後編 エリナのエンディング
ミーティングが終わり、ジェシカとエリナのふたりは会議室に残って記録の状態を確認しているとサエラが話しかけてきた。
「エリナ様、先ほどはありがとうございました」
しかし礼を言われるようなことをした覚えはない。
エリナが首をかしげると彼女は言いにくそうにしながらも、
「婚約者だけでなく多くのひととダンスをすべきだと言ってくださったので」
これで堂々とルウォークと踊れるわ!と言っているように聞こえるかもしれないが、実はそうではない。
ルウォークにダンスの練習は必要ないし、彼は常々、運営側として参加している為、誰ともダンスを踊らないと決まっているのだ。
それはサエラを含めた誰もが知っていることで、先日のデモンストレーションでは珍しく彼が正装を身に着けていた為、期待した女生徒がいたというだけだ。
だから何に対しての感謝かを伝えられても尚、エリナにはその意味が理解できなかった。
それは隣にいたジェシカも同じだったようで、彼女も手を止めてサエラの顔を不思議そうに眺めている。
「サエラさんの為を思っての発案ではなかったのですが、お役に立てたのなら嬉しいです」
当たり障りのない言い回しを選んで答えたエリナにサエラは少し眉をひそめ、
「恥をかかずに済んだので。わたしには婚約者がいませんから」
と言い、ペコリと頭を下げると足早に部屋から出て行った。
その後ろ姿が見えなくなってからジェシカが言う。
「サエラさんが婚約していないことを気にしていたなんて」
サエラが女官志望だということはつい先日、知ったことだが、だからこそ、婚約をしていないのだと思っていた。
この学園は平民が通うには相当な金がかかる。特待生であるサエラは金銭を支払うことなく学んでいるが、彼女以外の平民はそうではない。
そもそも、学問を続けるにはまず生活の余裕が必要だ。一般的な平民家庭では家計を助けるべく労働に従事する子供がほとんどで、読み書きなどという悠長なことをしている余裕はない。
そういった点からもこの学園に通えるような平民の生徒は、基本的に生家が裕福であり、その財を守るため、既に婚約者を定めている者は多い。
従って、サエラもそれなりに裕福な家の娘であり、婚約者を定めていないのは女官を志望しているからなのだと思っていたのだ。
それがまさか、彼女が婚約者がいないことを恥じているなど予想外でしかなく、エリナもジェシカも驚いた。
しかし逆を言えば彼女は婚約者を欲しているということになり、つまり彼女はルウォークとの婚約を望んでいるのだろう。
普通なら王太子が平民と婚約するなど絶対にあり得ないことだ、しかしサエラならばそれも可能となる。
なぜなら、彼女はこの世界の主人公なのだから。
エリナが放課後、生徒会室で他のメンバーと一緒に雑務をこなしているとルウォークに話しかけられた。
「エリナ、少しいいかな」
「はい」
エリナは手を止めてルウォークと向き直ったが、彼は一瞬、視線をずらしてから、
「会長室で話そう」
と言ってエリナから離れていった。
会長であるルウォークには個室が用意されている。密室でふたりきりになるのはどうかと思ったが、学園内にメイドはいないし、新参者のエリナが誰かに同席を願うなど相手に失礼だ。
エリナが甘えられる唯一のジェシカはフレッドと共に別の用事で席を外しており、彼女に頼むこともできない。
きりがいいところまで作業を済ませたエリナは、周囲に断ってルウォークの待つ会長室に行き、その扉をノックした。
「エリナです」
するとしばらくしてそのドアが開いた。それで、フレッドとは別の側近候補の誰かが同席するのだと安心したのも束の間、ルウォークが手ずからドアを開けてエリナを迎え入れたのだった。
彼がドアを開けたということは彼以外に対応できる人間がいないということだ。
それなら入室を許可する声をかければいいだけなのに、彼は自らドアを開けることで歓迎の意を示した。
「待ってたよ、エリィ」
それはふたりきりのときに彼が好んで使うエリナの愛称である。
「お待たせしました」
妃教育で培った知識を総動員したエリナは美しい笑顔を浮かべ、しずしずと入室する。
エリナの背中でドアを閉めた彼は素早くエスコートの手を差し出すとエリナをソファに座らせ、自らはその隣に座った。
茶は既に用意されており、これもルウォークが自ら淹れたのだろう。
思わぬ歓待にエリナは警戒を強めた、彼はなにか無理難題を言うつもりなのだろう。
しかし一体、何を?
