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様々な想い

ついにユノが走る順番が来た。彼女は自分に気持ちに、どう答えを出すのか。

  第一回目の計測を終えた女子と、走るのに少し間がある男子は、グラウンドの、そこ、ここで、自由に過ごしていた。特に騒ぐわけでないのであれば問題はない。ただ、せっかく温まった体を冷やさないように、軽く体を動かしておく事をガソンは義務づけていた。


  会心の走りを見せたパイリーが、アミの元にやってくる。


「うーん、いい気持ち。どう、見てた? 私の走り」


  パイリーが自慢げに話しかけた。


「あいかわらず速いわね。でも相手がキアルのファンなんで、余計に張り切ったんじゃないの」


  鋭い指摘に、少し驚くパイリー。


「まぁね。でも、スッーとしたわ。別に文句はないでしょう、アミ。正々堂々の勝負をしたわけだから」


「あなたとの実力差を考えると、アンフェアな気もするけど、手加減しろって言ったって、どうせ出来ないでしょ?」


  ニヤリとパイリーを見つめるアミ。


「あたぼうよ」


  パイリーもニヤリと見つめ返す。


  そして二人は軽く笑いあった。


一方、ユノの方はといえば……。


(あぁ、もうすぐだ。えっと……あと四組、いや五組、先か)


  順番が近づくにつれ、どんどん緊張の糸が張りつめていくユノ。


  こういった緊張感は、経験した者でなければわかるまい。何一つ希望や可能性がないのに、それは現実として、この身に迫ってくる。憂鬱、億劫、どんな言葉を使っても表現しきれない不愉快さ。しかも順番が一つ進む度に、それは確実にレベルアップしていく。


  ユノと走る予定の女子。彼女の実力は、クラスでは中くらいであった。まともに争えば、ユノの惨敗は目に見えている。よりによって"今"という日に最も惨めな思いをする羽目になるのだ。ユノがガソンを恨む気持ちもわからぬではない。


  ふと、後ろを振り返ると、走り終えた生徒の溜まり場に、パイリーとアミの姿が見える。またいつものように、つまらない事で言い争っているようだ。もっとも言い争いの形を取った、ジャレ合いではあるのだが……。


  二人は、ユノがこちらを見ているのに気づき、手を振った。


(あの二人は、どうして私と仲良くしているんだろう)


  ユノは、ふと疑問を感じた。


  これまでも本当は心の奥底で感じていた疑問。でも、あえて深く考えようとはしなかった。それで何かが壊れてしまうのが怖かった。いや、何かが壊れるというよりも、自分自身が"何か"に気づくのが怖かった。それに気づいてしまったら、もう二人の友達でいられないような気がして。


  なにも今、そんな事を考えなくてもいいじゃないかと思う者もいるだろう。しかしユノの場合、いったん考えついてしまうと、周りの状況などお構いなしに思索に耽ってしまうのだ。まぁ、こういう性格だからこそ、色々なキッカケから様々な物語を考え出す事も出来るわけなのだが。


  ついにユノに順番が回ってくる。相手の女子は、ユノの普段の走りを知っているので、余裕しゃくしゃくだ。


(私はパイリーの強さにひかれた。そしてアミの聡明さにひかれた。じゃあ、あの二人は私の何に……)


  ユノの思考はいつもそこで止まってしまう。でも本当は、ユノ自身もわかっているのだ。彼女たちはユノの何にもひかれていない。パイリーは義侠心、アミは公共心から、可哀想なクラスメートを守ってくれているだけなのだと。でもそれを認めてしまうと、二人とは友達でなくなってしまう。だからユノはその答えを自らの奥深くへ封印していた。


「位置について……ヨーイ」


  スタートの合図をする男子生徒の声が、無意識に走り出すポーズをとるユノの耳に入る。


「ピーッ!」


  両者は同時に、第一歩を蹴りだした。


  ユノは走り出してから、我に返る。


(あっ……。走らなきゃ、とにかく走らなきゃ)


  現実に引き戻されたユノの頭の中に、その言葉が何度も木霊した。


  スタート直後から、二人の差はどんどん開いていく。相手走者の顔にはユトリさえあった。


(あぁ、やっぱりダメ。いくら一生懸命やっても、結果は同じ。一生懸命やっても、やらなくても変わらない……。私とパイリーやアミの差は変わらない)


  足はすでに重く、心臓は激しく脈打っている。


(もういいじゃないか、あきらめてしまっても……)


