【特殊案件1】蒸気に溶けた殺意 3/7
6月18日 AM11:59
@千葉県船橋市 LS食品(株) 加工工場C棟
連れて来られたのは貞松さんというベテランの方だった。遠藤さんと30年来の
付き合いだったという。遠藤さんの人となりから、スチームコンベアを導入した
思い出話まで、一通りの話は聞けた。ただし、隣に上司の川西さんが居る為、
考えながら建前を話している様子が窺えた。
やがて、川西さんが業務対応の為にに中座した。扉が閉まる音を合図に
質問の角度を変えた。
「今日夜勤明け休みで不在の、若手の方ってどなたですかね?」
「高橋ですね。どうしてそんなことを?」
「いえ、さっき川西さんが”今日不在だけど優秀な若手がいる”と言っていて」
適当に取り繕った。更に踏み込んだ別の質問をしてみる。
「遠藤さんと凄く仲の悪い人はいましたか?」
貞松さんは一瞬だけ目を見開き、上を向いて少し考えた。
「うーん…渡辺統括かな…」
声が低く、小さくなった。
「この工場はA棟からE棟まであって、川西さんがここC棟のマネージャーで、
その上司が渡辺統括。昔、遠藤さんは統括と出世争いするほど有望だった」
少しずつ、砕けた口調になってきた。
「そうだったんですね」
「2人とも気が強く、仕事の考えが正反対。俺が言ったってこと、
絶対に出さないでくれ」
念を押す視線。篠宮と2人で頭を縦に振る。
「加えて、スチームコンベアを別メーカー品に更新する計画を去年から
統括が強く進めた。統括が懇意にしている中国のメーカーだったな。
遠藤さんはそれに大反対したんだ」
「新機種が必要な理由は何ですか?」
「うちは麺類が8割ぐらいだけど、最近の健康志向で蕎麦が増えてきたんだ」
「今の機器では蕎麦は作れないんですか?」
「作れる。ただ、長時間蒸気を当てるから効率が落ちる。
でも、新規機器なら効率を落とさず製造できる」
「それなら新規機器の方が良さそうに聞こえますが」
「分からない人も多いけど、新規機器は味と香りが落ちる。
だから遠藤さんは新規機器は絶対にダメだと渡辺統括に食ってかかった」
「上司に真っ向から逆らったんですね」
「ただ、しがない製造員の意見は最終的には黙殺だ」
「では、新規機器の導入はーー」
「いや、そこからが遠藤さんの凄いところでさ…」
ドアの向こうに人影が差した。川西さんが戻ってくるようだ。
「また、詳しく聞かせて下さい。」
「ああ」
川西さんが座ったタイミングで、篠宮が口を挟んだ。
「すみません、そろそろ時間なので……」
いや、まだ全然聞き足りない。
「最後に、作業用具は巻き込まれ防止対策はされていますか?」
貞松さんは口調は整え直した。
「運転中の装置開放は想定していませんが、装置出口での製品チェックが
定期的にあるので、袖口バンドと防曇ゴーグルは必須ですね」
「グローブは何か工夫ありますか?」
「滑り止めはありますが、指先プロテクターはないですね。
巻き込まれは防げないし、大型化して却ってリスクは高くなります」
「ゴーグルは何か工夫がありますか?」
「特注の防曇タイプを使っています。視界不良は安全上絶対に避けたいので」
「なるほど。袖口バンドの固定性やゴーグルの防曇性はいずれ劣化しますよね。
定期的なチェックはしていますか?」
貞松さんは答えに窮し、川西さんが口を挟む。
「就業前に各自確認します。劣化があれば会社負担ですぐ買い替えできます」
「ゴーグルの防曇性が落ちた場合、買い替え以外の対応は?」
「メーカー推奨の防曇ワイプを使っています」
「それは個人保有か、それとも共用ですか?」
「会社費用で買って、個人保有ですね。使わない人もいますし」
「分かりました。調査にご協力いただき、誠にありがとうございました」
受付に書類を渡して、敷地の外へ出た。
「こんなに時間をかけたって事は、何か気になる点があったんですよね?」
「事故なのは間違いないよ」
「保険金の満額支払は確定していますし、報告書に必要なヒアリングは
最初の30分で終わってましたよね」
「そうだね。でも何かあるよ、この事故は」
「調査報告書はいつ頃提出しますか?」
「…締切は基本2週間後だから…」
「今回のような簡単な案件は、早期提出の方が上も顧客も喜びますよ」
「他の案件も抱えてるから、適宜ね…」
10歳下の後輩に仕事のダメ出しされるのは正直堪えるが、
万全の調査の為なら黙って受け入れる。
その夜、貞松さんに貰った名刺の携帯電話にショートメールを送った。
〈また千葉に行く用事があるので、是非お話を聞かせて下さい。
できれば高橋さんの話も聞きたいです〉、と。
翌日の夜に返信があった。指定は平日の朝で、場所は居酒屋だった。
おそらく夜勤明けの飲み会で、実質お断りと言うことなのだろう。
この事件には何かがある。蒸気は消えても、影だけが残っている。




