第三話
姉の家に寄るのは久しぶりだ。同じ市内に住んでいながら、シングルマザーで仕事と子育てに忙しい姉に頻繁に会いに行くのは迷惑だろうと、つい遠慮してしまう。しかし、孤独な独り身の私にとって、たまにある家族との交流はかけがえのない時間といえる。
築15年、新しくも古すぎもしないそのアパートの一室、105号室のインターホンを鳴らす。しばらくすると、姉が困ったような顔をしながら出迎えてくれた。
「何かあったの?」
「ちょっとね」
姉に促されて中に入った。おもちゃや本が少し散乱しているものの、部屋はこざっぱりとしていてきれいだった。広くはないが、居心地の良さを感じさせる空間だ。入ってすぐにダイニングがあり、その隣にはリビングが続いている。ダイニングからリビングは開け放たれており、中の様子が見渡せた。
「コータどうしたの?」
「飼ってたウサギが、帰ってきたら死んでたんだって。朝は元気だったんだけどね。可愛がっていたから、すごくショックだったみたい」
甥のコータが小さな段ボールを抱えてうずくまっている。ヒックヒックとすすり泣く声が聞こえてくる。私はコータの横に腰を下ろした。段ボールの中には布が敷かれており、その上にウサギが静かに寝かされていた。
「眠ってるみたいだね」
「…………」
「悲しいね」
コータは何も答えず、ただウサギの眠る段ボール箱をギュッと抱き締め、ひたすらすすり泣いていた。
「コータ、この子はね、長い眠りにつかないといけないんだよ。それでね、人も動物もちゃんと眠れないと辛いでしょう?だから、この子もちゃんと眠らせてあげなきゃいけないんだよ」
「……どうしたら、ちゃんと眠れるの?」
「コータがこの子のためにちゃんとした寝床を作ってあげるんだよ。それで、この子の事を忘れないでいてあげれば、この子はちゃんと眠れるよ。お墓、作ってあげよう」
私とコータはアパートの庭先にある木の根元に穴を掘り、布に包まれたウサギを埋葬した。それほど大きな穴ではないが、姉が後で大家さんに断りを入れておくと言っていたので、そこに埋めさせてもらったのだ。コータも、このウサギを近くに感じたいだろうから。
土を盛り上げ、その頂上には少し大きめの石を置いた。コータがアパートの隅に咲いていたタンポポを積んできて、それを添えた。二人でウサギの安らかな眠りを祈りながら、手を合わせた。
いつからだったろうか。昔はさまざま生き物を飼っていた。金魚がいた、カメもいたし、イハムスターも飼ったことがある。小動物というのは長くは生きられない。それでも私は彼らを愛し、慈しんだ。世話をするのは親だったとしても、それでも私は彼らを本気で愛していた。
だから、彼らが死んだ時には、この世の終わりかのように泣いて悲しんだものだ。しかし、今の私が何か生き物を飼ったとしても、あの頃のような感情を持つことはきっとできないだろう。今、隣にいるコータのようには。
今日は姉の家で夕食を共にする予定だったが、何となくそんな気になれず、それからしばらくして帰途に就くことにした。
途中、コンビニに寄り自宅までの道を歩く。踏切が下りているので、しばらく待つことになった。ふと、前を見ると、夕方電車で別れたスーツ姿の男が踏切の向こう側でこちらをじっと見ていた。この近くに住んでいるのだろうか。軽く会釈すると踏切が上がり、歩き出した。
「危ないっ!!!」
急に後ろに腕を引かれた。振り向くと、姉が蒼白な顔でこちらを見ている。その瞬間、強い風が吹き抜けた。電車が通り過ぎたのだ。
驚いて後ろを振り返った。もしあのまま前に進んでいたら、間違いなく電車に轢かれていただろう。風は次第に収まり、電車は遠ざかっていく。踏切が上がる。私は自分の行動に動揺して言葉を失っていた。
「あんた、何してるの!? 死ぬところだったよ!!」
「ごめん、踏切が上がったように見えたから…………」
「昨日は階段から落ちたって言ってたし、本当に大丈夫?」
「大丈夫…… ごめんね、心配かけて。そういえばお姉ちゃん、どうしたの? 今頃、夕食の時間じゃなかった?」
「ちょっと、買い忘れたものがあって出てきたの。そしたらあんたを見かけたから声をかけようとしたら、踏切無視して歩き出すから驚いたよ」
「そうだったんだ、ちょっと疲れてたのかも。見間違いなんて、気を付けないとね」
私は気が抜けたように答えた。今更ながら、命の危機を脱したことへの安堵感と脱力感が入り混じったような感覚だ。
「全くだよ! ねぇ、やっぱり今日は家でご飯食べていきなよ。そのほうがコータも喜ぶし。私もちょっと心配だよ!」
「いいの?」
「もともとその予定だったでしょ!」
結局その日は、姉の家で夕食をご馳走してもらうことになった。姉と話し終えた後、私はあたりを見回した。先ほど、踏切の向こう側にいたスーツ姿の男は見当たらない。姉と話している間に通り過ぎてしまったのかとも思ったが、踏切はそれほど広くないので、すれ違えば気づくはずだ。私の見間違いだったのだろうか……?
夜、夕食を食べ終えた後、コータとゲームをしたりして姉の家でしばらく過ごした。夜8時を過ぎたころ、そろそろ帰ると言うと、姉が送っていくと言い出した。心配してくれるのはありがたいが、小学生の子供を夜中に一人置いて外出するのは良くないと思い、軽く断った。
「何言ってるの、すぐ近くじゃない」
近いといっても同じ市内というだけで、歩けば片道30分以上かかる距離だ。それでも、一度言い出したら聞かない姉なので、何としても断らなければ。
「私は片道30分だけど、お姉ちゃんは往復で1時間以上かかるんだよ? タクシーを呼んだらお金かかるし、バスだって待ち時間があるから、結局コータを長い時間家で待たせることになるんだよ!」
私は至って真面目に話したつもりだった。しかし、姉は間の抜けた顔で「頭、大丈夫?」と聞いてきた。
「上の部屋に行くのに、どうやったらそんなに時間がかかるの?」
「は?」
今度こそ、わけがわからなくなった。姉は、何を言っているのだろうか。
「どうして私が上の部屋に行くの?」
「あんたの部屋でしょ」
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