表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

不本意ではあったが、今までに味わったことのない振動と騎乗の不安定さで、知らぬ内に椿はエルザイヌの腕にしがみついていた。

馬がゆっくりと走りを終えても、まだ揺れている感覚に襲われている。

映画やドラマなどで優雅に乗馬をしている俳優たちの苦労が分かった気がした。

馬に他意はないが、嫌いになりそうだ。


「うまく撒けたみたいだ」


エルザイヌは満足気な声を上げ、椿の顔を覗き込んだ。

その顔はどこか青白い。


「大丈夫?」

「…んな訳ないでしょ……」


自然と低い声が飛び出たが、相手がエルザイヌということもあって別段気にした様子はない。

そんな椿にもいよいよ慣れてきたエルザイヌは小さく笑い、「お疲れ様」と軽く言ってのけた。


「せっかくのデートだし、邪魔は嫌だろう?」


口調が変わってやしないか、と思う椿だが、面倒なので黙っておく。

どうせこの男は誤魔化すに決まっているのだ。

特に知りたくもないし。

エルザイヌは椿から視線を外し、前方を眺めた。

椿も釣られるようにそちらを見ると、森の中に静かに存在する湖が目に飛び込んだ。

幻想的とも言える光景に、椿は小さく息を呑む。

向こう側まで見える程の小さな湖は、陽の光をキラキラと反射させ、水面に虹色を浮かび上がらせている。

少しの風でも揺れる水たちは、まるで生きているかのように踊った。

椿は黙り込み、食い入るようにただただ湖を見つめた。

エルザイヌはひょいと馬から飛び降り、支えられながら椿も馬から降りた。

支えられなければならないことに反発をしてもよかったが、今はこの幻想的な気分に浸っていたかったので、椿は口をつぐんだ。


「小さい頃は城を抜け出して、よくこの湖に来ていた」


馬の紐を木に括り付け、エルザイヌは湖の近くにそのまま腰を下ろして話し始めた。

エルザイヌが「座れば?」と言う風に自分の隣を促したので、椿はそこから少し離れた場所に座った。

エルザイヌはそれを見て少し笑ったが、頑張れば手の届きそうな位置に座ったのは、椿の精一杯の譲歩だった。


「当時はまだ国王になりたいなど、これっぽっちも考えていなかったな」


エルザイヌがいったい何を言いたいのか、椿はいまいち分からないので、相槌も打たずにいた。

二人になった途端に化けの皮が剥がれたようだ。


「たまにスローも連れてきたが、あいつは遅くてね。すぐに見つかってしまうから、ここにスローを連れてくるのは好きじゃなかった」


話の趣旨がまったく見えてこない。

しかしエルザイヌの表情は作り物ではなく、素の笑顔のように見えた。


「昔話をしにきたわけ?」

「いや。椿をここに連れて来たかっただけだ」


どくり

と、またしても心臓が自己を主張した。

いったい自分はどうしてしまったのだろう?

こんな口先だけの男に…。

思うだけで、椿は拒絶の言葉を吐くことができなかった。


「椿といると不思議な気分になる。国の頂に相応しいよう自分で作った殻を、椿はいとも簡単に割ってしまうんだ」

「殻……」


椿がエルザイヌを見ると、端正な横顔が伺えた。

きらきらと煌めく髪が、エルザイヌの顔を優しく撫でる。

言葉の割りには楽しそうに笑うエルザイヌが、今はなぜか眩しく見えた。


(いつも眩しいような気はするけど……)

