か最新刊は十六巻だったか十七巻だったか―――。
―――あ、なるほど。
少し考えれば気づけることだ。
「二十巻?! そんなに?!」
HALの発言にまた彼女は驚いた。
『それで全巻のはずですが……』
「まだ十巻しか出てないのよ? そんなに出てるわけ……」
これは、ヒートアップしそうだ。
「HAL。君から見て僕らは過去の時代の人で、マホさんからは君は未来の時代の人だよ」
事態の悪化を避けるべく、割り込む形でちょっと助け船を出す。
『……ああ、なるほど。そうであればこの事態の説明がつきますね』
すぐにHALはわかってくれた。
「…………?」
『マホ。あなたから見て私はあなたの世界の未来の時間を生きている人間に相当する者です。―――つまり、あなたの知らない西暦2020年夏以降の出来事を記録として知っているのです』
「……あ」
その説明に、マホはそれに気付けたらしい。
ポカンと口をあける。
『その《朝倉晴香の事件簿》十一巻は、あなたにとって未来の時間に当たる並行世界から《ノーシアフォール》を通して来たものと思われます』
それが今起きた齟齬の原因だ。
《ノーシアフォール》は無数の異世界へ繋がっている。
この世界やそれら同士の文明や技術の差はあれど、同一であるケースがないわけではない。
そして、異世界同士の中でも並行世界の関係にある世界同士もあり、その時間の違いまである。
そう考えれば、マホにとって未来の品がここにあったとしてもおかしい話ではない。
なるほどなるほど、と首を上下させながら納得するマホ。
そして手にした十一巻を見て、深刻そうな表情を浮かべる。
「……これ、どうしよう……」
『どうしようとは?』
「内容が気になるの。―――でも、元の世界に戻る事を考えると先のネタバレになるのよね……」
『…………』
無言でHALは助けを求めるようにこちらを見た。
そう。まだ彼女には元の世界に戻る術などないことを話していない。
いずれは伝えないといけないのだけれど、こちらの規則上まだ言ってはならない。
いずれ幼い彼女に言わないといけないのは承知しているが―――なかなかに酷い話だ。
さて、どう助け船を出そうか、と考えようとして。
「決めた! いつかの為に読まない!」
あっさりと決めてくれた。
杞憂になった―――と、言っても問題の先延ばしのようなものだけど。
「漫画で《灯台守のラヴィニア》とかあるかな?」
『それは見てないですね―――ですが、私の所有するデータの中に電子書籍としてありますから、後ほどタブレット端末でお渡ししましょうか?』
「電子書籍?! それなら五巻まででお願いします! それと―――」
そう言ってマホら次から次へと読みたいタイトルを言い出す。
《無人島からスタート》、《ファウストと自動人形》、《Dive into the Sky!!》―――どこか聞いたことのあるタイトルばかりだ。
―――内容は全く知らないけども。
「結構はしゃいでるわね」
そうフロムクェル語で話かけてきたのは長い金髪を後ろで二つに括った少女―――アルペジオだ。
いつの間に来たのだろう―――と思ってもここに来た理由などわかってるけれど。
「こんばんは。コーヒーですか?」
フロムクェル語に切り換えて聞く。
アルペジオはさすがとでも言いたそうに嬉しそうな表情を見せる。
「そうよ。お願いしても?」
やっぱりそうですか。
わかってましたとも、と答えてキッチンへ。
お湯を沸かして、必要な器具も用意して、豆も挽いて。
「あの本って、どんな内容なの?」
マホが手に持つ本を指差しながら尋ねるアルペジオ。
アルペジオも意外と本を読む人である。
文字が読めなくとも、マホの反応からして気になるのだろう。
「……大まかなストーリーは、探偵が自分の事務所に持ち込まれた事件を解決していく、っていうよくあるミステリーもの」
手を止めないで答える。
「確かに、よくあるタイプのミステリーものね。……人気だったの?」
そう尋ねられて、どうだったかなと記憶を辿る。
中学時代はともかく―――高校時はアニメ化の話で孤児院は盛り上がっていた気がする。
そう考えると。