笑みを崩さぬようにと気を付けるエリナにルウォークは言った。
「来月から地方視察へ向かうことになった。それで君にも同行してもらいたいと思ってね」
それにエリナは首をかしげた。
何故、自分が同行しなければならないのだろうか。エリナでなければならない事情があるのだろうか。
「失礼ながら、何故、わたくしが同行を?」
「何故って、君はわたしの婚約者だろう」
そう言われてエリナは笑顔を崩さぬまま、そうですね、と言った。
ルウォーク狙いのサエラが登場した時点でエリナはこの婚約は解消になると考えて動いていた為、すっかり忘れていたのだ。
しかし彼の妃にならないことが確定したエリナに同行されても、視察先のひとたちは困るだけだし、なんならサエラを連れて行けばいいとさえ思う。
エリナは笑みを絶やさぬように気を付けながら考えを巡らせ、慎重に発言をした。
「学園を優先させるよう王妃様よりお言葉を頂戴しておりますので、辞退させていただけますでしょうか」
王太子である彼の申し出を断るには、彼より立場が上の存在を引き合いに出せばいい。そこでエリナは王妃の言葉を引用したのだ。
それを聞いたルウォークから一切の表情が抜け落ちた。エリナ以上に厳しい教育を受けてきた彼が表情を作ることを忘れるなんてとても珍しい。
「そうか。それなら仕方がない」
たっぷりと時間をかけて彼が発したのはその一言のみで、熟考した割には取るに足らない発言だったと思う。
「お話がお済みのようでしたら、わたくしはこれで」
エリナはさっと立ち上がり会釈をして会長室を出た。
そして先ほどの部屋へと戻り、また他のメンバーたちと雑務をこなしたのだった。
翌月になるとルウォークは地方視察へと出発した。
そしてサエラも同じタイミングで休学に入り、やはり視察には彼女を連れていくことにしたのだと思った。
視察先の人たちにとってもサエラとつながりを持つことは有意義な時間となるだろう。
エリナも彼の視察には何度か同行している為、顔見知りも多い。しかし、間もなく婚約を解消される自分との会話など彼らにはなんの意味も持たない。
彼らの為にも王太子妃となるサエラと交流を深めてほしいものだ。
ルウォークの地方視察は長い時で半月はかかる。惹かれあう男女が一日中、行動を共にしていればそういうことも起こりうる。
婚約解消のときは近い。
エリナはいつそれを言い出されてもいいように、心構えをしておくことにした。
ルウォークが出立して一週間ほど経った頃、サエラが復学した。
彼女はまだ正式な婚約者ではない為、休学の理由が見つからず、一足先に帰ってきたのかもしれない。
しかしそれが悲観的な選択でないことは、サエラの様子を見れば明らかだった。
生徒会室にやってきた彼女はいつも以上に自信に満ちあふれていて、輝くような笑顔を見せている。
サエラと同級のメンバーが彼女に話しかけている。
「以前の君に戻ったようだね」
「え?わたし、どこかおかしかったですか?」
「どこがどうと言われても困るんだが、所在なさげだったというか」
「儚げな感じがしたよね、今はもう以前の君だけど」
「まぁ!わたしはそんなに強い女に見えましたか?」
「それそれ。やっぱり君はそうでなくちゃ」
サエラの元気のいい口調に、エリナとジェシカを除いた生徒会のメンバーが一斉に笑い、彼女も一緒になって笑っている。
新入生のふたりは以前のサエラを知らない。
サエラは凛としている反面、どこか弱々しいところもあって、そういうところがルウォークの琴線に触れたのだろう、とエリナもジェシカも思っていた。
それが男子生徒と混じって元気に笑う彼女が本来の姿だと言われても、にわかには信じがたい。
彼女にこの笑顔を与えたのはルウォークなのかもしれない。愛し、愛されるということを知った女性はこんなにも輝けるのか。
