第三話 チュートリアルバトル、そして
雑木林を進んでいくと、程なくして老師の言っていた絶壁が見えてきた。
……すげー。100メートル超のクリフハンガーが、まるで城壁のように広がっている。ん、ハンガーは要らなかったっけ? まあ、良いか。
どうやら、俺が流れ着いた入り江は絶壁に囲まれた陸の孤島になっているらしい。
絶壁の頂点には、まるで乱杭歯のように高低差が激しい岩の尖塔がそそり立っており、「大獣の牙とは言い得て妙だ」と納得させられた。
「んで、試しの洞窟とやらは……。っと、あったあった」
高さ4、5メートル。幅10メートルほどの比較的大きな洞窟が、絶壁の付け根にぽっかりと空いているのを発見する。
内部がどうなっているかはよく分からないが、おそらくここを進んでいけば、入り江の外へと出られるのだろう。
「よし」
チュートリアルとはいえ、記念すべき初ダンジョンだ。
俺は意気揚々と洞窟内部へ足を踏み入れていく。
洞窟の中は、ほんのりと明るかった。
壁面を注意深く観察してみると、ふさふさした植物に覆われていて、それが緑色に発光している。
多分、光ゴケって奴なのかな。
俺は観光でもするかのように、感嘆の息を漏らしながら、洞窟の奥へと歩みを進めていく。
苔むした石を大股でまたいで、ボロ枝をぺきりと踏み折っていった。
「んー……」
10メートルほどくねくねとした道を進んだ辺りで、俺は眉根を寄せて、前方を睨んだ。
何だか、徐々に壁面の光ゴケが薄くなっていっている気がする。
このままでは、やがて真っ暗闇に突入する羽目になるだろう。
「どうすっかな」
頭をがしがしと掻いて、何か良い案はないかと考えを巡らせる。
すると、脳内に再びアナウンスが聞こえてきた。
『チュートリアル4。洞窟内での明かりを確保しましょう』
「いや、確保しようっつったって……」
明かりになるようなもん持ってないんだけど。
念のためにと、小袋の中身をひっくり返してみたが火打ち石の類は一つも入っていなかった。
「そもそも、火打ち石があったって松明がなきゃあ……。って、あーっ」
そこで一つ、妙案を思いつく。
足下にちょくちょく落ちている石や木が使えるのではなかろうか。
試しに木の枝を拾ってみる。
木の枝(劣化)
種別:その他
木工素材に適しない、ぼろぼろになった木の枝。
乾燥させれば、薪として使用可能。
おっ、情報が脳内に流れ込んできた。
やっぱり、アイテムを拾ってどうにかする路線で間違っていなさそうだな。
俺は続いて、手近な石を拾い上げてみる。
小石
種別:矢弾
ATK:1
HIT:50
攻撃速度:60
石工素材に適しないほど、小振りなサイズの石。
投擲の弾に使用可能。
火打ち石としては使えないか。
そうすると、他にどうしたもんかな……。
俺は辺りを見回して、
「もしかして……」
壁面の光ゴケを指で触ってみた。
淡い緑色の光が、びっしりと指にこびりついている。
「成る程、成る程」
続いて、適当に持ちでのある木の枝を壁面にがりがりと擦りつけてみた。
「思った通りだ」
光ゴケのこびりついた枝が、ほのかに光を発していた。
光ゴケの松明
種別:照明
使用時間:短
射程:短
ATK:1
HIT:40
攻撃速度:40
光ゴケの胞子をこびりつかせた木の枝。照明に使える。
良いじゃん。
これが正解ルートっぽいな。
俺は即席の松明を片手に、更に奥へと進むことにする。
そうして、しばらく歩いていると、ふと妙な生臭さが鼻をついた。
悪臭まで再現するのかよ。
これもうVRなのか分かんねえレベルだな……。
臭いは前方から漂ってきている。
俺は腰からナイフを取り出し、警戒しながら前へ進むことにした。
そろりそろりと忍び歩きをするたびに、脳内でアラームが鳴り響く。
んー……。これはまあ予想できるな。
ステータス画面を開いてみると、案の定「忍び歩き」というスキルを獲得していた。って、まんまかよ。
まあ、いいや。
気を取り直してさらに進む。
しばらくすると、前方が踊り場みたいに開けてきた。
壁面が、ぐるりと円筒状に広がった一室だ。
天井は高すぎて、終わりが見えない。
幸い、手近な壁面は光ゴケで覆われており、視界に不自由はしなかった。
壁面から満遍なく照らし出された部屋の中央部では、何やら人間大の生き物がもぞもぞと身じろぎしている。
粗末な服を身にまとった、緑肌の怪物。
正体を勘ぐるまでもない。
RPG定番の敵モブ――ゴブリンだ。
どうやらむしろの上で眠りこけているらしく、俺の接近に気づく様子はなかった。
先ほどまでの忍び歩きも功を奏しているようだ。
これなら先制アタックは取れそうかな?
