第12話 戦の残り香と運命の二人
出立してから、およそひと月後。
パリアペートの南の山中。
俺達の姿は、峠を越えたそこにあった。
山越えどころか、そもそも山に登ること自体が初めてだったミューは、その眼下に広がる世界に感嘆のため息を漏らした。
山の中腹から見下ろす、夕日を浴びて黄金に輝くその絶景に、ミューの目が潤んでいるように見えた。
山中の洞窟に、俺の愛馬と、全身柔らかい栗毛色のミューの愛馬(俺命名)を繋いで、俺はミューの隣に並んだ。
夕日に光って初めて見る景色に感激するミューが、俺にはとても眩しく見えた。
「凄い、山と森がずっと続いている。この先に人など住んでいるんでしょうか!?」
そもそも大陸の南側は自然豊かな土地であるが、そんな未開の土地ではない。
目の前に広がっていたのは遥か南西部のジャドニフの森に続く森林地帯と、それに並ぶ山脈地帯であり、人の住んでいない地域だった。
「ミュー、その方角には村や町は無いよ。降りる方向はあっちさ」
俺の指さす方角を回り込んでみたミューは、その先に点在して見える街の様子を捉えた。
「あれが、ラザフ男爵領なのですね? 噂でしか聞いたことはありませんでしたが」
「ああ、元、だけどな」
結局、ラザフ男爵家とその南のティスホルン準男爵家は前回の戦いで滅亡した。
今は、北はフォアージ男爵領、南はリングレー準男爵領となっているはずだ。
リングレー……? どこかで聞いた事のある名前のような。
俺はその時一瞬そう思ったが、良く思い出せなかった。
「坊ちゃまは、こんな広い世界を、駆けまわって、戦って来られたのですね。本当に、私には想像もつきません」
一見すると卑屈にも見える発言だが、ミューの言葉にはそのような感情は微塵も見られなかった。むしろ、これから垣間見える新しい世界に心躍らせているように見えた。
「楽しみかい?」
「はい……夢でしたから。坊ちゃまと、こうして世界を巡るのが……」
例えば、こういう時に改めて思う。
他の大陸が存在するかどうかは分からないが、今のところ、この世界は地球に比べてとても小さい。
そんな小さな世界の旅からですら、得られるものは大きい。
俺は、地球を知ったつもりになっていたが、ほとんどアジアから出たことのなかった俺に語れることなど無いのではないだろうか。
例えば、もっと学生時代に世界中を回っていたら、もっと地球を好きになれていたのかもしれない。もっと感動出来たのかもしれない。
この世界での生活は、俺にそういったことを節々で気づかせた。
まあ、かといって戻りたいかと言われれば微妙なところではあるが。
「ああ、俺も夢だった」
俺たちは、国境の山脈で、二人手を繋いで、夕日が沈むのをいつまでも眺めていた。
翌朝、洞窟から出た俺たちは山を下りきり、近くの川で出立の準備を整えた。
あそこではキャンプがしづらいからな。
「そうだ、明日はフォアージ男爵領都の公衆浴場に寄って行こう」
「ディオラテーモイ!? は、初めてです! 私、作法が分かりませんが、大丈夫でしょうか?」
折角だ、色んな経験をミューにさせてやろう。
そんな事を思いながら、俺はいつも通りに慌てるミューを微笑ましく見つめていた。
そしてその日は小さい村に泊めて貰い、翌日、旧ラザフ、現フォアージ男爵領都についた俺たちは、宿を確保すると愛馬たちを預け、直ぐに公衆浴場に向かった。
ミューに簡単な作法を教え、出たら正面の中央広場の、あの石像の前で待ち合わせようと告げて、別れた。
久しぶりにがっつりと汚れを落とし、とろけるほどお湯に浸かる。
……嗚呼!! マジで最高。
なんで、地球に居た頃、ほとんどシャワーで済ませてしまっていたのだろう。
愚かなり、地球時代の俺!
……。
いかんいかん、長湯し過ぎたか?
たっぷり時間をかけてしまった、と思いきや、出てみると俺の方が早かった。
うん良かった。寒空の中、女の子を待たすわけにもいかないしな。
さて、中央広場のあの石像の前に……。
うん?
