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唯一の春  作者: 兎田
14/21

05亀井家跡取りの嫁候補<手合わせ>

そんなことが起こった翌日の昼下がり、突如として春麗の悲鳴が亀井家に響き渡った。


「ぎゃぁああああっ!」

違う部屋で会議中だった唯人はすぐさま顔を上げると、物凄い早さで会議室を出る。

複数の幹部が参加する重要な会議なのに…佐原はがっくりと肩を落とした。そして何とかごまかそうと幹部たちに適当な説明をする。

昔から春麗さんのことになると様子が変わるんだよな…。




「春ちゃん、どうしたの!?」

春麗の部屋に急いで駆けつけると、他の男も数人春麗の元にやってきていた。

部屋に入ると春麗は布団を被って涙目になり震えていた。


「もしかして…」

唯人が神妙な表情で言う。


「またアイツがやってきたの‼」

春麗はそう言うと勢いよく唯人に抱き着いたのだ。


そんな春麗の後ろの壁には黒光りするゴキブリが這っている。


「チッ」

バァンッ

唯人は片手で春麗を抱きしめつつも懐から素早く拳銃を出しゴキブリの息の根を止めた。


「ふぅ…もう大丈夫だよ、春ちゃん」

唯人は春麗の背中をぽんぽんとし落ち着かせるように言う。

春麗は昔からゴキブリが大の苦手。他の虫は平気で駆除するが、ゴキブリだけはどんな凶悪犯罪者より怖いのだ。


「ううっ…」

春麗は唯人にしがみついたまま声を震わす。


「…ゴキブリだけは出ないようにちゃんとしとけって言ったよな?」

低い声でそう言いながら部下たちを睨みつける唯人。


「いますぐバ〇サン買ってきます‼」

「ブラック〇ャップ新調します‼」

睨まれた男たちは一斉蜂起してドラッグストアに走ったのであった。


またこの女か…‼弱いフリして若の気をひきやがって‼

その光景を見ていた山田は強く拳を握りしめる。身体は怒りで震えていた。






部屋にバル〇ンをしてもらっている間、春麗は中庭でストレッチや体術の訓練をすることにした。

「はっ!」

「アイヤーッ!」

いつもは部屋で筋トレをするくらいなので、久々に身体を思いきり動かすことができて活き活きとしている春麗。


一通りの型を終えて汗を拭う春麗。

武器を持ったときの動きも確認したいな。唯人に相談したら何か準備してくれるだろうか…。


そんなとき、山田が声を掛けてきた。

「…運動神経良いんっすね。」

無表情で言う山田。

春麗も薄々気付いていたが、やはりまだ亀井会の組員は春麗の存在を疎ましく思っているらしく、その中でも山田からは殺気に近いものを感じる。

急にやってきた春麗のことが気に食わないのだろう。


いつもは唯人が間に入ってくれるが、これからもずっと唯人に頼るわけにはいかない。青龍のためにも唯人を守るためにも組員達と仲良くならねば…。


「運動するのは好きなんだ。山田君も?」

世間話をしてコミュニケーションをはかろうとする春麗。

しかし、山田から向けられる敵意に変わりはない。

「天下の亀井の組員だぞ!?馬鹿にしてんのか。」

山田が声を荒げる。


「ご、ごめんね。そんなつもりで言ったわけじゃないんだけど…」

慌てて春麗が謝る。

別に運動の話をしていただけで戦闘力について言及したわけではないのだが、勘違いさせてしまったらしい。


「俺と手合わせしろ!」

山田がドスきいた声で言う。

先程の春麗の動きは対人を想定した守備や攻撃の動きであった。カンフーやそれらを発展させた格闘技だろう。少し動けるくらいで若の隣に立てると思うなよ!


「え?手合わせって…」

「俺と戦え!血が出たり背中を地面についた方が負けだ!負けた方が勝った方の言うことを何でも聞く…これでどうだ!?」


「…。」

急な勝負の申し出に黙り込む春麗。

私は考えたり家事をするのは苦手で、今は完全に亀井会のお荷物状態だ。自信があるのは体術くらいなので、この申し出は自分を唯人の婚約者として認めてもらう良い機会かもしれない。


