『輪作』【掌編・文学】
『輪作』作:山田文公社
今年も多く収穫できた。照りつける太陽と熱風で、にじみ出る汗をタオルでぬぐいながら、空を仰ぎ見た。手にした茄子は紺碧の肌と照りのある艶で、そのまま焼いても煮込んだり、漬け物にしても美味しいだろう。いろいろと想像を巡らせ菜園ハサミで、茄子のへたを切り大きい樹脂製の収穫用かごへと放り込んでいく。すべて収穫が終われば、次の種まきが始まる。当然ながら違った科目の野菜を選ぶ必要がある。
同じ科目の野菜を作り続けることを連作というのだが、これを続けると土壌の特定の栄養素が枯渇し発育が悪くなったり、枯れたりすることがある。そういった障害を連作障害と呼ぶ。連作は病虫害も起こりやすくなるのに対し、輪作は違う科目の野菜であるために問題が少ない。
そのため各農園ではこうした輪作計画にそって栽培を行っている。一年で春夏秋冬と様々な作物が育ち、次の年にも四季折々の違う作物が育っていく。2年から5年サイクルほどで作られていくのだ。
作物を育てる土壌は長い時間をかけて栄養を蓄えていく。その栄養を植物はゆっくりと吸い上げて成長していきやがて実をつける。それが収穫され市場にならんで人の口へと入るのだ。
仕事を辞めるまで、そんなことすら考えたことがなかった。農道のもう一つ向こうにスーツの上着を肩からかけた営業と思われる男が声をかけてきた。
「すいません、八場町の市役所はどちらでしょうか?」
「この道を道なりに真っ直ぐ行って、橋が見えたら左手の道を行けば着くよ」
「すいません、ありがとうございました」
そう言い男は深々と頭を下げて去っていった。少し前まで自分もあの営業マンのように、いろいろと歩きまわっていた。ほんの4年ほど前なのにずいぶん昔のことのように感じられる。
家族もあんなに嫌がっていたのに、もうそんなことは誰も言わなくなった。諦めたのではなく。ここの良さに気づいたのだろう。あんなに時間に追われていた生活が、ここではゆっくりでありながら、とても早く過ぎていく。
しきりに帰りたいとぼやいていた娘も今では……。
「お父さーん、何か手伝うー?」
あぜ道からこんなふうに娘が大声で聞いてくるのだ。私は大きく首を振り帰るように促した。すると娘は畑に入ってきて。収穫かごに入った菜園ハサミを手に収穫を始めた。
変われば変わるものである。
街で暮らしていた頃には決して見えなかったものが見える。ここには遠慮などいらない。建前もいらない。ふと都会の制度が連作のように思えた。同じ土壌で同じように育てるから、発育が悪く病虫害に弱くなるのではないかと……輪作のように違った育て方が必要ではないかと考えた。教育だけでなく、社会や制度においても同じかも知れない、そう考えながら収穫を続けた。
そんな考える私を尻目に鼻歌交じりに収穫している娘をじっと見つめて尋ねた。
「楽しいか?」
私は質問してから後悔した。口下手だからこんな質問になる。しかし娘は頷いた。壊れかけていた絆はまだ生きていたのだ。
どうやら脱サラして田舎に来たのは正解だった。と思えた瞬間だった。深く息を吐き、胸をなで下ろした。
さて今日は収穫したほうれん草は、家庭料理になる。次はカブの種を撒く。こうして繰り返されていく。
「先ほどはありがとうございました!」
車道から声がかかる、見ると先ほどのサラリーマンだった。手を軽く振り挨拶を返した。
今日は早く帰れそうだ。娘に感謝しながら、夕方になった。
かごを五台ほど荷車にのせて夕日に向かって歩き家路へと向かう。
かご一杯になった、ほうれん草ひとつが誰かの口にはいるまで、より多くの時間が費やされる、そのひとつの作物にかけられた時間と労力が無ければ野菜はできない。多くのなかのひとつに過ぎないけれど、そのひとつひとつを手間暇かけて作っていく。できたものが食べられる。
何を作るにも時間がかかる。だが手間暇かかるから愛情もわくのだ。店先で簡単に買える弁当よりも、手作りのご飯の方が美味しいのだって、つまりは手間暇かけるからなのだ。
荷車を引きながら歩く。一歩ずつ歩いていく。一歩ずつ……。
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