その石像の男は、なんかどこかで見たことのある風体をしていた。
「坊ちゃま、お待たせしました!」
その時、ミューの声と共に、小走りに駆けよって来る彼女の姿が目に入った。
「ああ、ちょうどよかった。俺も今来たところだよ」
本来ならば、ガクブル震えそうなのを隠して平静を装い、嘘で言うのが作法の言葉なのだが、実際に今来たばかりなのだから仕方ない。
ミューも、俺からほのかに上がる湯気を確認したようで、良かったです、と微笑んだ。
さて、湯冷めする前に、宿に戻って……。
ん? どうした?
何やらミューが固まっている。
石像の下のプレートを見ているのか?
「……坊ちゃま、これ……」
ミューに言われるがままに、そのプレートを覗き込む。
そこにはこう書かれていた。
『魔王討伐のために、魔法使いと共に戦い抜いた英雄であり、この地の初代領主であるフッツァ・フォアージ男爵を讃えて』
と。
フッツァ……。
……そうか、あれだけの働きをしたんだ。
リングブリムとパリアペートの両家、更にはレバーシー伯爵家の後押しで男爵家の開祖となったのだろう。
まさか、あの友が、石像になるほどの人間になるとは。
「……坊ちゃま?」
俺は人知れず涙を流していた。
全く、ミューの事を泣き虫だとか言えないな。
そういえば、大まかには話してはいたが、フッツァの細かい武勇伝をミューには話していなかったな。
そうだ。
今日は、そういう日にしよう。
この石像と出会えたのはきっと運命だ。
フッツァの心に永遠に残り続けた俺たち二人が、今度は彼の活躍を、想いを永遠に心に刻む。
そういう日にしたかった。
俺たちは飲み物と軽食を買い込んで宿に戻ると、ミューと二人で、勝手にフッツァの命日かのように、いつまでも彼の話をした。
ミューは想い続けた彼の気持ちを聞き、「フッツァさんと結婚なんてあり得ません」と、言った。
しかしその顔は、頬を伝うほどの涙に濡れていた。
フッツァ、見てるか?
今、ヴァルクリス・カートライアとミュー・ラピスラズリが、たった一人の君の事を、話し、思いを馳せ、心に刻んでいるよ。
決して忘れない戦友として。
もう生きてはいないだろうけど、どうか安らかに、我が友よ。
……そういえば、この流れで思い出した。
先日引っかかったリングレー家。
確か、バザズの砦の太守、エリモッド殿の家名では無かったか?
彼も、イースマリク辺境伯の後押しで、滅んだティスホルン準男爵領をもらい受けたのだろう。
こうしてみると、前世の戦の残り香は、各地に点在しているように感じた。
そして、奇しくもそれらは、こうして行く先々で俺に勇気を分けてくれている。
……そんな気がした。
それから。
順調に旅を続けた俺たちは二ヶ月かけて、ジャドニフの大草原と大森林の見渡せる、あの丘に到着した。
「凄い! 見渡す限りの緑の絨毯! こんな壮大な景色がこの大陸にあるなんて……」
「凄いだろ? でも、俺が初めてここに来た時は、こんな景色は見られなかったんだ」
「どういうことですか?」
「魔女シャルヘィスが呼び出した三千体近くの魔物がひしめきあっていてね。その時は黒い海のようだったよ」
「……え、ええ?」
俺の言葉通りの風景を想像して、ミューは分かり易く唖然とした顔になった。
「俺はここからしばらく北にその軍勢を追走し、先の様子を伺いに山に登って来たシャルヘィスと遭遇し、そこで暗殺した。本当は恐怖に打ち震えていたけど、勇気を振り絞って、倒せて良かった。もしも、俺があそこで逃げていたら、ミューは今ここに居なかったのかもしれないからな」
「……恐ろしいですね」
俺の言葉に、少し落ち込んだような表情になったミューが、一言そう漏らした。
「恐ろしい、とは?」
「だって、魔女シャルヘィスの討伐と、私の魂の転生。まさかそんなことが繋がっているなんて、誰も想像がつきません。もしも、そんな選択肢を、私が見逃してしまったら、と思うと、少し怖くて……」
