少しだけ過去の話
僕達は付近の公園に場所を移した。
小学生くらいの子供達がサッカーをしている。
僕達はベンチに腰をかけた。
「…じゃあ話すけど、中学の時の話、先に言っておくけど全然良い話じゃないからね…」
「うん…」
それでも期待をしてしまう、知りたい、僕が体験し得ない未体験な話を。
秋山さんは両手をぎゅっと膝に置き、ゆっくり語り始めた。
「私、小学校の時、結構いじめられてた、無視されたり、物隠されたり、机に落書きされたり…この時代にだよ?典型的なやつ…でも、誰にも言えなかった、親にも、先生にも、言ってもどうせ守ってもらえないって分かってたから」
言葉は淡々としているけど、握った拳が小さく震えているのが分かる。
「で、ある日、我慢の限界が来てキレちゃったんだよね、隠された筆箱を取り返そうとして、相手をブン殴ったの…そしたらね、不思議と全部解決したの」
「……え?」
「誰も何も言わなくなった、みんな静かになって、次の日から私に逆らう人いなくなってさ…こっちの憂さ晴らしにもなるし、ああ、暴力って便利なんだなって思っちゃった」
秋山さんは自嘲するみたいに笑う。
その笑顔は少し痛々しい。
「そこから色々変わったなぁ…気づいたら、悪い人とばっかり関わって…髪染めて、ピアス開けて、喧嘩して、夜遊びして…そんなのばっかりになってた……
はい、以上、終わり!」
秋山はスッと立ち上がりスカートを叩き始めた。
「えっ…?」
もう終わり…?
僕は思わず声を漏らす。
いま、肝心なところ、ぜんぶすっ飛ばさなかった?
「えっ?」
秋山さんが不思議そうに首を傾げる。
「えっ???」
「え???」
気づけば、謎の「え?」連鎖。
「待って!それで終わりなの!?もっとこう…喧嘩で大怪我したとか、仲間割れとか、修羅場とか…!」
「んー、今日はここまで」
秋山さんはハンカチを胸元に押し当てながら、勝手に区切りをつけてしまった。
そのハンカチはしまっておこうよ…。
「つ、続きは…?」
「また今度♪」
「嘘でしょ…」
この残念な分割商法に、思わず頭を抱えた。
「さ、帰ろ、お家の方向どっち??」
「………」
「な、なにその目つき…」
おっといけない、出し惜しみに対しての不満が危ない目つきと出てしまったようだ。
「…じゃあそのハンカチ、貸して…」
そして更に言葉に出てしまった、なんか、モヤモヤするから。
「え、嫌だ…私のだもん」
「でもそこに付いてる血液は、僕のだ…!!」
ハンカチに手を伸ばす。
「ふふっ…」
秋山さんがわずかに笑った、その瞬間。
「――っ!??」
気づいた時にはもう遅かった。
僕の手首は軽々とひねられ、あっという間に背中を丸めさせられていた。
「いたたたた…!!動けな…っ!」
「ダメ、他人のモノ取ったら犯罪だよ?」
元非行少女がそれを言うのか。
秋山さんは息も乱さず、笑顔のまま僕を押さえ込んでいる。
痛みは最小限に抑えられているけど、力の流れを完全に封じられていて――抜け出せない。
押さえ込まれながら、僕は理解した。
――勝てる気がしない。
いや、勝ち負けじゃなくて、そもそも土俵が違う。
「…そのハンカチ、やっぱり貸してもらえませんかね…て言うか下さい、僕の血液ついてるからマジで」
「やだ」
満面の笑み。
可愛いけど、もうどうしようもなく残念だった。
なんとも言えないこの感情、もどかしいやら悔しいやら。
「………」
僕は無言で秋山さんを追い越し、帰路へと足を進めた。
「ちょっと…置いていかないでよ!」
背中から秋山さんの声がしたが振り返らず早足で歩を進める。
数歩分の沈黙。
そのとき、秋山さんが小さく、けれどはっきりと呟いた。
「…置いてかれるの、嫌なんだよ」
足が止まった。
振り返ると、彼女は少しうつむき、スカートの裾をぎゅっと握っている。
さっきまで強引で残念な笑顔を浮かべていたのに、その表情は妙に弱々しい。
「秋山さん…?」
「…ごめん、変なこと言った」
そう言って、またハンカチを口元に当てる。
(それをやめてくれよ…!)
