デート‐1
「エルザイヌがいいって言ったから、あたしと喋っちゃっていいんだよ」
椿がそう言えば、皆が「あぁ、そうなのか」とあっさり納得の言葉を吐いていった。
椿自身、ここまであっさりだと拍子抜けだったため、ならばと会う人会う人にその嘘をつきまくった。
そうなれば次の日に呼び出されるのは当然の事態であって。
エルザイヌの職務室でふてぶてしいまでの態度で現れた。
悪怯れた様子を一切見せない椿だが、その心の内では申し訳なさでいっぱいだった。
エルザイヌに負けた気がするのでツンケンした態度で立ち向かっているが、嘘をつくのはやはり気持ちの良いことではない。
まだ出会って日が浅いというのに、その椿の心情が手に取るように理解してしまうエルザイヌが、更に椿のイライラを増させていた。
「嘘をつくのはいけませんね、椿」
「………」
「しかも取り返しのつかない、質の悪い嘘だ」
「………」
どうしてこの男はこう、人を追い詰めるような言い方しかできないのか。
思うが口にできないのは、エルザイヌが間違ったことを言っていないからだ。
分かっているから更にイライラは増していく訳だが。
しかし呼び出した割にはそこまで怒っている感じではないエルザイヌが不思議だった。
「でもまぁ、いいでしょう」
「え?いいの!?」
思わずエルザイヌへと視線を向けると、にこりと微笑まれ、しまったと思った。
これではエルザイヌの思うつぼである。
椿はすぐにエルザイヌから視線を外した。
「ただ女性限定です」
「…なんのために」
「決まってるじゃないですか。あなたが俺以外の男に惚れないようにです」
椿は口から火が出るんじゃないかと感じた。
この男のこのセリフは本心なのだろうか?
叫び出したい。
歯が浮く台詞とはまさしくこれだと椿は確信した。
極力関わりたくないと思うのに、エルザイヌを避けて通る道がどうしても見つからない。
親でさえ上手く避けて通れたのに。
「俺もだいぶ妥協したので、その程度は守っていただけますね?」
このいちいち突っ掛かるような言い方はどうにかならないのだろうか?
椿は重く深くため息を落とした。
「…別に誰にも惚れたりしないし。アンタにも」
誰にも惚れたりしない。
いや、できないのかもしれない。
親にさえ愛されなかった自分が他人に愛されるとは思えないし、もし愛されたとしても自分は愛せない気がしてしまう。
愛し方がわからない。
そこまでエルザイヌに言ってやるつもりはないが。
エルザイヌはにこりと微笑みを椿に向けただけで、それ以上は何も言わなかった。
〇〇*〇〇
椿はエルザイヌの職務室の扉を締め、深く重いため息を長くはいた。
認めたくはないが、あの男は非常に手強い。
果たして自分の手に負えるのだろうか?
「大きなため息ですねぇ」
椿が声のした方を振り返ると、昨日知り合ったばかりの顔があった。
扉とは反対側の壁に背中を預けており、椿を面白そうに見つめている。
「昨日の…、ダッチェスだっけ?」
「お、覚えていただけましたか」
ダッチェスはからからと笑い、壁から背中を離した。
そのまま自然に椿の隣にダッチェスは立ったが、椿はあからさまに不信気な顔をしてみせた。
エルザイヌとダッチェスとシェンリルの中で誰が一番取っつき安そうと言えばダッチェスだが、それはあくまでその三人で選べばの話。
まだまだ知らない人間だ。
「そんな警戒しなくても取って食ったりしませんって」
「誰もそんなこと思ってないっつの!」
そしてダッチェスは人の良さそうな笑顔になった。
悪い人ではなさそうだと思った。
この手の男友達ならばあちらにはたくさんいた。
接し方ならだいたい掴める。
「まぁいいわ。それよりも、その気持ち悪い敬語はなんとかなんないの?」
「あ?気持ち悪かったか?」
「うん。めちゃくちゃ」
そしたらダッチェスはまた笑いだした。スローレットとはまた違った接しやすさがダッチェスにはあった。
これぐらいがちょうどいい。
「これでも生まれてこの方、ずっと貴族だぜ?」
「ふーん」
「はは。今回の黒姫は反応薄いなー」
ダッチェスはまた声をたてて笑うので、椿はよく笑う奴だなとダッチェスを見た。
