芸術、そして至福の時へ
「じゃあ、みんな。そろそろ完成させてちょうだい」
リオラーサ先生の声が響く。
「え~!」「まだ全然だよ」「余裕ー!」
色々な生徒の声が聞こえる。
「ま、何とか出来たわね。最高の出来とは言いがたいけれど」
パイリーは、その塊の前で満足そうに宣言する。
「で、どう? 二人の方は」
パイリーはユノとアミの作品をみまわした。
かなりきわどいタイミングではあったが、何とか時間内に作業を終わらせる事が出来、すこぶる満足のようである。最高の出来ではない、などと言ってはいるが、これはガラにもない謙遜にすぎない。本当は自分の作品に結構自信を持つパイリーであった。
「私は、ちょっと、って感じかなぁ」
ユノが申し訳なさそうに、アミの方を見る。その脇からパイリーがのぞき込んだ。
「どれどれ。まぁ、いいんじゃない? ぜんぜん似てないって、わけでもないし」
「あなたが、それを言う?」
パイリーの評価にアミが口を出す。
確かにユノの作品は素晴らしいという出来ではない。しかし一生懸命取り組んだ事がわかる頭像であり、多くの人は好感を持つだろう。
特に、凄まじいほど芸術している、パイリーのそれと比べれば……。
「パイリーの言う事なんて気にしないで。私は好きよ。ユノの作ったの」
これはアミの本音である。決して、この引っ込み思案の友人に気を使ったわけではない。
そもそも図工は、国語や算数に比べると、周りから評価されにくい教科である。算数で百点を取れば誰からも誉められるが、図工で良い点をもらっても、大抵は"ふぅん……"程度で終わってしまう。
だから生徒の方も余り身を入れて図工の授業を受けない事が多い。不器用な子供には苦痛な時間であろうが、普通は息抜き程度にしか考えていないものだ。それゆえアミは、ユノが真剣に自分の顔を作ってくれた事が嬉かった。
「で、アミはどうなのよ。アミは」
パイリーはアミの後ろへまわり、粘土で作られた自分の顔を確認する。その作品は、とても小学四年生が作ったとは思えない出来で、単に器用といった域を遙かに越えていた。
「ま…、まぁまぁよね。でも私はこんなにホッペは膨らんでいないわよ」
自分の作品とのあまりの差に、パイリーはこう言うのが精一杯だった。
「ホッペの膨らみはね、パイリーがいつもプンプンしてるから、ちょっと強調してみたのよ」
ユノが思わず吹き出す。
「何ですって~!」
「ほら。それよ、それ。我ながら良く出来たパイリー像だと思うわ」
アミの返答に、ユノは、ますます笑いのツボにはまってしまい、周りが振り向くほどの声をあげた。
「なんだ、なんだ。おっ、アミすげーな。これってパイリーそっくりじゃん」「ほんとほんと」「似すぎて怖ぇ~」
何人かの生徒が、アミの作品の周りに集まり、礼賛する。
「ほら、ほら。静かにしなさい。自分の席へ戻って」
リオラーサ先生が、人だかりの中へ入ってきた。
「うん? 相変わらずいい出来ね、アミ。みんなが騒ぐのもわかるわ」
しかしアミは、リオラーサの言葉に浮かれはしない。なぜなら、これは純粋に知識と訓練の結果であり、適切な努力を怠らなければ誰にでもこの程度のものは作れると、彼女は考えているからだ。
「いえ、そんなことありません。それよりもパイリーのを見て下さい。さっき先生がダメだって言ったのに、抽象作品つくってまーす」
突然の告げ口に、パイリーが焦りまくる。
「え、わ、わたしのは後で……」
確かにパイリーにとっては自信作であった。それは間違いない。しかし、自分の評価とリオラーサのそれが一致しない事を、パイリーは百も承知している。
リオラーサ先生がパイリーの作品を見ようとしたその時、またしても奇跡のチャイムが鳴った。
「各自、自分の作品は、うしろの棚へ置いてちょうだい。粘土板にしっかり固定してね。それから粘土板のネームプレートが前になるようにね。誰の作品かわかるように。あと、誰を作ったのか書いた紙を貼るのも忘れずにね」
先生から、お小言をいわれずに済んだパイリーは、心の中でそっと神様に感謝する。
「はい、では、給食の準備をしましょう。当番の人は良く手を洗ってね。爪の間に入った粘土もしっかり落とすのよ」
リオラーサの号令とともに、皆が慌ただしく動きはじめた。
図工が四時間目だと、次の給食に移るタイミングが難しい。要領のいい子は手早くあとかたづけをしてしまうのだが、それに手間取り、素早く給食の準備に入れない子もいる。
「よっしゃぁ、さっさと片づけて給食よー」
素晴らしい芸術作品を作り上げた余韻もどこへやら、俄然張り切るパイリーがそこにいた。
「ほら、ほら。ユノもアミも早く早く。三つ並べよ!」
教室の後ろの棚は、そう広いものではない。早くしないと、彼女たちの作った三つの頭像を隣どうし並べておけるスペースは、すぐになくなってしまう。手間取るユノを二人で手伝いながら、三人はそれぞれの粘土細工をどうにか棚の上に並べる事が出来た。
「じゃあ、次は給食フォーメーション!」
パイリーが元気に叫ぶ。
給食時は皆、自由に机を動かし、友達同士で楽しい一時を過ごす。この机の移動の事を誰がいうでもなく「給食フォーメーション」と呼ぶのだった
ユノの手を取り、きびすを返すパイリー。アミは一人、作ったばかりの粘土像を見つめていた。
(私、忘れないよ、ぜったい)
一瞬、悲しい表情を浮かべるアミ。しかし、すぐに二人の後を追う。