そろり、そろりと忍び歩きを継続する。
ナイフの届く距離まで近づいた。
これは、いけるな。
……っと、一応戦闘前にステータスの確認っと。
キャラクター名:タクミ
性別:男
称号:漂流者
HP:12/12
ST:8/12
MP:10/10
攻撃力:3
回避力:3
防御力:2
命中力:2.4
満腹値:50
水分値:50
基礎スキル
STR:2
VIT:1
STM:1
AGI:2
INT:0
MIN:0
DEX:1
SCN:0
熟練スキル
水泳:1
軽業:1
木工細工:1
忍び歩き:1
装備
賢者の短剣
種別:刀剣
射程:短
ATK:1
HIT:120
攻撃速度:50
光ゴケの松明
種別:照明
使用時間:短
射程:短
ATK:1
HIT:40
攻撃速度:40
旧大陸のチュニック
AC:ー1
DEF:1
……は? 何でST減ってんの?
一瞬戸惑ったが、すぐに原因に思い至った。
忍び歩きでSTを消費したんだ!
ああ、くそっ。
ゴブリンに近づいたはいいものの、微妙なコンディションで戦闘を始めることになりそうだ。
流石にその場で突っ立って息を整えていたら、気づかれるよなあ……。
動揺を隠せない俺を畳みかけるようにして、脳内アナウンスが響く。
『チュートリアル5。ゴブリンと戦闘してみましょう』
「うおっ」
空気の読めないアナウンスに、思わず声が漏れてしまう。
ゴブリンが、俺の存在に気づいてしまった!
ええい、しゃーないっ。
俺はナイフを構え、先制攻撃とばかりにゴブリンに対して無我夢中で切りつける。
「ギャァアア!!」
俺の振るったナイフは見事、ゴブリンの左肩をざっくりと斬り裂くことに成功する。
傷口から血を飛び散らせながら、痛みにもがき苦しむゴブリン。
え、これリアルすぎだろ……。どん引きレベルなんだけど。
現実世界の俺なら、二の太刀をためらっていたところだが、ゲーム内の俺は何故かどん引きしてはいるものの、それほどショックを受けていなかった。
これは精神的に安定させる何かをシステム側でやっている可能性があるな。
精神状態や倫理感の操作。
法律的にはブラック寄りのグレーゾーンだったはずだ。
一応、精神病治療名目で限定的な許可が得られるはずだけど。
味覚や嗅覚の完全再現といい、踏み込みすぎだろ運営……。
気を取り直して、再びナイフを振るっていく。
どうやらゴブリンは丸腰らしい。
刃渡りの短いナイフでも、十分戦闘を有利に運べそうだ。
牽制とばかりに横に薙ぐ。
ゴブリンの肌を浅く切り刻んだ。
お返しとばかりにゴブリンが腕を大上段に構えて、勢いよく降り下ろしてくる。
威力の高い、ハンマーパンチとかいう奴だ。
俺はそれを光ゴケつきの松明で受け流した。
べきりと鈍い音がして、松明の先端が砕け散ってしまう。
「ですよねー……」
気を取り直して、ナイフ一刀流で立ち向かう。
ナイフを振るい、敵の攻撃を飛びのいて避ける。
しばらくそうして戦っていると、今作の戦闘仕様について、一つ疑問が沸いてきた。
「……前作と違って、モーションサポートが効いていない?」
モーションサポートは、どべの素人に超人じみた動作をさせるため、苦肉の策として生み出されたシステムだ。
プレイヤーは「攻撃をしたい!」と念じるだけで、システムライブラリに記録された理想的な戦闘行動をトレースできるようになっており、まるで達人のような動きを体験できる。
それが効いていないとなると……。
「うりゃっ」
俺は適当にナイフを振り回してみる。
……うん。こんな不格好な動きは前作じゃあできなかった。
ライブラリに記録された動作以外もとれるようになったって考えりゃいいのかな。
でも、そうなると戦闘系スキルの意味がなくなっちまうんだけど……。
そこんとこ、どうなってんだろう。
「ギギャアッ」
よそ事を考えていたのが祟ったのか、やけっぱちになったゴブリンの突進を、俺はまともに受けてしまった。
「げほっ」
突進の衝撃で大きく後ろに吹っ飛ばされる。
ごろごろと転倒し、洞窟の壁面に背中を打ちつけた。
痛覚まで再現って……。もう呆れて何も言うことないわ。
それにしても、まずいな。
折角奇襲が成功したというのに、チュートリアルモブに負けるとか、恥ずかしくてよそ様に顔向けできないぞ。
「くそっ、こんなところで負けてられるか!」
俺は気力を振り絞って、その場で飛び起きる。
ええと現在のステータスは……。
HP:7/14
ST:5/14
MP:10/10
相手もまだまだ動けそうだし、結構な接戦になりそうだ。
HPなどの最大値が上がっているのは、戦闘中の行動が原因でスキルが上がったせいだろう。
STが減っているのは、ナイフを振り回したせいだろうな。
俺は息を切らせながら、必死に考える。
スキルが上がれば、もっと戦闘を優位に運べる。
だが、あまり時間をかけすぎるとSTが切れて何もできなくなりそうだ。
勝利を勝ち取るためには、STを温存しながら、効率よく戦闘に関わるスキルを上げていく。
……うん、これしかなさそうだな。
俺はナイフを構え直し、相手の動きを良く観察することにした。
無理に攻めようとするから、要らないダメージを食らうんだ。
相手の攻撃を受け流したり避けたりして、隙を見つけたら攻撃! この戦法なら、無駄なST消費は避けられるだろう。
名付けて蝶よ蜂よと刺し続ける作戦!