逞しい身体に似つかわしくない人懐こい笑顔。
そのギャップにやられる世の女性は少なそうもない。
もし自分の周りの女友達であれば、まず間違いなく放ってはおかないはずだ。
「その黒姫ってのもイヤ」
「わがままばっかだな」
「うっさい。勝手に連れてきて言えた立場じゃないでしょ」
ダッチェスが小さい声で「確かに」と納得の言葉を漏らしたので、椿は心の中で吹き出した。
素直だ、見た目に反して。
椿はダッチェスと共に自室までの道のりをなんだかんだで楽しく過ごした。
自室に着くとダッチェスが「じゃあ」と片手を上げたので、椿はきょとんとしてダッチェスを見返した。
「そういえば、あたしに何か用だったの?」
わざわざエルザイヌの職務室の前で待ち伏せするぐらいなのだから、きっと何か用事があったのだろう。
今さらな質問ではあるが、気になったので椿は口にした。
ダッチェスは小さく笑った。
「本当はエルザに先に言うつもりだったんだが、まぁいいか」
「なに?」
「デートをセッティングしといてやったぜ」
「……は?」
楽しそうな笑顔を向けてくるダッチェスの前で、椿は間の抜けた表情をダッチェスに拝ませた。
〇〇*〇〇
エルザイヌは机上にある資料から顔を上げ、楽しそうに微笑むダッチェスを凝視した。
そのエルザイヌの表情だけでダッチェスは満足だった。
いつも完璧なまでの嘘笑顔を振りまくエルザイヌの表情を崩すことは、なかなかに難易度の高いことだ。
それができただけでもう達成感で溢れている。
「…デート?」
「あぁ」
「…一応聞くが、誰が?」
「エルザが」
「…誰と?」
「黒姫…じゃなくて、椿と」
エルザイヌは頭を抱えたくなった。
ダッチェスのことは信用はしているのだが、どうもストレートすぎると言うか、バカと言うか…。
頭痛の種と言える発言である。
認めたくはないが、このバカストレートに黒姫の心を紐解く手伝いを頼んだ自分がバカだったのかもしれない。
「…なんでそういう考えになるのかな…」
さすがのエルザイヌもこの精神状態で仕事を続けることも適わないので、ため息を落としつつ椅子の背もたれに身を預けた。
ダッチェスは憂々とした表情でエルザイヌの職務机へと近付いた。
「契りを結んでもいいって思うには、やっぱお互いがお互いのことを知る必要があるだろ?でもここじゃ椿があの調子だし、だったらちょっとぐらい遠出して気分転換なんかどうかなーと思ってさ」
「…言ってることは正しいけど、現実味がないな。今はただでさえ仕事が山積みなんだ」
エルザイヌが机上の高く積まれた資料の山を見据えた。
これだけならまだしも、やらねばならないことはまだまだある。
国王がいない今、国王の仕事の大半はエルザイヌがこなしている。
それが前国王の遺言であり、エルザイヌがそれを受け入れたためだ。
こなしてもこなしても、仕事はなくなったりはしない。
むしろ増えていく一方だ。
そんな状況で旅行なんかしている場合ではないというのは、いくらバカでも貴族の、しかも王家のはしくれであれば分かることなはずだ。
ダッチェスは職務机に両手を置き、エルザイヌに詰め寄った。
「だからだ。別に日帰りでいいんだよ、そんなの。言ってるだろ?これは単なる気分転換であって、ちょっとしたコミュニケーションの場だ。デートっつーのは、基本的に日帰りって決まってんだよ、やらなきゃな」
思わずエルザイヌは苦笑した。
どことなくダッチェスと椿に似通ったところがある気がした。
「ところでダッチェス」
「ん?」
「いつのまに黒姫とそんなに仲良くなったんだい?」
軽く流しても良かったのだが、参考までに聞いておこうとエルザイヌは質問を投げ掛けた。
ダッチェスは先ほど、椿のことを「椿」と名で呼んだ。
それも黒姫と呼んだところをわざわざ変えての椿だ。
ダッチェスは机から手を離し、からからと笑った。
「なんかさ、俺、椿の男友達に似てるんだと」
どうも参考にはなりそうもない。
デート編に突入しました。
これで少しは椿とエルザさんの絡みが増えるといいんですけど…。
遅い更新申し訳ありません。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。