夜明けにて
時計は午前5時40分を示していた。
つまり、徹夜してしまいました。
私 はそう思うも口にせず、寮舎の自室へ音も立てずに入ります。
思ったよりも酒盛り勢が食堂に長居してくれて、片付けが始めれなかったのが大きいでしょう。
食器の洗浄は洗浄機任せにできたが、それ以外―――ボトルの片付けや床掃除、テーブルの再配置。
あとは出たゴミの処分等を一人でこなしていたら、こんな時間です。
朝食の準備はすでに終わっていて、ジルたち炊事係に引き継ぎ済み。
私自身、あとは何も気にする必要はありません。
日の出まで大雑把に見積もって一時間ほどでしょう。
眠たいですが、仮眠をしてしまえば夜明けを見ずに寝過ごしますのでここは我慢。
シャワーは、朝日を見てからでいいか。
そう判断して、コートハンガーに掛けられた騎士団支給品である濃紺のウールケープを手に取ります。
張るタイプのカイロも背中とみぞおち付近に張って、スニーカーからブーツに履き替える。
そこから厨房から持ってきたコーンポタージュ入りのスープジャーと部屋に常備しているマグカップ。登山やキャンプで使われそうなガスバーナーコンロや一人用の深型クッカーが入った手提げ袋を手に取る。
こんなところですかね。
そう判断して、また静かに部屋を出ます。
廊下は常夜灯のぼんやりした明かりのみで照らされており相応に暗くて静か。
まだ大抵の人は寝ているでしょう。
起こさないように、ウールケープを羽織りながら静かに廊下を歩く。
階段で三階よりも上の階―――屋上まで登ります。
扉の前の僅かな空間に《コーアズィ》回収品倉庫に眠っていて、持ってきた二つの内の一つ―――キャンプとかで使われる折り畳まれたアウトドアテーブルを手に取りドアを引いて開けました。
空いた隙間から冷たい空気が入ってきて足元をなぞります。
ブーツにして正解。
そう一人ごちながらさらにドアを開けて一歩。
ザグともサクとも捉えれる音が足元から鳴る。
屋上は当然のように雪が積もっていますが、年越しパーティーの準備の合間にある程度、HALと共に掃いておいたのでそれほど積もってはいません。積もっていてもせいぜい踝ぐらい。
足跡もなければ誰かがいた痕跡もなし。
どうやら私よりも先に、ここに誰も来ていないようです。
ここから見える景色は相変わらず雪化粧。
屋上も、基地も、その周囲の空き地も。
遠くの廃墟も雪で白く染まっている。
外は、空はまだ暗い。
まだ、夜の気配を見せています。
東の空がやっと鈍い赤に変わり始めた頃合いで、空の大半はまだ夜の色。
雲は、箒で掃かれたかのようにまばらに浮かんでいて星が瞬いているのが見えました。
予報通り、夜中の内に晴れたようで。
なら景色は期待できるでしょうと思いつつペントハウスの裏―――東の空がよく見える位置にそう大きくはないアウトドアテーブルを広げて設置。
持ってきた手提げ袋をその上に置いて、テーブルが置いてあった所へ戻ります。
今度はもう一つの品―――これまたキャンプ等で使われる折り畳まれた二人用アウトドアチェア(一人用は座ったら壊れました)を持ち出してテーブルの右隣で手際よく広げて、左側へと座る。
大きい缶詰のようなガスカートリッジにコンロを取り付けて机の上に置いて。
スープジャーから深型クッカーにコーンポタージュを移して、コンロに火をつけてそれを温める。
あとはマグカップだけ用意して、温まるのを待つだけ。
―――こうするのはいつぶりでしょう。
元の世界では。
元日は、初日の出を見る為によく施設から抜け出して裏山に登って朝日を見ていましたが。
軽く一年と10ヶ月ぶりか。
その事実は、もうそんなに前のことなんですねと思わされる。
―――振り返れば、あっという間。
「……おっと」
クッカーの中身がコトコトとしだしたのを見て火を弱める。
クッカーを持ち上げマグカップにコーンポタージュを注いでコンロに戻して、取手を左にしてマグカップを両手で持つ。
陶器のつるりとした表面の感触。
すぐにじんわりとした熱が伝わりだして。
「―――あちち」
スープを温めすぎたようです。
少しだけマグカップを回したあと、口元まで運んで匂いを嗅ぐ。
とうもろこしの香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
一口。
とうもろこしのほのかな甘みと塩気。
