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オルフェウスの影  作者: 里中 汪


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2/14

【特殊案件1】蒸気に溶けた殺意 2/7

6月18日  AM10:14 @千葉県船橋市 LS食品(株)加工工場


 名刺を差し出し、最大限丁寧な挨拶をする。

「つむぎ損害保険特殊事故対応室の片瀬裕也と申します。本日はお忙しい中

 調査させていただき、ありがとうございます。よろしくお願いします。」

仕事の邪魔をしたくない。だが、調査は相手の時間と神経を確実に削る。

だからこそ最初の挨拶だけは礼を尽くす。


 同行する篠宮も同じく名刺を差し出す。

「同じく特殊事故対応室の篠宮ひよりです。調査にご協力いただき感謝致します」

「加工工場C棟マネージャーの川西です。今日はご自由に見ていってください。」

川西さんは40代後半の大柄な男性だ。作業服の上からでも鍛えた体躯が分かる。

全身真っ黒に日焼けしているので、アウトドアスポーツが趣味なのかもしれない。

川西さんは我々をゲスト扱いしてくれるようだ。保険会社の調査は保険金を

支払う為に必要なプロセスなので、邪険に扱われることは少ない。


 LS食品株式会社。大手食品メーカーで、チルド食品のシェアは日本有数だ。

企業理念は「食事の喜びを世界に」だそうだ。


 現場に入る前に装備を身に付ける。まず、工場白衣を着用し、衛生帽子を被る。

大きなマスクを装着し手を入念に2回洗った。グローブと袖口バンドを装着し、

エアシャワーでホコリや髪の毛を取り除いた。最後に、特殊ゴーグルを装着する。


 事故が起きたスチームコンベアは稼働を再開していた。装置から大量の蒸気が

吐き出されていることに驚かされる。だが、床は濡れている様子はない。

天井の巨大な排気ダクトが蒸気を吸い込んでいくからだ。


「…やっぱり、何も痕跡は残ってないですね」

篠宮は周囲を見回し、残念そうに言った。


 再発防止策の掲示に目を走らせる。分かりやすくまとめられた手順書、

強い注意喚起、保護具着用義務の強調。どれも不足はない。

その横にホワイトボードに真っ赤な走り書きが強い筆圧で書かれていた。

“装置開放は絶対厳禁!即刻懲戒対象!!”


 事故発生場所に足を運ぶ。設備との距離、前屈の角度、視線の高さを確認し、

頭の中で危険度をシミュレーションする。川西さんはすぐ右後方に直立し、

こちらの一挙手一投足を観察していた。

「これまで、類似の事故はありましたか?」

「事故は無いですがヒヤリハットはあります。」

「何年間で何件ですか?」

「26年間で2件です。ですので安全ルールで装置開放は固く禁じています」

「設備の説明書によると全開放の4分の1、大体23度くらい開けられる

 ということで間違いないですか?」

少し間が空いてから、川西さんは返答した。

「はい。低速運転時は開放できます。通常運転時はインターロックで開きません」

「何故低速時は装置を開放出来るのですか?」

「メーカーのメンテナンス時に中の運転状態を確認するためです。

 開放すると警告音が鳴ります」

「素人質問で恐縮ですが、通常運転と低速運転で巻き込まれリスクは違いますか?」

「低速運転は通常運転の約半分の速度ですがリスクも同様に半分とは言えません。

 結局は、外装とコンベアの間に挟まれると被災してしまうので」

その後も装置や運用に関して質問を重ねた。質問数が20個を超えると川西さんは

うんざりした表情を隠さなくなった。そろそろ切り上げる必要があるようだ。


「もし可能でしたら、低速運転に切り替えてもらえますか?」

「はい、短時間なら大丈夫です」

川西さんは近くにいた従業員に指示を出した。スチームコンベアはガシャンと

大きな音を立て、モーター音は小さくなった。

「装置を開けてもいいですか?」

「…少しなら。」

外装を開けるとコンベアから蒸気が大量に溢れ出してきた。

篠宮は短く悲鳴を上げた。しかし、特殊ゴーグルにより視界は曇らない。


 10秒ほど待つと蒸気は収まった。中を覗くと、回転寿司のレールのように

ゆっくりとベルトコンベアが動いていた。

「食品なので、開ける時間は短く!」

川西さんが咎めるように言った。慌てて、装置を閉じた。

「被災者はこの蒸気の中、手と頭を入れて異物除去をしたということですね?」

川西さんはうんざりした表情から無表情に変わった。

「ルールから逸脱した許されない行為ですが、恐らくそうしたのでしょう」

「それは常日頃から?」

「メンバーに聴取したところ、そのようです」

「他の工員の方は?」

「1名を除いて、ルールを遵守していました」

労災死亡事故発生後のそのヒアリングは、真実を話せる場だったのだろうか。

「その方にお話を聞くことはできますか?」

「夜勤明け休みですので、できません」

「その方のお名前を聞いても良いですか?」

「名前は開示出来ませんが9年目の若手です」

この会社ではキャリアを10年近く積んでも若手扱いのようだ。

「遠藤さんは蒸気で視界が悪い中、装置に手を入れたんですかね?」

「蒸気は5秒ほど待てば落ち着きますので、視界は確保できていたと思います。

 それより遠藤は最近加齢の影響か作業相違や製品間違いが多かったです。」

「それは何か、病院で検査されたり…?」

「いえ。この職場はシニアも多いですが、特に気にしない人が多いですね。」

「このゴーグルは特注なんでしたっけ?」

「はい。防曇、つまり曇りを防ぐ加工で蒸気に晒されても曇ることはありません」

「遠藤さんが挟まれたのは、右奥側ですか?」

「そうです、そのように聞いています」

事故発生から8日が経過しているが、床に血痕が薄く残っていることに気づく。

分かっていることだが、念の為聞いてみた。

「遠藤さんが当時着用していた装備一式は会社に保管されていますか?」

「いえ、警察が全部回収していきました」

「ありがとうございます。調査は十分です」


 控え室に戻り装備を全て外した。疲弊した様子の篠宮は小さく息をついた。

「やっぱり、事故ですよね」

いや、徹底的に調べないと分からない。ゴーグルを手に取り、内側を確かめる。


この部屋は隣の更衣室と繋がっており、非勤務者の衛生帽子とゴーグルが

置かれている。モニターに表示されたシフト表を見て、夜勤明けの人物を探した。


 川西さんから水のペットボトルを渡された。

「他に確認したいことはありますか?」

調査開始から1時間以上が経過している。昼休みの時間も近い。

川西さんと篠宮の両方からもう終わってくれ、という切実な目が向けられた。

「そうですね、遠藤さんと親交が深かった方にお話を伺うことはできますか?」

2人は揃って落胆の表情を浮かべた。

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