恐ろしき給食の罠
恐ろしき給食の罠。その実態は……
つつがなく皆に給食が行き渡り、当番の号令とともに食事が始まった。至福の時を迎えたパイリーは、まず煮魚から手をつける。肉も好きなのだが、肉野菜炒めとなると少し事情が違う。今回、有り難い事に、彼女の嫌いなピーマンはそれほど入ってはいない。しかしそれでも余り箸がすすむ料理ではないのだ。
ユノやアミは他のメンバーと談笑し、楽しい時を過ごしていたが、パイリーは話には加わらず、食事に集中している。彼女にとって給食はそれほど重要な行事なのだ。
「げっ!」
突然の雄叫びにも似た何とも言えない発声に、昨日の歌番組の話題で盛り上がっていたユノ達は、一斉に声の主を探した。
「え、何? 今の」
辺りを見回したアミは、パイリーが食器を見つめながら固まっているのを発見する。
「ちょっと、どうしたのよ、パイリー!変な声だして」
ユノを始め、パイリーの異変に気づいたメンバー達が石像と化した彼女に問いかけた。
パイリーの箸先は、肉野菜炒めの中に埋没し、静止している。ユノ達は何が起こっているのかを全く理解できず、パイリーの肩を揺すったり、手のひらを彼女の前で振ってみるなど、事態の把握につとめた。
「……ピーマンが……」
地獄の底から聞こえるような、か細い声が辛うじてアミの耳に届く。
「え、何? ピーマンがどうかしたの? ……あっ!」
パイリーの手に握られた箸の先に目を移したアミが思わず口走った。それに応えるように他のメンバーもパイリーの皿を覗き込む。
「あっ……」
アミに続きユノも思わす叫び、他の女子達もそれに続いた。
彼女たちの目に飛び込んできたのは、なんと、パイリーの肉野菜炒めの中にある大量のピーマンだった。
「ちょっと、どうしたのよ、そのピーマンの量は? そんなに入っているのに、今まで気がつかなかったの、パイリー」
アミがパイリーの二の腕をつかむ。
「肉とキャベツの下に……」
呆然と口を開くパイリー。
「肉とキャベツの下に隠してあったのよ。大量のピーマンが!」
そうなのだ。パッと見には皿に盛られた肉野菜炒めの中に、これほどのピーマンが入っているとはわからない。しかし、具の肉とキャベツの下には、おびただしい量のそれが、隠蔽されていたのだった。
これはとても偶然のなせる技ではない。明らかに意図的な細工である。そんな仕掛けを出来たのは誰か。それはアイツ以外に考えられない。
「キ~ア~ル~」
狼が唸るがごとく、パイリーは腹の底から声を絞り出した。
「やられたわね、パイリー」
アミが少し皮肉混じりに言う。
パイリーは、今すぐにキアルの席へ駆け出したい衝動にかられた。しかし何と問いつめればいいのか。偶然と言われればそれまでだし、そもそも確たる証拠など無い。
「でも、何でキアルはパイリーのピーマン嫌いを知っていたのかな」
ユノが不思議そうに首を傾げた。
実のところ、これはキアルの仕掛けた完全犯罪である。彼は最初からパイリーがピーマン嫌いだと知っていたわけではない。しかし彼が水飲み場で手を洗っている時、その後ろを通った女子二人が『そういえば、パイリーって、ピーマンが苦手なんだって。意外よね。何でもペロっと食べそうなのに』と話しているのを偶然聞いたのだ。
この二人は、パイリーと一緒に給食を食べる仲間である。だがキアルがそこにいる事など全く気づかずに喋っていたものであり、パイリーを裏切るつもりなど微塵もない。
だがキアルは、この好機を逃さなかった。
そして事前に配布された表で「その日」の献立がピーマンの入った肉野菜炒めだと知り、彼はこの計画を立てたのだ。しかし、ぶっつけ本番でこのような企みが成功するわけもない。
そこでキアルは約一ヶ月にわたり、家の手伝いをするという名目で、母親の料理の手伝いをした。その中で、うまくピーマンだけを分けて隠し、それを他の具で偽装するという技を身につけたのだ。
憤懣やるかたないパイリー。しかし彼女の悲劇はこれで終わらない。リオラーサの方針で基本的に給食は残らず食べるのが原則とされていたからだ。また、おかわりをする場合、既に完食している事が絶対条件となっている。
今日のメニューの残り「フルーツ」をゲットするには、とにもかくにも、この大量のピーマンを迅速に平らげてしまわなければならないわけだ。
