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前編 主人公の為の世界

ルーベンス伯爵令嬢のジェシカがそれを聞いたのは、とある茶会でのことだった。


「王太子殿下が特定の女生徒と親しくされているですって?」

「えぇ、そうらしいわ。学院に通っている従姉のお姉さまからお聞きしましたのよ」


発言者の令嬢は極上のゴシップを得意げに語っているが、エリナを敬愛しているジェシカにしてみれば、冗談ではない、である。


エリナというのは王太子ルウォークの婚約者であり、ジェシカの親友、エリナ・ベイフェルト公爵令嬢のことだ。


つまりジェシカは今、親友の婚約者が浮気をしている、という話を聞かされたのだ。




ルウォークは入学してすぐに生徒会メンバーに選ばれたのだが、彼の王太子という立場を考えたら当然の選考でそれに異を唱える者はいなかった。

しかし、彼がメンバーになったことで、彼とお近づきになりたい多くの令嬢が生徒会への入会を希望した。


ルウォークがエリナと婚約していることは誰もが知っていたが、彼女らはエリナが入学するまでの二年間限定でもかまわないから王太子の恋人になりたい、という極めて不純な動機を持っていたのだ。


そのため、当時の生徒会長が一律、女生徒の生徒会への参加は見送りにする、と決めてしまった。


しかしその翌年、平民のサエラが特待生という称号を持ってルウォークと同じ二学年に入学してきた。


学園は基本的に貴族子女の学び舎であるが、一定の学力があり、学費を支払えるのであれば平民でも入学が許されている。


平民の中でも特に優秀な生徒は特待生となり、彼らは学費が免除されるだけでなく、生活費も学園から支給される。

優秀な人材を国外に逃してはならないという考えのもと、国は彼らに学びを要求し、その対価として生活費、つまり給金を支払うというわけだ。


この制度は以前から存在していたのだが、ここ数年はそれに見合うだけの生徒がおらず、特待生の座はずっと空席だった。


このことからしてもサエラが優秀であることは明らかで、生徒会はその頭脳に期待して彼女を自分たちの仲間に迎え入れることになり、結果としてルウォークに最も近しい女生徒になったのだという。



「それは、生徒会メンバーとして行動を共にしている、というだけでしょう?」


ジェシカの反論にも令嬢は首を横に振った。


「常々、殿下のおそばに控えているそうですよ。側近候補の方々よりもずっと近くに、そして長く一緒におられるのだとか。

何よりも決定的なのは、学内行事のダンスパーティーで殿下がサエラさんの手をお取りになったことです」


そう言われてはさすがのジェシカも黙るしかなかった。



王太子であるルウォークは外交の一環として他国の女性とダンスを踊ることもある。しかし、国内で彼と踊ったことがあるのはエリナくらいだ。


その彼が率先してサエラと踊ったとなるとさすがに無視することはできない。



「ジェシカ様のお兄様は殿下の側近候補でいらっしゃいますでしょう?なにか、ご存じかと思いまして」


皆がジェシカの返答に聞き耳を立てている。が、ジェシカの答えは一択だ。


「わたくしはなにも存じませんの」



そう、本当に『存じない』のである。



学院に所属する生徒は基本的に寮生活を送る規則となっており、ジェシカの兄、フレッドもそうしていた。

長期休暇には屋敷に帰ってくるが、少なくとも前回の休暇のとき、彼はなにも言っていなかった。


ジェシカとエリナが親しくしていることはフレッドも知っているから、ルウォークに心変わりがあったのなら必ず伝えてくれるはずだ。


エリナの一大事をまさか他家の茶会で聞かされるとは思っていなかった。

ジェシカはフレッドの無駄にいい顔を思い浮かべながら、内心で歯ぎしりをしたのである。



その後、いくつかの茶会に出てみたが、どうやらルウォークがサエラに傾倒しているというのは本当のようだった。

いや、本当かどうかは問題ではない。もう揉み消せないほどに噂が広まっていることが重要であった。


エリナに知らせるべきか、ジェシカは悩んだ。


恐らくエリナは知らない、彼女は茶会への出席を制限されているからだ。


表向きは、次期王妃が確定している彼女に良からぬ企みを持った者を近づかせない為となっているが、ジェシカは単に、美しい婚約者を誰の目にも触れさせたくない、というルウォークの独占欲だと考えていた。

