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どこか不貞腐れたような、そしてまたどこか意気消沈したように、シェンリルは部屋をふらふらと退室していった。
椿の反応がよほど堪えたらしい。
椿自身それに気付いていたが、どうしようもなかった。
元からどうしようとも思ってなかったのだが。
ダッチェスはぽかーんとしながら椿を凝視している。
しかしそんなダッチェスはお構い無しに、椿はエルザイヌに向き直った。
エルザイヌはどことなく素に近い笑顔を浮かべている。
「ちょっと相談があるんだけど」
「なんでしょう?」
素の笑顔から一変、素晴らしいまでの笑みを椿へと向けるエルザイヌ。
この猫かぶりめ!
と心の中だけで毒づいておく。
口に出さないのは、この綺麗な笑顔に押し返されてしまったからだった。
不覚にも心臓が大きく脈打った。
(嘘笑顔なのに…!)
そんな自分に腹が立つ。
純情な女を気取るようなキャラでは全くない。
面食いでもない。
なのに今の動悸はなんなのだ。
自分に向けていた怒りが、なぜだかだんだんと目の前のエルザイヌへと移行していく。
「…いろんな人と話したい。アンタたちだけじゃなくて」
「できません」
エルザイヌはバッサリと椿の提案を切り捨てた。
視線の端でダッチェスがびくりと体を震わしたのが見えたが、椿はまったく意に介さなかった。
あまりの即答の速さに椿でさえも面食らう。
やはり好きにはなれそうにもない。
「す、少しぐらい考えなさいよっ!」
「考えるまでもありません。規則ですから」
「そんなん知らないっつの!このままじゃ不自由なの!」
「不自由だとお感じになるのでしたら、お早く契りを…」
「わー!!うるさいばか!変態!アンタの頭にはそれしかないわけ!?」
言ってからはっとした。
言い過ぎたかもしれない。
エルザイヌの頬が痙攣したように笑顔のままぴくついたので、そう思わずにはいられなかった。
しかし出てしまった言葉を戻すこともできないし、変な意地から撤回することもしたくない。
椿はごくりと喉を鳴らしてエルザイヌの出方を待った。
「なぜそんなに契りを結ぶことを拒否なさるのですか?」
さも当然のことのようにエルザイヌは椿に問い掛けた。
わざと聞いているのならただ性格が悪いだけで済むのだが、本気で聞いているのだとしたら質が悪い。
これではまるで愛情の知らない子供ではないか。
と、そこまで考えて椿はエルザイヌから視線をそらした。
(あたしだってそんなに愛情とか知らないじゃん…)
親は自分をほとんど放任していた。
頭を撫でられた記憶も、優しく抱きしめられた記憶もない。
ケンカすらもしない。
ずっとコミュニケーションらしいコミュニケーションをとらないまま来てしまった。
学校行事は当たり前の如く欠席。
面談などの「どうしても欠席できない行事」の時は顔を出す程度はしたが、当たり障りのないもので終わっている。
自分がどんな選択をしようと、一切口は挟まなかった。
小さい頃は周りが羨ましくて寂しくも感じていたが、さすがにその年齢は越している。
中学生あたりから、周りが賑やかならそれで良かったと思えた。
家に居場所がなくても、自分には外に居場所がある。
明るくて賑やかで楽しい居場所。
だから何も寂しくなんかない。
無断で外泊しようと、帰りが遅かろうと、「警察沙汰だけはやめてね」と言うだけで、咎めたりはしない母。
だから逆に「そっちもね」と返すと、「そうね」と返してくる、絶対に怒らない母。
ほとんど顔も合わせない父。
子供を愛さない両親。
「そんで横道それた子供ってか」
「はい?」
「別に」
あんな風にはなりたくない。
自分にとってあの両親は反面教師だ。
だからそういうことは心から愛した者とだけしたい。
そんな自分は子供染みているのだろうか?
「椿、どうしたの?」
大丈夫?と横から顔を覗き込んできたスローレットに、小さく笑みを向けた。
ここに来てスローレットだけが椿の支えである。
ここでは誰よりも常識人だと感じる。
椿は気を取り直してまたエルザイヌへと視線を向けた。
もちろん鋭い目線であるのは言うまでもない。
「アンタとそーゆーことは死んでもやらない。アンタだけじゃなくて、アンタとも、さっきのオヤジともぜぇったいやらない!」
椿はエルザイヌ、次いでダッチェスを指差し、ぎゃんぎゃんと喚いた。
その椿の言葉の後数秒時が止まり、それをぶち壊すかのようにダッチェスとスローレットが声を上げて笑い始めた。
ダッチェスは腹を抱えて笑い、スローレットは目に涙までも浮かべている。
目の前のエルザイヌは椿から視線を反らし、口元を手で抑えながら肩をプルプル震えさせていた。
これはもしかしなくても笑っているのではないか?
