第四話 ログアウト不可
ふと、気がつくと俺は真っ暗闇の中にぷかぷかと浮かんでいた。
暗闇の向こう側から、何だかすごい熱烈な視線を感じる。
まるで、自分という存在を隅々まで観察されているみたいだ。
……視線ってある種の暴力だと思うんだよな。
誰から見られてるか分からないけど、この居心地の悪さは耐え難いものがある。
俺は言いようのない煩わしさから、暗闇を手で払いのけようとした。
その手から逃げるようにして、悪趣味な視線が遠のいていくのを感じる。
代わりにと近づいてきたのは、目映いばかりの白い光。
お、やっと復活か?
「んん……」
目覚めてみると、俺はゲーム開始前に立っていた無機質な電脳空間に寝ころんでいた。
身体の節々がぎしぎしと痛む。
……この痛みはあれだ。
現実世界で自転車に乗ったはいいものの、勝手が分からず転がり落ちた時の打撲痛に良く似ている。
あれ、旧時代は当たり前のように皆乗り回してたってのがすげーよな。ほんと。あんな趣味的乗り物。
顔をしかめながら、むくりと上体を起こす。
「痛ってぇ……」
「何だよ、ったく……」
「……クソゲー過ぎ。何回死ねば良いってんだ」
「信じらんない」
周りにはたくさんの人がひしめいていた。
1000人じゃ、きかないかもしれない。
これ皆プレイヤーかよ。
流石、人気タイトルの続編だけはあるわ。
それにしても、と首を傾げる。
「……何で、ゲームが再開されないんだ?」
隣で倒れていたふんわりとした癖毛茶髪のイケメンが、俺の疑問を代弁してくれた。
って、マジでイケメンだな……。
年の頃は高校生くらいだろうか。
体つきもスラっとしているし、外見リア充特有の頭の悪さも感じない。
アバターをいじれないのに、このルックス……。正直爆発しろとしか言えないじゃないか。
「ユーちゃん!」
「アイカ! お前もゲーム始めてたのか!」
ユーちゃんと呼ばれたイケメンに、これまた美少女が駆け寄ってくる。
黒髪ストレートの清楚系だな。
多分セーラー服がよく似合いそうだ。
クラスで一番人気は取れないけど、二、三位あたりに収まるタイプに見える。
二人揃って、最近はあまり見かけなくなった古いタイプの少年少女だわ。
「うん。皆に勧められて……。でも、これって一体……」
不安そうな面もちで、ナチュラルにユーちゃんの手を握っている。
この気安さは幼なじみか、彼女さんか。
うん、ユーちゃん大爆発だな。
お隣さんのことはさておき、今の状況を考えてみる。
試しの洞窟までの下りは、ゲームに慣れるためのチュートリアルという位置づけで間違っていないはずだ。
通常、チュートリアルが終わればゲーム本編が開始される。
変則的なタイトルだと、OP映像が上映されたりするんだけど……。これもその類かな?
確認とばかりにステータス画面を呼び出してみる。
この事態がバグだとしたら、色んなところに不具合がでている可能性があるしな。
キャラクター名:タクミ
性別:男
称号:漂流者
HP:18/18
ST:18/18
MP:10/10
攻撃力:5
回避力:5
防御力:4
命中力:7.2
満腹値:20
水分値:15
生体情報:23.4%
基礎スキル
STR:4
VIT:4
STM:4
AGI:4
INT:0
MIN:0
DEX:4
SCN:0
熟練スキル
水泳:1
軽業:1
木工細工:1
忍び歩き:1
刀剣:2
落下耐性:1
装備
賢者の短剣
種別:刀剣
射程:短
ATK:1
HIT:120
攻撃速度:50
旧大陸のチュニック
AC:ー1
DEF:1
……ん?
