表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オルフェウスの影  作者: 里中 汪


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/14

【特殊案件1】蒸気に溶けた殺意 4/7

6月22日 AM08:18 @千葉県船橋市 居酒屋大仙


 目の前に置かれた生ジョッキの表面を、細かな水滴がゆっくりと伝っていく。

泡は落ち着いているが、黄金色の液体はまだわずかに揺れていた。

貞松さんはすでに一杯目を飲み終え、空いたジョッキを卓上に戻した。

その隣に座る高橋さんは、最初の一口以降ジョッキに手を伸ばしていない。

お酒が得意ではなく、いつも付き合いで来ているのだろう。


「夜勤明けに飲むの、久しぶりだな」

貞松さんはそう言って笑った。

「あの事故依頼、現場もピリピリしてるしな」

高橋さんは曖昧にうなずく。

視線をこちらから意図的に逸らしており、明らかに警戒しているようだ。

見知らぬ外部の人間を雑に紹介されて、すぐに気を許せと言う方が無理だ。


朝営業がウリのこの居酒屋にいるのは、夜勤明けの人間ばかりだ。

枝豆、焼き鳥、冷奴。居酒屋の定番メニューが続々と運ばれてくる。

ジョッキを持ちビールを少し飲んだ。喉を潤す為ではなく場に溶け込む為だ。

朝から飲むビールの不快さは予想を大きく超えていた。


 箸が落ち着いた頃合いを見て、切り出した。

「遠藤さんのこと詳しく教えてもらえますか」

「いいよ。なあ、高橋?」

高橋さんは視線を泳がせてから答えた。

「……はい」

「真面目な人だったよ。雑な仕事はしない。品質に徹底的にこだわる人だった」

貞松さんの言葉に長年の付き合いが滲む。

「無茶はする。でもな、無茶と雑は違う」

貞松さんはビールを豪快に飲み進めるが、言葉は乱れない。


「低速で開けるやり方もさ」

貞松さんが不意に踏み込んだ。

「あれ、現場じゃ皆やってたろ」

「…はい、皆やってたとは言いませんけど」」

高橋さんは小さく答えた。

「だよな」

貞松さんはジョッキを持ち上げ、3杯目を飲み切った。

「遠藤さんだけじゃない。完全停止させると効率も品質も落ちるから」

沈黙が落ちる。高橋さんは箸を持ったまま、動きを止めている。


 高橋さんに聞きたい質問をぶつけてみた。

「高橋さんは事故後の聴取で低速運転時に開けていたと答えたんですね?」

「そうです。嘘はつきたくなかったので」

ようやく目を合わせて答えてくれた。

「俺は言わなかったよ。ヒアリングの時、川西は鬼の形相だったからさ」

笑いながら話す貞松さんの顔は既に真っ赤だ。

「その後、川西さんから何か言われたのか?」

「安全教育プログラムの再受講とヒヤリハットメモの提出をしろ、と」

高橋さんに更に聞きたい質問をぶつけた。

「低速運転は、本当に危ないんでしょうか?」

多分、この人は嘘を付けないし、付かない。

「注意して作業すれば、挟まれのリスクは殆ど無いと思います」

貞松さんは日本酒を注文してから、5杯目のジョッキを飲み干した。

「何かあったんじゃないか?あの人はそんなミスをするとは思えない」


 高橋さんは口を真一文字に結んだ。言うべきか迷っている表情だった。

「……最近、遠藤さんだけ1人夜勤多くなかったですか」

しばらくして、高橋が続けた。

「正直、変だと思ってました」

「育休取る奴が2人ぐらい続いたからな」

「そうですけど、それなら皆増えるんじゃないですか。

 遠藤さんにだけ負荷かかってましたよ」

「あの件で統括に目を付けられて、嫌がらせされたって言うのか?」

「そこまで言いませんけど、遠藤さん最近孤立気味だったじゃないですか」

「…」

押し黙っている貞松さんを初めて見た。


 前回深掘りできなかった事を聞ける絶好のチャンスだ。

「新規機器の導入の件、遠藤さんはどうやって対応したんですか?」

質問を聞いた途端、貞松さんは鋭い目付きになった。

