第二話 チュートリアル老師
「ぶはっ!」
波打つ海面から顔を出して、何が起きたのかと辺りを見回す。
どうやら、門の向こう側は小さな入り江だったらしい。
ていうか、リアルすぎ。
水の抵抗も、海水の冷たさも、口に入れたしょっぱさも、鼻で水を飲んだ時のツーンとした痛さまでも再現しなくていいのに!
いくら、ぎりぎり足がつくくらいの深さとはいえ、これじゃあ溺れる奴だってでるかもしれない。
クレームだって山ほど来そうだ。
「ええっと」
とりあえず陸地に向かわなきゃ、話にならない。
俺は最寄りの陸地に見える白い砂浜を目指すことにした。
クロールは苦手なので、平泳ぎでじっくりである。
あら、小魚さんこんにちわ。
俺が小魚やエビなんかを押し退けて、我が物顔で泳ぐたびに、脳内でピコーン、ピコーンとアラームが鳴っていることに気がついた。
……多分、スキル関連だとは思うけど、今は陸地に着くのが先決だな。
幸い潮の流れは緩やかで、さして苦労もせずに岸へたどり着くことができた。
「ううーん、しょっぺえ」
ぺっぺっと口の中に入ったしょっぱい砂を吐き出しながら、うんと大きく背伸びをする。
最近運動不足気味だったせいか、心地の良い疲労感に包まれている。
ここは電脳空間だっていうのにな。不思議なもんだ。
さわやかな潮風が、ずぶ濡れの身体と服を乾かしていく。
押し寄せる波が足を撫でる感触が妙にくすぐったい。
「すげえなあ」
感動が思わず口を吐いて出る。
久方ぶりに見たVRMMO世界の景色は、前作とは比べものにならないほど、リアルで色鮮やかなものになっていた。
前作は、あくまでもゲームの、仮想現実の範疇を飛び越えるもんじゃあなかったからなあ。
二年待った甲斐があった。
成る程、これは現実に決して負けていない。
異世界と豪語するに等しい出来だよ、マジで。
「……異大陸からの漂流者か。最近は妙に多く見られるようになったな」
俺がしきりに感心していると、しわがれ声が聞こえてきた。
声のする方へ振り返ってみる。
すると、老師然とした小柄な人間が杖で身体を支えながら、こちらを値踏みするようにして目を細めていた。
何だか、旧時代のスペースオペラに出てくる緑色の師匠みたいなキャラクターだな。
多分、チュートリアル用のNPCだろう。
前作は冒険者ギルドの新人って設定でゲーム世界に投げ出されたけど、今回は漂流者って設定みたいだ。
俺は老人に軽く会釈をした後、
「質問、ここは島ですか? それとも大陸ですか?」
彼の話にあわせるようにして会話を繋いだ。
一応、前作にならって、言葉の頭に「質問」とつけてみる。
前作はちょっとしたアクセントの違いによる、通常文と疑問文の違いをAIが判別できなかったんだよな。
NPCのAIがどこまで進歩したかまだ分からない。
ここは前作を踏襲した方が無難だろう。
「質問に答えよう。ここはお主等漂流者から、新大陸と呼ばれている土地だ。我らはノイエルの大地と呼んでいる。お主等の故郷からは、大船で半年ほど離れた位置にあるらしい」
老師は小さく頷いてから、こちらの質問に答えてくれた。
へえ、前作から随分遠い土地が舞台になったんだな。
前作の舞台はアルファードとか呼ばれるどでかい大陸だった。
周辺に細かい島々は点在していた気がするが、大陸のような広大なマップは存在していなかったはずだ。
俺を含む、マップ全土を踏破するのを生き甲斐にした連中が、文字通り海底まで虱潰しに冒険していたので間違いない。
いやあ、最果ての大鯨は強敵でしたね……。
一撃でカンスト攻略組が数十名飲み込まれるんだもん。
しかし、それだけ離れた場所となると、アルファードに戻って冒険するというのは、ちょっと無理そうだ。
あくまでもノイエル大陸で遊びなさいよ! という、制作者の頑なな意志を感じる。
「質問、俺はタクミ。貴方の名前を教えてください」
「質問に答えよう。私はウィル・ゼス・マグス。世界を見守る賢者と呼ばれておる」
「質問、ここで何しているですのか?」
「質問に答えよう。お主から力強い未来の力を感じ取った。私はお主のような者たちを導かねばならない」
OK。大体事情は把握できた。
やっぱりチュートリアルで間違いないようだ。
「分かりました。質問、俺は何をすれば良いのですか?」
「質問に答えよう。ついてこい」
ウィル老師は、よろよろとした動きで、砂浜の向こう側に見える雑木林を顎で指し示す。
途中やぶをかき分けたり、小さな小川を飛び越えたり。
基礎的な運動を、ゲームキャラの身体で体験していく。
違和感は全くなかった。
何だか、本当にアウトドアでもしているみたいだ。
移動している間も、時折脳内でピコーン、ピコーンとアラームが鳴り響く。
……この現象、後で説明もらえんのかな?
