ベルダとイルマの日常
5月24日。ベルダとイルマは目覚めた。異世界の王族社会には悪役令嬢もニセ婚約も存在しない。かつて異世界へ参戦したある魔法戦士がコチラにスクールカーストが存在しないと知り、心底驚いたという笑えない話がある。お姫さまたちは日本のライトノベルを読み、あまりの陳腐さにがく然とした。ソレはまさに笑えないダークファンタジーであり、娯楽を求めた彼女たちは日本文化を心底唾棄した。残念ながら日本文化は異世界の文化に遠く及ばない。イルマは18歳になり、政務に就くも不慣れな雑務にストレスを感じていた。確かに王族も政治には関与できるが、あくまでも庶民のお手伝いに過ぎない。マイノリティーだから政治の実権が与えられない。いわば雑用係に過ぎないが、王族が庶民を立てるのは異世界では常識。異世界で革命はなく、いつしか庶民が政治をリードした。ローマ帝国が1000年も続いたのは彼らが優秀な民族だったからではない。他にも優れた民族は掃いて捨てるほどいた。日本と全く同じで優れた民族だから長く続いたのではなく、むしろ凡庸な民族だからこそ長く続いたのだ。[長く続いているから優秀な民族]という見方を異世界はしなかった。そもそも特権階級にあぐらをかいた王族とそうでない庶民。どちらがマトモな政治をするか?前者はごくまれに優秀なリーダーを生み出したが、続かなかった。後者はあんまり優秀なリーダーを生まないが、コンスタントに無難なリーダーが続いた。能力なら王族の方が上かもしれないが、庶民は持続性においてムラがない。だから必然的に庶民に政治を任せようとなる。いわば大政奉還みたいなカタチで王族から庶民へと政治がバトンタッチされた。今でもたまに王族の政党が与党に入ることがあるが、少数政党だから単独での政権運営はできない。異世界に一党独裁はあり得ず、たいがい2大政党が2年ごとに選挙を行い交代で政権を運営する。アヤセ公国は民政党と保守党が2大政党としてしのぎを削り、他は王族のバラ十字党などが少数政党として与党になったり野党になったりした。ベルダとイルマの政務は王族のお悩み相談。異世界はネット社会ではなく、ケータイもスマホもパソコンもないから封書やハガキで届く。ソレは実に多岐にわたる。健康や人間関係。性の悩みや出逢いのなさ。仕事や勉強。娯楽の乏しさ。恋愛の悩みも多いが、断トツに多いのが日本のラノベへの呪詛や不満。お姫さまたちは娯楽がなくて読むのであって、読みたくて読むのではない。だが日本でヒットした作品こそが地雷なのもお約束。[なんで私たち向けの物語がないの?]は永遠のテーマであり、私たち向けの作品が見当たらない。「なんでこうもリアリティーがないの?」とか「こんなもん読んで誰が喜ぶの?」といった声が目立つ。中には手塚治虫のアニメを見た子がシャフトのアニメを見て吐き気を催したという生々しい訴えが印象的。「たぶん王道のあのアニメね」「確かにアレは酷すぎるわ」「もし手塚先生が長生きしてたらあんなクソアニメ絶対に作らないわ」という主張には説得力を感じた。異世界では虫プロの人がシャフトを立ち上げたのはホントか?と疑う人が後を絶たない。残念ながらシャフトと手塚治虫の作品には埋めがたいほどの乖離があり、ちっとも連続性を感じられない。手塚治虫のアニメは異世界でヒットしなかったが、それなりの評価を得た。だがシャフトは全くダメというのが定説。異世界は[どっかの誰かさんのとって付けたような薄ら寒い物語]なんていらないし[私たちの物語]を真剣に求めていた。残念ながら日本文化に共鳴できる余地は乏しい。女王と第一王女は話し合いを重ねた。「庶民には[ウイングマン]があるわ」「でも私たちの物語じゃないわね」ベルダたちは返事を書きながら[私たちの物語]が痛切に欲しいと感じた。だがもちろん内向きかつ閉鎖的な王族社会からも幾多の作品が生まれた。[牝牛たちの嘆き]は新人女流作家サキのデビュー作。16歳の彼女は独房に収容された魔法戦士に取材するなど意欲的。そこで得た情報を基にサキはお姫さまたちの物語を紡いだ。キサラギ公国の女王ヒルダ。第一王女のインゲ。第二王女のカヒーナ。第三王女のミランダはミナセ公国へ聖天使として参戦。36歳のヒルダと16歳のカヒーナには[ミコト]。18歳のインゲと14歳のミランダには[シイカ]というコンビ名が与えられた。ベルダたちはこの作品に熱中した。[牝牛たちの嘆き]は[週刊少女コリス]に連載され、定価が1000ワイオン。連載は10本前後だが読み切りもあるし、挿し絵が可愛い。挿し絵はサキの姉のキリコが担当。18歳のキリコもコレがデビュー作。週刊少女小説雑誌は[週刊少女コリス]しかなく、世代を問わず幅広い支持を集めた。母娘や姉妹。友だち同士で気軽に回し読みできる。連載陣は10代後半から20代前半の女性が大半を占めた。