主人公でないエリナにもいつかそんな日が訪れるのか。
ヒロインらしくまぶしいほどの笑顔を見せるサエラに、エリナは初めて羨望を抱いたのだった。
サエラの復学から二週間ほどして、視察を終えたルウォークも学園に戻ってきた。
また、ふたりの仲睦まじい様子を見せつけられる日々になるのかと思いきや、彼は何故かエリナを傍に置くようになった。
「エリナには来年度の会長を務めてほしいと思っている。二学年にも適切な人物はいるけれど、将来のためにも、代表となって学園を運営してみるのはどうかな」
彼の言う将来というのはつまり、エリナが王妃となってこの国を治める側に立った時のことを言いたいのだろう。
しかしルウォークはサエラを選んだ、それなのにエリナに自らの妃になれというのならば、彼女のことはどうするつもりなのだろう。
サエラも生徒会室にいる。ジェシカに仕事を教えている最中とは言え、今の発言はきっと彼女の耳にも入っている。
現にジェシカは一瞬、こちらに視線を走らせたではないか。
「えぇと」
エリナはどう答えるべきか、考えを巡らせるが、
「母上も君が学園生活を満喫することをお望みなのだから」
と、畳み掛けるように言われたら承知するしかなくなった。
「ご期待に沿えられるよう頑張ります」
エリナの返事にルウォークは微笑んで言った。
「では会長室に行こう、そこに資料がおいてあるから、生徒会が担う業務の概要を説明するとしよう」
「お願いします」
エリナは素直に返事をしてルウォークの後についていった。
男性と二人きりになるのは気が進まなかったが、生徒会の仕事の一環であると明言された以上は断りにくい。
それにルウォークの心はサエラにあるのだから、そこまで警戒する必要もないだろう。
エリナはルウォークが手ずから入れたお茶を飲みながら、生徒会という組織についてより詳しい部分まで説明を受けることになった。
「概要はこんなところだが、だいたい理解できたかな?」
ルウォークから明かされた生徒会の業務は思った以上に多岐にわたっており、なるほど、領地経営の練習台になると言われるのも分かるような気がした。
生徒会に所属する二学年の生徒の中には領地を持つ家の令息もおり、彼も会長をやってみたいと思っているかもしれない。
「多くの仕事があって驚きましたわ」
感想を言ったエリナはふと窓の外を見て、もう夕暮れであることに気が付いた。
「大変、もうこんな時間。ジェシカ様がお待ちになっているといけないわ」
ルウォークから受け取った資料や自身のノートを手早くまとめて席を立とうとするエリナにルウォークが言った。
「彼女ならもう帰ったよ、フレッドと一緒に門を出ていくのを見た」
フレッドは彼女の兄だ、兄ならば妹が夜道を帰宅することをよく思わないに決まっている。
先に帰ったジェシカと、彼女に帰るように促したのであろうフレッドを責めることはできなかった。
「お待たせしていないのなら良かったです、わたくしも失礼いたします」
「君はわたしが送ろう」
「大丈夫ですわ、護衛がついておりますので」
だからあなたはサエラさんとお帰りください、というつもりで言ったのに、ルウォークはさっさと身支度を整え、エリナを促して会長室を出た。
途中、生徒会室に顔を出すと数人の生徒はまだ残っていて、もちろんサエラもその中のひとりだった。
「お疲れ様、まだ帰れないのか?」
ルウォークの問いにひとりが答えた。
「いえ、そろそろ終わろうかと思っていました。戸締りは我々がしますので殿下はどうぞお帰りください」
「では、また明日」
彼の挨拶にサエラを含めた生徒会所属の生徒たちは礼儀正しくお辞儀をし、ルウォークと彼にエスコートされるエリナをその姿勢で見送った。