案内されながら林を進むと、小さな掘ったて小屋が見えてきた。
「入れ」
粗末な木製のドアを開いて、老師は俺に入室を促す。
中には、カンナやヤスリをかけていない、でこぼことした木のテーブルとイス。
そして、紙本のぎっしり詰まったどでかい棚が備え付けられていた。
テーブルの上には、果物の盛りつけられた皿が置いてある。
俺は促されるままに、イスに座った。
「漂流している間、飲まず食わずであっただろう。まずは、腹を満たすが良い」
老師の言葉を細くするように、脳内にアナウンスが響いた。
『チュートリアル1。まずは、食事をしてみましょう』
食事チュートリアルか。
俺は早速果物を手に取り、かじりついた。
シャクリと小気味良い音がして、口の中に甘みと酸味が広がっていく。
おお、ちゃんと味がある!
って、さっきの海水もしょっぱかったもんな。味があるのは、予想できた話か。
……でもこれ、法律違反スレスレだぞ?
確か、現実世界での満腹中枢に障害をきたす恐れがあるからとかいって、VR上での味覚再現は医療行為以外では大きな制限を受けたはずだ。
何かしら、法律の穴でも見つけたのかしら?
俺は首を傾げながらも、VR上で味わう味覚を存分に堪能する。
……何だかリンゴとナシをミックスしたような味だな。ミックスジュースの果物版と考えれば、悪くはない。
そんなことを考えながら咀嚼していると、再びアナウンスが聞こえてきた。
『チュートリアル2。ステータスを確認してみましょう。ステータス、と念じてみてください』
言われるがままに念じてみる。
キャラクター名:タクミ
性別:男
称号:漂流者
HP:12/12
ST:12/12
MP:10/10
攻撃力:2
回避力:3
防御力:2
命中力:2
満腹値:10
水分値:10
基礎スキル
STR:2
VIT:1
STM:1
AGI:2
INT:0
MIN:0
DEX:1
SCN:0
熟練スキル
水泳:1
軽業:1
装備
旧大陸のチュニック
AC:ー1
DEF:1
『満腹値と水分値は、0になってから一時間経過するたびにHPとSTにダメージを受けます。常に満腹値と水分値には注意しておきましょう』
俺はアナウンスを聞き流しながら、他のステータスを確認していった。
やはり、先ほど聞こえていたアラームはスキル関連のお知らせだったようだ。
水泳は最初の海水浴が関係しているのだろうし、軽業は小屋までの道中にした行動が関係しているのだろう。
STRやVIT、AGIが上がっているのも道中の行動が原因かな?
