劇の稽古
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二人は競歩のごとく、走らず、しかし出来るだけ急いで教室へと向かう。何せリオラーサ先生が後ろからピッタリついてくるのだ。走ろうものなら厳しく叱られてしまう。パイリーとキアルの激しい歩きが続く。結果勝利したのはキアルだった。やはりスタートダッシュの差が決め手となった。
「ほーい、勝ち!」
教室のドアを越え、仁王立ちにパイリーを迎えるキアル。大人から見れば実にバカバカしい争いなのだが、子供にとっては真剣勝負だ。
「勝ちって何よ、勝ちって。別にあんたと競争してたわけじゃないわ」
パイリーは、ニヤニヤするキアルの横を通り、教室へ入った。
「負け惜しみ言ってやがらぁ」
キアルの嫌みったらしい声が、パイリーの神経を逆なでする。
「ちょっと、キアル。あんたねぇ……」
第二次悪口戦争勃発の危機を救ったのは、またもやリオラーサ先生であった。
「遅れてきた人たちが喧嘩してるんじゃないの。早くランドセルおろして、みんなを手伝いなさい」
しぶしぶ自分の机に向かう二人。机は既に教室のうしろへと下げられていた。パイリーとキアルは自らの机を確認し、その上にランドセルをおく。
教室の前を見ると、簡単ではあるものの、幾つかの舞台装置(といっても木箱や段ボールの箱である)が、岩や木々に見立てられ、既に所定の場所に据えらていた。役者として劇に参加する生徒たちも、台本を片手にそれぞれの台詞を懸命におぼえている。
「おはよう、パイリー」
ユノが声をかけてくる。
彼女は、きかんぼパイリーの貴重な理解者の一人である。性格はパイリーとは正反対。物静かで聡明。物語を作るのが大好きで、今度の劇の脚本も彼女の作品だ。少しは先生の手直しが入ったが、リオラーサも驚くほどの完成度で、クラスの皆も例外なく感心した。
またパイリーが侍女役に決まった時、友達のよしみで自分の役をもっと活躍させてほしいとユノに頼み込ん事がある。しかし彼女はそれを、きっぱり断った。自分の脚本には、絶対の自信を持っているのだ。贔屓をする事で物語を破綻させるわけにはいかない。ユノはそんな厳しい一面も持っていた。
「ユノ、あなたの役目は台本を書く事なんだから、もう終わったも同然でしょう。もっとゆっくりと、お出ましになっても良かったんじゃないの」
パイリーがいつもの調子で尋ねる。
「台本を書いた者として、全体を見る責任があるの。それにクラスの女子で一、二をあらそう力持ちの誰かさんが遅れたせいで、私みたいな痩せっぽちでも準備の役に立ったわ」
即座に切り返すユノ。
「もう。それは言わないで」
バツが悪そうに、パイリーが鼻をかく。
「重役出勤だねぇ、パイリー」
ぴょんぴょんと跳ねながらパイリーに近づいてくる少女。これまたパイリーの良き理解者のアミであった。
「なによ、重役出勤って」
パイリーは言われた言葉の意味が分からず、きょとんとした顔でアミに質問する。
「会社の重役さんは偉いんで、遅刻してもいいらしいの。だから堂々と遅刻する人の事をそう呼ぶんだって」
この少しませた少女は大人の断片的な会話の中から、その言葉を独自に解釈したのだろう。多少の相違は多目に見てやらねばなるまい。
また彼女は、知識の広さと人当たりの良さから、ある役割を担っていた。負けん気の強いパイリーと引っ込み思案のユノ。二人が他のクラスメートと仲良く出来ているのは、彼女の橋渡しが功を奏しているからである。
「だから遅刻じゃないわよ、別に。今だって先生が来る前に、ちゃんと教室にいたでしょ」
いいわけがましい返事をするパイリー。
「ま、いつも通りにってわけね。もっとも今日はキアルとアベック登校みたいだけど」
人をからかい過ぎるのがアミの欠点であり、パイリーもまた、その性格に悩まされてきた。
「アベック? 私とキアルが? 冗談じゃないわ。たまたま玄関で一緒になっただけよ」
アミをにらみつけるパイリー。
(ほんと、いい加減にしてほしいわ。よりによって何であんな奴と、アベックなんて言われなきゃならないのよ)
憤懣やるかたない様子のパイリーは、ユノに助けを求める。
「こんなの、アベック登校なんて言わないわよね」
「ん~。確かにアベックって言い方は、ちょっと古いよね。アミ、そんな言い方どこで聞いたの?」
ユノは返答に困り、誤魔化そうとする。
いや、そういう問題じゃないでしょ。ちゃんと否定してよ、と拍子抜けするパイリー。
「えぇと。この前、田舎のじいちゃんが来た時に、そんな言い方をしてたんだけど……」
アミがちょっと自信なさげにこたえる。アミの知識量が、小学四年生の域を大きく越えているのは間違いない。しかし多少のムラがあるのも事実で、それが玉に傷となっている。
「じゃぁ、同伴登校?」
自らの知識を総動員して言い直すアミ。おそらくはテレビで見聞きした同伴出勤とゴチャ混ぜになっているのだろう。
「うーん。それも違う気がする。カップル登校っていうのはどう?」
