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叔父のシェンリルといとこのダッチェスを引きつれて、エルザイヌは黒姫の部屋へと向かっていた。
一応この2人も国王候補。
黒姫に会わせない、という訳にはいかない。
私事を挟んだ本心を言えば、この上なく会いたくないし会わせたくない人物たちである。
こんな立ち位置だからかもしれないが、この2人とは反りが合わない。
特に叔父のシェンリルは尚更だった。
プライドばかりが高く、そのくせ周りの貴族の傀儡人形の如く使われているのにも気付かない。
哀れな男だ。
変わっていとこのダッチェスには大して言いたいことはない。
立場上相容れぬ仲になってしまったが、小さい頃は一緒に遊びすらした仲なのだ。
その内落ち着いて話したいと考えているが、そんな時間もとれないのが今の現状である。
というより、今はこれ以上問題を抱えたくないというのがエルザイヌの考えだった。
もしあの黒姫がこの2人のどちらかを気に入りでもしたら…。
そう考えると気も重くなる。
出来ることなら今すぐ回れ右をしたいのだが、そうもいかないのが今のエルザイヌの立場だ。
まだ弱いこの権力。
このままではダメなのだ。
強く、もっと強くならなければ。
(まだその期ではないが)
エルザイヌの心境は冷静であり、表面的な顔は笑顔そのもの。
こんな特技を気付いた時から身に付けていた。
素直という言葉など、当の昔に置いてきてしまったようだ。
しかしそれをいとも簡単に崩されてしまったのがつい昨日のこと。
普段向けられることのない暴言に、思わず怒りで返していた。
黒姫にも関わらず相当なことを言った自覚がある。
冷静に戻った今だからこそ思うことなのだから、昨日はどれだけ頭に血が昇っていたのだろう。
(ある意味才能か)
人を、更には自分をあそこまで怒らせることができるということは、褒める訳ではないが凄いことには変わりはない。
興味がある。
あんな人間が自分と出会うのは最初で最後だろうから。
「何か、聞こえないか…?」
いとこのダッチェスの声に、僅かに背後を振り返る。
剣技にそれなりの心得のあるダッチェスなので、常に五感を研ぎ澄ましているところがある。
その彼が言うのだから間違いないのだろうと思い、エルザイヌも耳を澄ましてみた。
またダッチェスの表情が少なからず穏やかだったので、そう大したことでもないのだろう。
歩みを止めこそしなかったが、よくよく耳を澄ませば何かが聞こえてきた。
なんとも表現し難い“何か”。
人の声なのだろうが、それはもしかしたら歌を唄っているのかもしれない。
馴染みのない、それどころか聞いたこともないようなメロディのそれを、エルザイヌが歌だと認識するのはかなりの時間を要した。
またその声は近付けば近付くほど大きくなるものだから、嫌でもその発信源が分かってしまった。
目的地の部屋の扉は大っぴらに開いている。
恐らく空気の入れ替えをしているのだろう。
扉の外に立つ2人の衛兵がエルザイヌたちに小さく会釈をした。
部屋には先日召喚されたばかりの黒姫と、年の割に幼いままの血を分けた弟、そして預言者リーナがいる。
3人ともまだこちらに気付いた様子を見せていない。
「倭国の音楽って、こっちとは全然違うんだね…」
「そう?これでもおとなしめのしっとりしたやつなんだけど…。童謡とかの方が馴染むかも」
そしてまた黒姫は唄いだした。
上手くもなければ下手でもない、やはり月並みである。
ただ不快ではなかった。
今まで聞いたこともない馴染みのないメロディであるのだが、悪くはない。
「亀の話の歌?」
「そう。教えてあげよっか?あっちじゃ結構、有名なお話」
「うん、聞きたい」
そう言ってスローレットは目を輝かせる。
もう当の昔に成人の義を済ませたにも関わらず、スローレットからは青臭ささは未だ抜け切らない。
自分が国王となったらスローレットに任せたいことが今よりもっと山積みになるだろう。
しかしこのままでは不安で任せられないではないか。
そうなれば切り捨てるのみだが、心の置ける人物は1人でも多い方がいい。
「あっ……」
やっとエルザイヌたちの存在に気付いたのは、話にまったく参加していなかった預言者リーナだった。
その声に話に夢中になっていた2人はリーナを振り返り、その視線を辿ってエルザイヌたちを見つめた。
「エルザ兄様!」
いらしたんですか、とスローレットが声を上げると、エルザイヌは不機嫌を綺麗に隠した笑顔で部屋へと入っていった。
〇〇*〇〇
今朝一番に椿の部屋に来たのは、可愛らしい女性とスローレットだった。
「彼女はヒス。椿の侍女だよ」
ヒスはスローレットの侍女の1人だ。
まだ侍女としては若い25歳の彼女だが、仕事熱心で真面目なところがスローレットは気に入っていた。
真面目だがまだ若いので、頭が固すぎるということがない。
ヒスならば適応能力も高いから椿の世話も任せられるだろうと踏んで、彼女を推薦した。
ヒスはぺこりと椿に頭を下げ、一言も口を開くことなく水の入った洗面器を椿のいるベッドに置き、カーテンを開け放った。
一見感じが悪く見えるが、規則上仕方のないことだ。
しかし椿はあからさまに渋い顔をしてみせた。
スローレットはそんな椿にすぐに気が付いた。
まだまだ短い椿との付き合いだが、彼女の性格は分かりやすい。