「これはキアルの陰謀だわ」
パイリーがキアルの背中を睨みながらつぶやいた。
「陰謀って何よ……」
アミが予想外の答えにぎょっとする。
「今までの経験からすると、フルーツは大抵いくつか余るでしょう? つまりおかわりの取り合いになるのは確実よ。となると、どれだけ早く完食したかが、フルーツ争奪戦の鍵になるわ。だからアイツは私の嫌いなピーマンを大量に盛り込んで、食べるのを遅らせたのよ。そうよ、絶対にそうだわ」
名探偵パイリーは語る。
「そうかなぁ……」
ユノやアミ達は、いまひとつ納得のいかない様子。
「いいえ、そうに決まってるわ。キアルの奴、なんて卑怯な手を! こうなったら意地でも負けるもんですか。絶対キアルに勝ってやる」
その報復宣言が終わるか終わらないかの内に、パイリーは天敵とも言えるその野菜に決死の戦闘を挑むのであった。
おかわりしたいから早く食べるというのは、食育の面からすれば望ましい事ではない。しかしリオラーサ先生は「リターンを得るためにはリスクも覚悟しなければならない」と、度が過ぎる早食いでなければ認めている。あとで腹痛を起こしても、それは当然負うべきリスクという考えだ。
「ん~、ん~」
パイリーは苦痛の叫びをあげながら、次々とピーマンを平らげいていく。それは端で見ているユノ達からすると、悲壮なほどの執念だった。
「何か間違っている気がするな」
つぶやくユノにアミがこたえる。
「しょうがないわよ。それが、パイリーなんだから」
その言葉にパイリー以外のメンバーは苦笑した。
「だけどキアルも、よりによって"今日"そんな事をしなくてもねぇ。肉野菜炒めが出る日は、他にもあったのに」
いぶかるユノ。
「んー。それについては、ちょっと思い当たる事が、ないでもないのよね」
大好物のピーマンを食べながらアミが言った。
「え? 思い当たる事って?」
ユノが聞き終わるのと同時に、パイリーが座席を引いた。
「よっしゃ、 完食!」
皆いっせいに、パイリーの方を見る。
これでおかわりの条件はクリアした。パイリーはフルーツの皿を携えて、目的の品がある配膳台へ究極の早歩きでダッシュした。
教室や廊下では、むやみに走らないのが大原則で、それを破ると即座にリオラーサの小言が発動する。今そんな事をされては、とても争奪戦に勝ち目はない。急ぐパイリーの視線の先には同じく配膳台へと急ぐ、キアルの姿があった。
(負けるか!)
しかしタッチの差。キアルの方が先にトングを握ってしまった。
「ヘン! イチバーン」
早朝の勝負に続き、キアルの二連勝である。
これ以上ないというほどの、しかめっ面をするパイリー。
「ちょっと、ずるいわよキアル」
「ずるい? 何の事さ」
ニヤつきながら明らかにシラを切るキアル。
おびただしい量のピーマンさえなければ、間違いなくパイリーの方が早かった。しかしこうなってしまったからには、もうどうしようもない。キアルの後にフルーツを皿に取り分けたパイリーの顔には、敗北の二文字がクッキリと刻まれていた。
「まぁ、いいじゃない。ちゃんとフルーツも取れたことだし」
ユノが慰めの言葉をかける。
「いや、そういう問題じゃないの。勝負師としてのプライドが傷ついたのよ、プライドが」
「勝負師って、何の勝負師よ」
アミはパイリーの言葉に呆れるばかりだった。
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給食の後かたづけも終わり、ほんわかとした昼休みが始まった。しかし五時間目は体育なので、余りゆっくりもしていられない。事前に色々と準備が必要な授業の時は、かなり早くからグラウンドなり体育館へ行かなくてならないのだ。もっとも今日はそういった類ではないので、比較的のんびり出来るのだが。
「あぁ、思い出す度に腹が立つ。キアルのバカが」
パイリーが控え目ながら、憎しみを込めて机を叩く。
「もう、いいかげんにしなさいよ。たかが給食でしょ」
アミの冷めた言葉にパイリーがくってかかる。
「たかが給食? 冗談じゃないわ。給食は希望であり、光であり、生きる目標なのよ。アミには、それがわからないっていうの?」
「わからないわ」
素っ気ない返事に、まわりの女子が笑い出す。
「だいたいねぇ……パイリー」