しかし、そのルウォークが他の女性に目移りしたというのならば、ジェシカの考え違いであったのかもしれない。


実際、ジェシカは、エリナとルウォークが公式の場でひとこと、ふたこと会話をするところしか見たことがなく、そんなときのルウォークはエリナに特別な想いを抱いているようには見えなかった。


だが、毎週のようにエリナと茶会をしているルウォークの行動に彼の心が透けて見えるというもの。


確かに、いずれ結婚するのだから婚約者との交流は大切だ、と考えるのは普通のことだ。

しかし、曲がりなりにもルウォークは王太子であり、彼は多くの執務を抱えている。そのうえ、今は学院の生徒会長としてその運営を担っているのだから、多忙を極めているといっても過言ではない。

それを鑑みれば頻繁に茶会をする時間などないはずなのだ。


それなのに彼にとってエリナとの茶会は必須事項であり、


「殿下はエリナ様との時間を捻出するため、日々、遅くまで執務をこなしておられる」


と、フレッドは言っていた(そして、それに付き合わされることに辟易していた)。



エリナとジェシカは間もなく入学する。

何も知らされず、ルウォークの心変わりを目の当たりにしなければならないエリナの心労を考えたら、やはり事前に知らせ、心構えをさせておいたほうがいい。


ジェシカはそう判断し、エリナと面会すべく、ベイフェルト家に訪問のアポイントを取った。





ベイフェルト家のバラ園は順調につぼみが付き始めており、満開になったらさぞや美しいものになるだろうと想像ができた。


その庭園に用意された茶の席でエリナはジェシカを出迎えた。

ジェシカの敬愛するエリナは美しく、どこか可愛らしさを湛えた笑みを浮かべている。


「ごきげんよう、エリナ様」


ジェシカは淑女のマナーに則ってお辞儀(カーテシー)をした。


「ごきげんよう、ジェシカ様。さぁ、おかけになって」


ふたりがテーブルにつくとメイドは心得たようにお茶と茶菓子を給仕する。


「もうすぐ入学ですわね、楽しみだわ」


エリナの希望に満ち溢れた笑顔に自分は水を差しにきたのだと思うとジェシカは気が引けたが、すでに決心はつけている。


「そのことでお話があってまいりました」


ジェシカは自分でも驚くほど硬い声で切り出した。


その様子にエリナは少し沈黙し、それから、


「なにかしら?」


と、高位貴族特有の感情を含まない声色で返事をした。



「王太子殿下は学園内で特定の女性をお傍に置かれているようです」


ジェシカの放った言葉にエリナは一瞬表情が抜け落ち、それから瞑目した。


そして、そうなのね、と小さくつぶやいた。


「つまらないことをお耳に入れまして、申し訳ございません」


ジェシカの謝罪にエリナは困ったような笑顔を見せ、


「いいえ、何も知らないまま入学するよりはよかったわ。感謝します」


と言った。


その笑顔は痛々しく、ジェシカは彼女を傷つけてしまった自分と、そして心変わりをしたルウォークに腹が立った。






ジェシカからの衝撃の告白の後、エリナはいつも以上に努めて穏やかに見えるように振る舞い、そのかいあって、その後の時間は和やかなものとなった。


「次は入学式でお会いしましょう」


エリナはにこやかに微笑んでジェシカの馬車を見送った後、自室に戻り、しっかりとドアを閉めたところで大きく息をはいた。



「ついにヒロイン(主人公)が登場したわ、狙うは王太子ルートということね」



エリナは自身が生きるこの場所が乙女ゲームの世界であることを知っている。

転生前の記憶があるわけでもなく、ゲームの内容を知っているわけでもないのだが、ここがただひとり(主人公)の為に作られた世界であることは分かるのだ。


そして主人公でなければハッピーエンドを迎えられないこともよく分かっている。


物語というものは主人公を中心に描かれるのが常であり、その他の人がどうなったかは詳細に語られることはない。

主人公でないエリナにはハッピーエンドこそ確約されてはいないものの、それなりの幸せを手にすることはできたのかもしれない。普通に生きている人々が事前に人生の結末を知ることができないのと同じように。


