第1話 獲物は「銀色の缶詰」
その日の朝、私は最高の気分で目覚めた。
理由は単純だ。昨晩、家の裏山に仕掛けた罠の方角から、何かが暴れる音が聞こえたからだ。
私の名前はラナ。
人里離れた森の奥で、ひっそりと薬屋を営んでいる。
薬屋といっても、客なんて滅多に来ない。
主な収入源は、冒険者ギルドへの薬草納品だ。
生活は慎ましいもので、食卓に肉が並ぶことなんて月に一度あればいい方だった。
「神様、お願いします。鹿とは言いません。せめて、脂の乗った猪を……!」
私は祈るような気持ちで、朝露に濡れた獣道を急いだ。
茂みをかき分け、罠を仕掛けたポイントへとたどり着く。
そこには、朝日に照らされてキラキラと輝く「何か」があった。
「……え?」
私は目を疑った。
私の仕掛けたワイヤーアクション式のくくり罠。
その強靭なワイヤーの先には、丸々と太った猪ではなく――。
全身を銀色のフルプレート鎧に包んだ人間が、逆さ吊りでぶら下がっていた。
「…………」
そよ風が吹く。
銀色の塊は、キー、キー、とワイヤーをきしませながら、ゆっくりと回転している。
私は期待が裏切られたショックで、その場に崩れ落ちそうになった。
肉じゃない。
食べられない。
しかも、一番処理に困るやつだ。
「おい……そこの、お前……」
回転する銀色の塊から、くぐもった、しかし威圧感のある低い声が聞こえた。
兜の隙間から、私の方を睨んでいるようだ。
「……っ、見ているなら、助けろ……!」
男はジタバタと手足を動かそうとしているが、まるで陸に上がった亀のようだった。
無理もない。
あの重厚なフルプレートアーマーだ。
関節の可動域は厳しく制限されている。
直立していれば最強の防御力を誇るだろうが、逆さ吊りにされれば、自重で腹筋運動などできるはずもない。
つまり、物理的に「詰んで」いる。
「あの、それ、猪用の罠なんですけど」
「……ぐっ!」
「猪なら今夜は牡丹鍋だったんですけど」
「知るか! 頼むから下ろしてくれ……! 血が、頭に血が上って……限界だ……!」
確かに、彼の声は必死だった。
私はため息をつくと、近くの大木に取り付けておいた滑車に手をかけた。
獲物が大型の猪だった場合を想定して、一人でも引き上げられる仕組みにしておいたのが幸いした。
「重いですよー、落としますよー」
「落とすな! ゆっくり下ろせ!」
ギギギ、と滑車を緩める。
ドスン、と鈍く重い音が森に響き、銀色の騎士様は地面に落下した。
「はあ、はあ、はあ……」
地面に横たわったまま、騎士様は荒い息を吐いている。
どうやら自力で起き上がる気力もないらしい。
私は仕方なく近づき、ガシャンガシャンと音を立てて、彼の兜の留め具を外した。
「失礼しますね。窒息されても困るので」
ゴロン、と兜が外れる。
現れた素顔を見て、私は一瞬、息を呑んだ。
汗で濡れた銀色の髪。切れ長の鋭い瞳に、通った鼻筋。
絵本に出てくる王子様がそのまま抜け出してきたような、この世のものとは思えない美形だったのだ。
ただし、長時間逆さまだったせいで、その顔は茹でダコのように真っ赤だったけれど。
「……ん?」
彼と目が合う。
鋭い眼光。きっと、普段は人を従える立場にいる人間なのだろう。
彼は私を睨みつけたまま、震える唇を開いた。
「……殺せ」
「はい?」
「いっそ、私を殺せ……!」
彼は顔を両手で覆い、地面を転がった。ガシャガシャと鎧が鳴る。
「帝国騎士団長の私が……猪用の罠にかかって、小娘に助けられるなど……! 騎士の恥だ! 末代までの恥だ! あああ、もう死んでしまいたい!」
どうやら、プライドが粉々に砕け散ったらしい。
私はやれやれと肩をすくめた。
「死ぬのは勝手ですけど、うちの敷地内で死体になられると迷惑なんです。ほら、足を見せてください。ワイヤーが食い込んで怪我してるでしょう」
私は彼の足元のグリーブ(すね当て)を強引に外した。
予想通り、足首が赤く腫れ上がっている。
「……っつ!」
「捻挫してますね。湿布を貼っておきますから、今日はおとなしく帰ってください」
私が手際よく応急処置を済ませると、彼はバツが悪そうに視線を逸らした。
そして、立ち上がろうとしてよろけ、近くの木に手をつく。
「……礼は言う」
彼は私を見下ろし、低い声で言った。
その姿は、さっきまで回っていた人とは思えないほど凛々しい。
「だが、いいか。私がここで罠にかかっていたことは、誰にも言うな。絶対にだぞ。もし他言したら……」
「したら?」
「国家反逆罪で処刑……いや、私の権限で、お前の家の裏山を更地にする!」
随分と個人的な報復だ。
「わかりましたよ。誰にも言いません。そもそも、こんな山奥に話し相手なんていませんし」
「む……そうか」
彼は少し安心したように息を吐くと、足を引きずりながら森の外へと歩き出した。
背中のマントには、枯れ葉が一枚、哀愁たっぷりに張り付いていた。
「……はぁ。結局、今夜のお肉はなしかぁ」
私は遠ざかる銀色の背中を見送りながら、ぐうと鳴るお腹をさすった。
まさか数日後、彼が大量の「お礼」を抱えて、私の狭い家に押しかけてくることになるなんて。
この時の私は、知る由もなかったのだ。