「怖気づいてるって言うなら…」

「わかった。その申し出受けるよ。」

春麗は怖い顔をしている山田に怯えることなく真っすぐと目を見て言った。

これも嫁になるための試験だ。自信はないがやってみよう。


「もう断れねぇからな。俺が勝ったらここから出て行ってもらう。今後一切若に近づくな!」

「えっ…」

山田の願いに顔を強張らせる春麗。


これは大事になってきたぞ…そこまで自分は歓迎されてないとは…ここで負けると青龍に迷惑をかけてしまう。山田の戦闘能力がどれほど高いかわからないがやるしかない。


そのとき、唯人の大きな声が聞こえてきた。

「山田!何やってんだ!?」

唯人のこんなに大きな声を聞いたことない春麗は驚いてしまう。

声の方向を見ると唯人や佐原等数人の男たちがこっちにやってきていた。

唯人は今にも山田を殴りそうな剣幕だ。


「唯人、いいの!私が手合わせ頼んだだけだから。」

春麗が制止する。

どのみちどこかで私の存在価値を示さないといけなかったし、婚約者がお荷物だと周囲からの唯人への支持も低くなってしまうかもしれない。


「春ちゃん…」

唯人は食い下がるが、春麗はにこりと微笑むと山田に向き直ってファイティングポーズを取った。

それを見た山田も春麗を前に構える。


気付くとどこから聞きつけたのか大勢の組員たちが春麗と山田の周りにやってきていた。


「そもそも春ちゃんが相手する必要なんてないのに…。」

「大丈夫ですよ。春麗さんが負けるわけないですし、むしろ皆に春麗さんの強さを見てもらったほうが彼女に対する意識も変わるはずです。」

それでも唯人は二人の手合わせを止めようとするのだが、佐原の一言で留まることにした。




佐原がセコンドをすることとなり、スタートの合図を発する。


その合図と同時に山田は地面を蹴って素早く春麗に殴りかかった。

「わぁっ!」

思いのほか素早い山田の動きに春麗は声を出すが、紙一重で身をかがめると山田の拳を避けた。

そしてすぐさま山田の脛に蹴りを入れる。


「くそっ!」

バランスを崩した山田は咄嗟に地面に手をつく。


ヒュンッ

避けたのも束の間、春麗は山田の後頭部にかかと落としを繰り出す。


ダァアンッ

重い音が響くものの、山田も身を転がしなんとか春麗の足を避けた。


亀井会の中でも戦闘能力の高い山田と互角に争っていることに驚く周囲の男たち。

しかし、唯人や佐原は知っていた…春麗が全く本気を出していないことを。


山田が立ち上がりまたもファイティングポーズを取ると、春麗と睨みあう。

「次は私から!」

春麗はそう言うと同時に山田のみぞおち目掛けて拳を付き出す。


パシィッ

山田は春麗の拳を手で受け止めるが、小柄な身体からどうやってそんな力が出るんだというくらいの重みを感じる。

春麗の拳を握って逃げられないようにすると、もう片方の手で春麗の頬目掛けて殴りかかる。


パンッ

しかし春麗はもう片方の手で山田の手をいなした。

それにバランスを崩した山田の手から春麗の手が離れる。


春麗はその隙を見逃さずに上段蹴りをお見舞いした。

「ぐはっ…‼」

春麗の足が山田の顎に命中。


ガッ

そして立て続けに山田の腹に渾身の蹴りを放ったのだ。


ズサァーッ

まともに春麗の蹴りを喰らった山田は地面へと投げ出され仰向けに倒れてしまった。



「「「…。」」」

静まりかえる中庭。

男たちは春麗の強さに驚き声を出すことも出来なかった。



「はい、終わり。春麗さんの勝ちです。」

佐原のその声で場の緊張が一斉に緩まった。


「春ちゃん、大丈夫?」

汗を拭う春麗の元に唯人が駆け寄る。

もちろん山田が弱いわけではなかったが春麗にとって難しくない手合わせである。


「うん。それより山田さんのほうが…」

「いいよ、あんな奴気にしないで。春ちゃんに勝手に手を出そうとした時点で破門だよ。」

さらりと言う唯人。

以前より春麗に悪い態度だった山田に怒っていたのだ。


「そ、そんな…」

弱々しい声を出しながら立ち上がる山田。尊敬している唯人から破門宣言を受けて大きなショックを受けているらしい。


「私が山田さんにお願いして手合わせしてもらったんだよ!?」

唯人の言葉に焦る春麗。


「コイツのこと庇わなくて良いよ。どうせ春ちゃんのことを気に食わなかったアイツが勝負をけしかけたんだろ。」

しかし唯人は春麗の言葉に聞く耳を持たない。


「ち、違うって!私がっ…」

「もうこの話は終わり。春ちゃんの部屋ももう入れるみたいだし戻ろう。」

唯人が春麗の手を取り歩き出そうとする。


パシッ

「唯人のわからずや!」

涙目になった春麗は唯人の手を払った。


「春ちゃ…」

「唯人はもっと優しい子だと思ってたのに!もう唯人とは話さない!」

春麗は大きな声でそう言い放つと人混みをかき分けて自分の部屋へと走って行ってしまった。


初めて春麗の涙を見た唯人。しかも春麗に手を払われたことがショックで固まってしまう。

佐原を含めた他の男たちもどうしたら良いのかわからず動けない。




「……山田は部屋に戻しとけ。処分は後で言う。」

暫くの沈黙の後、唯人は冷たい目と鋭い声でそう言うとその場を去った。

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