ステータス欄に妙な項目が増えている。
生体情報って何だろう。
「悪い、そこのお二人さん」
「えっ、あの……。何ですか?」
そばでいちゃついていた二人組に声をかけてみる。
残念ながら、美少女の方はビクリと身体をこわばらせるばかりで返事をしてくれなかった。
まあ、二十代なんて十代(予想)から見たら、もうオッサン。
こんなもんよ。
「ちょっと、ステータス画面呼び出してくんない? そんで、追加項目について教えてくれるとうれしい」
「追加項目ですか? えっと……。あっ、生体情報っ? 何だ、これっ――」
「えっ? あっ、ほんと……」
二人のステータスにも表示されているということは俺だけに発生したバグじゃないな。
いや、バグかどうかも分からないけど。
「ちなみに数値は? 俺は23.4%」
「10.3%です」
「あっ、その……。私は、2%……です」
随分ばらつきがあるな。
むしろ、俺が高すぎる感まである。
良いことなのか、悪いことなのか、わっかんねえなあ。
しばらくして、周りの連中もステータスに表示された追加項目に気がついたらしく、あちらこちらで情報交換をし始めた。
そのどれもが30%を超えるものはない。20%以上ですら、稀だ。
20%を超える者たちをざっと観察してみると、明らかにVRMMOの古強者、THE廃人です……といったルックスをしている者や、技術者じみた神経質さを身にまとわせた者が多かった。
って、あっ……(察し)
これは……。うん、何となく分かった。
「えっと、質問。二人のVRゲーム歴を聞かせてほしい。正確には生体スキャンを何回受けたか、だな」
「あ、俺はビヨオンのサービスが終わる寸前にMMO始めて。他に、VRスポーツをいくつかやってます」
「わ、私は……。こういうの、初めてで。小学校の時にやった全校生徒、一斉受信機移植手術以来で……」
二人の言葉で確信した。
生体スキャンの回数と、この生体情報欄は間違いなく比例してんな。
てことは、つまりVR依存度を表しているわけで……。
成る程、俺はこの中でも指折りのVRゲーム廃人ってわけだ。
やばい、全然誉められたことじゃない。
「あの、どういうことでしょう……」
「いや、大丈夫。二人は健全な一般人ってことが分かっただけだよ」
……まあ、自分で選んだ道だから良いけどさ。
若干黄昏ながらも開き直る。
そんなやりとりを交わしていると、突如真っ白な空に巨大な人影が投影された。
全身が真っ黒でよく分からないが、あのシルエットは燕尾服かな。気取ったステッキも持っている。
『――ようこそ、被験体の皆さん。新たな世界の入り口へ』
やや年輪を感じさせる、芝居がかった声が千人を超えるプレイヤー全体に降り注いできた。
『あなた方には、とある実験の協力者として、これより長い時間をフォーケインで過ごしてもらうことになります。尚、途中ログアウトは許可されません』
一瞬、水をかけられたように静寂が訪れる……が、その直後にプレイヤーたちは、まるで火をくべられたように沸き立った。
「ふざけんな! それじゃ拉致監禁じゃねえかッ」
「運営を訴えてやる!!」
「ログアウト不可物とか……。まさか、デスゲームか? おいおい、ラノベの読みすぎじゃね?」
「今すぐログアウトさせてよ!」
「ついに妄想が現実に……!」
一部に喜んでいる者がいるものの、大方の反応は激怒の一色。
彼らの反応は、至極納得のいくものだった。
自由にログアウトのできないゲームは、人によっちゃ強制労働と変わらない。
そりゃあ、怒って当然だ……と、他人事のように考えてはいたが、俺も少しは怒っていた。
ただし、皆とは怒りのベクトルが違う。
ログアウト不可は問題なし。
被害者という立場ならば、合法的に仕事が休める。むしろ、これは素晴らしいことである。
問題は空の上で恐らく空前絶後のドヤ顔をしているであろう黒幕の中身が、折角のゲームを「実験」などと称しやがったことである。
正直、無粋にも程がある。
無粋な黒幕は、さらに謳うような調子でさえずっていく。