それは次期国王と王妃に対する態度そのもので、サエラも彼らと同じように振舞っている。
ちらりと隣を歩くルウォークに視線を向ければ彼もそれに気づいたようで微笑みが返ってきたが、頭を下げているサエラには見えなかっただろう。
一体、なにが起こっているのか、まるでわからないエリナだった。
それからもルウォークは相変わらずエリナへの指導を続け、サエラと彼の接点はほとんどなくなった。
ふたりの世界を作り上げていたランチミーティングも、サエラが書記を外れ、ジェシカが記録可能な機械を持ち込んだことで、議題を話し合うにふさわしい落ち着いた空間へと変わった。
そんなある日の放課後、ジェシカと一緒に生徒会室を訪れたエリナは、サエラを中心とした輪ができているのを見た。
彼女の正面にはルウォークが立っており、彼もサエラも笑顔で見つめあっている。
あぁ、ついにこのときが来たのね。
エリナが覚悟を決めて室内に入るとそれに気が付いたルウォークが片手をあげた。
「エリナ。聞いてくれ、サエラ嬢のことだ」
ルウォークの言葉を受けてサエラはエリナに向き直った。彼女の浮かべるその笑顔は自信に満ち溢れていて、ハッピーエンドを確約されたヒロインそのものだった。
何を言われてもうろたえてはダメよ、冷静に受け止めることこそがわたしに与えられた役目なのだから。
緊張した面持ちで発言を待つエリナとは対照的に、サエラは晴れ晴れとした笑顔を浮かべて宣言した。
「官僚試験に合格しました。この国はじまって以来の女性官僚に、わたし、なります!」
エリナは最初、何を言われたかわからなかった。
ルウォークとの婚約が決まったことを報告されると思っていたのに彼女は、自分は官僚になる、と言っている。
女官というのは王宮で働く女性たちを指しているが、彼女らが政策に携わることはない。しかし官僚ともなれば政治色の濃い職業で、今までは男性しかいなかった。
その試験にサエラは合格し、さらにはそのことをとても喜んでいる。
「おめでとうございます」
返事ができないエリナの代わりにジェシカがそう口にし、エリナも慌てて祝いの言葉を述べたものの、思考が追い付かない。
サエラはこの世界の主人公でルウォークと結ばれる結末を望んでいたはずなのに、こんな終わり方でいいのだろうか。
戸惑うエリナにサエラは歩み寄るとはっきりとした口調で言った。
「わたしは官僚として頑張ることにしました。臣下のひとりとして、王太子殿下、そして妃殿下をお支えすることを誓います」
そっと肩を抱かれ、気が付くとルウォークが隣に立っていてこちらを見ている。
彼の微笑はいつもと変わらないはずなのに、サエラとの間になにもないのだと他でもないサエラ自身に宣言されたあとでは違って見える。
熱心にエリナを見つめるその瞳から逃れるように、そっと視線を外し、
「ありがとうございます」
と小さく礼を言うのが精一杯のエリナだった。
それからしばらくして、入学以降、なし崩し的に中止になっていた休日の茶会が再開された。
ルウォークはその席でサエラについてをエリナに語って聞かせたのだった。
「二年のとき、予行夜会でサエラ嬢とダンスを踊ったんだよ。
彼女の家はごく普通の平民で、特別に裕福というわけではなかった。当然、ダンスなどしたこともないと言うから、それなら、とわたしがパートナーを務めたんだ。
でも、他の生徒たちと違って、わたしたちは生徒会メンバーだから制服だったし、なんなら腕章もつけていた。要するに冴えない格好だったんだ。それにサエラ嬢が官僚を目指していることは聞いていたから、色恋に惑うこともないだろうと思っていた。
だが、思いのほか、彼女がのぼせあがってしまって」