アミが自分の机にたどり着いた時、パイリーとユノは、既に自分の机をいつものように動かしていた。
給食を食べる時のグループは六人。パイリー、ユノ、アミの他に三人の女子が加わる。この三人はアミがクラスの中から厳選したメンバーだ。個性の強いパイリーや人見知りをするユノの良さをちゃんとわかってくれ、パイリーとユノにも受け入れやすい生徒たちである。
最初は多少ギクシャクしたものの、今では女子の中で、確固とした勢力をもつグループになっている。それもそのはず、男子にも決して遅れを取らないパイリー、おとなしいが努力家で誰もが文才を認めるユノ、コミュニケーション力抜群で博学のアミ。他の三人もアミが選んだだけあって、皆、なにがしかの特技特徴を持っていた。
「あー、お腹へった。特に今日はとっても早く朝御飯を食べたから、もうペコペコ」
嬉々とした顔で喋るパイリーに、ユノが話しかける。
「でも、その分、朝ご飯をたくさん食べてきたんじゃない?」
「え? そ、そんな事ないよ。食べ過ぎは太る元だからね」
「どうだか」
アミが茶茶を入れる。
「ほんとだよー。女の子ですからね、私も。ちゃんと美容には気をつけてるの」
パイリーの言う事は本当だった。もっともトーストをいつもの倍、食べようとしたものの、お母さんにせっつかれて実行できなかっただけなのであるが。
****************
ほぼ全員が給食の体制を整え、あとは料理の配膳を待つだけとなった。
パイリーは普段から、その日の献立を調べないで学校に来る。嫌いな食べ物が出るとわかっていたらテンションも下がってしまうし、逆に好きなものが出るとなると、既に三時間目あたりからソワソワしてしょうがないのである。
「さぁってと。今日の献立は何かなぁ」
頬杖をついたパイリーが、うれしそうに呟く。
「確か、今日はねぇ……」
「言わないで、ユノ!」
右手の平をユノの方へ突き出し、制止するパイリー。
「えっ……。だって、献立なにかって聞いたじゃない」
うろたえながらユノが聞き返す。
「いや、そうだけどね。そうなんだけど、臭いで予想したり、配られるその場で確かめた方が、ドキドキするでしょ」
パイリーが不満そうに答える。
「言ってみただけって事でしょ、要するに」
パイリーの性格を把握し尽くしているアミが、ボソっと漏らした。
「まぁ、でも今週は楽しみも少し減ってるよ。なんせ給食当番がアイツなんじゃ……」
パイリーは、浮かない顔で教室の入り口を見た。
パイリーの憂鬱の原因。それはキアルが今週の給食当番の一人である事だっだ。その日によって、何を配るかの役割は変わるのだが、事あるごとに彼は一言付け加えてくる。
昨日などは、わざとヨーグルトを二つ配り『あぁ、スマンスマン。いつも二人分は平らげるから、まちがって二つ置いちゃったぜ』と大きな声で言ったあと、余分を回収していった。
そしてローテーションを考えると、今日、キアルはメインのおかずを配膳する役割の可能性が高い。彼がよそうおかずを食べるのにも少し抵抗があったが、何よりアイツに"よそってもらう"という状況自体がパイリーは嫌だった。
多くよそってくれる事など皆無だったし、少ないからと文句を言えば『大飯喰い』とからかわれる。よりによって「今日」の当番が何でキアルなのだろうとパイリーは思った。
着替えた当番がパラパラと教室へ入ってきて、配膳の準備をはじめる。四時間目が図工とあって、いつもより若干の遅れはあるものの、順調なはこびとなっている。ごくたまに、メインのおかずが入ったズンドウ鍋をひっくり返してしまい、そのクラス全員を地獄の底へ突き落としてしまうような惨劇もあるのだが、今日はそういう事もなさそうだ。
配膳の順番はグループごとに何となく決まっており、いつものルールにパイリー達も従った。
(何も起きませんように。キアルのバカを無事やりすごせますように)
パイリーは神様に、そっとお願いする。
配膳の列に並び、キアルの担当を確認する。彼の係は、肉野菜炒めのようだ。
(うーん、微妙……)
パイリーは心の中で唸る。
これが肉ボールとか餃子といった、一個二個と数えられるものならば、まだいい。サイズも大体同じだし、一人に割り当てられる数も決まっているので、余り問題は発生しない。
しかし肉野菜炒めとなると、目分量で皿に盛る事になる。また、肉と野菜の比率や、どの野菜を多く入れるかなども、全て当番の裁量に任されるので、パイリーとしては、かなり心配だ。
ご多分に漏れず、パイリーはピーマンが苦手である。そして今日の肉野菜炒めにはピーマンも使われているのだ。
キアルがパイリーのピーマン嫌いを知るはずはないのだが、それでも全体の量が多ければピーマンの混入する確率はグッと増えてくる。小学四年生で野菜が好きな子は余りいない。それを見越したキアルが、他の生徒より沢山の量をパイリーに盛ってくる可能性は大だ。
列は進み、魚の煮付け、フルーツの配膳を受け、ついにパイリーはキアルの前までやって来た。ズンドウ鍋の中に、おたまを入れ、肉野菜炒めをよそうキアル。緊張の一瞬である。
しかし事態は、実にあっさりと収束した。いや、むしろパイリーにとっては好ましい状況になったと言って良いだろう。皿に盛られた肉野菜炒めの量はごく標準的であり、また幸いな事に、パイリーが苦手とするピーマンの量は意外に少なかったのである。
(ラッキー。神様、ほんとにありがとう!)
パイリーは、心の底から神様に感謝した。