「人気だったんじゃない? 興味なかったから詳しくは知らないし、見るつもりもないけど」
「チハヤにしては珍しく無関心ね」
意外そうに言うアルペジオ。
言いたいことはあるのだけれど、あえて言うまい。
「でも、いいわよね探偵って……。残された証拠とか集めて推理して真実を導きだす。クールよね……」
好きなジャンルよ、なんて人差し指を立てて言う。
「―――でも現実じゃそんな事は全て警察の仕事だし、現実の探偵なんて人探しとか離婚の為の情報収集とかつまらない尾行とかしかしないから憧れなんて抱けないわよね……」
彼女ははあ、と残念そうにため息を吐く。
「一職業としてはいるんだね。―――はい、コーヒー」
皿の上にコーヒーが注がれたカップを置いて、テーブル越しに渡す。
「どうも。―――チハヤの世界は?」
「他国がどうかは知らないけど、あったと言えばあった。アルペジオが言ったような事を生業とする探偵事務所がそこかしこにね。―――でも、ある年に施行した法律の影響で大多数が廃業したね。残った事務所を数えるのが楽そうなぐらいに」
こういうのは、あっさりと答えれるのだけれど。
「何があったのよ……?」
「探偵事務所が絡んだ大事件があったんだよ。家庭内暴力で離婚して、元妻と子供二人に八つ当たりじみた復讐をしたくて探偵を利用した男が引き起こした事件がさ」
「……ちょっと気になったから詳しく」
そう言ってアルペジオはコーヒーを一口飲んだ。
世間話程度の、暇潰しだろう。
今日はもうシャワー浴びて寝るぐらいしかやることはないので話をするのもいいか。
「……マスコミが報じた事しか話せないし、気分の悪い話にしかならないけど」
そう前置きして、口を開く。
―――この手の話では、よくある話だ。
夫の家庭内暴力に耐えかねて、妻が離婚を決断する。
警察沙汰で裁判沙汰にして、賠償金と養育費をぶん取る。
そして、二度と会えないよう遠くへ引っ越す。
それで、おしまいになったはずの、話だ。
「そんな形の離婚なら、元夫は元妻と子供二人を追えないようにしないの? 行政的にブラックリストに登録して、役所に来てもその情報を与えないようにする、とか」
当然の疑問だ。
「―――そうしてたからこそ、探偵を雇ったって話。―――例えば、図書館の本を借りたい時、自分が図書館へ行けない時はどうする?」
「そうね……。出来る人にお願いして―――って、そういうレベルの話?」
「そういうレベルの話。もうちょっと、手の込んだやり口だったけどね」
まず話すべきは、その家庭内暴力事件がマスコミに報じられなかった事か。
「マスコミが報じないってどういうこと?」
「報じなかった、だよ。当時―――というか、時代的に子供へのしつけという名目の過剰な暴力で子供が死ぬって事件が多発しててね。それらと警察沙汰と裁判沙汰で誰も死なずに終わった事件。―――マスコミはどっちを報じれば視聴率を取れると思う?」
「……どちらも問題だし報道のネタじゃないの……?」
呆れたとも、引いたとも捉えれるような表情で視線を逸らすアルペジオ。
「言っちゃ悪いけど、母国じゃ子供が死ぬっていう事件の方がマスコミとしては悲劇的で美味しい事件だったから、そんなつまらない事件は報じる必要すらなかったのさ」
これが事件が起きた一つの理由だろう。
だからこそ、元夫の男は探偵事務所に元妻の現住所の特定を依頼して、探偵はその依頼主が裁判で役所にブラックリスト登録された男だと知らずに依頼を受けてしまったのだから。
あと話すのは元妻の女性の経歴だろう。
その女性は元々は名家の生まれだった。
そして、一族から勘当されていたという。
「何をしたのよ、その人」
「それはわからない。―――ただ、その経歴を利用したんだよ」
―――お父様が復縁したいから今の居場所を教えてくれ。
そう、従者に扮した探偵がそれっぽい契約書とかを役所の職員に見せて、女性と子供二人の現在の住所の情報を入手する。
そして、その情報は元夫へ手渡される。
たった、それだけだ。
「それで、元妻と子供二人の元へ元夫が……?」
「そう。元妻と子供二人が暮らすマンションに包丁持って赴いて、事件が起きた」
