くずれて、もれて、さようなら
頭の中に、なんで? とか、血が出ないとか、デイ君が死んじゃうとか、いろんな事が頭の中を巡っていく。デイ君のほうを見るとすごくにこやかな顔をしている。にこやかなのはいつものことだが、今の状況だと無理しているようにしか見えない。
「気にしないでください」
あぁ、神様ってこんな慈悲深い顔してそうだなと思わせるような言葉をデイ君は吐き続ける。
――いや、無理だよね!? 僕の手の中に手首が転がってるのに、気にしないでとか無理!
どうしていいか解らず、わたふたしてるうちに、デイ君の手首は膨らんでいく。
「危ない!」
デイ君が私の持っていた手を奪い、僕の後ろの、今来た道のほうに投げる。すると、手は膨張し、道を完全に塞いでしまった。
――た、大変な事をしてしまった。デイ君の手首をもぎ取っただけでなく、爆発までさせてしまったぁ――
「デイ君……、ごめん」
デイ君に謝ると、デイ君は今のは私がなどと、僕のせいではにというような事を並べていく。たが、それが積み重ねられるたびに僕の気分は、現実を突きつけられたようで、僕は何て使えないんだと気持ちをどんどん沈められていく。さっきからただの足でまといじゃないか。くず、死んでしまえ! 僕なんて土葬されればいいんだ!
「な、何で泣いてるんですか」
デイ君は、死ねばいい僕にも優しく、心配そうに、しかし笑顔は絶やさないという、その上困惑している事を十分に伝えてくる表情で私に話しかけてくれる。
「その、ハンカチ……使いますか?」
ハンカチを渡されて、さっきから頬を伝っていた勢いが七割り増しぐらいに勢いづく。そんな自分が情けなくて、とさらにその量は増えていくのだからどうしようもない。
「だ、大丈夫ですか? あ、足を捻ったといってましたね、ちょっと見せてください」
デイ君は突然泣き出した僕を、足を痛めたからだろうと勘違いして真剣な顔で足の様子を見ようと僕を座らせる。違うんだといいたかったが、声を出すと醜い泣きじゃくった音も外に漏れてしまうので、その羞恥心が僕から言葉を奪う。
「あうっ」
「ここですか?」
ふくらはぎをむにっとされて、くすぐったくて声が出てしまった。もう本当に僕駄目だ。駄目すぎる。凹む事も満足に出来ないのか。もうどうしようもなく、これから何をしたらいいのかも見失い、というところで、デイ君は僕の靴下を脱がせて、ふくらはぎを優しくさすってくる。
「はぐっぅ」
――ちょっと、気持ちいい。
「熱は持って無いみたいですけど、すこし膨らんでいるかもしれませんね」
それはむくんでるだけとは言えず、顔が真っ赤になるのを、何とかしようとするしかなかった。
「もう、大丈夫。ありがと」
涙も一通り止まって、多分顔が酷いことになってるんだろうなぁと思いながらも、僕の足をずっとさすってくれていたデイ君にお礼を言う。僕も神様を信じて、信仰を持てばこんないい人になれるんだろうか。
そもそも、デイ君って何教なんだろう?
「デイ君」
「はい、もう本当に足は大丈夫ですか?」
僕の良心とか、そういうところが悲鳴を上げていたが、実は足が痛いのは嘘ですなんてことを言う勇気は僕にはない。でも、その嘘は、デイ君を休憩させてあげようと付いた嘘なんだから神様も許してくれるはずだ。
「うん、本当に大丈夫。そんなことより、デイ君って何教なの?」
「なにきょう?」
「うん。家が教会なんでしょ?」
デイ君はあぁ、と何かを納得したというふうに頷きはしたのだが、其処から何故か複雑そうに、言い淀んではっきりしない。
「知らないと思いますよ。マイナーな宗教なので」
僕がそれでもいいから教えてと言うと、
「いや、宗教観の違いは争いを生むだけなので」
と答えて、別に僕はどこの宗教にも属して無いからと、さらに言うと、
「だって、微妙な反応すると思う……」
と少し可愛い。
「聞きたい!」
僕がそう何度も聞くと、観念したように、
「解りました」
とデイ君は頷いて、
「無神教です」
と言った。
「え」
――無神教って宗教なの?
