幻滅
クラスに戻ったら案の定心配された、
秋山さんが。
ヤカラ達が秋山さんに付き合って欲しい、としつこく付き纏っていて、教師を呼んでその場は済んだ、と言う設定だ。
僕は元々心配されないタチだけど、口の傷を隠すためにマスクをしているし自律的に何も話さないから当然だ。
マスクが手放せないこのご時世、任意となった今でもマスクを着用するに越したことはない。
秋山さんが1番心配してくれたのは嬉しい。
あの時ーーーー
僕が飛びかからなかったらどうなっていただろう。
正直秋山さんの戦闘力は未知数だけどヤカラは6人はいた、何人かは返り討ちに出来たとしてもその後が…。
と自分の行動を正当化する事ばかり考えてしまう。
1番最悪なのが僕はボコボコにされ、秋山さんは好き勝手されるパターン、被害を受けたのが僕だけで本当によかった。
秋山さんはいつも通りに見えるのが凄い。
僕は正直今でも怖い。
顔、腹を殴られ、蹴られ…一瞬の出来事だっただろうけどコレは…しばらく残るだろうな。心に。
放課後。
口の怪我、家族になんて言い訳をしようか、と思いながら教室を出た。
しばらく廊下を歩いたところで、肩を軽く叩かれた。
「鎌谷君、ちょっといい?」
振り返ると、秋山さんが立っていた。
声は小さいのに、拒めない強さがあった。
「私、一緒に帰るから、っていうかもしアレなら病院も一緒に行くから」
「ええっ…大丈夫だよ、切れたのは唇だけだし、他のところは別に…」
「ふーん…」
僕の肩に優しく触れる。
「痛かったら言ってね」
「えっ…あの…」
触診ってやつだろうけど、なんか、秋山さんの手つきが物凄く心地いい。
胸、腹、腰、と順に触診が終了した。
どうやらどこも痛みはないらしい。
「……」
視線が僕の顔に移る。
じっと見つめてきた為思わず視線を逸らす。
「マスク、取って」
「う…うん」
言われるがままにマスクを外す、少し擦れて思わず顔を顰めた。
マスクを外した瞬間、秋山さんの顔がすっと近づく。
思わず息を呑んだ。
秋山さんの手が僕の目元に、とてもひんやりとして心地がいい。
こうして間近で見ると、本当に可愛いな、秋山さん。
この距離は合法とは言え、烏滸がましい(?)気がした為、少しだけ顔を引く。
「…動かないで…!」
小さな声なのに、逆らえない。
その瞬間、秋山さんの瞳が至近距離で光を帯びて見えて、言葉よりも強い圧を感じた。
「うっ…ご、ごめん…」
頬に優しく触れられる、何とも贅沢な気分だ。
「……うん、口も少し切っただけみたい、大丈夫そうだね、でも一緒に帰るからね!」
秋山さんは僕から離れざまに僕に指を刺し、そう言い放った。
大丈夫なら良いじゃないか…でも、もしかしたら秋山さんから色々話を聞けるのかな?仲良く、なれるのかな?
「返事は?はいしか言っちゃダメ」
「…はい」
と、このような感じで道中、秋山さんが同行する事になった。
いつも1人だから凄い違和感、いや、心強くはあるけど。
秋山さんはさっきからしきりにハンカチを手に持っている、広げたり、口に当てたりを繰り返している。
うん?待てよ、このハンカチって…
「待って!秋山さん、そのハンカチ、僕の血を拭ったやつ…血がべったり付いてるよね…?あんまり触らない方がいいと思うよ…クリーニングに出すから、貸してくれないかな…?」
「嫌だ、私のだもん」
割と素早い即答。
「そうだけど…衛生的に良くないと思う…」
キッ!
音が聞こえたかのような錯覚を感じた、それほど一瞬で彼女の目付きが急に変わった。
「うるさいなぁ…!私のなんだからどう扱おうが関係ないでしょ!」
怖い…。
ヤカラ達に発した怒声とは全く違うけど、何か何のようなものを感じて胸がヒヤっとした。
でもなんで僕は怒られたのだろうか。
秋山さんは僕を鋭く睨みながらハンカチで自分の口元を押さえている。
お気に入りのハンカチだったのだろうか、僕の血で汚して大変申し訳ない。
「…違うの」
「えっ?」
「私…変なの…」
「変って、何が…?」
秋山さんはハンカチを畳みながら
「さっきから鎌谷君の血…血の匂いに興奮しちゃって…」
とんでもないことを口走った。
ガーーーン
ガラガラガラ…
秋山さん、僕にたまに話しかけてくれる優しい人、カツアゲから助けてくれた秋山さんに僕が好きな不良漫画の登場人物のような器を見た。
介抱もしてくれた。
舎弟になりたいと願った憧れの人。
そんな像が崩れていく、そんな音がハッキリと聞こえた。
「……………」
言葉が何も出てこなかった。
「…引くよね、うん、でも良いや、今度からケガしたら私に言ってね」
「…え?」
「患部、舐めるからぁ…」
秋山さんは笑顔だ、可愛い、でも
その表情に物凄く狂気を感じた。
いや、待てよ、この可能性はないだろうか。
「あの、秋山さんって、吸血鬼か何か?」
「そんな訳ないじゃん」
違うのか、それはそうだろうな。
「じゃあ蛭?蚊?蚋?」
秋山さんは少し首を傾げて、畳んだハンカチをぎゅっと握りしめる。
「…バカにしてないよね?」
目が笑っていない。冗談で返したはずなのに、背中に冷たいものが走る。
「ち、違うって!ただ、えっと、例え話で――」
「だったらいいけど…」
秋山さんは、急に柔らかい声に戻った。
「私はただ……鎌谷君の血が欲しいだけだから」
その言葉は、甘えるように、でも断言するように。
吸血鬼じゃん…!