結末だけを言おう。
元妻はその場で腹を滅多刺しにされ死亡。
十一歳の長男は五歳の妹を庇って全身に打撲と左の脇腹を包丁で刺され、一時重体。二週間後に意識を回復。
五歳の妹は長男の働きにより無傷。
元夫は長男の反撃に遭い、奪われた包丁で首を斬られてその場で死亡。
「…………」
これまた微妙な表情をアルペジオは見せる。
事件を引き起こした男の結末だけを見れば自業自得。
生き残った兄妹だけを見ればあまりにも理不尽で悲惨だろう。
「―――で、捜査の結果、依頼主の代わりにノーマークで色々と調べれる探偵事務所が同様の事件を引き起こす原因に成りかねないって事で事件の翌年に《探偵規制法》なんていうものが出来て、探偵やっていた人たちは廃業しました、と」
めでたしめでたし、というには起きている内容が暗いか。
「………その兄妹は、結局どうなったの?」
当然の疑問か。
「これがマスコミがまた報道しなくてね。―――どこへ行ったのかは関係者しか知らないよ」
そんな事よりも、行政の個人情報の扱いの杜撰さや裁判所の判断の甘さ。
それらへの批判的な報道しかしなかったのだから。
原因の一つである、家庭内暴力からの警察沙汰という最初の事件をつまらない事件として被告人だった元夫の名前すら報道せず広めなかったマスコミにも非があるのだけれど。
……まあ、自分たちの事を棚上げにして正義漢ぶるのがマスコミというものだ。
「嫌な事件ね。何もかもが自分の身勝手で動いて、始まりも終わりも吐き気のするような形で。生き残った兄妹が人柱みたいよ」
アルペジオは気分が害されたかのように、吐き捨てるように言う。
確かに聞いていて気分のいい話ではないだろう。
まあ、知ったところで僕にとっては過去の話で、彼女にとっては別世界の話だ。
「世の中そんなものですよ。―――聞かない方がよかったでしょう?」
「……そうかもね。―――次は面白いお話を所望するわ」
コーヒーご馳走様と言ってアルペジオは空になったカップを置いて部屋を出て行った。
本当にコーヒーが目的だったらしい。
使用済みのカップをささっと洗いながら、面白そうな話かと記憶を辿る。
まあ、そんな話は尽きないのだけれど。
「……そうなると、僕が公安に尾行される話かねぇ」
『一般の人ならば公安に尾行されないと思いますが。一体なにをしたのですか』
そう呟くと、いつの間にか隣に来ていたセントリーロボットがフロムクェル語でツッコミを入れてきた。
マホはというと、ソファーに座って本を読んでいる。
《朝倉晴香の事件簿》だろう。
「とあるイタリアンマフィアの方々と仲良くしてただけだよ。具体的には女ボスとお友達関係になってたり」
お茶でも淹れておこうか、と考えながらHALの質問に答える。
一応、弁明するとその女ボスはシスターの親友だったので、その縁で知り合っただけに過ぎない。
それと、後ろめたいことは一切してない。
ヘンに疑われて尾行されて、あの手この手で撒くのは面白かったけども。
『毎回思いますが、チハヤユウキ。あなたの人間関係は少々エキセントリックかと』
「HAL。君もそのうちの一人だ」
『そうでした』
漫才のようなやり取りをして、
『チハヤユウキ。先ほどのアルペジオとのやり取り聞いてましたよ。上手くテレビで報道された分しか知らないふりをしましたね』
そう、フランス語で言ってきた。
マホや他の人に聞かれても意味がわかないようにするための、僕への配慮だろう。
黙ってればいいのに、と思う。
一応、HALには僕の事は話してはいるし、彼がいた世界にも全く同じ経験をしている同一存在がいたので知っていて当然だ。
『兄妹がどうなったか―――本当は、答えれたでしょう。その兄があなたなのですから』
「―――そうだけど、答えたところで親族の人間関係の醜い話でしかないよ」
フランス語に切り替えて答える。
そう。
醜い身内の話だ。
―――勘当した娘の子の面倒など誰が見るか―――。
その一言で、 私 とコトネは親族のいない身の上となり。
第一発見者であり事情を知った神父が、自らが経営する孤児院へと引き取ったのだから。