「みんなそういう反応するんですよね。無神という名前の神様がいてですね……なんでもないです。忘れてください」
デイ君は貴方もか、見たいな顔で、それまで向けてくれていた笑顔も少し影が差したようで、また僕はくずったに違いない。
僕が何とかその失敗を取り戻そうと、言葉を捜しているうちにその機会は失われた。デイ君があけてくれた穴は、もうすでに出口まで後少しといったところらしく、向こう側から穴は開けられて、数時間ぶりの新鮮な空気が流れ込んできた。
その瞬間に黒い影が、一斉に入ってきた。黒い影はボクサーみたいな、手にグローブをはめている様に手が膨らんでいて、そのことを認識したのが、デイ君のお腹をその拳が貫いた後というほど速かった。
「デイ君!」
※
――あ、と光が差し込んだ瞬間に、ずいぶん体が軽くなった。多少無理をしていた、人間形成を使って進むには、要は自分の体を人間として、今の自分の体に圧縮して取り込む必要がある。自然と自分は人間からは遠くなり、体を保つのが難しくなるし、人間形成のために必要な水分も枯渇しようとしていた。
非常に不安定な状態だったことは否めない。
「デイ君!」
私の体を貫いたのは、顔のない真っ黒な人形。人形がどうして動くのか、不可解極まりないが、自分も泥の癖にこうして歩き、考えているのだから気に留めることもない。ただ……なんで、攻撃してきたんだ?
間違ったということもないんだろう。その証拠に今私の体は、内側からばらばらに裂かれてしまった。まずい、因果応報という言葉がある。だから私がここで息絶えることは、元に戻るだけであるし、かまわない。しかし酒市さんは私に巻き込まれただけかもしれないし、そうでないとしても酒市さんがそこまでの悪事を働くことは考えられない。手足を失って何も出来ないのが酒市さんに、非常に申し訳なく、何より残念だ。
頭だけになっても痛みは感じない、頭さえ砕かれなければ意識は保てて、その間はずっと考えることが出来る。もしこのまま相手が引き上げて、雨でも降ったなら人間形成を使えて、元通りに生活できる。しかし、それは叶わないだろう。さっき引き裂かれたときに私の頭は打ち上げられてしまった。私の頭は宙を舞って、地面に落ちて砕け散る。
っと、その前に、誰かが私を受け止めた。
「――――」
酒市さんの顔が見える。正直これで心残りはない。
「逃げてください」
「――い」
さすがに生首のようになってしまった私は気味が悪いのか、酒市さんは目を見開いて、口を開いたり閉じたりを繰り返している。
「私を捨てて、逃げて」
私を裂いた黒い人形が、四体。それに私の体は、大量の泥を圧縮してあって、もうすぐ膨張を始めるだろう。望みは薄いが、酒市さんには逃げて欲しかった。私が言っても何の説得力もないが、生きていればいいことがあるはずだ。
「…………だい、じょうぶ。怖いよ、駄目だ。くずる、くずるな!」
驚くことに酒市さんは私を胸に抱いた。
「くずるなくずるなくずるなくずるな!」
酒市さんは私を、両手でしっかり抱きかかえ、四体もいる黒い人形の中に突っ走っていく。その奥にある外に出ようというんだろう。なぜ私を捨てないのか、気味が悪くないのか、そもそも、私はただの泥であって、いくらでもそこらへんにあるのだ。意識はひとつだが、酒市さんにそれは関係ないはずで、
「ごめん、ごめんね」
酒市さんが私に泣いて謝るのも訳が解らない。
「駄目だ!」
私は自分でもこんな声を出せるのだとはじめて知った。
あの黒い人形はまずい。いくらなんでも速い、それに拳も重く、酒市さんが逃げ切れる相手なわけが、あぁ、くっそ! なんで私には何も出来ないんだ。こんな命いくらでも差し出してやるのに! せめて自分からこの能力を解いて、酒市さんの重荷にならないようにしよう。これで、多分、私はまた奇跡でも起こらない限り意識を持つことはないし、何より私が人間になれたのは、能力を授かったときの誤作動のようなものだから、使いこなせる居間となってはもう二度とものを考えることも許されない。