話が違う方向へ進んでいるのを承知で、それにのってしまうユノ。
「あ、それいいわね。じゃぁ、そうしましょう。パイリーとキアルは今日カップル登校してきたって事で……」
アミがそう言い終わるかどうかの内に、パイリーが両手を横に振り下ろす。
「だから、違うって!」
「おい、そこ。うるせーぞ」
黒板の前にいたキアルが叫ぶ。
「あんたが言うな!」
暴走しかけているパイリーを、ただオロオロと見つめるユノ。一方、アミの方は、ニヤニヤとして、何か状況を楽しんでいるようだ。二人の声の大きさも手伝って、クラスの皆は、また始まったよ、と言いたげに事の成り行きを見守っている。
「ハーイ、準備は出来たようね。じゃあ、練習を始めましょう」
リオラーサ先生が、パンパンと手をたたいて、皆を注目させた。
にらみ合いに水を差されたパイリーとキアル。だが仕方なく先生の言う事に従った。まだ若いとはいえ、先生は絶対権力者なのだ。その言に逆らうなど許されない。学級崩壊など、パイリーのクラスでは無縁の事だ。
「じゃぁ、まずお姫様が王様に挨拶をする場面からね。えぇと、カリーにキアル。ちゃんと台詞はおぼえてきた?」
リオラーサは配役表から顔を上げて、二人の方を見る。
「何でキアルが王様なのよ」
パイリーが毒づいた。
「キアルは良く声が通るから、威厳のある王様には適役だと思うわ」
ユノが自ら書いた台本に目を落とす。
「まぁ、いいんじゃない。王様といっても、家来にだまされて追放されちゃうんだから」
横からアミが付け加える。
ところでキアルは意外と女子にもてる。勉学の方は中の上くらいなのだが、何といっても運動が得意だった。そして澄んだ通る声。それも相まって、彼のぶっきらっぼうな性格も、ファンから見れば魅力的に映るのだろう。
そして"愛する人の敵は、自らの敵" 当然、キアルのファンからすれば、パイリーは良からぬ人物だ。したがって事あるごとに彼女たちはパイリーにつらく当たる。普段、パイリーが彼女たちをよく思わないのも、無理からぬ事であろう。
「ほら、そこの侍女。お前も位置につけよ」
キアルがパイリーを呼んだ。
「は~?」
突然の指示に、更に虫の居所が悪くなるパイリー。しかしリオラーサ先生が同調する。
「そうね。全体の雰囲気が分かりやすくなるわ。パイリー、お姫様のうしろに立って」
先生に言われては仕方がない。パイリーは渋々お姫様役である、カリーの背後にまわった。
今この舞台には、気にくわない子が二人もいる。お姫様役を奪ったカリー。そして最悪男子のキアル。しかも役の上とはいえ、自分は彼らより遙かに格下の侍女なのだ。パイリーのイライラは頂点に達しようとしていたが、ユノのために我慢する事にした。
ユノが、家ではもちろん、休み時間を削ってまで一生懸命に書き上げた台本。自分の癇癪で、劇を滅茶苦茶にするわけにはいかない。厚い友情が何とか彼女を押し留めた。
劇の練習が始まる。
ユノの書いた話はこうだ。
平和な時を過ごしている王国。だがヨコシマな野望を持つ家臣の男の策略で、王様は追放。新王となった男は、姫に結婚を迫るが手ひどく拒否されてしまう。激怒した男は姫をドラゴンの住む洞窟へ閉じこめる。それを知った隣国の王子が、仲間とともに姫を救い出しに向った。
しかし親友の書いた物語とはいえ、パイリーには不満があった。お姫様を助けにいく一行が全て男なのだ。
別に女が戦ってもいいじゃないか、これは男女差別だ、とユノに抗議したが、彼女は聞く耳を持たなかった。ユノはどこか保守的なところがあって、男は戦うもの、女は守られるもの、という考えが潜在的にあるらしい。
稽古は中盤の、一行がドラゴンの穴へ向かうシーンに差し掛かかる。パイリーは思い切ってリオラーサに提案してみた。
「先生。ドラゴンを倒しに行くのが、みんな男っていうのはどうかと思うんです。今は男女同権の時代でしょう。女がドラゴン退治したっていいんじゃないですか」
予測しなかった提案に、リオラーサ先生はちょっと驚いた。
「その考え方も一理あるわね。確かに女性が怪物を倒しちゃいけないって決まりはないわ。でも台本はもう出来上がっちゃっているのよ。それにね、パイリー。いくら女性がドラゴン討伐に参加するといっても、侍女が刀を振り回すのって、おかしいわよ」
キアルも先生に続く。
「そうだそうだ。お前、ただ暴れたいだけなんだろう。でもこれは劇なんだ。おとなしく侍女やっとけ」
皆が笑う。
反撃に転じかけたパイリーをなだめようとするリオラーサ先生。
「今回は、もう、しょうがないわね。でも"来年”の学芸会では、あなたが勇者を演じ……」
そう言いかけて、彼女は慌てて口に手を当てる。クラスの誰もが、その意味を知っていた。
――キーンコーン、カーンコーン。
一瞬の静寂のあと、予鈴が鳴り響く。
「さぁ、練習はここまで。机を元通りにしてちょうだい。ホームルームを始めます」
そう告げるリオラーサ先生は、もういつもの様子に戻っていた。