第十八話 ふたりの父
夜の台所に、カリカリと鉛筆の音が響いていた。
清が製図用紙に線を引いていた。
目を細め、定規を手に、無骨な指先で繊細に寸法を書き込んでいく。
窓の外はすでに真っ暗で、路地には誰もいない。
蛍光灯の下、作業台の上には部品の実物と、何枚もの手描きの図面。
弘司は、廊下の奥からそっとのぞいていた。どうしても清に聞きたいことがあった。
意を決して、弘司は静かに襖を開けた。
「……おとうさん」
その声に、清は手を止めた。
いつもなら「おやすみ」とだけ言って布団に入る時間。
こんなふうに弘司から呼ばれるのは、ずいぶん久しぶりだった。
「ん、どうした?」
清は丸眼鏡をはずし、背筋を伸ばした。
弘司は一歩、二歩と近づいて、作業台の向かい側に立った。
「ねえ、これ……」
弘司は図面を指した。「外国の機械?」
「ああ。ドイツ製の裁断機だ。部品がもう入らないから、寸法から起こしてる」
「すごいなあ、こういうの……全部手で描くんだ」
「ん。機械がないからな。頭と手でなんとかするしかない」
弘司は黙ってその図面を眺めた。
そこに描かれた線のひとつひとつが、まるで血管のように見えた。
父の頭の中から、腕を通って、この紙の上に流れてきたもの。
「……おれ、ずっと考えてたんだ」
清が顔を上げる。
「なんのことだ?」
「ほんとの“おとうさん”って、どっちなんだろうって。血がつながってる人と、俺を育ててくれた人。……どっちが“ほんと”なんだろうって」
清は、弘司の目をまっすぐに見た。
そして、静かに言った。
「弘司。そんなの、どっちでもいい。おまえがそう思う方でいい。
俺は……ただ、おまえを育てた。それだけだ」
弘司の喉が、すこしだけ詰まった。
けれど、言わなきゃいけない言葉があると思った。
「……ありがとう。おれを、育ててくれて」
それは、ずっと言えなかった言葉だった。
いや、言わなくても伝わっている気がして、ずっと胸にしまっていた言葉。
でも、どうしても一度は口にしたかった。
自分の足で立つ前に、この人に、ちゃんと伝えておきたかった。
清は、ふっと笑った。
「なに言ってんだ。そんなことで礼を言うな。
おれは……おまえの“父親”なんだから」
弘司は黙ってうなずいた。
もう一度、ゆっくり「うん」と言って、それから襖を閉めた。
廊下を歩いていく後ろ姿を見送りながら、清はもう一度、図面に目を落とした。
鉛筆を持つ手が、ほんの少しだけ震えていた。