しかし主人公は王太子ルートを選んでしまった、その時点で、彼と婚約関係にあるエリナは彼に捨てられる、という未来が確定したのだ。


エリナは公爵家の令嬢だ。この国で王族の次に位の高い家の令嬢が婚約破棄されるなど、それだけで瑕疵ありと判断されてしまう。


訳アリの令嬢を妻に迎えようとする男性は少ないし、いたとしても相手も訳アリの人物だろう。


そういうところに嫁いだとして、相手次第では幸せになれるかもしれないが、瑕疵のない令嬢の婚姻に比べたらその可能性はずっと低くなる。


エリナは自分の未来がよくない方向に定まったことに、深くため息をついたのだった。







「皆さんの入学を歓迎するとともに祝いの品を贈呈します、代表してベイフェルト公爵令嬢にお受け取りいただきます」


今日は学園の入学式だ。学年の代表になるのはたいてい、その学年の中でもっとも爵位の高い者と決まっており、公爵令嬢のエリナが選ばれるのは当然の流れだった。


司会からの指名を受け、壇上に上がったエリナは自身を待ち受けている人物らに思わずめまいがした。


この学園は貴族子女の学びの場であり、学園を運営することもその学びのひとつとされている。その為、入学式を含む様々な学内行事も生徒会が中心となって取り仕切っている。


今期の生徒会長は言わずもがな、次期国王となる王太子のルウォークだ。


いずれは一国を治めていかねばならない彼にとって学園はそれなりの規模を持った組織であり、ちょうど良い練習台であった。

最終学年に進学した彼が会長に就任するのは当然の人選である。


ルウォークが生徒会長であることはエリナも想定していたが、その補佐役としてサエラも一緒に壇上に上がっているとは思わなかった。


利発そうなグレーの瞳が印象的な女生徒は余裕そうな笑みを浮かべてエリナを眺めている。


エリナが演台を挟んでルウォークの前に立つと、彼女はよどみない動作でルウォークに記念品を手渡した。


「エリィ、入学おめでとう」


ルウォークが小声で言った祝いの言葉に、サエラの形の良い眉がピクリと動いたのが見えた。

主人公の彼女にとってのエリナはルウォークの浮気相手であり、彼が声を掛けたことが気に食わなかったのかもしれない。


別にルウォークが欲しいなら持っていけばいい、ここは主人公(サエラ)の為の世界であり、エリナにはがそれを覆す力などないのだから。



「ありがとうございます」


エリナは冷静に小さな声で返事をして記念品を受け取るために手を伸ばした。


「っ」


一瞬、ルウォークの指がエリナに触れたように感じ、とっさに位置をずらしてそれをかわしてしまった。


エリナではない別の女性を侍らせている彼に触れられることへの嫌悪感を抱いたが故の行動であったが、無意識だとしても不敬だ。

しかし、ここで申し訳なさそうな顔をしてしまえば彼を避けたと認めることになると思い、エリナは何食わぬ顔で記念品を受け取って壇上を後にした。


食い入るような視線を背中に感じてはいたが、それがルウォークのものなのか、サエラのものなのか、そちらを振り向かなかったエリナには分かるはずもなかった。



実際には興味津々の視線を向けていたのは生徒たちのほうだった、もちろんエリナ以外のふたりにも。


ルウォークの心変わりは在校生なら誰もが知っていることだったし、新入生の中にもジェシカのように入学前に情報を得ている者もいた。


噂の三人が壇上という場で顔を合わせたのだから注目するなというほうが難しい。


彼らの期待もむなしく、何事もなく終わった初対面にエリナは席に着くと内心で安堵のため息をついたのだった。






聖堂での堅苦しい入学式が終わった後は大ホールに移動し、新入生歓迎のパーティーとなる。


厳かな聖堂と違い、華やかに飾り付けられたこの会場も生徒会が主体となって整えられた空間だ。


エリナはジェシカをはじめとする顔見知りの令嬢たちと一緒に会場に入った。


「素敵ね」

「見て、風船が浮いてるわ」


実際には目立たない糸で天井からつるしているだけなのだが、吹き流しを下につけ、適度に風を起こすことでふわふわと浮いているように見えるのだ。


「我が家の集まりで真似をさせてもらおうかしら」


令嬢のひとりが言った言葉にジェシカが答えた。


「それなら飾りつけを担当した業者を紹介しましょうか?デザインやアイディアは生徒会で考えるそうですが、実際の作業は業者に頼んでいると兄が申しておりました」