「君の目的は何だ?」

咎めるようなトーンではなく、こちらの真意を探りたいようだった。

「保険会社の調査の役目を逸脱して、何がしたい?」

偽りなく、正直に答える。

「僕は特殊事故の調査員です。本当の原因を調べたいんです。

 そして、こんな事故が2度と起こらないようにしたい。目的はそれだけです」

「正直、平日の朝の飲み会に来る訳ないと思ったけどな。」

“会えるなら夜勤明けの居酒屋しかない”という返答は、やはり断り文句だった。

「…分かった。全部言うが、高橋や会社には迷惑がかからないようにしてくれ。

 俺は定年が見えてるからどうなってもいいが」

「貞松さん含め、絶対にご迷惑がかからないようにします。」

「遠藤さんは、新規機器は味と香りが落ちる恐れがあるという情報を

 商品開発部に勝手に流したんだよ」

「そうだったんですか?」

高橋も知らなかったようで、驚いた声を上げた。

「生産部では工場統括の権力は絶大だ。けど、他の部署にその力は及ばない」

「それで新規機器の導入はペンディングですか?」

貞松は日本酒を一気にあおった。

「まあ、折衷案で現行同等の味を出せるなら導入可能となったらしい。

 実際には検討が大分必要だから、導入は1年ぐらい伸びたんじゃないか」

「そのリークした遠藤さんの事を渡辺さんはどう思ったんですかね?」

「渡辺統括はもう烈火のごとく怒ったそうだよ。異動させようとしたが、

 遠藤さんの引取先が無かったみたいだけど」


 高橋さんが呟いた。

「そのリークがあった頃から1人夜勤が増えたんですかね」

「時期には合っているとしか言えないな」

貞松のトークの端切れが悪くなった。高橋さんはふと何かを思い出したようだ。

いつの間にかジョッキが空になっている。

「遠藤さん、最近よくゴーグルを気にしてませんでした?」

「そうか?最近勤務シフトがずれていたから分からんな」


 自分の中で組み立てた仮説を検証する、願っても無いチャンスが来た。

ジョッキを引き寄せて、ビールをあおった。

「さっき、お2人とも遠藤さんが挟まれるのはおかしいと言いましたよね。

 仮にゴーグルに異常があったとしたらどうですか?」

貞松は日本酒のお代わりを注文した。

「そりゃ、誰でも視界を邪魔されたら労災リスクはグンと上がるよ。

 助けを呼ぼうにも1人勤務だ。でもうちのゴーグルは特注の防曇仕様だぞ」

「どうやって防曇しているんでしたっけ?」

「レンズの内側に親水性のコーティング膜があって、曇らないらしい。

 どういう原理か知らないが」

高橋は強くうなずいた。

「あのゴーグルは間違いないですよ。蒸気がどれだけ出ても曇らない」

その断言には、現場で積み重ねた信頼があった。

「使う内に劣化した場合は、防曇ワイプを使うんでしたよね。

 遠藤さんはよく使っていましたか?」

高橋さんは身を乗り出して答えた。

「しょっちゅう使っていましたよ。大体の人は共用品を使ってますが、

 遠藤さんは個人持ちしてましたね」

真相に迫る為に必要なパーツが揃った感覚がある。

点と点が、線になり始めている。だが、まだ輪郭はぼやけている。

ジョッキ表面の水滴を指で拭った。


「最後に2つだけ教えて下さい」

貞松さんを見る。

「この事故の後、ゴーグルや作業具の扱いは何か変わりましたか」

「点検表が新たにできたよ。他は特に変わってない」

「あと、この事故を受けてスチームコンベアは現行品のままか、

 新規機器導入のどっちになりそうですか?」

「人が1人死んでいる以上、危険ありということで買い替えだろうな」

「本日はお時間いただきありがとうございました。

 遠藤さんに報いられるような報告書を作ります。」


 店を出ると、初夏の陽光が容赦なく降り注いだ。酔いが一気に回った気がした。

この件は事故だ。ただし、起こるべくして起きた事故だ。

そして、再発する可能性がある。書くべき報告書の輪郭が、見え始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