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オルフェウスの影  作者: 里中 汪


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6/15

【特殊案件1】蒸気に溶けた殺意 6/7

6月29日 PM02:35

@東京都中央区 つむぎ損害保険株式会社 損害サービス部 特殊事故対応室


 その日の午後のオフィスは異様に静かだった。外勤者が多い為人も少なく、

会話も殆ど聞こえない。遠くで誰かがキーボードを叩く音だけが響いている。


デスクの上に置いた社用スマホが短く振動した。電話帳に未登録登録の番号だ。

「はい、片瀬です」

受話口の向こうは、少し間があってから低い声で名乗った。

「山浦です」

所轄の刑事だった。以前、別の事故で関わった事がある。


「例の労災死亡事故の件ですが……共有いただいた資料を確認しました」

それは、限りなく小さな波紋だった。湖面に、石を一つ落とした程度の。


「あなたの補遺事項は、普通じゃないんですよね。

 再度こっちも洗いましたよ。ゴーグル中心にね」

声色は淡々としている。怒りも、非難も含まれていない。

「現時点で事件性を裏付ける決定的証拠はありません。ただ…」

一瞬、言葉を選ぶ間があった。

「川西さんには、今署でじっくりとお話は聞いています」


 想定の範囲内だ。何も言わずに聞く。

「そこで、あなたの本件の資料など捜査に役立つものを提出いただけませんか?」

「分かりました。こちらの調査メモを提出します」

「すみませんね。若手が定型的に処理して、刑事としての職務を果たせなかった」

「いえ、私は気にかかる点を報告しただけですので」

「…私の勘でしか無いですが、彼はシロではないかもしれませんね」

彼の仄めかしを問いただす事はせず、儀礼的な挨拶をして電話を切った。


 椅子に深く腰を沈めた。正義を執行したつもりはない。

誰かを救ったとも思っていない。ただ、再発防止策を講じただけだ。


篠宮が、給湯室から戻ってきて言った。

「次の案件、来てますよ。化学工場の感電事故です」

「……分かった」


立ち上がり、モニターに向き直る。報告書をじっくりと読み始める。


振り返ってはいけなかった。だが、振り返らない代わりに影を記録に残す。

それが、事故調査員の仕事だ。

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