ジェシカの兄フレッドはルウォークの側近候補の為、生徒会のメンバーに選ばれている。

そのフレッドから聞いた情報を伝えたジェシカに令嬢は目を輝かせる。


「そうしていただけたら嬉しいわ。今度、一族の中の小さな子供たちをお招きする予定があって、こんなふうに可愛らしい飾りつけをしたらきっと喜んでくれると思うの」


「わたくしは自分でやってみようかしら。ちょっとしたスペースならできるわよね?」


令嬢たちとたわいもないおしゃべりをして楽しんでいるエリナに誰かが声をかけた。


「エリナ」


声のほうに振り向いてみればそこに立っていたのは微笑みを浮かべたルウォークを先頭とした生徒会メンバーの面々で、彼のすぐ後ろにはサエラが控えている。


ルウォークがエリナに声を掛けたことで彼女になにか話があるのだろうと、令嬢たちはそっとその場を離れたが、ジェシカはあえて残ることにした。

サエラとルウォークが揃っている場にエリナひとりを置いていくことなどできなかったからだ。


ルウォークの後ろでは居残ったジェシカにフレッドが呆れた顔をしているが、ジェシカはそっくりそのまま同じ顔をしてやった。

フレッドがしっかりと目を光らせていればルウォークは浮気などしなかった。いや、この際、事実はどうでもいい。もみ消せないほどに噂を広げさせたのは兄の失態だとジェシカは思っている。


怒れる妹の視線にいたたまれなくなったフレッドはすっと視線を反らしたが、それで許すようなジェシカではない。

あとでたっぷりと言い訳を聞かせてもらおうじゃないの、と心の中でフレッドに向かって挑んだジェシカだった。



一方、エリナにはジェシカが居残った意図はなんとなく読めていたが、自分にはサエラと戦う気など全くなかった。

なんといっても彼女は主人公なのだ、その彼女がルウォークエンドを望むのであれば、主人公でないエリナがそれに抵抗できるはずもない。

ベイフェルト家の醜聞にならないように取り計らってもらうくらいしか、エリナにできることはないのだ。



「御用でしょうか」


エリナは落ち着いた声でルウォークに話しかけた。

実際にエリナに用があるのはサエラかもしれないが、紹介もされていないのに公爵令嬢の自分から彼女に用件を聞くのはさすがにプライドが許さなかった。


エリナの問いかけにルウォークが言った。


「実はお願いがあって」

「なんでしょう」


分かっている、ルウォークはエリナとの婚約を破棄したいのだろう。わざわざ生徒会メンバーを引き連れて来たのは、集団で圧力をかけなければエリナが承知しないと考えたからだろうか。

だが、そんなことをしなくても、ルウォークとサエラの話を聞かされたあのときから、とうに覚悟はできている。

彼と婚約してからの日々を思えば寂しさもあるがそれも仕方がない。ここはサエラの為の世界なのだから。


エリナの内を駆け巡る様々な想いを断ち切るようにルウォークは口を開いた。


「エリナ、それにジェシカ嬢。ふたりには生徒会に加入してもらいたいのだが、どうだろうか」


あまりの予想外の展開にエリナは思わずジェシカと顔を見合わせてしまった。








入学式の翌日、午前中いっぱいを使って行われた新入生向けのオリエンテーションを終えた二人はランチの為に食堂へとやってきた。


「エリナ様は経営学を専攻されるのですか?」


ジェシカの問いかけにエリナは首を振った。


「それは、少し形は違うだろうけれど、妃教育の中に取り入れられているから、学園では別のことを学ぶつもりよ」


エリナは今、将来の王太子妃としての教育を受けており、国家の運営術も学んでいる。

自国及び他国の成り立ちや歴史についてはしつこいほど繰り返し講義がある。現在に至るまでの背景を知らなければ、社交上のちょっとした会話すらままならない。

話題にしてはならないこと、情報を聞き出さなければならないこと。それらを瞬時に判断し、自然な流れで会話に織り込むことが王太子妃となるエリナに求められている能力だ。


しかし、ルウォークはサエラを選んだ。となるとエリナは普通の貴族夫人として生きることになる。

彼女らにも社交場というものはあり、そこでは刺しゅうや芸術、そして社交性といったいわゆる教養が問われることになる。エリナは今後、そのあたりに時間を割こうと考えていた。