感情をまるで隠そうとしないのだ。
それはスローレットにとってまったく不快でなく、むしろ好感を抱けるものだった。
この城ではなかなかお目にかかれない人種である。
「ごめんね。気持ちが悪いだろうけど、少しの間我慢してね。契りを結ぶまでは、その相手以外とは会話しちゃいけない決まりがあるんだよ。今回は異例だから、僕とエルザ兄様と叔父のシェンリルといとこのダッチェスはいいってことになってるけど」
「はぁ?」
どんな決まり?と椿が漏らした。
そんな素直な椿の反応に、スローレットも素直にくすくすと笑う。
「周りからの影響を受けないように、って言われてる」
「意味わかんない」
椿としては理解できないことなのだろう。
会話ができないとなると、その4人以外とは意思の疎通が取れないということになる。
考えるまでもなく、そんなことは椿には耐えられないとスローレットでさえ容易に想像がつく。
「その不便な決まり、なんとかできないの?」
椿が聞くと、スローレットは困ったように微笑んだ。
昔からの決まり事を、スローレット1人の判断で破る訳にはいかないが、椿の気持ちが分からないでもない。
最終的に自分よりも立場が上の人物に全てを委ねようと考えた。
そんな自分をズルいと思う。
最終的な決定をいつも誰かに擦り付ける。
兄のように責任感の強い立派な人間になりたいとは思うが、それと同時に兄のような人間になりたいとも思わなかった。
簡単に人を切り捨てる兄を、寂しいと思う。
見習いこそすれ、なりたいとは思えない。
あの寂しささえ抜ければと思うが、その日が来るのはいつなのだろうか…。
来ればいい。
来て欲しい。
兄のためにも、自分のためにも、これからの国のためにも。
(椿のためにも、かな)
唐突にくすくすと笑い始めるスローレットを、椿は顔を渋くして見つめた。
不機嫌ではないのだろうが、それは人には不機嫌に見えてしまう。
きっと本人は気付いていないのだろうが。
「エルザ兄様に聞いてみるといいよ。今日はシェンリル叔父様とダッチェスと一緒に来ると思うから、その時にでも、ね」
そう言いながら楽しがっているスローレットの内心は誰にも秘密のことだ。
兄があのように感情を表に出すことはめったになく、しかもそれが怒りの感情であれば尚のこと。
更に今回は兄と反りの合わない叔父がいるのだから、スローレットにはこれほどのないイベントだ。
楽しまなければ逆に損である。
兄や椿には申し訳ないが、目一杯楽しませてもらうつもりだった。
そんな会話のすぐ後に、預言者リーナが部屋に姿を現した。
相変わらずおどおどとした様子である。
椿がリーナに向かって「あの時の子!」と声を上げたので、おどおどは更に増した。
リーナは優しい少女だ。
経緯はよく知らないが、規則であっても無視をすることに罪悪感を抱いているのだろう。
そのせいで召喚直後に椿と会話をし、エルザイヌから大目玉を食らったとスローレットは聞いていた。
哀れでならない預言者を、せめて自分の前にいる時ぐらいは助けてやろうと、スローレットは口を開くのだった。
「預言者のリーナだよ。彼女との会話はエルザ兄様に許可を貰ってからにしてね」
椿がつまらなそうに舌打ちしたのを聞いて、スローレットは腹を抱えて笑いそうだった。
きっと兄にも同じことをしたのだろう、そう考えただけでしばらくは娯楽に苦労しなずにすみそうだ。
(面白いね、今回の黒姫は)
〇〇*〇〇
部屋にエルザイヌたちが侵入してきたことに、椿の目は自然と細められた。
先ほどまでは確かに楽しかった時間が、ものの見事に打ち砕かれた気分だ。
嫌いだ、どうしようもなく。
「こちらが叔父のシェンリル、そしてこちらがいとこのダッチェスです」
最初は綺麗だと思った笑顔は、今の椿には胡散臭いものにしか映らなかった。
この笑顔の裏では相当のことを考えているに違いない。
シェンリルと紹介された男は中年のひょろりとした風貌だった。
細い目が鋭く椿を捕えたまま口元をにやつかせている。
金髪の髪は決して風になびくことなく、ぴっしりと固められていた。
まるでその人の性格を表しているようだ。
ダッチェスという男は、とにかく大きかった。
がっしりとした肢体にエルザイヌよりも高い身長は、それだけで人に威圧感を与えた。
シェンリルと同じ金色の髪は、短く揃えられている。
スローレットを抜いて考えれば、椿としてはダッチェスが一番接しやすそうだと感じた。
2人が同じように椿に礼をすると、椿も反射的にではあるが頭だけを小さく下げた。
「少しお話でもなさいましょうぞ、黒姫」
シェンリルがついっと前に出て椿に近付く。
椿はそれをぴしゃりと言葉ではねのけた。
「今スローと話してたんで、また次回ってことに」
あまりこの男は好きではないと、直感的に思った。
何が、どこがと聞かれれば言葉に窮してしまうが、しいて言えばこの顔付きだろうか。
隠そうとしている裏事情がどことなく見え隠れしている。
エルザイヌのように綺麗に隠しきれていた方がいっそ清々しい。
その椿の言葉に、シェンリルは苦々しい顔をした。
(そーゆーとこだってば…)
いつか口に出してしまいそうだった。
遅い投稿申し訳ありません。
新登場人物が多くなりすぎないようという方向性に持って行きたいです。
しかし予定は未定です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。