転生したら物置暮らしだった件
本郷さんという劇薬が、俺たちの人間関係を完全に分裂させていく。
もはや「精霊王がどうのこうの」なんて話をする空気じゃない。
――しかし、俺もそれどころではなかった。
この砂漠のように乾ききった俺の人生にも、まさかの「うるおい」が。
……そう、春。青春。まさか、ついに訪れた?
いやいや、そんなわけがない。
俺だぞ? 陰キャ・渡瀬徹だぞ?
ここで浮かれるとか、自殺行為だ。
絶対にどこかに、巨大な落とし穴が隠されているに決まっている。
――そう考えていた矢先。
「ねぇ徹、生徒会長選挙の演説の原稿、こんな感じで良いかな?」
すぐ横から、甘ったるい声。
そして距離感ゼロ。
本郷さんがぴったりと身体を寄せて、俺の手元の紙を覗き込んでいる。
くっ……近い!
女子の柔らかいシャンプーの匂いがする!
至近距離で息がかかる!
これは……完全に落とし穴だろ!
「ど、どうかな? 徹の意見、すごく聞きたいんだ」
……。
(ああ……もういいや。落ちるなら落ちるで。俺の人生、落とし穴に沈んでいくのも悪くない……)
俺はすでに、ど真ん中に落下中だった。
俺はもう、自力でどうにかできる領域を軽やかに超えていた。
高峰の生徒会長への執着、本郷さんの劇薬級の接近、周囲の空気はすでに可燃物ばかり――火花一つで校舎ごと吹き飛びかねない。
(ダメだ、俺一人じゃ収拾つかない……助けが必要だ)
息を吸って、窮地のときだけ発揮される不思議な勇気を振り絞る。大声で――いや、精一杯の声で叫んだ。
「ちょっと待ってくれ! みんな聞いてくれ!!」
一斉に視線が俺に集中する。鼓動が耳鳴りになって返ってくるが、そのまま声を続けた。
「生徒会長選挙もいい! 生徒会のこともいい! でも今は分裂してる場合じゃないんだ。精霊とか悪魔とか超能力とか、いろいろあって複雑なのはわかる! だけど――俺は、みんなが同じ学校で、普通に話せる場所が欲しいんだ!」
言い終わると、場内が微妙にざわついた。誰かが鼻で笑い、誰かが眉をしかめる。だが完全に無視されるほどの大失敗には見えない――わずかに希望が残っている。
本郷さんがすっと俺の手を離し、前に出てきた。目は真剣だ。
「徹の言う通りだよ。私たち、ここで内輪もめしてる場合じゃない。生徒会のことも、精霊のことも、まず話し合いで解決しよう」
水無月さんは腕組みしたまま、冷たい笑みを浮かべる。だが、その目はどこか揺れている。相模原は得意げに胸を叩き、香春は腕を組んで考え込む。亜里坂はちょっと不満そうだが、面白がっている素振りも見える。高峰は扇子をガッと閉じて、こちらを睨みつける――ただし、口を開く様子はない。
「生徒会長選挙を今やるのは無茶だわ」高峰が低く言った。意外と冷静な声だ。
「暫定的な話し合いの場を設けましょう。精霊のこと、悪魔のこと、そして学内のルール。まずは”議論”で整理するのが筋だわ」
それを聞いて、俺の胸の奥にぽっと温かいものが灯る。小さく、しかし確かな救い――仲間、と呼べるかもしれない顔ぶれがここにある。
「よし、じゃあ決まりだ」本郷さんがパッと手を叩いた。
「今から放課後に“臨時会議”を開く。場所は――僕の提案で校庭のあの木の下。中立で居心地がいいから」
相模原が小さくガッツポーズをする。香春は頷き、水無月は一瞬だけ笑みを見せ、高峰は面白くなさそうに鼻を鳴らしたが、口元には薄い賛同の影がある。
俺はその場で深く息を吐いた。落とし穴はたぶんまだそこにある。だけど、今は一人で飛び込む勇気は要らない――誰かが手を差し伸べてくれたのだ。
(よし。まずは話し合いだ。暴力でも陰謀でもなく、言葉で解決するんだ。たぶん不毛な議論になるだろうけど、それでも――俺はやってみる)
放課後――校庭の大きな木の下で、俺たちの奇妙で過激な“臨時会議”が始まることになった。
――精霊の王の話も、選挙の話も、全部まとめて。まずは話す。それが、今の俺にできる最初で最大の抵抗だった。
「おいおい、俺が火消し役のつもりだったのに、なんで毎回ガソリンぶっかけられてんだ俺……」
俺は頭を抱えた。
目の前では香春さんが無邪気に笑い、本郷さんが俺の袖をつまんで離さない。
対して水無月さんは眉間にシワを寄せて、冷気のようなオーラを放っていた。
「はぁ……徹、ほんと女の趣味悪いわね」
「趣味って……俺まだ一言も選んでないんだけど!?」
「ほら見なさい、言い訳から入るところが余計気持ち悪いのよ」
「言い訳じゃなくて事実確認だよ!? そもそも状況が誤解を呼んでるだけで――」
「誤解? この密着具合が誤解?」水無月さんがジロリ。
「わ、わざとじゃないから! これ不可抗力だから!」
「不可抗力でも見た目はアウトなのよ。わかる? 見た目がすべて」
「辛辣ゥ!」
相模原は横でポテチを食いながら眺めてるだけだし、亜里坂さんは「このまま殴り合いに発展しねぇかな」とか物騒なことを呟いてるし、高峰さんは「……品位が下がりますわ」とため息をついている。
完全に俺、裁判台に立たされてる被告人ポジション。
「……香春さん、頼むからもう一言も余計なこと言わないで」
「えー? でもさ、渡瀬君がモテモテって事実は変わらないよね?」
「やめろォォォ! その発言が一番火に油なんだって!」
水無月さんの冷気オーラがマジで氷点下を突破しそうだ。
本郷さんは「僕は別に気にしてないけどね」と無邪気に微笑んでるが、それがまた状況を悪化させる。
――誰か止めてくれ、この炎上。
俺の心はもう黒焦げだ。
「はぁ!?降格!?俺何か悪いことした!?」
「悪いことしかしてないわよ!」
香春さんは眉間に皺を寄せ、ヒステリックに指を突きつけてくる。
「いや、犬小屋暮らしだって普通ありえないじゃん!?」
「そうね。だから今日からは物置暮らしよ!」
「はぁああ!?さらに待遇悪化してんじゃん!!」
俺は必死に抗議した。だがその抗議の一言一句が、香春さんの怒りゲージを無駄に増加させていく。
「だって……物置って人が住むとこじゃないじゃん!」
「犬小屋だって人が住むとこじゃないでしょ!」
「……それはそうだけど」
「渡瀬ごときには物置で十分!」
バッサリ斬り捨てられた。俺の尊厳は三秒でゴミ箱に直行だ。
こうして俺は“犬小屋暮らし”から“物置暮らし”へと、まさかのランクダウンを果たしたのである。
タイトルにするなら――
『転生したら物置暮らしだった件』
……冗談じゃない。