  ユノは全身が脱力していくのを感じた。だが、サジを投げかけたその時、ユノの脳裏に突然アミの言葉がよみがえる。


《結果は気にしないでね。でも諦めないで……》


(どういう意味? 結果がどうでもいいなら諦めたって……)


  五十メートル走の途中という事も忘れ、ユノはアミの言葉の意味を考えた。


  既にキシミが生じつつある全身。灰色の霧に包まれた心。必死にもがき苦しむ彼女の姿がそこにあった。でもそれは誰にもわからない、伝わらない。


  だが、痛みを感じ始めた左足が地面についた瞬間、ユノの心に衝撃が走った。


(パイリーとアミは、私の一生懸命自身

を好きになってくれた)


  今、パズルのピースがつながった。闇の中でモヤモヤしていたモノが、一気に消え去っていく。


  ユノはいつも思っていた。パイリーやアミとの差を。彼女たちに劣る自分を。だから少しでも彼女たちと対等になろうと、二人と知り合う前よりも、ずっと一生懸命に、物事に取り組んできた。そしてある程度の成果も手にしてきた。でも、ユノは大きな勘違いをしていたのだ。


  パイリーたちはユノの一生懸命の結果として、もたらされたモノが好きだったわけではない。彼女の一生懸命そのものが好きだったのだ。二人との差にコンプレックスを感じるユノは、目に見える結果だけに心を奪われ、その事に気づいていなかった。


  ふと前を見ると相手はもう、自分の数メートル先を走っている。このままだと、またいつもと同じだ。結果も、そして自分への嫌悪感も。


(たとえ結果が同じでもあきめたくない。一生懸命をあきらめてしまったら、私が私じゃ、なくなっちゃう。パイリーやアミの友達じゃなくなっちゃう。そんなの嫌だ。絶対に嫌だ!)


  ユノは自分の体に命令した。


(右足、もっと速く動け。左足もっと速く動け。右腕も左腕も、もっと大きく振って。私の心臓、あと少し頑張って! 前へ、前へ!)


  主の命令に肉体が少しずつ反応しはじめる。手も足も心臓も、皆この時を待ち望んでいたかのように、あらん限りの力を振り絞った。


  ユノはアミのように客観的な論理を素早く構築するのは苦手だ。主観的な想いの断片があちこちに点在し、それがユノの心を混乱させ悩ませる。


  だが、ひとたびこれらを結びつける閃きの一片が舞い降りたなら、散らばっていた想いの数々は瞬時に結合し、それは予想もしなかった強固な意志となって、この小さな少女に力を与える。そして心の変化は肉体にも大いに影響を与えた。


(もう少し、もう少し!)


  相手に引き離されまいと、心と体のすべてをフル回転させるユノ。彼女はペースを落とす事なく食らいついていく。


  その変化に、いち早く気づいたのはアミだった。


「あれ、おかしいよ。ユノ、相手との差が開かない。っていうか、差が縮んできてる! 何で?」


「ほんとだ!でも、理由なんかどうでもいいわよ。ユノー、ガンバレ!ガンバレー!」


  パイリーは大声を張り上げる。


  少しずつだが、前を走る女子に近づいていくユノ。あわてたのはパイリーの声に気づき、後ろを振り返ったこの生徒である。何せ、負けるはずがないとタカをくくっていた相手に、確実に差を詰められている。このままでは自分の方が、いい笑い者になってしまうではないか。


  彼女はすぐに本気の全力疾走にはいった。


(なに、この子。こんな走りをするはずない。嘘よ、嘘! このままじゃ追いつかれる! 追い抜かれる!)


  相手を甘く見すぎた事を後悔したが、時すでに遅し。残りの距離でユノを引き離す事はかなわず、二人は続けてゴールした。


  ユノは負けた。しかしに惨敗などではない。明らかに僅差の惜敗だった。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」


  これまで経験した事のない疲労がユノの全身を襲う。彼女は思わず膝を突いた。


「ユノ! 大丈夫か」


  ガソンが駆け寄る。ユノの走りは彼にとっても予想外だった。この子が体育で、これほど頑張るとは……。その疑問を解き明かすのもそこそこに、ガソンはユノの肩に手をかける。