「不思議だ。これが黒姫の力なのか」


エルザイヌは自問するように言い、そして笑った。

エルザイヌは先から椿のことを「不思議」と言うが、椿も不思議に思っていた。

この湖に着いてから、エルザイヌは恐ろしく大人しい。

そして素だ。

この湖がそうさせているのか、あるいは自分が大人しいからなのか。

そう、なぜか自分でも今の自分は大人しいと思う。

その理由は簡単だ。

エルザイヌが素のようだから。


「いつも今みたいにしてればいいのに」


小さく呟いたつもりだったが、エルザイヌには聞こえたらしい。

エルザイヌは椿を振り返ったが、視線を合わせたくなくて、椿は湖を見つめた。


「どうして?」

「あたしは猫被りも嘘つきもキライだから」


椿が言うと「なるほど」とエルザイヌはくすくす笑った。


「椿に嫌われたくないし、椿の前だけでなら努力してみよう」


椿には嘘か誠かの判断は難しかったが、真実だったらいいなと椿は思った。

理由は考えないことにした。



〇〇*〇〇



エルザイヌとの他愛もない話は、何度となく椿を笑わせることに成功した。

こちらに来てまだ日が浅い椿だが、スローレットやダッチェスとは違う何かをエルザイヌの中に見出だしていた。

それは安心感にも似たようなものなのだが、椿はその感情に名前をつけることができなかった。

知らないだけなのか、知りたくないのか。

椿自身は両方だろうと結論付けた。

今はまだ知らなくてもいい。

知らないままの方がうまくいくことだってある。

そう自分に言い聞かせて。


「そういえば、あの女の子。えっと……、リーナ?その子にもうちょっとぐらい優しくできないの?アンタに対してすごい怯えてるみたいだし」


こちらに来てから椿は何度かリーナと過ごす時間があった。

いつも人より一歩後ろにいるような控え目なタイプのリーナは、椿が元いた世界で出会っていたなら、あまり接点がないタイプである。

まだ仲が良くなったとは言えない椿とリーナだが、お互いの性格はある程度把握するほどには接していた。

椿やスローレットと会話する時とは明らかに変化するリーナを、出会った初日から椿は気にしている。

恐怖にも似たようなあの青ざめ方。

経験したことのある椿にとって、放っておくこともできないでいた。

その原因が現在目の前にいるのだから、言わない手はない。


「彼女が普通の女性であるなら、いくらでも優しくしたさ。彼女の家はそれなりの名家だしね。でも彼女は預言者だ」


預言者リーナ。

彼女のことを皆そう呼ぶが、椿にはいまいち理解できないことだった。

椿の世界にそのような人物がいないのだから、それは当然のことなのだが、預言者であるが故にエルザイヌに怯えるというのだから、預言者とはなんなのだろうと疑問に感じた。

その旨を椿があえて口にしなくても、エルザイヌはそのことを察した。


「預言者とはダスティニーニ国の歩む道を導く者のことだ。道から外れたならば軌道修正をするし、止まっていれば背中を押す、といった具合か」


分かるような分からないような、そんな表情を椿はエルザイヌに向けた。

そんな椿を見返し、エルザイヌは「うーん」と唸りながら空を仰いだ。


「簡単に言えば、国王のお目付け役的な立ち位置ってとこか」

「お目付け役?」


椿はリーナのことを思い浮かべ、首を捻った。

あれが国王のお目付け役?

今の現状の流れでいくと、エルザイヌのお目付け役ということになる。


「ありえない……」


エルザイヌのような裏表がはっきりしている男を、少し詰れば泣き出してしまいそうなあの少女が、お目付け役をするなど、あまりにも荷が重すぎる。

逆ならばまだ有り得るだろうが……。


「ついこの間リーナと初対面だった椿でも思うんだから、俺の気持ちも分かってくれるだろう?」


リーナには申し訳ないとは思いつつ、椿は心の中で首を縦に振った。

先のエルザイヌの説明で預言者というものを理解した訳ではないが、国にとって重要なものだということは伝わってきた。

だからエルザイヌも必死になる。

必死という言葉が正しいとは思わないが、椿が考え付く中では、一番しっくりきた。

それが裏目に出ている気も少なからずするのだが。


「もっとそれらしく振る舞えばいいのに。俺みたいに」

「俺みたいにって、やっぱ作ってんだ、あれ」


「あれ」とは、言わずもがな猫を被っている時のエルザイヌである。

椿の言葉に、エルザイヌは当然だと言わんばかりの顔を椿に向けた。


「素であんなことできないだろう、普通」


驚きを通り越して、椿はぷっと吹き出した。

まさかエルザイヌが普通を語るとは思わなかった。

エルザイヌはそんな椿を怒りこそしなかったが、不思議そうに見つめた。


「アンタは普通じゃないでしょ」

「相変わらず失礼だな……」


クスクスと笑いながら、心の奥底の椿は首を捻っていた。

なぜこんなに穏やかなんだろう?

なぜ自分はこんな穏やかに笑っているんだろう?


「俺の半数以上は『それらしく見えるように振る舞う』行動でできてる。喋り方とか、この髪とか」

「髪?」

「長い方が珍しくてそれらしいだろう?」


そう言って自分の髪の毛先を掴んだエルザイヌを、椿は呆れよりか感心の眼差しで見つめていた。

そうまでしてしがみついていたいもの。

自分を偽ってまで欲しいもの。

そこまで執着できるエルザイヌを、椿は羨ましく感じていることを認めた。

羨ましいとは思うが、それと体を許すことはまた話が別なのだが。


「疲れたりしないの?」

「気付いた時から身に付いていたからな。まぁ、全然疲れないってことはないんだろうが……」


自分のことであるのに、エルザイヌはどこか他人事のように言った。

偽ることを疲れるとか疲れないと、そういった分け方をしたことがないエルザイヌにとって、椿のその質問の答えは難しかった。

それが当たり前。

疲れるもなにも、いつもそうしていたのだから、そんな概念はエルザイヌにはないのだ。


「そういえば、椿は猫被りがキライなんだっけ。どうして?」


椿は面倒そうにエルザイヌの面白そうな顔を見返した。


「疲れるから」

「疲れるって、俺は別に……」

「あたしが疲れるの」


猫を被る、偽る。

それらは対する相手と距離を置きたいが為にする。

距離を置かれること事態を気にしているのではなく、距離を置きたいと相手が思うことを、椿自身が察知してしまうことに原因があった。

昔から相手が自分のことを避けたいと思う気持ちを察知しやすかったため、椿は逆に気を使う羽目になる。

避けたいのならば自分から避けよう。

そう思うから、面倒だった。

いつの間にか、相手よりも自分の気持ちの方が大きくなっているといった状況がよくあった。


(親のせいかも……)


思った瞬間に幼き頃のことが、椿の頭の中をフラッシュバックする。


親が自分によそよそしく接するから、うまく甘えられなくて。

うまく自分から接していけないから、親との関わりなんて築けなくて。

避けられるようになれば、いつの日か自分も避けるようになった。

自分から歩み寄れば、今とは違う関係が築けたのだろうか?

避けられることもなく、そして自分も避けずに過ごせたのだろうか?



「ならこうしよう」

「え?」


椿は思いに耽っていたため、エルザイヌが自分に振り向いていたことに気が付かなかった。

その顔は面白そうににこにこしている。


「俺も椿も疲れないために、椿の前だけはやっぱり『これ』でいく。構わないだろう?」

「あたしの前だけ?」

「椿には俺の疲れを共有してもらおうか」


そのエルザイヌは本当に満足そうで、椿も一緒になって笑顔を向けていた。


「ほんと、アンタって迷惑」


言葉とは裏腹に、満たされたものが椿の胸を暖めた。


少しと言わず、かなり歩み寄った二人でした。

デート編はもう少し続きます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