……そういう事か。
サウンドノベルや恋愛アドベンチャーゲーム、古くはゲームブックのような、選択肢を選んで分岐していくコンテンツは多い。だから、もしかしたら地球人はそういう、ミューのような不安を持たない……いや、そういう不安を持つ心を忘れてしまっているのかもしれないな。
俺はそう思った。
例え何度繰り返したとしてもその選択肢を選んだ、と言えるように、後悔しないで生きろ。
とか。
人生は無数の選択肢の上に成り立っているんだから、考えるだけ無駄だ。
とか。
こういう分岐ルート論を語る時には様々な常とう句が存在する。
きっとどれも間違ってはいない。
昔の俺だったら、そのどれか一つを、あたかも正しい意見であるかのように宣って、論破したかのように悦に浸っていたことだろう。
しかし、今俺がここで口にすべき言葉は、ミューが安心する言葉なのだ。
「シャルヘィスだけじゃない。俺がベル様にミューたちの事を話したことも、魂の管轄の外の話をしたことも。そもそも、父上が孤児院でミューを選ばなければ、こうして一緒にいる事は無い。数百、数千の選択肢の上に俺たちは居る。だから、俺はこう考えるようにしている……」
俺はミューの顔を見た。
ミューは真剣な表情で俺の方を見ていた。
「俺とミューが出会い、今こうしているのは『運命』なんだと」
地球人にはきっと馬鹿にされる言葉なんだろう。
くせぇ、とか、ダセェ、とか、ありきたり、とか。
笑いたきゃ笑えばいい。
今、俺の目の前には、そんな俺の言葉に涙を流してくれる、泣き虫の女の子がいるのだから。
どこまでも続く広大な草原。
少し暖かく柔らかい春の匂いの風。
そよぐ草花の音。
その全てを包み込む、穏やかな夕日。
それは、まさに「浄化」と呼ぶべき世界だった。
ミューを抱き締めながら見たこの景色を、俺は、例え何度生まれ変わっても、決して忘れることは無いだろう。
――それから。
ガルダ男爵領、サンマリア男爵領を超えた。
フィアローディでは、ミューが寄りたがったのと、通り道だったこともあり、二人で聖女博物館に寄った。慧眼をお持ちのミューが、アイシャの情報を知っておきたいと言ったので、快くオーケーした。
と、ここまでは、名物料理を食べ、観光地を巡り、と、本当に新婚旅行のような気分だった。
しかしジャドニフの丘から約四カ月後。リハリス子爵領の半分を超えたあたりから、さすがに様子がおかしくなってきた。
随分人口が増えた、と言うか、物々しい雰囲気が充満している。
まあ、それもそのはず。
魔王城のあるバジェル伯爵領に隣接するのは、北のビーレット男爵領、東のセリュール準男爵領のみだ。ちなみにセリュールの南は、広い砂丘と森林地帯の為、人は住んでいない。
つまり、そのどちらかに魔物の侵攻が集中するのは必至である。
リハリス子爵領には、前回の教訓からか、かなり有用な防御力を兼ね備えた砦が各地に建てられているため、ビーレット男爵領、セリュール準男爵領の、小さな村や町の住人が、こぞって逃げてきている様であった。
流れに逆らって、俺たちはひたすら馬を進め、ビーレット男爵領に入った。
さすがに、もうここからは、飯だの風呂だのと言っていられる状況では無さそうだ。
「坊ちゃま、ビーレット男爵領に到着致しました。これからどちらに向かいましょう」
ミューが馬を寄せ、地図を取り出して俺に見せながら言った。
これまでのルールでは、バジェル伯爵邸が魔王城になっている可能性が高い。
そして伯爵邸のある領都は、比較的北西よりの、ビーレット男爵領に近い位置にある。
そこに最も近い、国境沿いの街は……。
「……ビーレット男爵領内で、最も魔王城に近い町、北グリドリエ。ここだ」
(第13話 『生への反逆 その1』へつづく)
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