窓口で食事を注文し、空いている席に座ってジェシカと専攻科目について話し合いながら給仕を待っていると、係りの人間から声を掛けられた。


「失礼いたします、お席の移動をお願いできますでしょうか」


「なぜですか?この席は新入生が使ってはならないものだったのでしょうか」


「とんでもございません、そのような制限は設けておりません。ただ、おふたりの食事は別の席にご用意させていただきましたので」


「でも」


言いよどむジェシカと戸惑うエリナを給仕係は、さぁさぁ、と強引に連れていく。


怪訝に思ったふたりではあったが、この学園は今、王太子ルウォークが在学中の為、近衛騎士による警備が入っていて例年以上に厳しく管理されている。

この給仕係が危険人物であるとは思えず、大人しく彼についていき、そして後悔した。



「待っていたよ、エリナ。ジェシカ嬢もようこそ」


案内されたテーブルにはルウォークを含む生徒会のメンバーが着席していた。


「あの、殿下。この集まりはいったい?」


エリナの戸惑いにルウォークは微笑んだ。


「生徒会ではランチミーティングをしていてね、君たちもメンバーになったのだから参加してもらおうと思ったんだ」


ルウォークの言葉を引き継いだフレッドがジェシカに歩み寄り、妹をエスコートすると自ら椅子を引いて彼女を長テーブルの末席に座らせた。


もちろんエリナにそれをするのはルウォークだ。王太子に椅子を引かせるなど失礼極まりないのだが、学園では身分差はないものとされており、それならば男性が女性をエスコートすることは当然のことだった。

ルウォークはその常識に則ってジェシカの隣の席にエリナを案内すると自分は上座に着席した。


しかし驚いたことに彼の隣にはサエラが座っていた。

新参者のエリナとジェシカが末席なのは理解できるが、副会長でもない彼女がルウォークの次席に座れるわけがない。


しかしそれは食事が始まってすぐに理由が分かった、彼女はルウォークの発言をメモにとりながら食事をしていたのだ。

この時間は生徒会のミーティングであり、書記係の彼女にはこれを記録に残す仕事があるというわけだ。



「さて、この時間は入学式及び新入生歓迎パーティーの改善点を話し合うことにしよう」


会長のルウォークが議題を伝えると、それぞれが意見を述べ始めた。サエラはせっせとペンを動かしながら、ときどき、ルウォークになにやら話しかけては微笑みあっている。


親しげに内緒話をしている様子にエリナは内心うんざりした。主人公のサエラがルウォークを望んでいるのだから自分との婚約関係は解消してもらいたいと思う。


この世界は作り物の世界ではあるが、サエラが現れるまでのルウォークとの時間は本物だったし、エリナは少なからず彼に惹かれていたのだ。

だからサエラがルウォークを選んだと知ったときは正直、ショックではあった。

しかし、主人公のために作られたこの世界で、主人公ではない自分が行動を起こしたところでどうにもならないことはよくわかっていたから、彼のことはきっぱりと諦めるしかなかった。

今では、本気で好きになってしまう前で良かったとさえ思っている。今のエリナならば、彼に別れを告げられても冷静な受け答えができるだろうから。


だからこんな風に親密な様子を見せつける必要はないのだ。








不愉快なランチミーティングを終え、エリナとジェシカは午後、履修希望届を提出してから帰宅した。


学園に通う者たちは入寮することになっており、それは王太子のルウォークも例外ではなく、彼の婚約者であるエリナも当然、寮に入った。

エリナには妃教育があり、学園の講義を終えた後でさらにその為の教育を受けることもあるし、公務として夜会に出席することもある。

遅い時間の帰宅が予測されている彼女には個室があてがわれる予定であったが、エリナ自身が固辞し、ジェシカとの同室を望んだ。


サエラがルウォークに狙いを定めた時点で彼との未来は消えた。

物語の主人公であるサエラはルウォークと結ばれてハッピーエンドで終わりだろうが、エリナはそのあとも生きていかなければならない。


そこでエリナは横の繋がり、つまり令嬢たちとの交流に重点を置くことにしたのだ。


今はまだルウォークの婚約者である為、エリナの社交は王家によって制限されており、他の令嬢たちのように自ら集まりに出て婚姻相手を見つけることは難しい。そこで令嬢たちを介して、あるいは彼女たちの母親を介しての紹介に期待することにしたのだ。

さすがの王家も女性同士の交友関係までは口を出さないはずだ。


今までは、エリナの社交を嫌う王家に遠慮して、ルウォークの側近候補であるフレッドの妹、ジェシカとだけ親しくしてきたが、これからは色々な令嬢たちとも関わっていこうと思う。