あ、蝶は別に刺さないか。
「ぐぎゃあ!」
それからの戦いは一方的なものだった。
出血のせいか、ふらついてきたゴブリンの攻撃は簡単に避けることができたし、ナイフの扱い方も回数を重ねるたびに明らかに洗練されていった。
脳内に、こうしたらナイフは振りやすいっていう情報が浮かび上がってくるんだ。
その情報通りにナイフを振るってみると、それなりに鋭い一撃になる。
これはと思ってステータスを参照してみると、やはり刀剣術というスキルを獲得していた。
「はあ、はあ……」
何回ナイフを振るっただろうか。
疲労で倒れ込んだゴブリンの背中に、俺は力一杯ナイフを突き下ろす。
断末魔の悲鳴をあげて、ゴブリンはついに力尽きた。
記念すべき、初勝利である。
「や、やった……」
荒い息を整えて、その場に座り込む。
息切れは間違いなくSTの減少が影響している。ほんと要らんところまで再現しすぎ……。だけど。
「……これは、達成感があるな」
ごろりと大の字になって倒れ込む。
清々しい気分だった。
極限までリアルに近づけた電脳世界で、冒険していく。
とてもスリリングだと思うし、何より魅力的だ。
このシステムで、前作みたいに大陸の端から端まで踏破したら、いったいどれほどの感動が得られるんだろうか。
今からワクワクが止まらない。
「っと、そうだ。ステータスっと」
戦闘後のステータスチェックは、MMOプレイヤーの嗜みである。
アラーム自体は頻繁に鳴っていたから、多分かなりスキルが上がっているはずだ。
どれどれ……。
キャラクター名:タクミ
性別:男
称号:漂流者
HP:5/16
ST:2/16
MP:10/10
攻撃力:5
回避力:5
防御力:4
命中力:7.2
満腹値:35
水分値:30
基礎スキル
STR:4
VIT:3
STM:3
AGI:4
INT:0
MIN:0
DEX:4
SCN:0
熟練スキル
水泳:1
軽業:1
木工細工:1
忍び歩き:1
刀剣:2
装備
賢者の短剣
種別:刀剣
射程:短
ATK:1
HIT:120
攻撃速度:50
旧大陸のチュニック
AC:ー1
DEF:1
あれ、気づかない内に木工細工なんてスキル獲得してるわ。松明作った時のかな。
まあ、気が向いたらスキル上げとこう。
それにしても、基礎スキルを中心に結構上昇した感があるな。
この調子なら、またゴブリンを相手にしても楽に仕留めることができそうだけど……。今は、HPとSTが危険域だ。
しばらく、このまま休んでいよう。
『チュートリアル6。敵の死体からアイテムを回収しましょう』
このタイミングでかよ!
ほっと息を整えようとしたところで突如響きわたる声に、俺は思わずツッコミを入れてしまった。
◇
あれから死体漁りを手早く済ませて、十分ほどの休息をとった。
死体漁りも手動である。
ゴブリンの懐をガサゴソとやるだけ。
得られたアイテムは薄汚れた銅貨が二枚だけだった。
この大陸の通貨かな?