今日のコーンポタージュのできは良さそう。
今、何時だろうかと思ってポケットから携帯端末 《アイサイト》を起動してレンズを覗く。
画像が網膜に直接投影されて、6時13分と表示されました。
東の空は白んできて夜の空を上書きしだしています。
雲の端が鮮やかなオレンジへと染まりだす。
けれど、西の空は夜のダークブルーを残している。
まだ朝日は遠そう。
いつも通り、のんびり変わっていく景色を楽しみましょうか。
コーンポタージュを一口、飲もうとして。
背後でドアが開く音がした。
誰かが来たのでしょうか。
こんなに寒いのにわざわざここに来るとは。
奇特な人だ―――と、いっても私もその奇特な人なのだけれど。
ともかく、誰だろうとは思うわけでして。
すでに一人が往復した足跡が残っているはすですし、今来た人はきっとすぐにここに来るでしょう。
実際、誰かの雪を踏みしめる足音はこちらに近づいていますし。
右へ首を振って視線をそちらへ。
ペントハウスの影から、一人の女性が姿を現しました。
長くて赤みがかかった金髪は特徴的な長い耳を持つ女性―――フィオナさんだ。
見慣れたヒールブーツにジーンズのズボン。防寒着は背の高い彼女に合う丈のオリーブグリーンのモッズコート。
―――確か、それは先々週ぐらいに《コーアズィ》対応で回収した衣装ケースに入っていた品。
服は基本的に検疫してから欲しい人が欲しいものを持っていくので簡単に手に入りやすい。
非番の時の外出用に軍用の飾り気のないコートよりもと、私が適当に数着ばかり選んで渡して、試着させて「似合ってる」と言ったコートでした。
「―――いたいた」
フィオナさんはまるでここにいるのを知ってたかのような口調で言って、空いている右隣に遠慮なく座わります。
何故ここにいるとわかったのでしょうか。
そう聞こうとして。
「新年あけましておめでとう、チハヤ」
先に新年の挨拶を言われてしまいました。
整っていてどこか幼げな顔立ちの彼女の妖艶な微笑みは、正直に言えば見惚れてしまいます。
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
少しずるいと思いながら律儀にそこまで返しました。
「……今年も……。ええ、よろしく」
どこか嬉しそうに言うフィオナさん。
「それで。どうして私がここにいると?」
そう尋ねます。
フィオナさんは自然体の口調だ、と呟いてから答えます
「部屋に帰ってこないからどうしたかと思って、ハルに聞いたら屋上にいるって」
その回答に、なるほどと頷いて左へ―――宙に浮かぶ突起物の少ない三胴艦を見ます。
HALには屋上の雪掻きを手伝ってもらいましたし、《ウォースパイト》の光学観測機で見ているでしょうからね。
なんとなく《ウォースパイト》に手を振ってみる。
すると、艦の最頂部が瞬いてそれに答えた。
どうやら見ているらしい。きっとこの会話も聞こえているだろう。
盗み見と盗み聞きは良くありませんよと言いたいです。
「チハヤはどうしてここに?」
今度は彼女からの質問。
「『最初の日の出』を見たくて、ね。―――ここに来る前は、元日にこんなことをしてましたから」
そう答えてマグカップのスープを飲みきる。
因みにですが、『初日の出』というフロムクェル語はありませんので『最初の日の出』と翻訳するしかないのですけれど。
「最初の日の出? 朝日なんて、その気になればいつでも見れるでしょ?」
おうむ返しに聞き返されました。
それもそうですか。
元日の日の出を拝むという文化は珍しいと聞ききます。
きっと、異世界でもそうなのでしょう。
―――現に、屋上へ人が来るような気配がしません。
それはそれで別にどうということはないのですが。
「そうかもしれませんね。いつでも見れるものです」
「じゃあ、どうして?」
「まずは私の故郷の文化―――と言いますか迷信と言いますか。新年最初の日の出を拝むと無病息災で一年を過ごせるというのがありまして。―――孤児院にいた時、ある年の元日に施設を抜け出して日の出を見に行ったのですよ」
口から出るのは、ただの思い出話。
迷信なんてどうでもよく、ただ単純に日の出を見たかった。
それだけのこと。
「たぶん、その日は偶然だったんでしょうね。―――その時見た空模様が、とても綺麗だったんですよ。何もかも」