「ちょ…、なんなのよアンタたちっ」
理由がわからない状態で言ってはみたが、当然笑いの渦が治まる訳もなく。
唯一その渦に乗り切れてないリーナは、ぽかーんと口をあんぐり開けた状態だった。
可愛い顔も台無しである。
「おま…、ほんと…!それはない!それはないだろ!」
「は、はぁ?」
「椿…!もう…、本当にかわいいね」
「はぁあ!?」
笑いながらのスローレットの言葉に、理解はできないが赤面してしまった。
普段「かわいい」などと言われることはないに等しいのだから、そんな初な反応をしてしまう。
それが更に3人を煽ってしまうのだが。
「な、ななな…!なんなんだよっ!!」
いい加減イライラの最高潮に達した椿が、叫び出した。
それにはさすがに3人も笑いを抑えようとした。
しかし突然抑えきることができたら苦労はない訳で、喉の奥がくつくつなっている。
椿が3人を流すように睨み続けていると、目尻にたまった涙を拭きながらスローレットが口を開いた。
「ごめんごめん。椿があんまりかわいいこと言うんだもん。ほんと、かわいい」
「かっ…!れ、連発しなくていいから!」
耳まで赤く染めた椿に、スローレットはまたしてもくすくすと笑いを溢す。
いつの間にかダッチェスは、椿に対しての壁がきれいさっぱりなくなっていることに気が付いた。
〇〇*〇〇
「黒姫っていうのは、あんな初なものなのか?」
笑いを含んだダッチェスの言い方に、エルザイヌは口の端を自然と持ち上げた。
言葉の悪い低俗な輩かと思えば、耳まで赤く染めた今どき珍しい初な反応。
綺麗だな、と思った。
純粋と言ってしまえばそれまでであるが、それだけではない気がするのはなぜだろう?
黒髪と黒い瞳を除けば姿形はあまりにも人並み、しかしどういう訳か自分を惹き付ける。
あんな人間を自分は知らない。
だから興味が湧くのだろうとエルザイヌは思考を切り替えた。
「ダッチェス、率直に聞いてもいいかな?」
ニヤニヤしていた表情は一変、真面目な顔を張り付けたダッチェス。
エルザイヌはそれに満足げににこりと微笑んだ。
切り替えが早いことは話がスムーズに進むのだ。
「君は国王になるつもりがあるのかい?」
率直に言うとは言われたが、ここまで率直だとは思っていなかったダッチェスは目を開いてたじろいだ。
エルザイヌ自身も表面には分からないが、内心では驚いていた。
ダッチェスと話がしたいとは前々から思っていて、今回はシェンリルもいない最高のチャンスだった。
だからさっさと本題に入ろうとはしていたが、まさかこんな裏表のない問いが自分から出るとは、自分でも予想外の出来事だ。
これがあの黒姫の純粋さの影響なのだとしたら、自分は意外と影響されやすい人間なのかもしれない。
「また随分と…、ストレートだな…」
「回りくどいのは君らしくないだろう?」
と、それらしい理由を述べてみる。
ダッチェスは「確かに」と言って苦笑した。
もしダッチェスが「なりたい」と言った場合、この状況はかなり不味いだろう。
この筋肉質のダッチェスに襲われたら一溜まりもないのは火を見るよりも明らかだ。
しかしエルザイヌには確信があった。
「変わらないな、エルザは」
そう言って頬を緩ませたダッチェスに、エルザイヌも素の柔らかい笑顔を浮かべることができた。
そして自分の勘にも近い確信が正しかったと理解した。
誰にも渡せないあの座席。
そのためならなんだってやるし、やれる自信がある。
それでも対象にできる人物としたくない人物がいるわけで、ダッチェスは後者だった。
しかしもしダッチェスの返答が自分の意にそぐわなければ、躊躇なしで対象にする自信もあるが。
「国王という役職には興味はないんだ。はっきり言って、周りが盛り上がっちゃってるっていうか…」
ダッチェスは照れたように後頭部を掻いた。
このような素のダッチェスは、王族どころか貴族らしい雰囲気があまりない。
だからこそ自分はダッチェスに好感が抱けるのだろうと思った。
「だから今回の黒姫召喚で任が解かれるとも思ったんだが…。あの黒姫じゃ時間が掛かりそうだな」
言葉の割には楽しそうな表情のダッチェスに、エルザイヌは心の中で同意した。
時間は掛かるだろう。
早く国王の座を得たいが、あの黒姫を無理やり組み敷きたいとは思わない。
ならば気持ちを持たせればいいのだ。
それすらも時間が掛かりそうではあるが。
「国王の座は僕が引き受けるよ。けれど、黒姫の心を紐解くのは手伝ってもらいたい」
ダッチェスに頼むのは根本的に間違っているように見えるが、信用の置ける人物としては最上の男だろう。
利用できるものは全て利用する。
それが自分のやり方だ。
「ほんと、変わらないな」
「誉め言葉として受け取っておくよ」
変わらない、変われない。
そんな自分を良く思わないからあの黒姫やダッチェスに惹かれるのかもしれない。
その時どこから吹き込んできたのか、銀色の自分の髪がサラサラと風に流されて輝いた。
更新が遅くなり、誠に申し訳ありませんでした。
ダッチェスくんぶっちゃけましたね。
なんだかこの話は逆ハーを目指したいらしい…。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。