「あぁ、そろそろ用意しないと、体育の授業に遅れちゃうわよ」
アミの反撃が始まろうとした時、二人のバトルを遮るように、仲間の一人が促した。
穏やかな冬の午後。時間は、アーチェリーの矢よりも早く過ぎ去っていく。
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「さむ~い」
グラウンドへ出たユノが思わず叫ぶ。
教室の中にいる間は、おだやかな暖かさを満喫出来るのだが、未だ冬の真っ最中。いくら快晴とはいえ、外はまだかなり冷える。おまけに体操着といえば、手足の露出も多く、寒さもまたヒトシオだ。他の生徒たちも例外なく、腕をさすったり、その場にしゃがみ込んだりしている。
いや、訂正。例外がいた。
寒さをものともせずに、チョコマカと、そこら中を走り回る女子一人。
「パイリー、何でそんなに元気なのよ」
アミが少し怒った口調でパイリーに声をかける。
いくら博学で、コミュニケーション力抜群とはいえ、それで寒さが防げるわけではない。皆が、これほど寒がっている時に、一人はしゃぐパイリーを見て、アミはちょっとだけ腹が立った。
「そりゃぁ、体育だからに決まってるでしょう」
不思議そうにパイリーがこたえる。
「いや、そういう意味じゃなくて……」
パイリーの的外れな回答に、苛つくアミ。
「なんで寒がってないのかって事よ」
「子供は風の子! このくらいの寒さでヘコんでどうするの」
当然のことが如く、宣言するパイリー。彼女にはアミの質問の意味が、全く分かっていないようだ。
「……あぁ、そうですか……」
これ以上なにを言っても無駄だと悟ったアミは、この風の子への追求を打ち切った。
「パイリーの場合、バカは風邪を引かないっていうほうじゃないのか」
パイリーが振り向くと、そこには、腰に手をあて仁王立ちをしたキアルがいた。
「それをいうなら、アンタだって寒がってないじゃんか。人のこと言えないわ」
パイリーの反撃。
「冗談じゃない。俺は十日前まで風邪で三十九度の熱を出していたんだ。おまえとはワケがちがう」
(んー。それは自慢になるのかな……)
二人の言い争いを見ていたユノが首を傾げた。
「どっちもどっちって事よ」
ユノの考えを見通したように、アミがボソっと言い放つ。
「ふん! 要するに寒さに負けた軟弱者ってことでしょ。何いばってんのよ」
「何だとー。カゼ菌も逃げ出すゴリラ女のくせに」
「キ~! さっきのピーマンのことといい、もう許せないわ。こうなったら断固粉砕あるのみ!」
パイリーが完全戦闘モードに入る。
「コラ。何が粉砕だ。何が」
気がつくと正にゴリラと見まごうばかりの大男が、パイリーの頭にポンと手をおいた。
「あ、ガソン先生」
パイリーとキアルの戦いを止めたのは、ゴリラというにふさわしい、長身で筋骨隆々の男。体育教師のガソンである。
これだけのガタイをしていると、大抵はもうそれだけで周りの人たちは恐れをなしてしまうものだが、彼にはそうさせない不思議な魅力があった。
まず何といっても、その愛嬌のある顔だ。顔だけで判断するのなら、体育教師よりもお笑いの世界へ進んだ方が良かったのではないかと誰もが考える。
そしてもう一つの理由は、声。愛嬌満点の顔からは想像もつかない低音の声をつむぎ出す。その声には重みと深みがあり、何よりとても優しい響きがあるのだった。この二つの要素が、ガソンを子供たちの人気者に押し上げている。
「ケンカは良くないぞ、ケンカは」
おだやかな重低音が響きわたる。
「べ、別にケンカってわけじゃぁ……」
パイリーが、少しうつむき加減にこたえた。
さすがのパイリーも、ガソンには頭が上がらない。圧倒的な存在感と、それにそぐわぬ安心感がパイリーを心服させている。
「そうです。パイリーとなんかじゃ、ケンカになりません」
キアルが、フンと鼻を鳴らす。
「うん。男が女の子とケンカなんて、よくないな。女の子には優しくしなくちゃだめだ」
ガソンが優しく諭す。
(それって、ある意味、男女差別なんじゃないかな)
アミは、ふとそんな事を考えたが、ガソンがそう言うと、何となく納得してしまう。アミの明晰な頭脳も、彼の存在感の前には形無しだ。
「じゃあ、みんな。授業をはじめるぞー」
ガソンの良声が、グラウンドに染みわたる。