もしなにか聞かれたら『学園で知り合って意気投合した』とでも言おうと思っている。貴族子女を集めたこの学び舎は貴族同士の交流を広める目的もあるのだから、姿勢としては間違っていない。


そのきっかけとして、個室ではなく相部屋にし、他者と関わりやすい環境を作ることにしたのだった。






部屋に入り、ジェシカは素早くドアを閉めるとエリナに言った。


「エリナ様、生徒会への加入は辞退しましょう」


言われたエリナも何故とは聞かなかった、彼女が言い出さなければ自分から提案しようと思っていたからだ。


「そうね、わたくしもそのほうがいいと思ったわ」


エリナの賛同を得たジェシカは堰を切ったように文句を言い始めた。


「あんな風にイチャイチャしている様を見せつけられるなんて、冗談じゃありません!」


「仕方ないわ、殿下はサエラさんを選ばれたのだもの」


エリナの苦笑にジェシカは眉をひそめた。


「殿下との婚約はどうなさるおつもりですか?」


「ベイフェルト家からこの婚約を辞退することはできないけれど、殿下が望まれるのであればいつでも応じるつもりでいるわ」


「でもそうなったらエリナ様は」


不安に揺れる瞳を向けるジェシカにエリナは努めて穏やかに微笑んでみせた。


「わたくし、入学をしたら色々な方とお知り合いになってみたいと思っていたの。この部屋でちょっとした茶会を開いて、皆様と楽しくおしゃべりをするのはどうかしら?」


エリナの提案にジェシカは初め、ポカンとした顔をしていた。


それはそうだろう、エリナは今まで律儀に王家からの言いつけを守って、ジェシカ以外の友人を作ろうとはしなかったのだから。

しかしルウォークが心変わりをしたのだから、もうそれに従う必要はない。エリナはエリナで別の生き方を見つけることにしたのだろう。


それに気づいたジェシカは笑顔になって返事をした。


「それはいいですね。早速、明日にでもわたしの知り合いに声を掛けてみます」


「ありがとう、ジェシカ。頼りにしています。生徒会のほうは、そうね、妃教育を理由にお断りするわ。あなたは」


彼女にもなにかもっともらしい理由を用意せねばと思案したエリナにジェシカは、


「わたしは、エリナ様に追随すると言いますから大丈夫です」


と、元気よく宣言した。


「ふふふ。いいわね、そうしましょう。わたくしはまず王妃様にお話をしてみるわ、王妃様の賛成を頂いていれば殿下も承知してくださるでしょうから」


「今度はいつ王宮へ行かれるのですか?」


「来週早々よ、王妃様直々の講義が予定されているからちょうどいいわね」


それからふたりは茶会に何人呼ぼうか、茶葉や茶菓子はどうしようかと期待に胸を膨らませて話し合いをした。








それからもエリナはランチミーティングに駆り出されていた。


「殿下、先ほどの発言ですが」


サエラは書記の仕事にかこつけてなのか、彼に肩を寄せるようにして自分のとったメモを見せている。


「あぁ、これは彼の領地の特産物だね」

「勉強不足ですみません」

「各々の領地のことなんて知らないのが普通だ、これから学んで行けばいい」


サエラの謝罪にもルウォークは励ましている。


そんなふたりをエリナもジェシカも完全に無視して食事を進めている、二人だけの世界を作り上げている恋人同士に茶々を入れるなど野暮というものだ。


マナー違反にならないスピードで食べ終わった二人はそろって席を立った。


「午後は別棟での講義なので早めに失礼させていただきます」


エリナは優雅な物腰でひざを折って生徒会のメンバーに挨拶をし、ジェシカと共にミーティングルームを出たところでルウォークに呼び止められた。


「エリナ」


食事中の彼が席を立ってまでエリナを呼び止めたということは何か話があるのだろう。

エリナは足を止めて彼がこちらに来るのを待ち、ジェシカは少し離れた位置で話が終わるのを待つことにした。


「なにか御用でしょうか」


「母上から君に、学園での生活を優先させるように伝えてほしい、と頼まれたんだ」


「あの、では妃教育は?」


「もう十分に教育を受けてきたから、休憩期間をとっても問題ないそうだ」


「それは」


一瞬、言葉に詰まってから、慌てて、ありがとうございます、と付け加えたエリナだった。


「生徒会は大変だけれどやりがいがあるから。一緒に頑張ろうね、エリィ」


笑顔でルウォークにそう言われてもエリナは、はい、とも、いいえ、とも答えられなかった。

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