それはそうだろう、ルウォークは絵本の中に描かれる王子様そのものの美しい容姿をしている。制服を着ていても彼の見目の良さは際立っていて、そんな彼にダンスに誘われて勘違いしない女性はいないと思う。
「結果として、わたしが彼女を選んだと噂になってしまったんだ」
「それはわたくしも聞きました、殿下が特定の女生徒をおそばに置いている、と」
「確かにそばにいたな、でもそれも仕方がないことだったんだ。
わたしたち貴族なら知っている言葉でも平民の彼女は知らない。でも官僚になりたいと言う。
最初のうちは生徒会の面々でいちいち説明していたんだが、その度にミーティングが中断してしまう。
そこで彼女に書記を任せて、とにかくメモを取らせて、わからないところはあとで説明する、というスタイルにしたんだ。
おかげで話し合いは円滑に進むようになったが、そのうち例の噂が出て、彼女の様子もおかしくなっていった。
それでエリィを生徒会に誘ったんだ。入学式での君は明らかにわたしを警戒していたから、噂を耳にしたんだと思った。
だから周囲にもサエラ嬢にも、そしてエリィ本人にも、わたしの想いが誰に向いているのか、明確に示す為にね」
そう言ってエリナを見つめるルウォークの視線は甘い。
王族である彼がこんな風に感情を露わにすることは珍しく、エリナは気持ちを落ち着かせようと紅茶を一口、飲んでから言った。
「わたくしはサエラさんと殿下が結ばれると思っておりましたから、おふたりの邪魔をしてはならないと考えたのです」
「だからか。エリィに会いたくて寮に行ったのに、君が部屋に引き返しているところを見たと聞かされた時は本当にショックだった」
やはり、あの日、廊下ですれ違った令嬢のうちのひとりがルウォークにエリナの行動を伝えていたのだ。
「あの頃のサエラさんは試験勉強を優先することになっていましたから、もう生徒会には顔を出せなくなります。だから殿下からサエラさんに会いに来たのだと考えたのです」
エリナの告白にルウォークはため息をついた。
「どれほど彼女が優秀でも王妃にはなれない。気品も美しさも教養も、何もかもがエリィには及ばないよ。
それを彼女自身にも気づいてもらいたかったからデモンストレーションであのダンスを踊ったんだ」
「だからあれほどに難しいステップを選んだのですね」
予行夜会は練習の場である為、難易度の高いダンス曲は流さない決まりになっている。見本のダンスを見せるなら、むしろ本番に即した簡単で誰もが踊れるものを選ぶべきだった。
あの時はルウォークに、
「王族のダンスを見たことのない生徒たちにも披露してあげよう」
と言われ、納得してしまった。
王族の参加するような格式高い夜会には高位貴族しか招かれないのが普通だ。学園には下位貴族はもちろん、平民の生徒もいる。彼らにも見せてやりたいと言われたらエリナに反対する理由はなかった。
だが、ルウォークの本当の狙いはサエラを諦めさせることで、そういう意味で彼はうまくやったと思う。
デモンストレーションのあと、サエラの様子がおかしいことにはエリナも気づいた程だ。あのとき彼は、サエラは自分自身と向き合っている、と謎めいた言葉を吐いていた。
彼はサエラに対して、この程度のダンスも踊れないのでは王太子の隣に立つことはできない、と知らしめ、彼女はそれにショックを受けていたのだろう。
そう考えるとサエラから書記という立場を取り上げ、試験に集中するように仕向けたのも彼の策に思える。現に書記でなくなった彼女はエリナの隣で面白くなさそうな顔で食事をしていた。
それを指摘するとルウォークは困ったような顔をしてみせた。
「あれは彼女が勝手に落ち込んでいただけだ。母上から直々に指導を受けたエリィは特別に所作が美しい、食事も綺麗にするだろう?