「ハァ、ハァ。大丈夫です。大丈夫です」


  激しい息づかいが止まらないユノ。


「大丈夫!? ユノ!」


  パイリーとアミが、その場に駆けつけた。


  ユノの快走に驚くやら嬉しいやらで、彼女が二人の元に帰ってくるまで、とても待ってはいられなかったのだ。


「うん。平気、平気」


  まだ苦しくはあるものの、味わった事のない爽快感が彼女の全身を包み込んだ。


「パイリー、アミ。ユノをあそこの階段で休ませてくれ。もし様子がおかしかったら、すぐに知らせるんだぞ」


  ガソンの言葉に従い、二人は校庭へ降りる階段へユノをつれていった。


  並んで座る三人。


「アッパレ! アッパレよ、ユノ。流石よー。ユノの一生懸命は、国宝級よ」


  興奮しながらパイリーが、まくし立てる。


「ちょっと。静かにして。あなたの大声は、今のユノには毒よ」


  ユノの背中をさすりながら、アミがたしなめた。


「あ、ゴメン……」


  シュンとするパイリー。


「もう、無理しちゃダメだって言ったのに。どうしちゃったのよ」


  嬉しさより、心配の方が先に立つアミであった。


「何でもない、何でもないよ。ただ走りたかったの。思いっきり走りたかったの」


  息の荒さが少しずつ取れ、ユノが自分の想いを噛みしめるように言う。


  アミはユノに何が起こったのかは、わからなかった。しかし、彼女の中で何かが変わった事を直感した。


  女子の計測が終わり、男子の走る番となる。三人は石段からその様子を楽しんだ。


  もっともパイリーだけは一時、憮然とした表情になる。それはキアルが圧倒的な走りを見せた時だった。


「相変わらず、キアルは速いわねー」


  ユノの言葉に


「ぜーんぜん、大したことないわよ。あんなヘッポコ走り」


  パイリーの減らず口。


  アミとユノは顔を見合わせて笑い、パイリーも一緒に笑う。屈託のない、対等な友達同士の交流であった。


  やがてユノの息も平常になり、三人はスタート地点ヘ戻ってくる。そろそろ男子が全て走り終わり、女子の二回目の計測が始まるからだ。


「さぁ、二本目もガンバルぞー。また、キアル親衛隊をブッつぶしてやる」


  鼻息も荒いパイリーであった。


「ユノ、二本目大丈夫? 今度はあまり無理しちゃダメだよ」


  アミが心配そうに言う。


「うん、大丈夫。無理はしないよ」


  ユノはアミの気遣いに感謝した。


「そうそう。今度は初勝利めざして、がんばろー!」


  パイリーがユノの背中を軽くたたく。


  その光景を憮然とした顔付きで見ている生徒が一人。最初の計測でパイリーに完膚なきまでに叩きのめされた女子である。


  元々、勝てるとは思っていなかったが、あそこまで大差をつけられると、何とも面白くない。だが、もう一度やっても結果は変わらないだろう。その事実が彼女をますますイラつかせた。


  彼女の屈折した思いは、そばを通ったユノに向けられる。


「ふん! 何が初勝利よ。結局は、さっきだって負けじゃない。それを大騒ぎしてバッカじゃないの? どうせ、まぐれだろうから、次の計測でビリ決定よね、間違いなく」


  あからさまな侮蔑の言葉は、ユノだけではなく、パイリーやアミの耳にも届く。


「!」


  その時、パイリーの目の色が変わった。本当に変わった。


  暴言を吐いた者へむかい、きびすを返すパイリー。


「やばっ!」


  アミはその異変を素早く察知した。


  パイリーの全身にみなぎる怒気。それは尋常なものではなかった。アミは思わずパイリーの腕をつかみ、ひきとめる。


「やめなって。まだ授業中よ」


「はなしてよ、アミ」


  パイリーの目を見たアミは、一瞬、たじろいだ。それはアミの力では止めようもない、本気の目であったからだ。


「やめて、パイリー」


  ユノが、アミとは反対側の腕をとる。


「私、別になんとも思ってないから」


「だって! ユノ」


  いくら気が弱いからって、怒る時は怒らなきゃダメよ。パイリーは歯がゆさを感じながら、ユノの方を振り返った。


「ねっ?」


  落ち着き払って話すユノの目を見て、パイリーは、はっとする。


  そこには、もう、引っ込み思案で弱虫の友人はいなかった。


「ユノが、そう言うんなら……」


  一触即発のピリピリした空気がおさまり、その場にいた者は、皆、胸をなで下ろす。


  その時、向こうの方から、ワァーっという歓声が聞こえた。その場の全員が、声の方に顔を向ける。



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