指でつまんで眺めてみても、何の情報も浮かび上がってこない。
何だろう。
木の枝や小石と銅貨に一体何の違いがあるんだろうなあ。
「まあ、分かんないもんは仕方がない」
俺はため息をついて、銅貨を無造作に小袋へと突っ込んだ。
自然回復でHPもSTも全快したし、そろそろ出発しないと、腰が地面に根を張りそうだ。
満腹値や水分値も徐々に減少していっているし、このままぐうたらしているわけにもいくまい。
「うし、行くか」
かけ声とともに腰を持ち上げる。
俺はゴブリンの死体を視界にちらりとおさめながら、洞窟のさらに奥へと進んでいく。
あの死体……。ちゃんと消滅すんのかな。
そんなことを思いながら、足を進める。
踊り場の奥壁には細いごつごつした坂道がくっついていて、階段みたいに折り返し折り返し続いていた。
こういうの、キャットウォークって言うんだっけ。
俺は右手に光ゴケまみれの壁面、左手に絶壁というなんとも玉がヒュンとするような場所を、ゆっくりゆっくり登っていく。
ひええ、ゴブリンの死体がすげえ小さくなっている。
一体どこまで登らされるんだろうか。
地味にSTが減少していくのも困りものだ。踊り場で休憩して正解だったわ。
途中、STの減りが心配になって、何度か休憩を挟んだ時にステータスを確認してみると、地味にSTMが3から4に上がっていた。
坂道の上り下りにも上昇判定あるのか。
STが減少する行動全般に判定があるのかもしれない。
「ハッ……。ハッ……」
息を整えながら、足を動かす。
電脳空間での呼吸にどこまで意味があるかは分からないが、こういうものは気持ちである。
そうして無心で進んでいると、ようやくゴールが見えてきた。
ざあっと水の流れる音が聞こえてきて、キャットウォークの終点らしき場所に、太陽の光が差し込んでいる。
出口だ。
俺は思わず、駆けだした。
「よぉーっし、登り終えた……!」
洞窟を飛び出すと、そこは絶壁の頂上付近に開いたテラスであった。
四メートル四方ほどの足場は確保できているけれども、絶壁との縮尺で考えれば、まるで覗き窓のような小ささだ。
そう、まさにここはノイエル大陸を一望できる、展望塔のような場所だった。
澄み渡る青い空には、巨大な翼を持った魔物が我が物顔で飛んでいる。
すぐ横には絶壁の上方から吐き出される小さな滝があって、それを水源としているのか、眼下には大きな湖が広がっていた。
湖の周りには広大な大森林。
所々に集落らしきものが見えており、人の営みを感じさせる煙が黙々と立ち上っている。住んでいるのは人なのかな?
右手の遠くへ目をやってみると、海に面した沿岸部が見えた。
リアス式海岸っていうんだっけか。
沿岸部はギザギザと地平線が見えるまで続いており、半島のように飛び出した場所に石造りの町並みが見えていた。
他にもなだらかな丘陵地帯。
深い渓谷。
雲を突き抜ける山岳部。
もう、見ているだけで冒険の虫が騒いでくる。
良いね。
すごく、良い。
これから冒険する舞台を、最初にパノラマで披露してくれるなんて、すごい粋な計らいじゃないか。
STの半分近く減少していた俺にとって、この風景はこの上ない特効薬であった。
「けど、次はどこへ進めばいいんだ?」
テラスは生憎と行き止まりになっていた。
きょろきょろと次のルートを探してみるが、見つからない。
お約束でいうなら、横の滝裏が怪しいんだが……。
別に道は続いていないな。
うーん……。
にっちもさっちも行かなくなったところに、再びアナウンスが聞こえてくる。
『チュートリアル7。高所から飛び降りると、落下耐性に応じた落下ダメージを受けることになります。ここで死亡を体験してみましょう』
……は?
頭が真っ白になったところに、急な横風が吹き付けてくる。
「う、うぉぉおおおおおお!?」
俺は滝壺めがけて一直線に落下していった。
盛大な水柱が吹き上がり、叩き出された落下ダメージは1500。
当然、俺は死亡した。
キャラクター名:タクミ
性別:男
称号:漂流者
HP:0/18
ST:10/18
MP:10/10
攻撃力:5
回避力:5
防御力:4
命中力:7.2
満腹値:20
水分値:15
基礎スキル
STR:4
VIT:4
STM:4
AGI:4
INT:0
MIN:0
DEX:4
SCN:0
熟練スキル
水泳:1
軽業:1
木工細工:1
忍び歩き:1
刀剣:2
落下耐性:1
装備
賢者の短剣
種別:刀剣
射程:短
ATK:1
HIT:120
攻撃速度:50
旧大陸のチュニック
AC:ー1
DEF:1