心の中でツッコミを入れながらも、なぜか胸がザワついた。
「…えっとさ、置いてかれるの嫌って、それどういう意味?」
「どういう意味って……」
秋山さんはほんの少し間を置いて、顔を上げた。
どこか、迷子みたいに頼りない光を宿していた。
「…一人になるの、怖いんだよ」
「…??荒れてた時も誰かしらとツルんではいたんでしょ…?」
「だけどさ…だけどその分悪い事はしてるんだよ、それでも罪悪感はずっとあって…ずっと孤独だったよ…」
「だとしても秋山さんは今、孤独じゃないでしょ…?クラスにも友達はいるだろうし…」
「きっと私の過去を知ったらその人達も離れていくよ…鎌谷君みたいにさ…」
「えっ…違うよ?僕はただ話を途中で終わらせられた事に不満があっただけで…あとハンカチ…だから…」
「…どうせ全部聞いたらドン引きするでしょ、あーあ、だから話したくなかったんだ」
秋山さんはわざと軽い調子で言ったけど、声の端が少し震えていた。
「……」
僕は言葉を探すけど、すぐには出てこなかった。
だけど――
「それ、勝手に決めつけすぎじゃない?」
自分でも驚くくらい、はっきりした声が出た。
秋山さんの目が丸くなる。
「いや、確かにさ…僕の血とか、変なこと言われると引くけど」
「…やっぱ引いてるじゃん」
「いや引くよ!でもそれと、秋山さんの話を最後まで聞きたいかどうかは別だから」
「……なにそれ」
「中途半端にされる方が気になるんだってば、興味ある話題だし、気になるなら、最後まで聞きたいでしょ」
「……」
秋山さんは、じっと僕を見つめた。
その瞳の奥に、さっきまでの狂気や残念さとは違う、どこか寂しい色が見える。
そして小さく笑った。
「…鎌谷君、やっぱ変わってるね」
「変わってて結構だよ」
秋山さんにだけは言われたくないけど。
「でも本当に今は全部は言えないかな、だからーー」
ボスっ…
「あ」
サッカーボールだ、
サッカーボールが秋山さんの頭を直撃した。
「あっ…秋山さん、大丈夫…!?」
秋山さんは下を向き、頭を押さえている。
なるほど、あの子供達のボールが飛んできたのか。
「……あー…あーあー…痛えなぁ……」
秋山さん?
声色がとてつもなく暗い、というか、黒い…。
秋山さんはボールを拾い上げ、ゆっくりと子供達の方に歩みを進めようとしている。
(ヤバい…キレてる…?)
「ちょっ…!秋山さん…!?いくらなんでも相手、小学生だから…ダメだよ…!?」
「……分かってンよ」
振り向いた顔は笑っている。
けど目がまったく笑っていなかった。
「本当にダメだからね…!?」
「……返してくるだけだって」
「嘘だ…!!!」
僕は慌てて秋山さんの腕を掴んだ。
……けど案の定、ビクともしない。
その瞬間、子供の一人が恐る恐る近づいてきた。
「ご、ごめんなさい!お姉ちゃん、大丈夫!?」
秋山さんはピタリと足を止め、子供を見下ろす。
数秒の沈黙――。
そして。
「……うん、大丈夫、次は気をつけてね」
にっこり微笑んでボールを返した。
子供はペコリと頭を下げて元の場所へ走っていった。
なんとも出来た子供だろうか。
「……」
僕は全力で安堵の息を吐いた。
が。
その笑顔のまま、秋山さんが小声でつぶやいた。
「…次やったらブン殴るぞクソガキ」
「!?」
そして歩き様に公園の木の柵に
ガン!!!!
蹴りを入れた。
柵が少し傾いてしまった。
「あーあー…」
僕は慌てて修正した。
(いや、怖ッ…)
足が震えている、歩みを進める秋山さんに追いつけないでいた。
ふと、秋山さんが足を止め振り返った。
「…?鎌谷君どうしたの?行かないの?」
秋山さん、怒りが残っているのか、表情が全くない、いや、怒っているのか…?
――この際、ボコボコにされてもいい。
良いよ、そんな人なんだから縁が切れても良いーー腹を決めた。
だって、このまま黙ってたらきっと、僕自身がもっと嫌になるから。これじゃあいつまでも弱いままだ。
僕は深く息を吸い込んだ。