サエラ嬢だって普通の貴族子女と比べたら気になるレベルではないが、エリィと並んだらさすがに粗さが目立つ。そんなところも及ばないのだと言われているようで居心地が悪かったんだろう。
わたしだってさすがにそこまで追い詰めるつもりはなかったから、君を来期の会長にするというもっともらしい理由をつけてエリィの席を移動させたんだよ。
とはいえ、彼女にも色々なことが見えてきたんだろうね。女官試験の為に休学をすると聞いたときは、彼女との馬鹿げた噂にも決着がついたと思ったよ」
「サエラさんの休学は試験が理由だったんですね」
「わたしが視察に連れて行ったと思った?」
ルウォークの指摘にエリナは顔を赤らめる。
「殿下の出発と同じタイミングでしたのでてっきり」
エリナの言い訳にルウォークはため息をついた。
「エリィに同行を断られたから腹いせに彼女を連れていこうかとも思ったよ、でもそうしたところで君は嫉妬するどころか身を引くと言い出しそうな気がした」
彼の想像は概ね正しい。ルウォークはサエラを選んだのだと思っていたし、なにより彼女は主人公だ。抗ったところで負けは見えている。
「だいたい、学園を優先するように仕向けたのはわたしなのにそれを理由にされるなんて」
「どういう意味ですか?」
ルウォークのつぶやきにエリナは目を丸くし、彼は、しまった、という顔をしたものの、誤魔化しきれないと思ったのか真実を告げた。
「わたしがエリィと学園で過ごせるのは一年しかないんだ、だから今年だけは君の学園生活を優先にさせてほしいと母上に頼んだんだよ」
まさかルウォークが王妃に直談判していたとは知らなかった、そして王妃がそれを許したということも。
驚きを隠せないエリナにルウォークは顔を赤らめながらも言う。
「わたしがどれだけエリィを望んでいるか、分かってくれると嬉しいんだけど」
彼はそう言ってカップに添えていたエリナの手を取ると、その指先に口づけをし、蕩けるような笑みを向けた。
サエラの官僚エンドが確定したあの日から二年が経過した。
エリナとルウォークの婚約は解消されることもなく、間近に迫ったエリナの卒業を待っての挙式が決定している。
今日は卒業パーティーで着るドレスの試着のため、王宮の一室を訪れている。
ここは婚姻後、エリナに与えられる一室であり、既に彼女の好みに合わせた調度品が設えられていた。もちろん用意したのはルウォークで、寝室に置かれたドレッサーの大きな鏡は彼の案だと聞いている。
「エリナの美しさを余すことなく映し出してもらわねば困るからな」
よく分からないことを言っているルウォークにエリナは首をかしげるばかりであったが、王宮勤めのメイドたちは妙に美しい笑顔を浮かべていた。
「これも捨てがたいな」
「そうでございましょう?ベイフェルト公爵令嬢は線が細くていらっしゃいますから、こういう繊細なデザインがお似合いになるのです」
部屋にはルウォークとドレスのデザイナーがおり、ふたりは先ほどからエリナを着せ替え人形にして楽しんでいる。
「エリィはどれが好み?」
ルウォークはエリナに歩み寄り、彼女の着ているドレスと今まで試着してきたいくつかのドレスを眺めながら言った。
「どれも素敵で迷ってしまいます」
「わかった、ひとまず全て買い取ろう」
ルウォークはデザイナーにそう言い、彼女はほくほく顔で、ありがとうございます!と言っている。
「こんなにたくさんは必要ありませんわ」
「なにを言っている、結婚したら本格的に公務が始まるんだ。これでも足りないくらいだよ」
高位貴族の婦人たちは基本的に、一度着たドレスの再利用はしないことになっている。経済力があることを示すと共に、消費を通して経済を動かす責務を負っているからだ。
王族などその確たるもので、民に還元されるのならば積極的に散財をすべし、とすら教育されている。
数多くのドレスを注文することでこのデザイナーはもちろん、彼女の雇っているお針子や生地、縫い糸といった小物を卸している問屋も潤うというわけだ。
「この中でも、どれが卒業式にふさわしいかな」
ルウォークは一着のドレスを手に取り、エリナにあてたかと思えば、今、別のドレスを眺めて思案している。
「わたくし、ルウォーク様が選んで下さったドレスを着たいです」
エリナの何気ない一言にルウォークの頬がぱっと染まった。
彼がここまで素直な反応をすると思わなかったから、エリナも思わず赤面してしまう。
ルウォークはそっとエリナに近づいて髪に手を伸ばしひと房すくいとると、それに口づけをした。
「あまりわたしを喜ばせないでくれ、我慢ができなくなる」
その瞳にはある種の熱が込められていて、エリナはたじろぐことしかできない。
この世界の主人公ではないエリナだったが、ルウォークと愛し、愛される未来をつかみ取ることができた。
主人公でなくてもハッピーエンドにたどり着くことができたのだった。
これでおしまいです、お読みいただきありがとうございました。