リアリティは格段に増しているものの、基本システムは前作とさして変わりないようだ。
前作であるビヨオンは、レベルシステムを排除した、完全スキル制のVRMMOだった。
各スキル上限値100、スキル総合値1200を上限として、いかに自分好みのキャラをビルドしていくかが、魅力の一つとなっていたのだ。
前作のシステムを踏襲しているとするならば、スキル上げにも前作のノウハウが使えるだろう。
俺は皿に盛りつけられた果物に手を伸ばしながら、今後のキャラクタービルドに思いをはせる。
「当座の飢えは凌げたようだな」
「あ、はい。肯定。大丈夫です」
満腹値と水分値が50まで回復させたあたりで、老師がテーブルに革の小袋をごとりと置いた。
「餞別に私が昔使っていた短剣をやろう。これより、お主は試しの洞窟へと赴かねばならん。洞窟を抜ければ、いずれ人里が見えてくる。お主は、この揺りかごの入り江より外の大地へ旅立たねばならんのだ」
「ありがとうございます」
礼を言って、小袋を受け取る。
堅い感触がするな。これは激しく武器の予感。
袋を開けてみると、中には刃渡り30センチほどのナイフが入っていた。
手に取ってみると、装備の情報が脳内に流れ込んでくる。
賢者の短剣
種別:刀剣
射程:短
ATK:1
HIT:120
攻撃速度:50
今作での比較対象がまだないんで分からないが、これぞ初期装備! って感じのナイフだ。
ナイフを手にとり、ためつすがめつしていると、再びアナウンスが聞こえてくる。
『チュートリアル3。武器を装備してみましょう』
え、どうやって?
一瞬焦ったが、自己解決した。
手に持っただけで、ステータス画面の装備欄に武器データが表示されたからだ。
「てか、これって……」
テーブルの上にナイフを置いてみると、装備状態が解除された。
「装備は手動かよ!」
てことは、いちいち装備の持ち換えは手間をかける必要があるのか。
前作はアイテムインベントリを脳内で開いて、「装備!」と念じるだけで手の中に出し入れできていたから、前より不便になってしまった形になる。
サービス中頃から、両手武器と大型盾のスイッチが流行りはじめて、片手武器が完全に死んでたからな……。
多分、システム的な穴をふさぐ意図があるんだろう。
「でも、これ専用のホルダーが必要になるなあ……」
仕方がなしに小袋のひもを腰のベルトに結びつけて、柄だけを頭から覗かせておく。
これで小袋に手を入れて引っ張り出すよりは、マシに装備ができるはずだ。
「……準備ができたようだな」
「はい」
老師の言葉に俺は頷く。
俺の返事を聞いた老師は、さっさと小屋の外へと出ていってしまう。
俺が慌てて追いかけると、老師は小屋の外で待っていた。
節くれだった指がよろよろと持ち上がり、雑木林の奥を指し示す。
「試しの洞窟は、大獣の牙と呼ばれる北の絶壁にある。ルクス・フォーケイン・ロード。お前のこれからを見守っているぞ」
ルクス・フォーケイン・ロードは……。確か、こちらの言葉で「世界の神のお導きを」だったかな?
神様の名前まで出されたからにはお礼をしなければ、失礼になるだろう。
一応NPCといっても、好感度が設定されている可能性があるしな。
「ルクス・フォーケイン・ザーント。ありがとうございます」
確か、これで「神のご加護に感謝する」みたいな意味合いになったはず。
俺は深々と礼をして、雑木林の奥地へと進んでいった。
キャラクター名:タクミ
性別:男
称号:漂流者
HP:12/12
ST:12/12
MP:10/10
攻撃力:3
回避力:3
防御力:2
命中力:2.4
満腹値:50
水分値:50
基礎スキル
STR:2
VIT:1
STM:1
AGI:2
INT:0
MIN:0
DEX:1
SCN:0
熟練スキル
水泳:1
軽業:1
装備
賢者の短剣
種別:刀剣
射程:短
ATK:1
HIT:120
攻撃速度:50
旧大陸のチュニック
AC:ー1
DEF:1