【特殊案件1】蒸気に溶けた殺意 7/7
7月10日 AM08:10
@東京都中央区 つむぎ損害保険株式会社 損害サービス部 特殊事故対応室
篠宮はコーヒーを片手に会社用スマホを眺めていた。ニュースアプリを
漫然とスクロールするのが習慣だった。始業までまだ少しの時間がある。
【経済】、【天気】、【芸能】。親指が止まった。
【社会】食品工場労災死亡事故 管理体制不備で書類送検
千葉××新聞のネット記事だった。
写真には見覚えのある工場の入り口が写っていた。記事を開く。
──千葉県内のLS食品株式会社で発生した作業員死亡事故について、
県警は7月9日、当時現場を管轄していた川西誠也容疑者(46歳)を
業務上過失致死の疑いで書類送検した。
──警察の調べによると、川西容疑者は作業環境の安全を管理する立場に
ありながら、危険な作業環境を意図的に放置していた疑いがある。
──また同日、同社の川西容疑者の上司である統括責任者の男性についても、
安全管理に対する監督義務を怠ったとして、同じく業務上過失致死の疑いで
書類送検されたが、関与の程度は限定的と判断され不起訴となる見通しである。
即座に片瀬を探したが、今日も調査で出張している。
「……やっぱり、片瀬さんは全部見抜いてたのかな」
篠宮は小さく息を吐いた。”意図的に放置”という非常に強い表現は、
言外に管理不足以外の何かを匂わせているように感じられた。
スクロールすると、記事は続いていた。
──本件については、第三者機関による再調査が行われ、装置の安全管理や
運用方法だけでなく、使用していた保護具の管理方法に問題があったことが判明。
──これを受け、同工場には安全管理体制全般の是正勧告がなされた。
篠宮は画面をスクロールする指を止めた。
片瀬さんが報告書の補遺事項に付け加えた、保険とは関係のない文章。
それが、確かにここに繋がっている。さらに小さく、続報が添えられていた。
──工場では今後、設備の全面的な見直しを行い、国内製の新規機器を導入する
見込みである。本機器は、第三者機関推奨の安全管理装置を備えている。
篠宮はスマートフォンを机に伏せた。
実名報道された川西は、会社への復帰は難しいだろう。
その上司も出世街道から外れたことは間違いない。
LS食品は社会的評価が下がり、第三者機関の監督の下、体制を改める。
保険金は全額支払いにならないかもしれない。
これら全て、片瀬さんの意図通りだったのだろうか?
低速運転は正式に禁止された。単独夜勤の運用は廃止されるだろう。
防曇ゴーグルは個人管理から、点検記録付きの共用管理に変わった。
スチームコンベアは安全管理が十分な新機器に更新される。
労災の被害者は戻らない。悲惨な事故は、文字と数字に分解され
新聞の片隅に載るだけだ。だが、そこに残る“影”を視ている人間は確かにいる。
警察でも、探偵でもない。事故調査員だ。
篠宮は、画面を見つめながら思う。
次の事故で、私は片瀬さんのように影に潜むものを見つけられるだろうか?
そう考えると、急に不安に襲われる。
始業のベルが鳴り、溜まった業務に取り掛かる。
事故に潜む影は、今日も静かに残っている。