人間でいう、死だ。だが、まぁ、私の死と、人間の死に関する重さは少し違う。生きることと死ぬことはただの選択にしかならない。職業選択みたいなものだ。
これまで死については、なんとも感じてこなかったが、酒市さんのことを考えられないのは辛いな。最後に酒市さんに別れを告げてこれを解こう。
「さようなら」
さて、最後に圧縮された私の頭が爆発しないように、ゆっくりとこれを解かないといけないな。
※
「さようなら」
僕のせいだ僕のせいだ僕のせいだ。突然訳解んない黒いのがデイ君を首だけにしたのも、デイ君がなんか悲しそうにしてるのも、全部僕のせいだ。
でも、大丈夫、デイ君は死んでないし、しゃべれるなら生きてるし、でも全部僕のせいだ。デイ君がなんか言ってるのも、黒いのが襲い掛かってくるのも、頭で理解出来てもどうしようもない。どうしたらいいか解らない。言葉は頭を通り抜けて、目に見えるものはくるくる回る。
とりあえず逃げよう。確かデイ君は腕とかくっつけてたし、逃げた後で必死に探せばいいんだ。
しかし、手の中のデイ君の頭がぐにゃっとなった瞬間、僕は全部理解した。
デイ君は泥なんだ。泥だといっていたが、その言葉は本物で、元々デイ君は泥なんだ。泥から生まれた人間じゃなくて、泥そのもの。泥を自分の体に出来るのかと思っていたが、デイ君の頭は泥になっているじゃないか。つまりはデイ君は、……泥に戻る?
泥に戻ったらどうなるの? よく解んないけど、泥を落としたら駄目だよ。元に戻れなくなる……よね? 元通りに集まらなくなるもん。あー解んない。
「まだ大丈夫大丈夫大丈夫、デイ君、駄目だよ、訳解んないよ、僕馬鹿だよ、どうしたらいいの」
デイ君の黒い髪が茶色に染まる。
「……私を捨てて逃げて」
その瞬間、デイ君の体が爆発した。飛び散ったそれは、空気とか僕とかを吹き飛ばした。
――
-
「痛い」
「大丈夫ですか!?」
デイ君の頭が心配そうに私に声をかける。もうすでに半分ほど顔は溶けちゃってて、僕は何で自分のことを考えないのかと説教してやろうと心に誓った。体はすごい痛い。僕の人生で、一番痛かったのは工作の授業で本棚を作るときに思いっきり小指を金槌で打ったことだが、そんなの比較にならないくらい痛い。
立ち上がると、右手がブラーと力が入らなかった。一歩進んで、派手に頭から地面とキスすることになった。これってデイ君とキスでいいんだよねとか馬鹿なことを考えながら、とりあえずデイ君を安全なところに運ばないとと気合を入れる。
「ぼろぼろだな」
目がぐるぐる回っててよく見えないが、誰かが目の前に座ってた。何言ってるのかは本格的に解んなかった。
「そいつを渡せよ、見逃してやるから」
「私を渡してください」
痛いいたいいたい。口からはなんかいろいろ出てきちゃって、足ももう駄目だ、お腹痛いし、手もまるで痺れてるみたいに、だけどすごく痛い。
「話にならんな。渡せ」
デイ君を奪おうとする、男の人が見えた。きっとこの人は敵だ。デイ君を奪おうとする。
ぐるぐるしてた目もなんとか、ぐらぐらになって、私は右手でその手を払う。感覚も何もないのに動くなんて人類の神秘だ。
「いい根性してるな」
男の人が笑ってる。
「でも、もうセーブアンドロードの奴も死んだし、お前、その腕、というか、その状態だと死ぬぞ」
――死んでもいいから、デイ君を……。
後ろに四つ三つの黒いさっきのが着地する。
絶体絶命。というか、死んでる。
「ゲームオーバー、自分の力を恨め」
「やだよぉ、デイ君死んだら、僕はどうしたらいいんだよ」
僕のせいだ。
僕はくずだ。
結局泣くだけしか出来ない。立てすらしない僕に地面は迫って……ぶつかった。