色褪せてきた記憶だけれども。
その日見た空模様は、景色は。
とても忘れられない。
「それを見たくて毎年、元日の日の出を見ようと」
世界も場所も違いますが、似たものは見れるかと思って。
少なくとも、今日は朝日が見れそうだ。
「意外とロマンチストね」
「そうかもしれませんね」
そう答えて、マグカップの中身が空だということに気づく。
弱火で温め続けていたクッカーを手に取って、おかわりのスープをそれに注ぐ。
「コーンポタージュ?」
隣でそんな事をしていれば聞いてくるのは明白の理でしょう。
「そうですよ。寒いですから温かい飲み物を、と。今日の朝食に用意していたものを持ってきました」
流石に、こんな寒空にスープジャーのみは寂しいですしガスバーナーコンロとクッカーを持ってきたわけですけれど。
「……もらっていい?」
……ですよね。
そんな気がしてましたけれど。
彼女へ視線を向けると、手に息を吹きかけて擦っていた。
気温は測る術がここにはありませんので知りようもないのですけれど、雪が残り続ける以上は氷点下を下回ってるかそれに近いでしょう。
指先から冷えてきて当然です。
手袋ぐらい―――といっても私も素手ですけれど。
「いいですよ。―――はい」
やけどしないようにと念押ししてマグカップを渡す。
コップ類はこれしか持ってきてませんし、仕方ありません。
「ありがと」
フィオナさんは嬉しそうに受け取って、マグカップを包むように持ちます。
まずは一口。
「……美味しい」
白い息と共に、目を丸くして感想を言う。
それはよかった、と答えて東の空を見る。
気がつけば、東の空はいよいよという頃合い。
空は白んできていて、朝の空へと移り変わろうとしている。
その移り変わりは天頂に届こうともしていて。
太陽はまだ地平線から覗いていないけれど。
「この季節の、この時間。この瞬間の空が好きなんです」
誰かに言うのでもなく、口にする。
そろそろ、でしょうか。
そう判断して、ガスバーナーコンロの火を消して椅子から立ち上がります。
首にかけているロザリオとロケットを服の下から出しまして。
転落防止の柵へと歩みを進める。
その方が、綺麗な風景が見れそうだから。
「こっちに来てくださいフィオナさん。―――私が好きな空模様ですよ」
手招きして誘う。
彼女はテーブルへマグカップを置いて、小走りに近寄ってくる。
隣に来るのはわかりきっているので、最後まで見ずに東の空へ視線を向けます。
それは、綺麗な朝焼けでした。
ダークブルーの夜の空が西へと追いやられて、日の出が近づくと共に東から白んで行く。
空に浮かんだ雲の端が。雪で白く染まった基地と遠くの町の輪郭が。
鮮やかなオレンジ色へと染まり始め、白と灰と美しいグラデーションを作り始める。
それでも、まだ太陽は地平線の向こう。
それも、ほんの5分―――もしかしたら残り数分後には地平線を越えて太陽が地上を照らし出すのかもしれない。
その僅かな時間の、空模様と景色。
白んできて、それでいて朝の空らしい薄い青の気配を見せていて。
雲はダークグレーから白く変わり、端からオレンジへと染まるグラデーションを見せていて。
いつか見た、あの日の朝焼けに近い空模様だ。
いずれ、シスターやあの子にも見せたいと思った空模様だ。
「―――綺麗……。雪景色の朝って、こんなにも美しいんだ……」
フィオナさんが感嘆の声を漏らしました。
雪の降らない地域の出身である彼女からすれば、初めて見るだろうこの風景はなおさら美しく見えるのでしょう。
「そうですね。―――私も、雪景色の中の朝焼けは初めて見ます」
「チハヤは雪は降る地域の出身じゃなかった?」
「私が暮らしていた地域は、冬の間に雪が積もる日は数えても数日あるかないかの地域です。年末年始に雪が積もるとかありませんでしたよ」
だから雪景色の日の出は初めて見ます、と目を細めて答えます。
まだ、太陽は登ってこない。
しかし、東の空のオレンジ色は薄くなってきている。
夜空のダークブルーも、西へと追いやられてきている。
でも、もうそろそろだろう。
「―――個人的には、この夜明け前の朝焼けとその空模様が好きなんですけどね」
なんとなく、空へ右手を伸ばしてみる。
何にも届かないし、ただ冷たい空気が指の間を通り抜けるだけ。
すぐに手を下ろす。
「こんなに綺麗なら、誘ってくれてもよかったのに……」