『皆様の中には外部からの救援を期待する方もおられるかと思われます……が、その件に置かれましては、残念ながらご期待には添えないでしょう。先ほど、あなた方の体感時間を一時的に変更させていただきました。一年だろうと十年だろうと、フォーケインでの日々は、現実世界の一時間にも満たないのです』
そんな……と方々から重たい息が漏れた。
失望に、絶望に、皆の顔が陰っていく。
そんな中で、あくまでも瞳の力を失わない者もいた。
お隣のイケメン、ユーちゃんもその一人である。
「実験とは、協力とは何ですか。俺たちがその実験に協力すれば、無事に元の世界に戻してくれるのですかっ!」
声を張り上げ、黒幕へ呼びかける。
その姿は、さながら絶望した民を背中に負って、巨悪に立ち向かう勇者であった。
アイカちゃんだっけ。気をつけた方が良いぞ。
今、あちらこちらでフラグが立った音がしたよ。
『実験が終了した暁には、“プレイヤー”の皆さんを無事に元の場所へ返すことを約束しましょう。そして実験とは……。何も難しいことはありません。このゲームを“クリア”すればいいのです』
その言葉に、俺のゲーマー魂に火が灯った。
「――つまり、これはあくまでゲームってことか? クリア目標は設定されているんだな?」
ユーちゃんをはじめとした周囲のプレイヤーが、一斉にこちらを見る。
まあ、注目されることになれていないわけじゃないから、特に気になるものではなかった。
ヘビーユーザーの多いギルドに所属していると、ヲチスレで晒されるとか、マジでざらだし……。
別に恥ずかしくなんて全然ないし……。
『ゲームクリアに必要なフラグは各所に散りばめられてあります。それを探すのも、攻略の楽しみとしていただければ、と』
「クリアがあるのは理解した。そこは信じることにする。クリアのないゲームを作らなかったという、運営の言葉を信じることにする。……で、だ。“ゲームオーバー”はあるのか?」
周囲で声なき声がざわめいた。
先ほど、文句を言っていたプレイヤーの中に、“デスゲーム”なる単語を口にした者がいる。
デスゲームとは、その名の通り命を懸けたゲームである。
ゲームオーバーの代償は、現実での死。
一昔前のSF小説だと、割とありきたりな設定だったんだよな。
『ゲームオーバーは確実にあります……が、それは死を意味しない』
俺の質問に、黒幕は苦笑いを含んだ声で答えた。
「ならば、ゲームオーバーってのはどういう状態なんだ?」
『攻略に関するご質問にはお答えできかねます』
スマートな返しである。
顔真っ赤にして運営に質問メールを飛ばしたときに良く目にした文言であった。
『……さて、どうやら時間のようです。それではあなた方のご活躍を心よりお祈り申し上げます』
黒幕の姿にノイズが走り、足下から徐々に消失していく。
「おっ……おい、ちょっと待て。俺にも質問を……!」
「勝手なことばかり言って! 元の世界に返してよ!」
「ゲーム開始前に付与されるチートとかスキルとかはねえのか! ここまでお約束をなぞっておいて、チートがないとかありえねーぞ!!」
慌てて、黒幕を呼び止めようとするプレイヤーたち。
だが、黒幕は無慈悲だった。
何も言わず、何も残さず消えていき、それに伴い、後に残されたプレイヤーたちの周囲にも変化が生じた。
周囲の景色がぼやけた。
白い無機質な空間が、色鮮やかなものに変わっていく。
まず、足下に草原が現れて。潮の香りが再現される。
沿岸部特有の波の音がして、遠くに石造りの町が見えてきた。
大獣の牙で見た町並みだな。
ここが俺たちの、始まりの町になるらしい。
周囲から、悲嘆や怒号の声が次々に上がっていたが、彼らが何を考えているかなど、既に俺の興味から外れていた。
黒幕は腹立たしいほどのドヤ顔で、これがゲームであると宣言したのだ。
ゲームならば、クリアまでの道がある。
ゲーマーとは、クリアまでの道があれば無言で突き進むものなのだ。
悲観的になる要素なんて何もない。
ゲームを楽しみに楽しんで、ついでにクリアしたところで黒幕にドヤ顔を返してやろう。
俺はそんなことを思いながら、独りでに緩んでくる口元を引き締めようともせずに、握り拳を固めた。