02平凡な日常<誘拐>
次の日の夕方、いつものようにラフな格好に身を包んだ春麗はオフ会へ行くために家を出る。オフ会は都心の居酒屋で行われるらしく、一緒に住んでいる叔母にも念のため場所を伝えておいた。
駅へと歩き出す春麗。
普通に歩いているように見えるが、今日は違和感がある。さりげなく周りを確認してみても不自然な箇所はないが、何か視線を感じる。
…何かわからないけど巻くか。
そう考えた春麗は突如走り出し人混みに向かっていく。
人混みで何度も建物に入ったり止まったり走ったりを繰り返すことでいつの間にか自分をつけていた人影はなくなっていた。
一体何だったんだろ…青龍が秘密裏につけたボディガード?今更?
日本へ来たばかりの頃は春麗にこっそりとボディガードがついていたが、春麗自身が強いことや日本に脅威がないと判断されたこと、青龍の内紛が激化したことによってボディガードはすぐにいなくなった。
後で兄に聞いてみるか…そう考えた春麗は気を取り直してオフ会会場に向かうのだった。
「「イベント完走カンパーイ!」」
居酒屋でゲームイベントに参加した面々がお酒を掲げる。参加者は十数名の老若男女で春麗にとって新鮮だ。
コミュニケーション能力の高い春麗は色々な人と会話を楽しむ。共通の趣味の集まりなので話題が尽きることはない。
春麗が一度トイレに行って席に戻ると、隣の席にまだ話していない男性が座っていた。
「あ、隣座らせてもらいました。」
ニコリと笑う男性。どうやら春麗がトイレに行っている間に席替えをしたらしい。
その男性は春麗と同い年か少し年上くらいの見た目で、金髪にたくさんのピアスを耳につけている。ヤンキーっぽい感じだ。
「えっと、オオトリさん?よろしくお願いします。ハルハルです。」
春麗は男性の名札の名前を見て挨拶した。オフ会なので本名ではなくゲーム内のあだ名で呼び合うのが通例だ。
「ハルハルさん、よろしくね。」
ニカッと笑うオオトリ。
しかし、オオトリという名前をゲーム内で見たことはない。今回のイベントでもそんな名前はなかったように感じるのだが…。
「ん…」
気付いたときには、ぼやける視界に薄暗い部屋が見えた。
オフ会の途中から記憶がない。
「いたっ。」
身体を起こすと同時に頭がくらくらとし頭痛がする。
この感じ…薬でも盛られた?
「あ、起きた?随分寝てたね。」
聞き覚えのある声、先程まで談笑していたオオトリだ。
状況を把握するために周りを見渡すと、そこはホテルの高層階の一室のようでガラス張りの窓からはビルの光が見える。春麗はキングサイズのベットに寝かされていたようで拘束などはされておらず服の乱れもない。
室内にはオオトリ以外の人はおらず、扉の外にも多くの人の影は感じない。春麗が一人で逃げられないと踏んでのことだろう。
窓からは脱出できないとなると、正面突破しかないが…多少の怪我は免れないはずだ。
っていうか、何で拉致されてるの?
「まだ状況理解できない?」
春麗のベットの正面にある椅子に腰掛けて言うオオトリ。
「うん…ここどこ?」
青龍に敵対するマフィアとか?
でもオオトリは日本人っぽいし…ジャパニーズヤクザ?それとも青龍は関係ない犯罪者?
「おまえ、神亀会の関係者だろ?アイツがお前の顔見た奴を片っ端から消していってるみたいだし。」
「神亀会…?」
さらに首を傾げる春麗。
神亀会と言えば日本三大勢力の一つであるヤクザグループのはずだ。しかし、春麗は日本ではマフィアとヤクザとは全く関係のない一般人として暮らしている。
口ぶりからして誰かと勘違いしてるのか…?
「あなたもヤクザなの?」
「はぁ!?俺のこと知らねーのかよ。」
「うん。」
春麗は日本のヤクザには詳しくないのだ。あえて関わらないようにしているのもあり、裏社会の情報はシャットアウトしている。
「俺は鳳凰会の跡取りの鳳凰院譲之助だ。」
「はぁ…なるほど。」
間の抜けた返事をする春麗。
鳳凰院と言えば国内一位か二位を争う大きなヤクザグループだったはず。
昨日兄から日本のどこかのヤクザグループに嫁ぐことになるだろうと言われたことと何か関係があるのだろうか?日本国内の有名なヤクザの跡取りということは春麗の政略結婚相手になる可能性が高い。
つまり正式には決まってないけど、将来の嫁を見に来たってこと?
もしや!やすやすと誘拐された時点で嫁候補失格になりかけてる?
ぐるぐると考えて焦り出す春麗。青龍のためにも自分の政略結婚を失敗するわけにはいかないので、何とか挽回する行動を取らなくては!
目の前の男に気に入られなければ青龍の存続も危うくなる!
「ご、ごめんね。私も昨日知ったんだよね。ジョーはいつから知ってたの?」
兄がフライングで政略結婚計画について知らせたのは昨日だ。どこの組に嫁ぐかも知らなかったが、そんな情報も共有していないグループだと認識されるのはまずい。何とか取り繕わなければ。
「え?いや、俺も最近聞いたけど…っていうか急に組の跡取りを呼び捨てって肝座りすぎだろ。」
流石に戸惑う譲之助。
そして目の前の春麗を見て黙ってしまった。
春麗が神亀会の跡取りである亀井唯人と一緒にいるところを見かけ、亀井唯人が必死に春麗を守っていたということを唯一生き残った部下から報告を受けた。
他の部下は全滅で処分されたが、佐原に早々に気絶させられた一人が何とか譲之助の元に戻ってきたのだ。
ヤクザの世界でも名前も姿も見聞きしたことのない春麗だが、国内最大級の鳳凰買いの跡取りに対しても動揺せずに対応しているところを見ると春麗も何らかの裏社会の関係者なのだろう。
こんな小さな女が自分より大きな男に監禁されているのに泣きわめきもせずにいるのが不気味だ。
「とにかくおまえはここにいろ。大人しくしてたら危害は加えねぇから。逃げようとなんてするなよ。」
譲之助はそう言うと部屋から出て行ってしまった。
取り残される春麗。
「え…?私はどうすればいいの?」
独り言をつぶやく。
これは結婚相手として何か試されているのだろうか?
逆に脱出してみろってこと?それとも何か他に意図が?
「ふわぁ…」
珍しく考え込んだ春麗は先程お酒を飲んだことも相まって眠気に襲われた。
よくわからないし、まずはシャワー浴びて寝るか。
春麗は考えるのを放棄し今夜は休むことにした。
実際のところこれくらいの状況なら少し怪我をするくらいで脱出は可能だろう。相手の考えがわからないので今日は様子を見ることにしよう。
スマートフォンを含めた持ち物も全て没収されているし、明日譲之助と会った時にでも何とかなるだろう。