夕
三題噺もどき―ろっぴゃくにじゅうきゅう。
陽の沈む街並みを眺めている。
ベランダから見える景色では、もちろん限界があるが。
消ゆる煙草の煙を眺め、賑やかな人の声に耳を傾ける。
「……」
大小さまざまな子供たちは、それぞれが帰路につく。
少し先の角で別れたり、また先の道で分かれたり。最後には一人にはなるが、帰れば待つ人がいる家がある。……すべてがそうだとは言えないだろうけれど。
「……」
しかし今日はあまり聞き慣れない音が混じった。
ボンボンという何かを跳ねさせている音。
何だろうと音のありかに眼をやれば、小さな少年が網に入ったサッカーボールを蹴りながら歩いていた。
かっちりとした格好ではなく、動きやすそうな服装をしているので、そういうチーム的なものに入っているのだろう。
「……」
一人歩いていくその姿は、どことなく寂しさを覚えた。
他のチームメイトはきっと親と帰ったり別の道だったりしたんだろう。どこから歩いてきたのかは知らないが、少しぼんやりとしているように見える。
幼い子供がする表情じゃないな。
「……」
だからと言って、声を掛けるわけにもいかないし、気にしようもないので。
どこか引っかかりを覚えたとて何かができるわけでもない。
し、私がかかわったところで変わることでもない、最悪悪化するかもしれないし。
実のところ、こう思っている私の考えが間違っていて、本人はただ疲れているだけなんてこともあるわけなので。
まぁ用は。どうにもできないと言うことだ。
「……」
一定のリズムでサッカーボールを蹴りながら、歩いていく少年。
どういう人間でどういう家族関係でなんて、知りもしないが。
まぁ、ほんの少しだけ、何かを祈っておくとしよう。
「……」
そういえば、ああいう地域のサッカーチームなんかに入っている子達は、春休みや冬休みなんかになれば、毎日サッカーの練習をするんだろうか。いや、今でも毎日はしているだろうけど、朝からするのだろうかという話で。
高校生や中学生あたりの子達が、そういう会話をしているのはたまに耳にするが。あれは部活動というやつだろう。それと、地域のサッカーチームの違いはよく分からないが。
「……」
まぁ、関係はないことなので、気になったところでどうするのだと言う感じだが。
あれぐらいの年に、当たり前のように平和に生活できていたらなんていう想像くらいはしてしまうのだ。特にこの国に来てからは、子供たちがあまりにも羨ましいと思ってしまう。
「……」
残念ながら、そんな想像をしたところで、事実に上書きされるのだけど。
こんな記憶も、消しゴムで消してしまえるようなものであればよかったのだが。
そうそう、上手くはいかないのだ。奥底にしまうことは出来ても、消すことは叶わない。
何せ自分の生きてきたことの証ではあるから。
「……」
それでも上書きは少しでも出来るから。
こうして、今は生きているのだ。
楽しいものばかりではないが、いいものを覚えて居られるように。
「……ふぅ」
陽が沈み、サッカー少年は見えなくなった。
煙草も終わってしまったため、灰皿におしつけ、火を消す。
ひゅうと吹いた風に、思わず身をすくめ、ベランダの窓に手をかける。
「……」
ガチ―と、案の定鍵かかけられていた。
いい加減コイツはこれだけはせめてやめてやろうとは思ってくれないものか……。毎度毎度私が終わってから開けに来るのも面倒だろうに。
ある意味かまってちゃんだったりするのかコレ。そんなこと言ったら目に見えてキレるのが分かるので言わないが。
「お風呂どうぞ」
「…あぁ」
鍵を開け、窓から離れ、キッチンに戻りながら、風呂へ直行しろという。
まぁ、吸わない側からすれば煙草の匂いなんて臭いだけかもしれないが、そんなに露骨に嫌がらなくてもいいのにと思うのはおかしいだろうか。
というか、昔はコイツだって煙草を嗜んではいたぞ。私よりヘビースモーカーだったくせに。
「……」
後ろ手に窓を閉め、鍵をかけながら、キッチンに立つ後姿を見る。
まぁ、その煙草をやめたのが、私と共に生き続けるためとかだったら可愛いかもしれないが。
……そんなことはないか。大方今の体に合わなくなっただけだろう。
「……」
禁煙は来年からにしようかと思っていたが。
考え直すかな。
「そういえば、お前どうやって禁煙したんだ?」
「どうやってって……普通にやめればいいだけですよ」
「それができないから聞いているんだが」
「それができないならできませんよ」
「おい、主人を見捨てるな」
お題:春休み・サッカー・消しゴム