心の中でそう、大きくツッコんだ。
「違うよ?私だってさっき気づいたんだよ…元々血は見慣れてる方だけど、興奮なんてしなかった、だけど…」
「わかった、分かりました秋山さん」
僕は秋山さんを制するように手をかざす。
「ん?」
「これ以上聞いたらなんか、色々壊れそう…」
「……??」
彼女は眉を顰めるがそれはこちらも同じ事。
秋山さんはしばらく黙った後、またハンカチを胸元に押し当てる。
落ち着こうとしているのかは分からない。
「…鎌谷君、優しいね」
「なにが…?」
「普通なら気持ち悪がって逃げると思う、でも、逃げなかった」
「いや、あの…」
結論から言いますと
気持ち悪いです。
カツアゲから始まった今日1日の怒涛の流れが本当の意味で流れ去っていくようだった。
「だから大丈夫、私、これからも鎌谷君のそばにいられる」
その言葉に、嫌な予感しかしなかった。
「そばにいられる」って、一体どういう意味で言ってるんだろう。クラスメイト的な?友達的な?
秋山さんの笑顔は、もう「可愛い」だけでは済ませられない何かを含んでいた。
僕はふと、秋山さんの言葉を思い出した
もう少し仲良くなってから
僕が秋山さんの中学時代の話を聞くためのキーワード。
「…もう少し仲良くなってから……」
僕はそのまま口に出す。
「えっ?」
「血とかそういうのはもう少し、仲良くなってから、だよ」
秋山さんは目を丸くしてしばし固まっていた、が。
突然距離を縮めてきて、そして僕の両肩を掴む、割と力強く。
「じゃあ今からチューするから、それで良い?」
「!?」
声が裏返りそうになる。
その瞳は真っ直ぐで、怖いくらいに澄んでいた。
…目を見たとて、これが冗談なのか本気なのかはわからない。
「な、何…!?だ、ダメに決まってるでしょ!」
必死に抵抗するも、秋山さんの手は離れない。
笑顔なのに、追い詰められてるような圧迫感。
――あ、ヤバい。
これは可愛いとか、優しいとか、そういう次元じゃない。
顔がみるみる近づいてくる。
「ここっ!!田舎とは言っても車通ってるし…!と言うか、意味わからないしっ!!」
僕は秋山さんの腕を掴み、引き剥がそうとするが、なるほど、ビクともしない。
「大丈夫、誰も見てないよ」
「そういう問題じゃないってば!!」
鼻先が触れそうな距離で、秋山さんが一瞬、瞳を細める。
まるで獲物をとらえた肉食獣みたいで、背筋に冷たい汗が流れる。
コレは…ダメかもしれない。
「……動いたら噛むから」
「!?!?!?」
咄嗟に全力でのけぞった。
その反動で僕と秋山さんの間にようやく空間ができる。
「……ふふっ」
秋山さんは、まるで何事もなかったかのようにハンカチで口元を押さえた。
その頬はほんのり赤い。
「冗談だよ、冗談」
「………」
シャレになってないって…なんだろう、若干、若干だけど遊ばれているような感じで、
イライラしてきたかも。
「……秋山さん、さっきから何がしたいの?」
自分でも声が少し強めになっているのが分かった。
けれど、止められなかった。
秋山さんはぱちぱちと瞬きをしたあと、にやりと笑う。
「え?別に、鎌谷君を食べたいだけ」
「……」
もう怒るとか呆れるとかを通り越して、
脳が勝手にこの人は残念だって分類しようとしている。
「…秋山さん、この通り、僕は大丈夫だから、もう、自分のルートで帰りなさい…今日はありがとう」
僕は捨てゼリフを吐いて背を向けて歩き出す。
「やだぁーー!!!!」
「うわっ!?」
背中にドンっと衝撃が走り、思わずその場でよろけてしまう。
え?ど突いた?ど突いたの??
「やだ…!分かったよ、中学の時の話、するから…!!」
泣きそうな顔をしているのは良いんだけど、どちらかと言うと泣きたいのは僕の方なんだけど…でも…。
「…聞かせて、くれるんだね??」
僕の好奇心はそれすら上回った。