半目で睨むフィオナさん。
誘う、ですか。
確かに、そうしてもよかったかもしれない。
―――あの時も、そうしていればよかっただろうか。
そんな後悔が頭を過る。
「また、暗い顔した」
フィオナさんの、私の心の内を読んだような指摘。
顔に出ていたのでしょうか。
「―――ええ、後悔の一つを思い出しまして」
少し、隠す気にはならなくて。
「こんな夜明け前の空を、朝焼けをある人たちと見たかったのに、適当な理由で誘わなくて、結局は見れずじまいでして」
今年こそはと思って、つかの間。
黒い球体の発生と、秩序の崩壊と、その中での生存競争の果てと。
残ったのは私一人という現実。
黒い球体に飲まれて、この世界への転移。
―――こうなるならもっと早く誘っていたら、と思ってしまう。
「あんなことが起きる前にやりたいことをやっていれば、なんて思うのですよ。もっと、たくさん何か出来たんじゃないかって」
結局、後悔ばかり。
影のように、幽霊のようにそれが纏わり続ける。
だからこそ、でしょうね。
「―――確かにフィオナさんの言う通りですね。誰か誘えば、この景色を一緒に見れました。―――ただ夜明けを見るだけの行為に付き合ってくれる人がいるのか、ですけれど」
そう結論づけて、ころころと笑う。
いないとは思えないけれど、いるとは限らないのですから。
「……チハヤの誘いなら、いくらでも付き合うのに……」
フィオナさんがどこか恥ずかしそうに言った。
―――そう言うと思ってましたが。
誘わない理由なんて大してないのですが―――。
そう思ったタイミングで。
東の地平線がより眩しくなるのを見た。
そちらへ顔を向ける。
日の出だ。
ゆっくりと太陽が登り、雪で白く染められた世界を照らし始める。
私の好きな時間は。
私の好きな空模様は、おしまいのようです。
「―――ねえ」
「なんですか?」
「来年の元日の夜明け、よかったら一緒に見ない?」
そんな、フィオナさんの誘い。
やけに、ここ数日はそんな約束のような話をしているような気がします。
―――かまくらの件と合わせてもまだ二つほどですけど。
それと比べたら来年なんて近いですが、そんな先の約束を果たせるような保障なんてどこにもありませんが―――。
誘わないで後悔しているのだから―――それを断るのはよくありませんね。
「―――そうですね。来年も、一緒に見ましょうか」
朝日から視線をフィオナさんに向けて答えます。
そこには、私を正面に見据えて佇む彼女がいて。
その表情は、間違いなく嬉しそうです。
「ホント?!」
驚き半分、嬉しさ半分。
花のように笑顔を咲かせて私の手を取ります。
思ったより、食い付きがいいと言いますか。
彼女が私に対して、どう思っているかなんてことは予想できていますが、ここまで喜ぶものなんですね……。
「え、ええ。本当です」
少しその事に困惑しながらも肯定します。
「絶対、だからね? 約束よ?」
その妖艶で幼げな、整った顔を近づけての念押し。
ここまで来て断っては、駄目ですよね。
「……はい。約束します」
その言葉に、彼女は一瞬だけ固まって。
「うん! 約束!」
屈託のない笑顔を見せて、嬉しさのあまりかその勢いか。
彼女は私を抱き寄せる。
ちょっと勢いがあって体重をかけられるけれど、倒れないように一歩足を引いて踏ん張る。
「ちょっと、フィオナさん? 抱き締めてもいいですけどそんな簡単に―――」
抗議しようとして、心の中で「……あ」という声が出ます。
「―――抱き締めていいなら、問題ない……よね?」
訂正する前に、抱擁を少し緩めてフィオナさんは私の顔を見て訊いてきました。
どこか恥ずかしそうで、嬉しそうで。
でも間違いなく―――その目は、いつか見た事のある目付き。
困った、とは口には出せず。
「ハグぐらいなら―――」
「―――なら、ちょっとだけ抱き締めさせて」
妥協案を言いきる前に、フィオナさんは再度私を抱き寄せます。
彼女の首元に顔をうずめるような形で、背中と後頭部を押さえられての抱擁です。
離す気がないそんな抱き締め方でも、どこか優しくて心地がいい。
そんな抱き締め方に抵抗をする気は起きなくて。
彼女が満足するまで、私ら抱き締められるのでした。
―――私甘いなぁ、なんて思う。
―――そんなに嬉しそうな笑顔を見せられたら、いろいろと断れないじゃないですか。




